2010/09/11 - 2010/09/21
179位(同エリア199件中)
明石DSさん
5:14:22
ここで呼んでもらった運転手を待っていたが
電話を掛けてくれた警備の“おっちゃん”が
まだ家で寝てる友達を呼んだようで
なかなか来ない
後で聞けばやっぱり家でまだ寝てたとのこと
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2010.平成22年9月21日(火)
■ハルピンを去る朝
知らない間に寝ていた。そして4時半ごろ目を覚まし帰国の準備を始めた。といっても昨日の夜に、整理は出来ているのでもう一度確認するだけくらいだが。
5時少し前に自動音声のモーニングコールが掛かってきた。そして、5時過ぎにはフロントの小姐から直接又電話を掛けてくれた。ふ~ん、全国展開のチェーン店ホテルなので、その辺はサービスが行き届いている。
そして9階の部屋を出ていよいよ帰国の途だ、フフフ。途中熱中症でどうなるのか?と、思ったこともあったけど無事に生きて帰れそうだ。一階に下りてと退房を告げた。小姐が一人フロントで番をしている。押金の清算をしてもらい「400-208=192元」を返してもらった。そして、この小姐に今から空港に向かうからタクシーを呼んでくれと頼んだ。
外に出て自分で探してもすぐに見つかるのは分かっていたが、今回は体調不安による自信のなさがあり、念の為にと頼んだら警備のおっちゃんが電話をしてくれた。それが何故か?なかなか来ない。10分たっても20分経っても来ない。ホテルの前にはタクシーがすでに客待ちしている。
何でやねん、とイラつき、「もうええわ、自分で探すから」と出て行こうとしたら、「もうすぐ来るから待って」と繰り返す。そんなやり取りが二度目の時に、出て行こうとしたその時玄関に到着した。きっとこの警備のおっちゃんは、まだ家で寝ている友達を呼んだのだと思う。
まあええかとそのタクシーに乗り空港へ、聞けば「まだ寝ていた」とのこと。やっぱり。でもこの40代の運転手は、感じの良い運転手だった。母と嫁との三人暮らし、子供はいない。月収は2~3千元(2万5千円~3万7千5百円)くらい、趣味が仕事。休みはなし(没有休息、天天工作)。空港までのタクシー料金は高速代込みで120元。これが基本料金のようだ。高いと140元くらいの値段を言われる。
早朝の車のない高速道路をぶっ飛ばし30分ほどで空港に到着、釣りは不用と150元を渡した。まだ腹巻に人民元の束が入っている。今回はお金を一番使わない旅だった。
-
5:35:46
ハルピンの空は曇っていた -
6:04:50
車がいない高速道路を120キロでぶっ飛ばし
30分ほどで空港に到着 -
ハルピン太平国際空港
6:52:02
やっと国際線ブースに入場し
これから搭乗チケットをもらう
並んでいるのは8割がた中国人だろう
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空港へ
空港に入ったが、国際線にも国内線にも、電光掲示板に乗るべき飛行機の「CZ 631 大阪」の表示がない。もう昼頃までのフライト表示が出てるのに?何で朝の8時10分の大阪行きがないのだと、いつもながら戸惑う。
そして国際線のフライト表示にハルピン→大阪がないので、ハルピン→瀋陽だから国内線かもと、中国南方航空の国内線の手続きカウンターに並び、順番が来たので関空でもらっていた「チケットお客様控え」を差し出した。
カウンターの女性はすぐに手続きをしてチケットを私に渡そうとしたが、その前に少しおかしいと気付いたようで隣のブースの男性職員に今自分が切ったチケットを渡して確認した。そしてその男性職員がパソコンのキーを叩き画面を見ていたが、すぐに苦笑いしながら「これ違う、ダーバン(大阪)や。国際線の方」と横の彼女にチケットを返した。
やっぱし、それで彼女からこれは「国際線だからあっちに行け」と方向を指差された。とにかく自分の乗る飛行機のフライト表示が何処にもないのは本当に不安になる。それも自分の便より遙かに遅い出発便がすでにズラーと表示されている状況だから。でも一応確認できたので迷わず国際便のほうに行った。
