2010/07/07 - 2010/07/07
207位(同エリア230件中)
まみさん
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2010/07/07水 カウナス(エストニア第二の都市)
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・独立広場と聖ミカエル教会見学
<ここから自転車レンタル>
・悪魔の博物館見学&写真撮影
・チュルリョーニョス美術館見学
・聖ペテロ&パウロ大聖堂見学
・カウナス城(廃墟なので外観のみ)
・サンタコス公園でネリス川とネムナス川が交わる地点まで行く
・ヴィータウタス教会見学
・ペリクーナスの家(外観のみ)
・ネムナス川沿いから駅前まで自転車で散策
・杉原千畝記念館(外観のみ)
【カウナス泊:ホテル・ネリス改め、ホテル・パーク・イン(Park Inn)】
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自転車での市内観光は、まずは自由を意味するライスヴェス通りから始まりました。
原翔さんの「バルト三国歴史紀行 リトアニア」によると、ライスヴェス通りはソ連時代にはスターリン通りと呼ばれていたそうです。
そして真っ先に、カウナスで1番楽しみにしていた悪魔の博物館に向かいました。
カウナスで自転車でつなげたいと思っていた博物館は4つありましたが、実際に回れたのは、悪魔の博物館と、チュルリョーニョス美術館だけでした。
回れなかったあとの2つは、これらのすぐ近くのヴィータウタス大公戦争博物館と、駅前に近い杉原千畝さんの記念館です。
ヴィータウタス大公戦争博物館を見学したいと思ったのは、悪魔の博物館やチュルリョーニョス美術館のすぐそばという好都合なロケーションと、「地球の歩き方」によると、中世から近代までのリトアニアの通史の博物館とあったからです。
中世から近代までのリトアニアの歴史は、ドイツ騎士団やロシア、ポーランドなどの当時の周辺列強国との戦いの歴史です。
だから、戦いに関する展示を通じて、興味あるけどまだまだ未知のリトアニアの中世から近代あたりの歴史を少しでも理解するのに役立つだろうと思いました。
ところが、チュルリョーニョス美術館を見学中、本日は1日曇天だと思っていたのに、外では思いがけず太陽が顔を出しました。
なので、首尾よく自転車レンタルができたせいもあり、自転車で市内観光したくてうずうずしてしまいました。
もともとヴィータウタス大公戦争博物館を候補にしたもう一つの理由として、撮影代を払えば撮影が可能という点もありました。
でも、博物館の写真ならもうすでに悪魔の博物館でたっぷり撮りましたから、同じくかなり割高な撮影代を払ってまで、戦争博物館の展示品の写真を撮らなくても、本日はもう十分という気分になりました。
というわけで、博物館よりも自転車での街散策を優先させてしまいました。
杉原千畝さんは、日本のシンドラーと呼ばれる人です。
カウナスに行くからには、この人の記念館は訪れなければならんでしょう、という使命感めいたものがありました。
でも、自転車で旧市街を先に回っているうちに、開館時間は終わってしまいました。
なので、建物だけ見に行きました。
閑静な住宅街の中にあって、探し当てるのになかなか苦労しました。
閉館時間をとっくに過ぎていたので、余裕をもって探すことができましたが、ぎりぎりでも開館時間に間に合わせようと思って向かったとしたら、かなり厳しかったと思います。
見たところ、まわりの住宅と大差ない、それほど大きくない建物だったので、当時の日本の領事館はこれで用が足りたのか、とちょっとびっくりしました。
日本の通行許可証を求めてユダヤ人が大挙してやってきたと思いますが、その人たちは全員が領事館の中に入りきらなくて、もしかしたら外までずらっと行列が続いていたかもしれません。
現在はヴィタウタス・マグヌス大学の日本語センターとなっていて、一部が杉原千畝さんの記念館として公開されているようです。
チュルリョーニョス美術館を見学後、早速、旧市街に向かいました。
新旧市街とも、カウナスは坂道が多かったのですが、勾配がきついところはそれほどなく、自転車でも上り坂をすいすいと走れました。
ふだん、坂道の多い森林公園のサイクリングコースで鍛えているせいでしょうか(笑)。
街中では、歩道にサイクリング用のコースが設けられているところもあり、石畳の道でも思ったより走りやすかったです。
