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 新潟県新発田市中央町にある蕗谷虹児(ふきやこうじ)記念館は、新発田市出身で大正〜昭和に活躍した挿絵画家蕗谷虹児の記念館である。虹児は日本画家・尾竹竹坡の弟子で、竹久夢二の紹介で挿絵を描くようになる。昭和54年(1979年)死去した。蕗谷虹児記念館はその8年後の昭和62年(1987年)に開館したのである。虹児の原画や遺品などを展示している。しかし、入館料/大人500円は地方にあっては高い気がする。<br /> 「金襴緞子(きんらんどんす)の帯しめながら 花嫁御寮は なぜ泣くのだろう」<br /> 虹児は二十代半ばで童謡「花嫁人形」の詩を書いた。その後パリに留学した。虹児が帰国したらこの詩に曲が付けられ、歌われていたそうだ。曲になった事を知らなかったのだ。<br /> 新発田城から歩いて5〜6分のところにある特異な建物は内井昭蔵が設計した。ロシア正教会風の建物で、昭和63年(1998)年に国の公共建築百選に選ばれている。古くからの城下町である新発田にはこうしたモダンな建物は教会かここ蕗谷虹児記念館くらいであろうか。<br />(表紙写真は蕗谷虹児記念館)

新発田・蕗谷虹児記念館

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2004/08/28 - 2004/08/28

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 新潟県新発田市中央町にある蕗谷虹児(ふきやこうじ)記念館は、新発田市出身で大正〜昭和に活躍した挿絵画家蕗谷虹児の記念館である。虹児は日本画家・尾竹竹坡の弟子で、竹久夢二の紹介で挿絵を描くようになる。昭和54年(1979年)死去した。蕗谷虹児記念館はその8年後の昭和62年(1987年)に開館したのである。虹児の原画や遺品などを展示している。しかし、入館料/大人500円は地方にあっては高い気がする。
 「金襴緞子(きんらんどんす)の帯しめながら 花嫁御寮は なぜ泣くのだろう」
 虹児は二十代半ばで童謡「花嫁人形」の詩を書いた。その後パリに留学した。虹児が帰国したらこの詩に曲が付けられ、歌われていたそうだ。曲になった事を知らなかったのだ。
 新発田城から歩いて5〜6分のところにある特異な建物は内井昭蔵が設計した。ロシア正教会風の建物で、昭和63年(1998)年に国の公共建築百選に選ばれている。古くからの城下町である新発田にはこうしたモダンな建物は教会かここ蕗谷虹児記念館くらいであろうか。
(表紙写真は蕗谷虹児記念館)

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  • 蕗谷虹児記念館。昭和62年(1987年)に開館。

    蕗谷虹児記念館。昭和62年(1987年)に開館。

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