このハルピン空港の国際線の方は、案内カウンターの全体が全然見えない。そこに行くまでに入り口が一つあり、その手前でみんながたむろしている。だからそこで待っている連中がどこに行くのか?どの便の人が待っているのか?全く分からない。そして、その入り口から随時自由に中に入れない。そこに常時人もいない。人がいれば、その人に聞けば分かるけど入り口を開ける時だけ人が立つ。だから、もう既に大阪行きの人は中で手続き中なのでは?と、不安になる。
まあそれでもそんなに国際便も多くなく、大阪行きは大抵乗客も多いので、「ダーバン」「ダーバン」と言っている中国人の言葉が耳に入り、この連中もそうだなと分かる。それにここに来れば大阪に向かうだろう赤いパスポートを持った日本人にも出会うので、それで初めて安心する。
こういった空港で分からない時に、言葉が自由に話せないことが如何に不安かを実感する。なんせ乗り損ねば帰国できない。それは恐怖だ。まだそんな経験がない、パスポートを紛失したことも、空港で万事休すの事態はお陰様で今の所経験なし。
CZ631便の客は8割方中国人だ。それも大家族もいる。大人が4〜5人、子供三人くらい連れ荷物は山のように持ち込み、一体日本に何しに行くねんと思う。その多さに驚くばかり。若い日本人男性と中国女性との夫婦と子供の三人連れもいた。子供を満洲の両親に見せるための里帰りなのだろう。 -
6:58:22
前の一団は家族総出と言う感じがした
この一団も残留孤児関係なのか?
幼児から若者、老女まで
総勢10人くらいいたであろう
荷物は山ほどあり
後ろについて災難だった -
7:27:04
搭乗口は13番
瀋陽→大阪 CZ631 8:10
ホッと一息 -
瀋陽へ飛び立つ
8:15:44
サラバ満洲
サラバ哈爾濱太平国際空港
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瀋陽へ
飛行機は満席とまではいかないが定刻に離陸した。サラバ哈爾濱、大方満洲の戦跡も巡った。又ここに来ることはあるのだろうか?今は分からない。
瀋陽までのフライトの間に綺麗な箱入りの月餅が出た。中秋節だからのサービスだろうが見た目も上等で味も良く二つとも食べた。
瀋陽空港到着は9時20分1時間のフライトだ。 -
8:16:08
ハルピン上空
松花江の流れが見える -
8:21:22
下界にいつまでも松花江の流れが見える
悠久の大河ここにあり -
8:26:58
月餅
旨かった、2個入りだったが
二個とも食べた -
9:21:04
瀋陽は雨だった -
瀋陽から関空へ
9:35:48
飛行機からターミナルに入ったところで
「ダーバン」「ダーバン」と呼ばれて
大阪へ行く者は集められ待機
ツアーの如く服務員に先導され出国手続きへと行く
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瀋陽から関空へ
そこで又降りる。そして大阪へ行く者は並んで出国ゲートに行き出国手続きを完了し、又同じ飛行機同じ座席にと戻ってくる。その間30分。そして瀋陽を再び離陸、そして2時間ぐらいで関空へ無事に着陸した。
この間、私が坐っていたのは右側の三座席の窓際で、横には中国人夫婦と思える30代後半か40代の二人だったが、結局最後まで言葉を交わすことはなかった。
私も体調がよければ話し掛けていたと思うけど、邪魔臭かったし向こうからも声を掛けられることはなかった。話をしていればもっとハルピン→関空の間はあっという間の時間だったろうけど。
関空着は日本時間午後1時35分、日本は相変わらず暑かった。 -
10:05:58
手続きを終え、同じ飛行機
同じ座席に戻って一件落着
ホンマ手間隙がうっとうしい
他にやりようがないのかと思うけど -
10:33:46
我、奉天の空を舞う -
11:04:12(中国時間)
ジイロウ(鶏肉弁当)を食う -
13:40:58(日本時間)