自分が自転車に乗っているせいか、街中を自転車で走る人がよく目に付いて、意外と多いと感じました。
海外旅行先で事故を起こしたら───しかも自転車だと加害者側になりやすい───洒落になりませんし、初めて走るところなので、ふだんより慎重に自転車を走らせました。
それでも徒歩よりも断然スピードが出るので、徒歩だったら疲れ切ってなかなかここまで足を延ばせないだろうという距離まで、すいすいと移動できました。
ただ、街中でおやっと思った一角で写真を撮ろうと思うときが、若干面倒でした。
建物の中に入ったりしばらく自転車から離れるときには、きちんとチェーンで駐輪させなくてはいけないのは当然ですが、徒歩ならそのまま立ち止まってパチリとやれるところが、自転車だと徒歩ほど小回りがきかないので、写真アングルや構図を考えて撮るのに、若干、不自由を感じました。
そのため、旧市街のあちこちにあった中世の面影のある建物などを、目で見ていいなと思っても、あんまり写真に残せた気がしないです。
それよりも、人も歩いていてごちゃごちゃと走りにくいところより、自転車ですいすい回れる公園を回ってしまいました。
旧市街の奥には、町の発祥の地ともいえるニャムナス川とネムリス川が交差するところまでサンタコス公園が広がっていたので、川の交差地点まで自転車を走らせました。
実は、そんな方まで行っていたので、杉原千畝記念館の開館時間には間に合わなかったわけです。
また、夕方には再び、2度ほど雨に見舞われました。
一度目は、ウィンドブレーカーがレインコート代わりになったし、霧雨でしたので、そのままカサもささずに自転車を走らせていたら、しばらくして止みました。
6時すぎ、通常ならそろそろ観光を切り上げてもよいくらいでしたが、まだまだ自転車で街中を回りたかったので、レンタル屋の兄さんが薦めていた郊外のパジャイスリス修道院へ、建物を見るだけでもよいから足を延ばしてみることにしました。
街の中心を走るトラムで終点まで行って、さらに徒歩15分のところにある修道院です。
地図から推測する限り、自転車なら30分から1時間かな?───夕方6時から向かうには遅すぎますが、自転車は9時までレンタルできるし、夏のリトアニアは夜10時まで明るいので、行って行けないことはないだろうと思いました。
自転車でパジャイスリス修道院まで行ったなんて、よい話のタネにもなりそうです。
川沿いはサイクリングコースとしてもなかなかでした。
ところが、川沿いのコースは途中で工事中となり、通行できなくなりました。
地図を頼りに街中を突っ切るにしても、地図で確認できた大通りは歩道がないようなハイウェイで、それより細い道をちまちまと曲がりながら進まなくてはならないようです。
方向音痴の私には時間に余裕がないと無理です。
それに、それまではカサ要らずですんだ小雨も、だんだんひどくなってきたので、未練を残しつつも、街中に引き返しました。
引き返したら、雨は止みました。ありがちな皮肉です。
なので、パジャイスリス修道院がだめなら、せめて杉原千畝さんの記念館の建物だけでも見よう、と思って見に行きました。
そのあとも、バスターミナルのそばのロシア正教会を、建物だけ写真に収めたりできました。
レンタル屋さんの近くまで戻ってきても、まだもう少し自転車に乗っていたい気分が募り、もう一度ぐるぐると周辺を回ってしまいました。
自転車は7時すぎに返却しました。
本日は、カウナス観光は、ヴィリニュスから到着した昼頃から開始しましたが、たっぷり7時間は観光できただけでなく、自転車のおかげで徒歩では考えられないくらい行動範囲を広げることができました。
自転車だと徒歩ほど疲れないのですが、自転車を返却した後、歩いてホテルに戻ろうとしたとき、体は思ったより疲れていて、足がガタガタで真っ直ぐに歩けないくらいでした。
2010年バルト3国旅行の旅程一覧はこちら。
簡易版「2010年バルト3国旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10481279/
詳細版「2010年バルト3国旅行の詳細旅程(写真付き)」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2010/07/2010-ccbf.html
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ヴィータウタス大公の銅像
悪魔の博物館とチュルリョーニョス美術館の見学を終えて、ライスヴェス通りに戻って来ました。
