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 新幹線の開通の日に鹿児島に入って、山形県鶴岡市と姉妹都市であることを知って驚いた。明治維新で奥羽列藩同盟が結ばれ、西郷隆盛以下の官軍が徳川四天王と言われた酒井家の鶴岡藩を攻めた。藩主酒井忠篤公は西郷の寛大さに敬服して、西郷を敬愛した。今でも庄内の集落では全ての家々に西郷の肖像画を飾っているところがある。<br /> それは、その後の明治10年(1877年)の西南戦争でも西郷隆盛に恩義を感じ、九州鹿児島にはせ参じようとした者が多かったことからも分かる。しかし、鉄道もなく、遠隔地の為大半の者が間に合わず戻っている。こうしたと話がいくつも残っている。旧庄内藩の人々は西郷の考え方に感激、感謝し、後日明治3年(1870年)に、旧庄内藩士76人を引き連れ、鹿児島の西郷を訪ね教えを請うたという。薩摩の人材教育に学び、旧藩主「酒井忠篤」も釈放後、東京より鹿児島へ留学し学んでいる。また西郷卒いる「西南戦争」の際には、一部の庄内藩士は薩摩・西郷方に味方して戦っている。庄内藩出身の伴兼之(20歳)、榊原政治(18歳)の2人である。遠路庄内から鹿児島に学び、西南戦争が勃発するとそのまま従軍を願い出て、善戦の末、戦死したのである。<br /> 西郷から学んだ様々な教えを一冊の本にしたのが「南洲翁遺訓」である。平和裏に戊辰戦争を終結させてもらった大恩人西郷に対する庄内人の律儀さを示す逸話として今も語り継がれているという。それが庄内の集落の家々に飾られている西郷の肖像画にも現れている。また、戊辰戦争の戦場となった、山形・新潟の県境付近には「官軍様の墓」と「様」付きで旧薩摩藩士・官軍兵士戦死者の霊が祭られている。西郷は藩主、藩士、領民ともに慕われているのである。<br /> 付け加えるならば、西郷が西南戦争で攻めたのは熊本城である。この熊本城は築城の名人と言われた加藤清正が築いた城である。庄内藩はこの加藤清正とも関係もあり、鶴岡の天澤寺には加藤清正のお墓がある。寛永8年(1633年)外様大名の加藤清正の嫡子加藤忠広が熊本54万石をいわれなき理由で改易の憂き目にあい扶持1万石にて庄内酒井藩に預けとなった。その時庄内藩では丸岡の城跡に忠広と生母正応院の為の住居と御家来衆の長屋を新築し住まわせた。加藤忠広は庄内に配流が決まった折に幕府に知れぬよう加藤清正の遺骨を密かに熊本より持ち出し、母と共にその菩提を弔ったとされている。公けの墓所を清正閣と名付け、本当の墓は忠広館の奥庭に埋葬し密かに隠匿していたと云い伝えられている。天保3年(1646)の丸岡の大火で館と天澤寺が共に消失した折、清正の遺骨を天澤寺の世代墓地に一時埋葬し、後に五輪の塔を立てて供養していた。昭和24年(1949年)に遺跡の発掘調査が行われ清正閣より鎧一領、五輪の塔からは九州肥前弓野焼きの骨壷が発見され、加藤清正の墓であることが確証されている。<br />(http://www.tsuruokakanko.com/kushibiki/maruoka/k …)<br /> 加藤清正の墓は熊本市の本妙寺に、池上本門寺には供養塔が建っている。<br />(表紙写真は西郷南州書)

