ポンペイ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
8月15日<br />アマルフィーの ルナ・コンベントのテラスでの最後の朝食の後サレルノに向かう船着場に向かいます。<br />船の中で食べる、アランチー二とお菓子を買うため少し早めに出ます。お菓子屋サボイアはやっていましたが聞いていたアランチー二屋はこれから準備をはじめるとかです。急ぎ有子さんが走って他の店であげたてのアランチー二を探して買ってきてくれました。<br />サレルノ行きのチケットを買い、ハーバーに並んでいるとナポリやカプリから海水浴客が続々上陸してきます。<br />サレルノに向かう人はわずかで、船は空いていました。30分くらいで着くので世界遺産の景色も名残惜しいのですがさっそく船上パーテイーの始まりです。<br />あのお菓子屋のは本当にオイシカッタ。SAVOIA 。<br />まもなく今まで見た中で一番大きな町並みが見えてきましたサレルノです。<br />船を下りてこれからは陸路です。<br />港を出て広場を横切ると先に国鉄の駅が見えます。電車でもバスでも早いのに乗ろうと決めていましたのですぐに出ると言うバスに飛び乗りました。<br />切符は駅の雑誌屋で買いました。バスでは男の人たちが荷物を上げてくれたりマンマには親切です。町並みは古い感じですが大都会で重厚な感じがしました。アマルフィー海洋国家の時代からの都市です。<br />バスはローカル線なのでぐるぐる回っているようです。<br />思いのほか時間がかかりました1時間くらいでしたか。<br />次第にみんなポンペイナントカと言う名がついています。ポンペイナントカになりみんなだんだんと降りてしまいました残りは私達だけになりました。<br />若い男性が乗り込んできてバスの運転手と話をしているので私達は今夜ドーモの近くのホテルに泊まるので何処で降りるのか聞くとここが近いと荷物を降ろしてくれました。<br />この先を曲がるとドーモが見えるとのことでした。」進んでみると立派な大きなドーモが見えてきました。<br />ドーモの前からホテルを見つけるのにはポリッツアの掲示板の地図を見て探し、目指すホテルパルマに到着しました。<br />シャワーを浴びシエスタしてから3時に遺跡観光に出かけました。<br />ドーモの前を通りすぎ土産物屋が並ぶ通りを抜けるとスカービ、遺跡です。入り口でチケットを買い中に行きますと円形闘技場付近は思いのほか緑が多く驚きました。<br />ローマ帝政期の平和な時期すんでいた人たちは居心地が良かったのではないでしょうか。<br />制服を着た人にまわり方を聞くと一人10ユーロで案内するとかお断りしました。<br />早速地図を見ながら回ります。邸宅、飲食店、洗濯やなど壁には絵が描かれていてまだ読みとることが出来ます。<br />暑い!遺跡を見るのも大変だけれど堀って保存してくれた方たちには本当に感謝です。<br />30年前に来たことがあるのですがその時はツアーでした。何も考えずについて行ったのでフォロ以外は記憶が有りません<br />今回は建物を見ながら地図と照らし合わせ推理してゆく。なんと素敵なことでしょう。記憶に残ると思います。<br />途中で迷うとみんなあっちだよか、こっちとかと教えてくれます。<br />ヴィラ・デ・ミステリについては親切にまっすぐ行き右に行くと門が有りその先のダイオメデスの先だと教えてくれたり、この暑い最中〃ポンペイの旅人同士だからでしょうか。フォロや神殿の跡あたりからはべスビオ火山を背景にポンペイの町が見えます。<br />紀元前8世紀ごろからギリシャの植民地として栄えていて前3世紀ごろからローマの支配を受けるようになり繁栄していたこの町は紀元79年8月24日火山の噴火でポンペイは時がとまってしまいました。<br />祈りをあげている者、怖がっている者、寝ていてそのまま溶岩の下敷きになった人たちがそのままの姿でそこに居ました。<br />1594年運河の建設中にドメニコ・フォンタナが遺跡を発見。本格的には1748年ブルボン家のカルロスの時代になってからです。カルロスは芸術品を収集するのが好きでいくつかの美術品はカセルタの王宮の庭のモニュメントになっています。現在の遺跡の大部分は1860年フィオレッリの発掘によります。<br />30年前より町並みなどが復元され整ってきたように思われます。昔の人々が歩いていた石畳を歩いてもと来た闘技場の方に戻りますが暑い!見たり無い時間が無い思いを残しながら門を出ました。<br />足元も靴も土だらけまっ黒です。<br />時間は7時半を周り閉場時間です。少し涼しくなりましたが未だ昼のような明るさです。この辺で夕食を食べて行こうと言うことになりヴェッキアアメリカというマンマ手つくりと言うお店に入ります。のどがからからワインどころでなくコーラを氷とともに貰い、一気に飲みお代わりもしました。<br />ピザ、カポナータ、パスタ2皿。<br />帰る道でドーモが夜なのににぎわっています。そうだ今日は聖母マリア被昇天祭です。<br />日本のお盆みたいなもの、コチラでもその前後長―く休暇に入ります。有名レストランとかも2週間ぐらい休んでしまいます。<br />安ん座もそうですけれど。<br />ホテルパルマの隣と向かいのホテルは8月31日まで休業だそうです。暑い今の時期遺跡めぐりは空いているのかもしれません。午後9時ドーモのミサも終わったようで明日の朝におまいりしようとホテルに帰りました。<br /><br />