さあ、今度は自転車で市内散策です。
「ヴィータウタス大公の銅像
(ライスヴェス)通りのほぼ中央に剣の切っ先を大地にさした「ヴィータウタス大公」の銅像がある。下の部分には彼の兵であったポーランド人、ロシア人、タタール兵と、折れた剣の惨敗したドイツ騎士団の騎士の像がある。タンネンベルクの戦いをイメージしたものである。」
(「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社)より引用)
1410年の「タンネンベルクの戦い」(チュートン騎士団のドイツでの呼び方)あるいは「グリュンヴァルトの戦い」(ポーランドでの呼び方)あるいは「ジャルギリスの戦い」(リトアニアでの呼び方)は、ウィキペディアフリー百科事典からかいつまんで解説すると、1410年7月15日、ポーランド・リトアニア連合軍とドイツ騎士団(チュートン騎士団)の間で戦われた中世最大の戦闘です。
これによってドイツ騎士団はポーランドやリトアニアの地での影響力を失い、リトアニアとドイツ騎士団の長年の戦いにも一応の決着がつきました。
ちなみに、この戦いで勝利をおさめたポーランドはさらに勢力を拡大し、ロシアを除くヨーロッパで最大の版図をもつ強国として最盛期を迎えることになります。
ポーランド・リトアニア連合軍側の主力は、ポーランド人、リトアニア人(リトアニア人とルテニア人)、ドイツ人(のちに結成されることになるプロイセン連合加盟諸都市の市民)で、そこにボヘミア人(チェコ人)、ルーシ人(古代ロシア人)、リプカ・タタール人、オランダ人の援軍が加わりました。 -
ライスヴェス通りにある、もと議会の建物
情報源は原翔さんの「バルト三国歴史紀行 リトアニア」です。
ヴィータウタス大公の銅像のとなりにあったので、カウナスが首都であった1920年から1939年にかけて議会として使われた建物というのはこれだと思います。 -
イチオシ
カウナスだからカウ?
もと議会の建物の上の方に注目。
まさか英語と同じく、リトアニア語でも雄牛のことをカウというのではないでしょうが……。
602という数字も意味深です。 -
旧大統領官邸のゲート
現在博物館として公開されているようです。
建物だけでも見たいので、自転車のままゲートの中に入りました。
中はちょっとした公園のようになっていました。 -
旧大統領官邸博物館の宣伝
どうやら企画展として、ここが旧大統領官邸として使われていた当時の写真展が、2010年5月21日から10月31日まで開催されているようです。 -
リトアニアの旗が翻る旧大統領官邸
カウナス滞在がたったの1日でなければ、博物館となっている中を見てみたかったです。
手前の銅像は、1919年に就任した初代大統領のアンタナス・スメトナ大統領でしょうか。
リトアニアがロシアから独立し、この翌年に成立したリトアニア民主主義共和国は、残念ながら第二次世界大戦勃発によりナチス・ドイツとソ連に占領されてしまいます。
「旧大統領官邸
リトアニアの最初の独立時代、1919〜1940年の間に3人の大統領が住んだ官邸。1階は当時の資料や写真の展示室となっており、2階には集会室と大統領の執務室が再現されている。執務室の窓とその上部の装飾は、当時のままで保存されている。1940年6月15日、アンタナス・スメトナ大統領のもと、ここで最後の政府集会が行われ、その後ソ連の占領によりリトアニアの独立が失われた。」
(「‘09〜’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より) -
イチオシ
パステルカラーの美しい建物が並ぶ石畳のヴィリニアウス通りから旧市街に突入
ライスヴェス通りからヴィリニアウス通りに出る途中、地下道を渡らなくてはならなかったのですが、自転車のためにきちんと階段の脇にレールがありました。 -
すばらしいゴシックの屋根のある建物
こういう苦しいアングルでしか撮影できないのが残念でした。 -
見ているだけでウキウキするアートグッズショップ
このあと自転車を停めて大聖堂を見学しました。
その写真はこちらの旅行記の後半にあります。
「2010年バルト3国旅行第4日目(1)カウナス:内部撮影に萌えた2つのバロック教会、前身はロシア正教会の聖ミカエル教会とゴシックの香りも残す大聖堂」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10527468 -
ゲートの上の町のイラストがステキ!