庄内・鶴岡致道博物館

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2004/08/14 - 2004/08/14

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 新幹線の開通の日に鹿児島に入って、山形県鶴岡市と姉妹都市であることを知って驚いた。明治維新で奥羽列藩同盟が結ばれ、西郷隆盛以下の官軍が徳川四天王と言われた酒井家の鶴岡藩を攻めた。藩主酒井忠篤公は西郷の寛大さに敬服して、西郷を敬愛した。今でも庄内の集落では全ての家々に西郷の肖像画を飾っているところがある。
 それは、その後の明治10年(1877年)の西南戦争でも西郷隆盛に恩義を感じ、九州鹿児島にはせ参じようとした者が多かったことからも分かる。しかし、鉄道もなく、遠隔地の為大半の者が間に合わず戻っている。こうしたと話がいくつも残っている。旧庄内藩の人々は西郷の考え方に感激、感謝し、後日明治3年(1870年)に、旧庄内藩士76人を引き連れ、鹿児島の西郷を訪ね教えを請うたという。薩摩の人材教育に学び、旧藩主「酒井忠篤」も釈放後、東京より鹿児島へ留学し学んでいる。また西郷卒いる「西南戦争」の際には、一部の庄内藩士は薩摩・西郷方に味方して戦っている。庄内藩出身の伴兼之(20歳)、榊原政治(18歳)の2人である。遠路庄内から鹿児島に学び、西南戦争が勃発するとそのまま従軍を願い出て、善戦の末、戦死したのである。
 西郷から学んだ様々な教えを一冊の本にしたのが「南洲翁遺訓」である。平和裏に戊辰戦争を終結させてもらった大恩人西郷に対する庄内人の律儀さを示す逸話として今も語り継がれているという。それが庄内の集落の家々に飾られている西郷の肖像画にも現れている。また、戊辰戦争の戦場となった、山形・新潟の県境付近には「官軍様の墓」と「様」付きで旧薩摩藩士・官軍兵士戦死者の霊が祭られている。西郷は藩主、藩士、領民ともに慕われているのである。
 付け加えるならば、西郷が西南戦争で攻めたのは熊本城である。この熊本城は築城の名人と言われた加藤清正が築いた城である。庄内藩はこの加藤清正とも関係もあり、鶴岡の天澤寺には加藤清正のお墓がある。寛永8年(1633年)外様大名の加藤清正の嫡子加藤忠広が熊本54万石をいわれなき理由で改易の憂き目にあい扶持1万石にて庄内酒井藩に預けとなった。その時庄内藩では丸岡の城跡に忠広と生母正応院の為の住居と御家来衆の長屋を新築し住まわせた。加藤忠広は庄内に配流が決まった折に幕府に知れぬよう加藤清正の遺骨を密かに熊本より持ち出し、母と共にその菩提を弔ったとされている。公けの墓所を清正閣と名付け、本当の墓は忠広館の奥庭に埋葬し密かに隠匿していたと云い伝えられている。天保3年(1646)の丸岡の大火で館と天澤寺が共に消失した折、清正の遺骨を天澤寺の世代墓地に一時埋葬し、後に五輪の塔を立てて供養していた。昭和24年(1949年)に遺跡の発掘調査が行われ清正閣より鎧一領、五輪の塔からは九州肥前弓野焼きの骨壷が発見され、加藤清正の墓であることが確証されている。
http://www.tsuruokakanko.com/kushibiki/maruoka/k …)
 加藤清正の墓は熊本市の本妙寺に、池上本門寺には供養塔が建っている。
(表紙写真は西郷南州書)