2009 カプリ、アマルフィー、ポンペイ、カセルタ、ナポリ紀行 5

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2009/08/08 - 2009/08/19

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indijyonko

indijyonkoさん

8月15日
アマルフィーの ルナ・コンベントのテラスでの最後の朝食の後サレルノに向かう船着場に向かいます。
船の中で食べる、アランチー二とお菓子を買うため少し早めに出ます。お菓子屋サボイアはやっていましたが聞いていたアランチー二屋はこれから準備をはじめるとかです。急ぎ有子さんが走って他の店であげたてのアランチー二を探して買ってきてくれました。
サレルノ行きのチケットを買い、ハーバーに並んでいるとナポリやカプリから海水浴客が続々上陸してきます。
サレルノに向かう人はわずかで、船は空いていました。30分くらいで着くので世界遺産の景色も名残惜しいのですがさっそく船上パーテイーの始まりです。
あのお菓子屋のは本当にオイシカッタ。SAVOIA 。
まもなく今まで見た中で一番大きな町並みが見えてきましたサレルノです。
船を下りてこれからは陸路です。
港を出て広場を横切ると先に国鉄の駅が見えます。電車でもバスでも早いのに乗ろうと決めていましたのですぐに出ると言うバスに飛び乗りました。
切符は駅の雑誌屋で買いました。バスでは男の人たちが荷物を上げてくれたりマンマには親切です。町並みは古い感じですが大都会で重厚な感じがしました。アマルフィー海洋国家の時代からの都市です。
バスはローカル線なのでぐるぐる回っているようです。
思いのほか時間がかかりました1時間くらいでしたか。
次第にみんなポンペイナントカと言う名がついています。ポンペイナントカになりみんなだんだんと降りてしまいました残りは私達だけになりました。
若い男性が乗り込んできてバスの運転手と話をしているので私達は今夜ドーモの近くのホテルに泊まるので何処で降りるのか聞くとここが近いと荷物を降ろしてくれました。
この先を曲がるとドーモが見えるとのことでした。」進んでみると立派な大きなドーモが見えてきました。
ドーモの前からホテルを見つけるのにはポリッツアの掲示板の地図を見て探し、目指すホテルパルマに到着しました。
シャワーを浴びシエスタしてから3時に遺跡観光に出かけました。
ドーモの前を通りすぎ土産物屋が並ぶ通りを抜けるとスカービ、遺跡です。入り口でチケットを買い中に行きますと円形闘技場付近は思いのほか緑が多く驚きました。
ローマ帝政期の平和な時期すんでいた人たちは居心地が良かったのではないでしょうか。
制服を着た人にまわり方を聞くと一人10ユーロで案内するとかお断りしました。
早速地図を見ながら回ります。邸宅、飲食店、洗濯やなど壁には絵が描かれていてまだ読みとることが出来ます。
暑い!遺跡を見るのも大変だけれど堀って保存してくれた方たちには本当に感謝です。
30年前に来たことがあるのですがその時はツアーでした。何も考えずについて行ったのでフォロ以外は記憶が有りません
今回は建物を見ながら地図と照らし合わせ推理してゆく。なんと素敵なことでしょう。記憶に残ると思います。
途中で迷うとみんなあっちだよか、こっちとかと教えてくれます。
ヴィラ・デ・ミステリについては親切にまっすぐ行き右に行くと門が有りその先のダイオメデスの先だと教えてくれたり、この暑い最中〃ポンペイの旅人同士だからでしょうか。フォロや神殿の跡あたりからはべスビオ火山を背景にポンペイの町が見えます。