徒歩だとすぐに中に入ってみることができますが、自転車だと、ちょっと停めるためにチェーンをかけるのが案外手間で、店の外観を見るだけですませました。 -
イチオシ
旧市街の中心の市庁舎広場に面した建物
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市庁舎広場に面したレンガの建物
現在は観光案内所となっています。
このすぐとなりに有料の公共トイレもありました。
「広場の周辺には16世紀に建築された商人の家など545軒ばかりが残っている。第二次大戦の戦禍をまぬがれたこの地域にソ連は八車線の道路の建設を考えたというから、それを阻止した人の功績は大きい。」
(「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社)より引用) -
イチオシ
市庁舎広場にそびえるお城のような旧市庁舎
白鳥にたとえられているのもうなづける建物です。
真ん中に市庁舎がある広場の構造は、ポーランドの影響でしょう。
「旧市庁舎
“白鳥”に例えられる美しいバロック様式の建物。1542年に最初の基石が置かれ、18世紀半ばに現在の姿に建て直されている。リトアニアが帝政ロシア領になってからは政治犯の牢獄として、その後は皇帝の別宅としても使われた。現在は結婚登記所となっていて、週末には華やかな新婚の集団を見かけることも多い。
旧市庁舎を囲む市庁舎広場(Rotuses Aikste)は、中世には市場が立った場所。旧市庁舎前にあった15世紀のロウ製作所が発掘され、ガラスで覆われて公開されている。」
(「‘09〜’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)
旧市庁舎は結婚登記所のほかに、現在は陶器博物館としても使われている部屋もあります。
でももっともっと街散策の方がしたかったので、中には入りませんでした。 -
市庁舎広場に面したイエズス教会
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カウナス城は、まだまだ復元中
これでもだいぶ作業は進んだろうと思われます。
その気になれば、ここで中世の映画のロケができるでしょう。
「カウナス城
13世紀にドイツ騎士団の侵略を防ぐために造られた城。ネムナス川は当時騎士団領とリトアニアとの国境となっていたため、何度もここで戦闘が行なわれた。1363年には騎士団に占領され破壊されたが、15世紀にヴィタウタス大公の時代になって再建された。騎士団との戦いに勝利した後は城としての重要性を失い、外賓を接客する際などに使われた。
城はもともと台形の城壁に4つの塔を持っていたが、現在残っているのは修復された塔と城壁の一部、城郭の名残りのみになっている。」
(「‘09〜’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より) -
ネリス川とネムナス川が合流する地点をめざして、サンタコス公園へ
カウナス城のすぐそばに、ネリス川とネムナス川沿いに広がっている公園です。
広々としていて自転車でも走りやすかったです。
途中でこんな石碑を見つけました。
丁寧に献花までされていて意味深です。 -
石碑の浮彫り
なんて書かれてあるかさっぱりわからないですし、この浮彫りの人物のヒントは得られませんでした。
中世リトアニアの大公の誰かかもしれませんし、あるいは古代リトアニアの宗教の神さまかもしれません。
あるいは象徴的な人物であって、特に誰でもないのかもしれません。 -
サンタコス公園の案内
この公園、イヌは禁止なんですね。
木々の向こうに見え隠れしているのはネリス川です。 -
ネリス川(右)とネムナス川(左)の合流地点が見えてきた!
このあたりから舗装された道はなくなり、ぼこぼこで、油断すると自転車のハンドルがとられそうになりました。 -
ネリス川とカウナス市を望む
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合流地点にいた恋人たち
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ネリス川(右)とネムナス川(左)の合流地点
「街は南から流れてくるリトアニア最大のニャムナス川と、北側からのネリス川が合流する地点にできた周囲が丘陵地に囲まれた三角形の平地の街である。カウナスという名称には「深い」という意味があるそうだが、これは丘陵の中の平地だからなのだろう。人は紀元前から住んでいたようで、5世紀か6世紀頃には集落ができて、カワニュ、カニィス、カブヌなどといろいろな名で呼ばれてきた。そこに小さな砦が築かれたのが1140年頃となる。この砦が後にはカウナス城となるが、この城が記録に登場するのが、「1362年にドイツ騎士団の攻撃で陥落した」というドイツ騎士団の年代記である。(中略)
ドイツ騎士団が1410年のタンネンベルクの戦いで大敗するときまで、カウナスはリトアニアの西の境界を守る要衝であったことだけは確かである。なお、ドイツ騎士団はここを13回も襲撃している。」
(「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社)より引用) -
ネムナス川沿いに町にもどる
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ネムナス川に架かる、ちょっと古めかしいアレクソト橋と、川沿いの遊歩道
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ヴィータウタス大公教会
