2010/10/08 - 2010/10/10
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ゆらのとさん
10年前、ネパール国王が銃殺され、そこに居合わせていた家族、親族も銃殺された。この衝撃のニュースは世界中を駆け巡り、日本でも大きく報道されたので、私にも記憶がある。国王は親日的であったという事もニュースの報道で記憶にある。
近年、私は外国の桜に関心を持つようになって、熱海市にはネパールの皇太子が、東京大学に留学されていた時に、秋咲くネパール桜の種を寄贈され、それが芽を出し、大木となって、11月下旬に咲き、熱海市の観光に一役買っていることを知った。私は熱海を訪れ、是非、見たいと2年前から思っていた。
この度、ネパールのカトマンズを訪れて、初めて銃殺された国王が皇太子の時、日本に留学された親日家のビレンドラ王であったことを知り、深い悲しみに落ち入った。
インターネットで調べると、宮廷には秋咲く桜や、日本から贈られた桜もあることを知り、それを見ることもカトマンズを訪れる楽しみの一つだったが、もやや、宮廷の桜は伐採されていて、ないのだそうだ。(守衛の門兵の話)
現地の庶民は、「国王は桜がお好きだったので、宮廷色を消すために現在の主権者がやったのだ」と言っていた。
悲しいことである。宮廷に咲き誇っていたネパールの桜も日本の桜も、政変した権力者のもとで伐採されてしまったのである。
私は旅行から帰ってから、ネパール王族の殺害事件をインターネットで調べたら100以上の記事があった。どれが真実なのか私には判断しかねる。 まだ、真犯人は判明されていないのである。
多くの記事は、事件は2001年6月1日の定例の王族の晩餐会で起きた。公式発表では皇太子のディペンドラ王太子が好きな女性との結婚を王と王妃に反対されたので、父君のビレンドラ王、王妃および、そこに居合わせた家族、親族等、9人を射殺し、皇太子は自殺を図り、3日後に死亡したと言う記事だった。
しかし、いくつかの疑問も残るのだそうだ。その席には国王の弟君のギャネンドラは出席していなかった。(弟君の家族は全員無事)
ある説では毛沢東系の共産党員にそそのかされて皇太子が犯行に及んだが居合わせていた側近にすぐ銃で撃たれ、王位に着いたが3日後に死亡した。
親印派による宮廷クーデターという説もある。
弟君のギャネンドラはその後、王位に着いたが、2008年には国王の政治的特権は全く無くなり、王位を退位された。
私はサスペンスはあまり好きでない。真犯人は誰か、なんて関心はない。
ネパールへ行って、庶民の意見を聞いた。これは事実である。
国王は国民を愛し、国民からも尊敬され、希望の未来を託していた時のビレンドラ王の死は国民の殆どは大声を上げて泣き、悲しんだ。
若者の多くは頭を丸坊主にした。(ネパールでは親が死ぬと丸坊主にする風習があるのだそうだ)
ネパールの王の葬式は国民葬にしなかった。うやむやに簡単に済ませた事は、今でも、国民は怒っているのだそうだ。
ネパールの国民が、今、一番心配していることは、中国のチベット区のように、中国に侵略されて、中国のネパール自治区になるのではないか。 または、共産党に権力が移り、ミャンマーや、北朝鮮のように軍事政権下に置かれるのでないか。
ネパールの経済は全然上向きにならない。失業者は増えるばかりなのだそうだ。政治家は自分の私腹ばかりを考えていると国民は怒っている。
ネパールが今、抱えている悩みは大きい。早く、ネパールに平和の日々が訪れるのを願って止まない。
あの荘厳な美しいヒマラヤの山々の麓のネパールはクーデターや混乱や貧困は相応しくない。自然とともに暮らす安らかな国がよく似合う。
お隣のブータンの国のように。
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写真説明:
お知らせ: 次回のブログはブータンの滞在を書きます。ガラリと変わって、この世のパラダイスでした。
ゆらのと=峰村剛 (長岡市在住)
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