関空の空は晴れていた -
関空から自宅へ
14:46:18
空港リムジンで三ノ宮
静かだ
携帯でのしゃべくりもない
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帰宅
そして関空→三ノ宮のリムジンに乗り、三ノ宮から快速で西明石着は午後4時。家に帰り着いた。
神棚に手を合わせ仏壇に線香を灯し、風呂に入ってやっと一服。私の場合いつもそれからが大変だ。この旅行記作りが。 -
14:46:56
神戸の町並みを眺めながら -
15:27:18
三ノ宮駅プラットホーム
午後3時の昼下がりの火曜日
暑いなあ -
15:47:44
須磨から塩屋へと海岸線を走る
淡路島が右手に見える -
16:01:10
西明石到着は午後4時 -
16:03:24
西明石に住みだして31年
新幹線の駅もあるし、新快速・快速も止まる
便利なところだ -
16:07:20
マックスバリュー
これが出来てミニコープはなくなった
でもこれが出来て更に便利になった
また日常の生活に戻る
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帰国し
思いもよらぬ満洲ハルピン・方正での快晴猛暑のなか帽子も被らず歩き回り、旅の三日目から熱中症なのか、その後最後まで高熱に四苦八苦の旅だった。だけどそれも今となっては旅の思い出の一つになった。一応予定を消化し無事に帰国できたことに感謝する。いつも見えざる何かに守られていることを感じる。それはいうまでもなくご先祖様であり、その他の見えざる何かである。
最近の私の旅は「戦跡めぐり」という目的があり、旅の前の下調べ、旅本番、そして一番時間と忍耐と集中力がいる帰国後の旅行記作りと、この三つがセットであり、これらを合わせると正味計一ヶ月くらいの日時をそれに費やす感がある。
1年に二回行けば、少なくとも二ヶ月間という期間が充実する。もし旅行に行かなければ、何をして一年を過ごすのだろうか?と、時々思うことがある。その代わりに何かをするのだろうけど、こんなに充実することを見つけられるのかは分からない。今は旅のお陰で期待と緊張と感動の充実した時を得ることができ、心身ともに修行の場を得ている。
そして今年節目の60歳になり、今回の旅が60代最初の旅になった。この2年で体重が10キロ以上減ったこともあり、旅先で年齢を聞かれて「当ててくれ」と言うと「60歳?」と、二回ずばり当てられたのにはちょっとガッカリだが、65歳と言われずに良かったと思うしかない。それにいつまでこんな旅を続ける気力が持続するのかと思う。
私の旅は自分で「修行」と言うくらいだから、気楽ではない。それ相応の気合が必要なのだ。まあ先のことは分からないが一回でも多く続けたいと思っている。
今回の満洲で感じたのは、各地の同時進行の公共工事ラッシュの凄さだ。橋・道路・住宅建築と、どこもかしこも工事をしていた。これが中共政府の内需拡大、自転車操業的な経済成長確保の為の必須の公共投資なのだろうと実感した。
中でも高層マンション群の建設ラッシュは、凄かった。これが政府投資による公共住宅なのか?民間企業のマンションなのか分からないが、その数の多さに度肝も抜かれる。ハルピンは街が大きすぎるし大都会で、すでにビルばかりの景色でよく分からないが、方正・佳木斯・同江・富錦と、同じように猛烈な建築ラッシュだった。
もしそれらの高層マンションが民間によるものなら、一体誰がそんな高級?分譲マンションを買えるのか?買うのか?ということだ。それも一挙に林立する高層マンション群が売り切れるとはとても思えないし。ならばやはり政府投資の公共団地のような物であり、一般庶民が低家賃で入居可能なマンションなのだろう・・・けど。分からん。
そして、この満洲時代の三江省、時の省都、佳木斯を拠点として松花江流域は第134師団担当の地域だった。昭和20年8月9日のソ連軍侵攻を受けて、第134師団は爾後の戦略により後方への転進をしたこともあって、戦跡が少ない。鶴崗・鳳翔方面には行けなかったが、今回私が行った戦跡は、富錦の五頂山の要塞陣地跡くらいだ。