ちょうど小雨が降ってきて、カサなしだとつらくなってきたので、この教会を見学しながら、雨が止むのを祈ることにしました。 -
入口付近から主廊と主祭壇を眺める
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イチオシ
レンガのヴォールトがおしゃれな主祭壇とシャンデリア
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紋章がいっぱいのステンドグラス
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「ねっ、お願い!」
手を合わせる可愛らしい天使と、マリア像のある、主祭壇の脇 -
主祭壇の奥の窓
窓のシルバーの部分はマリアや祈る人々のようです。
ラッキーなことに、教会を見学しているうちに、雨が止みました。
自転車での街散策を再開できます。 -
ゴシックの建物だけでも見たかったペルクーナスの家
正面ファサードの上の方は、まるでゴシック様式の教会の屋根のようです。
「ペルクーナスの家
15世紀に建てられたゴシックの傑作。言い伝えによると、この場所には雷神ペルクーナスを祀る神殿があったとのこと。19世紀に修築が行われた際30cm大のブロンズ像が見つかって、これこそペルクーナスという説とタタールによってもたらされたインドの神像だという説とで論争が起こったらしい。その像は残念ながら失われてしまったが、“ペルクーナスの家”の名前だけは定着したようだ。現在は図書館となっている。」
(「‘09〜’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より) -
近くで見つけた面白い柱
ペルクーナスについて原翔さんの(「バルト三国歴史紀行 リトアニア」から引用します。
「ペルクーナスはミンダウガスが崇拝した神だが、元々はウクライナ近辺にいた東スラヴ人か遊牧民の神だったようだ。キエフ・ルーシがキリスト教に改宗する以前の9世紀中頃にはペルクーナス信仰がウクライナ全域に広まっていた。ロシア人はこの神をペルーンと呼んで軍神として崇敬した。戦いに臨む戦士たちはペルーン像の足下に武器をおいて誓約したという。軍神であるペルーンは稲妻の創造主でもあり、稲妻を手にもって雷鳴とともに投げつけると考えられたのである。ペルーン崇拝がどこで発祥したかは知らない。北欧神話のトールも同じような神なので、ヴァイキングがもたらしたのかもしれない。ペルーン信仰はかなり広範な地域に広まったからリトアニアにも伝わってきたのだろう。リトアニアでのペルクーナスを信仰する人の組織は大変に厳格で、神官階級が力をもち、血の捧げ物の儀式などで民衆を厳しく統率した。これがリトアニア人が対外的な力をもてた所以だといわれている。」
(「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社)より引用) -
カウナス旧市街の絵地図と回った経路
市庁舎広場の観光案内所で買った絵地図です。
2.00リトアニア・リタスでした。
(旅行前に調べた2010年6月30日現在の換算レート:1.00リトアニア・リタス(Lt)=31.32円)
黄色く囲った建物は、見学したり写真に撮った主なものです。
1:聖ペテロ&パウロ大聖堂
2:旧市庁舎
3:イエズス教会
4:カウナス城
5:ヴィータウタス大公教会
6:ペリクルーナスの家 -
ネムナス川沿いを走る
対岸の青い文字の意味は、「アイ・ラヴ・カウナス」あたりでしょうか。あるいは「愛しいカウナス」?
このあとは、パジャイスリス修道院まで行ってみることにしました。 -
ネムナス川に架かる吊り橋の下を走る
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川沿いの道が工事中でふさがっていたので、あきらめて戻ってきたところ
町中を途中までパジャイスリス修道院まで走りかけましたが、それもあきらめました。
なので、今度は建物だけでも見ようと、杉原千畝記念館に向かうことにしました。
途中で見かけたカウナス駅の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/19720253/
関連の旅行記
「2010年バルト3国旅行ハイライトその1:移動と市内交通編<リトアニア>」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10483384/
ちなみに今回のバルト3国旅行では鉄道は一切利用しませんでした。
バルト3国はバス網が発達している代わりに、鉄道はあまり発達していないので(昔に比べると撤退した路線もあるらしい)、旅行のプラン作りの際に、鉄道利用はほとんど考えませんでした。
いつも海外旅行先では鉄道旅行なので、たまにはそういうのもいいものです。 -
バスターミナルのそばのRamybes公園のロシア正教会
杉原千畝記念館をめざしているときに見つけた教会です。
もう時間も遅いので教会は閉まっていて入れませんでした。 -
公園のもう一つのロシア正教会
公園に入るゲートも閉ざされていたので、これらの教会の写真は外から撮りました。
ファサードで隠れてしまっていますが、タマネギ型のドームがステキな教会でした。
奥にそのドームの一つがかろうじて見えています。 -
V. Mykolaicio-puino通りで杉原千畝記念館に行く道がなくなってしまってうろうろ
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杉原千畝記念館に行くにはこの階段を上らねばならないとは!
