2010/10/07 - 2010/10/16
66位(同エリア85件中)
ゆらのとさん
この度のネパール、ブータン、インドの北部ののダージリンの旅は秋に咲く桜を訪ねる旅だった。
幸いにして、満開ではなかったけれど、3ヶ国で桜にめぐり会うことができた。
そして、もう一つラッキーだったことはこれらの国々の神々しき山々を見ることができた。
各国の桜や人々の暮らしや町の様子はこれから書かせたもらうが、初回は3カ国で見た美しくて神秘的な山々を紹介したい。
私はは10月7日に羽田を発ち、デリーで一泊して、8,9,10日はカトマンズに滞在していた。
10月9日の早朝、4時に起きてナガールコットの丘陵(標高2500m)に向かった。
ホテルから1時間半の道程はデコボコ道で霧が深い。車の窓から見ると霧の中からかすかに見えるのは片面は絶壁に近い状態だった。
ようやくなガールコットの展望台に到着して日の出を待ったが霧が深くて彼方に朝焼けしたヒマラヤの山々は見ることができなかった。
私はがっくりした。ガイドの話によれば、10月の時期は、朝霧の日が多く、めったに朝焼けのヒマラヤの山々を見ることはできないのだそうだ。
私ががっくりしていると霧の合間からヒマラヤ桜の木を発見することができた。
(その時の喜びと感動は次回のネパールの桜で写真とともに紹介させていただく)
10日の午前11時過ぎ、私はブータン航空でカトマンズからブータンのパロに向かっていた。国境にヒマラヤの山々が存在しているのを知っていた。
私は窓側の席だった。眼下に雲海が広がっていた。「やっぱりだめか」。わたしは独り言をつぶやいて目を閉じた。しばらく、うとうとと眠っていた。突如、機長からのアナウンスがあった。「左にヒマラヤの山が見えます。三角に尖っているのがエベレストです」
機内にどよめきが起きた。カメラを持っているいる人は一斉に立ち上がり左側の窓に近寄った。飛行機がバランスを崩して墜落するのでないかと心配だった。
あの、神々しきヒマラヤの山々を見た時、私は地球の偉大さと神秘を感じた。
何十億年かかってこの山々が形成されたのだ。決して人間が破壊するようなことがあってはいけない、なんて偉そうな事を考えていた。
ブータンはヒマラヤの高山の山間の小さな国(九州と同じくらい)である。平地は少なくパロに中型の飛行機が離着陸できる飛行場があるだけである。(首都のテンプーにはない) パロ自体が標高2250mの所に位置している。
7000m級の高山がわんさとあるのだが、私はトレッキングをしなかったので、それらの山々を見ることができなかった。
10月11日ガイドとともに標高3200mにあるタクツアン僧院が見える展望台まで登った。
ブータン人はチベット仏教(大乗仏教)を信仰している。岩山の岩壁に建てられたタケツアン僧院を見た時、その戒律の厳しさを知った。その岩山を見た時、7000m級の高山を見た時とは違った感動を覚えた。
標高3200まで登るのは74歳の私にはかなりきつかった。食べる酸素を噛みながら息をハアハア言わせて上ることができた。
10月13日、私はダージリンにいた。やはり4時起きしてガイドとともに標高2600
mのタイガーヒルまで車で行った。そこからもヒマラヤの山々の絶景を見ることができる世界的に有名な展望台がある。
ダージリンを訪れる外国人はタイガーヒルでヒマラヤ見たいために訪れるといっても過言ではない。約千人の人が日の出を待機していた。
日本人のように日の出を拝むのではない。朝日に照らされたいマラヤの山々、特に世界第3位の名峰、カンチェンジェンガがオレンジ色に映える朝焼けを観るために来ているのである。
私はラッキーだった。その日は霧もなく、曇ってもいなかった。ヒマラヤの山々が朝日でオレンジ色に染まった時、一斉に「ウオー」という声が聞こえた。
「ウオー」という言葉は日本語だけではなかった。世界共通語であることを知った。
私は本当に幸せ者である。3ヶ国の桜もゲットしたし、ヒマラヤのエベレストも観れたし、カンチェンジェンカも観ることができた。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 飛行機
- 航空会社
- エアインディア
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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