紀元前8世紀ごろからギリシャの植民地として栄えていて前3世紀ごろからローマの支配を受けるようになり繁栄していたこの町は紀元79年8月24日火山の噴火でポンペイは時がとまってしまいました。
祈りをあげている者、怖がっている者、寝ていてそのまま溶岩の下敷きになった人たちがそのままの姿でそこに居ました。
1594年運河の建設中にドメニコ・フォンタナが遺跡を発見。本格的には1748年ブルボン家のカルロスの時代になってからです。カルロスは芸術品を収集するのが好きでいくつかの美術品はカセルタの王宮の庭のモニュメントになっています。現在の遺跡の大部分は1860年フィオレッリの発掘によります。
30年前より町並みなどが復元され整ってきたように思われます。昔の人々が歩いていた石畳を歩いてもと来た闘技場の方に戻りますが暑い!見たり無い時間が無い思いを残しながら門を出ました。
足元も靴も土だらけまっ黒です。
時間は7時半を周り閉場時間です。少し涼しくなりましたが未だ昼のような明るさです。この辺で夕食を食べて行こうと言うことになりヴェッキアアメリカというマンマ手つくりと言うお店に入ります。のどがからからワインどころでなくコーラを氷とともに貰い、一気に飲みお代わりもしました。
ピザ、カポナータ、パスタ2皿。
帰る道でドーモが夜なのににぎわっています。そうだ今日は聖母マリア被昇天祭です。
日本のお盆みたいなもの、コチラでもその前後長―く休暇に入ります。有名レストランとかも2週間ぐらい休んでしまいます。
安ん座もそうですけれど。
ホテルパルマの隣と向かいのホテルは8月31日まで休業だそうです。暑い今の時期遺跡めぐりは空いているのかもしれません。午後9時ドーモのミサも終わったようで明日の朝におまいりしようとホテルに帰りました。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
3.5
グルメ
5.0
ショッピング
3.0
交通
4.0
同行者
友人
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
鉄道 高速・路線バス タクシー 飛行機
旅行の手配内容
個別手配
  • アマルフィーからサレルノに向かいます。

    アマルフィーからサレルノに向かいます。

  • アランチーノとサボイアのお菓子。日本でも冷凍のものがネットで買えるようですが<br />カンパニアの何件かで同じものをいただきましたがサボイアのが断然オイシカッタです。

    アランチーノとサボイアのお菓子。日本でも冷凍のものがネットで買えるようですが
    カンパニアの何件かで同じものをいただきましたがサボイアのが断然オイシカッタです。

  • ポンペイの遺跡。建築家達のさすがにイタリア人芸術的です。

    ポンペイの遺跡。建築家達のさすがにイタリア人芸術的です。

  • 基礎、土台をしっかり造るローマの伝統のお陰で今に残るのですね。

    基礎、土台をしっかり造るローマの伝統のお陰で今に残るのですね。

  • ポンペイのドオーモ。遺跡も素晴しいけれどこちらもすばらしいものでした。<br />翌朝日曜日の礼拝に参加しました。聖歌隊の歌声に大勢の住人や旅行者達が聞き入りました。

    ポンペイのドオーモ。遺跡も素晴しいけれどこちらもすばらしいものでした。
    翌朝日曜日の礼拝に参加しました。聖歌隊の歌声に大勢の住人や旅行者達が聞き入りました。

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