まさかこの階段が杉原千畝記念館の方へ行く道だとは思わなかったので、途方に暮れてあたりをうろうろしていたら、窓から私を見ていたらしい近くの住人が教えてくれました。
自転車はそばの電柱にチェーンでくくりつけ、ここからは歩きました。
階段の段数を数えませんでしたが、踊り場が5〜6箇所くらいあって、かなり長い階段でした。 -
階段を上り切った後に見えてきた杉原千畝記念館のご近所
ふつうの閑静な住宅街です。
こんなところに元・領事館があるのか信じられなくて、心細くなってしまいます。 -
杉原千畝記念館の案内を見つけた!
このまま100メートル先のようです。ほっ。 -
現在、ヴィタウタス・マグヌス大学の日本学センターにもなっている、杉原千畝記念館
建物だけでもなんとかこうやって写真を撮ることができました。
とりあえずミッション完了!? -
バスターミナルのそばのRamybes公園で見つけたモスク
屋根の上の三日月がいかにもイスラム教の建物らしいです。
さきほどのロシア正教会と白一色で統一されているのは興味深いと思いました。
清楚なイメージでステキです。 -
独立広場の聖ミカエル教会、再び
礼拝堂のある後陣側です。
ここまでくれば自転車レンタル屋さんはすぐそばです。
ずっと自転車で町中を回れたおかげで、まだ体力は余っているし、曇天とはいえあたりは明るいので、なんだか自転車と離れがたくて、来た道を引き返して、もう少しだけぶらぶらと乗り回しました。 -
19時過ぎてもまだ営業していた、ライスヴェス通りのキオスク
さすがに19時を過ぎるとほとんどのお店が閉まってしまう中、このキオスクは営業していました。
旧ソ連らしいキオスクです。
24時間営業ではないと思いますが、これぞ旧ソ連圏のコンビニといえるでしょう。
ここでミネラルウェーターを調達しておきました。
このあとはホテルの裏手のリトアニア料理のレストラで夕食をとりました。
そのレストランと夕食の写真はこちらの旅行記にまとめました。
「2010年バルト3国旅行ハイライトその6:食事とレストラン編<リトアニア>」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10485243/ -
自転車レンタル屋さんでもらったカウナスの広域地図と、自転車で回った経路
水色で囲んだあたりが新市街です。
赤く囲んだあたりが旧市街です。
1:悪魔の博物館とチュルリョーニョス美術館
2:旧市街の大聖堂や市庁舎広場やカウナス城があるあたり
3:通りかかっただけの、カウナス駅
4:建物だけ見に行った、杉原千畝記念館
5:一度はめざすも断念した、パジャイスリス修道院
独立広場から出発して、ライスヴェス通りを進み、まずは悪魔の博物館とチュルリョーニョス美術館を見学。
見学後、再びライスヴェス通りを進み、途中からヴィリニアウス通りとなって旧市街に突入。
旧市街では大聖堂前に自転車を停めて、大聖堂と市庁舎広場を見学したあと、再び自転車でカウナス城を回り、サンタコス公園を通ってネリス川とネムナス川の合流地点まで。
それからネムナス川沿いに走りながら、途中、ヴィタウタス大公教会に寄り道しつつ、パジャイスリス修道院をめざしましたが、雨が強くなってきたので中止。
カウナス駅の方に方向転換し、杉原千畝館の建物だけ見て、再び独立広場に戻りました。
「パジャイスリス修道院
18世紀バロック様式の修道院。シンメトリーの建築と、教会の内壁を埋めるフレスコ画が美しい。当時のイタリアから招かれた芸術家たちの手によるものだ。
リトアニアがソ連に占領されると修道僧たちは追い出され博物館になっていたが、現在再び修道院として活動を再開している。修復作業中だが敷地の一部を見学することは可能。」
(「‘09〜’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)
「カウナスは学園都市だが工業都市でもある。ソ連時代にタービン、モーター、無線機、暖房用ボイラーなど比較的、規模の大きな工場ができ、繊維、縫製、合成ゴム、木工製品などの軽工業や、食肉や酪農製品の食品工業など工場が30ばかり建設されている。これらは郊外にあるようだ。」
(「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社)より引用)
カウナス滞在を2日から1日に縮めたため、郊外のリトアニア民俗生活博物館には行けませんでした。
こういった野外博物館は他の国ラトヴィアかエストニアで行けばいい、と涙を呑んであきらめたのです。
ロシアやソ連に占領されていたリトアニアや、リトアニアのユダヤ人の暗い歴史を示す博物館として、カウナスには杉原記念館の他に、第9要塞博物館がありますが、どちらも行きそびれました。
パランガ編へとつづく。
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