  • 旧鶴岡警察署庁舎(重文)。明治17年(1884年)に竣工。昭和32年(1957年)に当地へ移築。現在も博物館事務所として使われている。

    旧鶴岡警察署庁舎(重文)。明治17年(1884年)に竣工。昭和32年(1957年)に当地へ移築。現在も博物館事務所として使われている。

  • 旧鶴岡警察署庁舎。

    旧鶴岡警察署庁舎。

  • 旧鶴岡警察署庁舎。

    旧鶴岡警察署庁舎。

  • 旧西田川郡役所(重文)。明治14年(1881年)に竣工。昭和47年(1972年)に当地へ移築。

    旧西田川郡役所(重文)。明治14年(1881年)に竣工。昭和47年(1972年)に当地へ移築。

  • 旧西田川郡役所。

    旧西田川郡役所。

  • 酒井氏庭園。御隠殿の北面に造られた築山泉水庭。国の名勝に指定。築庭年代は不明。典型的な書院庭園とされる。<br /><br />

    酒井氏庭園。御隠殿の北面に造られた築山泉水庭。国の名勝に指定。築庭年代は不明。典型的な書院庭園とされる。

  • 酒井氏庭園。

    酒井氏庭園。

  • 酒井氏庭園。

    酒井氏庭園。

  • 酒井氏庭園。

    酒井氏庭園。

  • 酒井氏庭園の松。

    酒井氏庭園の松。

  • 「関雎堂」(副島種臣書)の扁額。御隠殿(ごいんでん)奥の座敷に掛かる。関雎堂には致道館の文物や酒井氏ゆかりの文化財(庄内竿、太刀 銘信房作(国宝) 、太刀 銘真光(国宝)、色々威胴丸(酒井忠次所用) (重文)など)が展示されている。 <br />御隠殿(ごいんでん)は文久3年(1863年)に庄内藩江戸柳原および下谷の御殿を解体・移築したもので、致仕・帰郷した九代藩主酒井忠発が隠居所とした。現在は玄関と奥の座敷(関雎堂)が残る。<br />

    「関雎堂」(副島種臣書)の扁額。御隠殿(ごいんでん)奥の座敷に掛かる。関雎堂には致道館の文物や酒井氏ゆかりの文化財(庄内竿、太刀 銘信房作(国宝) 、太刀 銘真光(国宝)、色々威胴丸(酒井忠次所用) (重文)など)が展示されている。
    御隠殿(ごいんでん)は文久3年(1863年)に庄内藩江戸柳原および下谷の御殿を解体・移築したもので、致仕・帰郷した九代藩主酒井忠発が隠居所とした。現在は玄関と奥の座敷(関雎堂)が残る。

  • 「敬天愛人」(副嶋書)。西郷南州が好んで使い、揮毫した「敬天愛人」の4文字。<br />鹿児島市内には臥牛先生と慕われている庄内藩家老・菅実秀と西郷隆盛の銅像(「徳の交わり」坐像)もあるが、副嶋は副島種臣である。勿論、「敬天愛人」(酒井忠篤(酒井家第13代)書)もあるそうだ。 <br />南洲書であれば崩してあり、東京国立博物館収蔵の書は「人」しか読めないほどだ。他の南洲書でも「天愛人」の3文字しか読めなかった。しかし、ずーと味がある。西郷南洲筆「敬天愛人」はと調べたら、酒井家の所蔵で致道博物館に寄託になっており、露出展示はしていないとのことだ。<br /><br /><br />

    「敬天愛人」(副嶋書)。西郷南州が好んで使い、揮毫した「敬天愛人」の4文字。
    鹿児島市内には臥牛先生と慕われている庄内藩家老・菅実秀と西郷隆盛の銅像(「徳の交わり」坐像)もあるが、副嶋は副島種臣である。勿論、「敬天愛人」(酒井忠篤(酒井家第13代)書)もあるそうだ。
    南洲書であれば崩してあり、東京国立博物館収蔵の書は「人」しか読めないほどだ。他の南洲書でも「天愛人」の3文字しか読めなかった。しかし、ずーと味がある。西郷南洲筆「敬天愛人」はと調べたら、酒井家の所蔵で致道博物館に寄託になっており、露出展示はしていないとのことだ。


  • 南洲書。西郷南州(吉之助)の書が多く展示されている。どれも草書体だ。

    南洲書。西郷南州(吉之助)の書が多く展示されている。どれも草書体だ。

  • 南洲書。

    南洲書。

  • 南洲書。

    南洲書。

  • 旧渋谷家住宅(重文) 。文政5年(1822年)に建築、昭和40年(1965年)に当地へ移築。

    旧渋谷家住宅(重文) 。文政5年(1822年)に建築、昭和40年(1965年)に当地へ移築。

  • 旧渋谷家住宅 。

    旧渋谷家住宅 。

  • 旧渋谷家住宅 。

    旧渋谷家住宅 。

  • 旧渋谷家住宅 。

    旧渋谷家住宅 。

  • 旧渋谷家住宅 。

    旧渋谷家住宅 。

  • 旧渋谷家住宅内古民具の展示 。

    旧渋谷家住宅内古民具の展示 。

  • 鶴ヶ岡城のお堀。鶴ヶ岡城址は鶴岡公園となっている。

    鶴ヶ岡城のお堀。鶴ヶ岡城址は鶴岡公園となっている。

  • 大宝館。郷土人物資料館。大正天皇の即位を記念して、大正4年(1915年)10月に完成。

    大宝館。郷土人物資料館。大正天皇の即位を記念して、大正4年(1915年)10月に完成。

  • 大宝館。

    大宝館。

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