その五頂山が同江から富錦に行くバスの車窓からくっきり見えた時は、やはり何とも言えない感動があった。2007.平成19年5月9日(水)に雲南省の騰越に向かった時に、夕暮れの中に来鳳山が見えた時もそうだったが・・・。戦後に生まれた私は、「戦う」ことの全てを忌避したままの日本国に生まれ育ち、従属と媚びしか知らない自分の人生にとって「日本軍かく戦えり」は胸に迫るものがある。
ただ広々とした三江平野にぽつんと聳える山並みがあった。そこに今から65年前に各所から部隊が転進集結し、ソ連軍と対峙した。ソ連軍は五頂山陣地には、本格的な攻撃はしなかったが、陣地はその後ソ連軍の手によって破壊されたようだ。そのソ連軍の包囲を突破して、各隊は方正方面に脱出転進を行った。
そして富錦では扶桑台というところで激戦を戦っているが、その場所も痕跡も分からなかった。
今回も同江に行き、松花江・黒龍江を挟んでの中露国境に立った。これまで図們・丹東・満洲里・ノモンハン・東寧・綏芬河・虎頭・密山・黒河、等々国境を選んで行っている。何故か、そこに魅かれる。
そして旅行記も何とか終了にこぎつけた。言われずとも自己満足の極地であると自覚している。100年後、200年後に子孫がいれば、その子孫の一人にこの旅行記を見てもらえれば、それで私にとって十二分の満足とする。今やデジタル世界は進化し、その可能性はあるかも。
そして何を隠そう今回は動画作りが目的でもあった。その内容は他人から見ればホンマ恥ずかしい限りのはずだろうけど、私は平気だから何でも出来る。Uチューブを通じて、ネットを通じて自分の思いを映像と共に無料で発信できるなんてこんなオモロイことはない。
これからも映像作りに磨きを掛けて進化させたいと秘かに思っている。私にとっての映画作りだ。フフフ。同じ能書きばかりでも良い。ますますやる気満々になるような気がしている。
動画作りは面白い。映画を作ることが如何に凄いことで面白いことかが良く分かる。今回は資料を失くして、同江では映像だけを撮り、帰国後にウィンドウズ7のムービーメーカーを使って、音声を入れ編集らしきことをした。幾らでも工夫してもっといい物を作りたい意欲とイメージはあるが、早く適当にこの旅行記作りを終えたいという気持ちが勝り、今はまだ適当だ。
面白かった。そして行って良かった。また行きたい。そして無事に帰国がかなったことに感謝して今回の旅行記の終了とする。
皇紀2670年:西暦2010年:平成22年10月3日(日)記
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この旅行記へのコメント (2)
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- こまちゃんさん 2010/10/08 00:41:49
- おかえりなさい
- &ごくろうさま。
こまも、9月10日に広州を出発し、西安-敦煌-烏魯木齊-巴楚-莎車-和田-莎車-喀什の道中の整理をしなければならないので、旅行記が出来るまで大変です・・・
16日広州戻りなので、トータル36日間の移動になり、写真がどっちゃり!・・・(ーー;
旅の途中にでもしたいと思うのですが、やはりちょっとムリですね。
こま
- 明石DSさん からの返信 2010/10/08 07:31:28
- RE: おかえりなさい
- こまちゃん
いつも素晴らしい写真を拝見させてもらっています
久々の新疆ウィグルですね
9月23日アップのブログは見ましたが、いつもながら素晴らしい写真の数々に魅入ります。
画家爺さんも70歳を過ぎ
体調管理も心配ですね、こまちゃんもそうですが、お二人の体力気力には感心します。多くの皆さんがブログや旅行記のアップを首を長くして待っていると思いますが、お体に気をつけて中国の旅を楽しんで下さい
ブログのアップは気長に待っています
明石DS
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