2010/09/11 - 2010/09/21
186位(同エリア199件中)
明石DSさん
6:39:26
方正賓館を写す
あと1時間半で方正を去る
今回の旅を決めるまで方正という地名さえ知らなかった
この方正の収容所の過酷さも
日本人公墓のことも知らなかった
その方正に来て、そしてこの地をもうすぐ去る。
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2010.平成22年9月14日(火)
■方正の看板
今日も快晴!
7時からの朝食時間にまだ時間があるので、表に出て行き日本語看板の面白いのを探しながら歩いた。
「やっだいでん むしぎゅうざおお」
「大きくて豪快にやけどをしてシャロンを染めます」
「けはテひん 雅芳」
等々、方正では看板に日本語を書くことが一時期ブームになったのだろう。今も続いているのか?今後は如何に?この面白き日本語看板を観光の目玉にして、是非日本からの観光客誘致をして欲しい。
-
方正面白看板
6:49:42
「やっだいでん むしぎゅうざおお」
面白看板探しは方正でのお楽しみ、良くぞ作ってくれた -
6:50:00
「大きくて豪快にやけどをしてシャロンを染めます」
笑うしかないけど、確かに豪快です -
6:57:20
「けはテひん 雅芳」
これは意味不明だけど、字は日本語
まだまだ沢山ありますよ、是非探索に方正へ -
7:04:546
豚饅二個食う
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退房
7時になったのでホテルに戻り、朝食を食べた。まだ食べ物は昨日もそうだったが揃わない。有る物が饅頭だったので、それを二個食べる。そして部屋に戻り、退房の準備をし、いよいよ方正賓館ともお別れだ。7時20分頃にホテル前で、三輪タクシーに乗って客運站に向かう。 -
7:20:20
三輪タクシーで客運站へ
イザ!佳木斯へ -
7:41:20
このバスで佳木斯へ
午前中は1時間一本の頻度で佳木斯行きはあった
運賃は36元(450円)
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方正〜佳木斯へ
午前8時発のバスは定刻にほぼ満員で出発。運賃は36元(450円)。私の座席は最前列左側の窓際の座位No1の席である。車窓から見る方正の道には、昆虫のような三輪タクシーがあちこちにたむろしていた。1時間ほど走ったら鶴崗(かくこう)炭鉱のボタ山なのか、車窓遠くにそれらしき山が見えていた。
そして高速道路をバスはゆっくりした安全走行で走り、方正から佳木斯まで3時間半くらいのバスの旅の予定だった。佳木斯の中山客運站に到着したのは、それでもほぼ3時間後の11時頃だった。やはり市内に一歩踏み込んで、即、感じたのは、この地も建設ラッシュであった。
高層のマンション?公団住宅?のような建物が次々と建設途中のようである。建設会社の仕事も労働者の働き場所もこれでは、十分ありそうな感じがしたが、実態はどうなのだろう。
到着はしたが、この中山客運站も一体、佳木斯のどの辺りなのかさっぱり分からず、今度は自転車のリヤカー・タクシーに乗って、今日明日の宿である佳木斯站前賓館に行った。自転車タクシーは4元(50円)だったと思う。そしてフロントでは、「日本で電話で予約済み」をすぐに了解してくれた。宿泊費は電話で聞いた148元の部屋を二晩である。部屋は3階の307号室。ベッドも二つあるが凄く広い。
このホテルは佳木斯站に向かって右側に建っている。そして向かいに同江行きのバスが出る客運站があった。 -
7:42:36
座席はNo1、視界良好
午前8時発 -
8:04:42
バスは定刻8時に出発
サラバ!方正
この景観は昆虫を見るが如し -
8:33:36
快適な高速道路で一路佳木斯へ -
9:06:50
鶴崗付近でこんな風景が
炭鉱のボタ山かも? -
9:54:02
満洲の大地を走る -
10:49:04
佳木斯市内に入る
ここも建設ラッシュだった -
10:55:12
我、三江省の省都
第134師団司令部があった
佳木斯に来る -
11:01:16
8時発→11時着、
ゆっくり走って3時間
佳木斯の中山客運站に到着 -
11:05:40
自転車タクシーに乗って
駅前賓館に向かう -
11:07:46
乗ってるのは右の自転車と同じ -
11:11:14
佳木斯駅前に到着 -
11:11:20
日本で電話予約できた駅前賓館
あった!ここにあった
ホンマ駅の横だった -
11:16:28
狭いか?広いか?広い
一泊148元(1850円)
エレベーターなし、部屋は3階 -
11:52:46
307号室
二晩泊まる -
四豊山風景区へ行く
11:59:40
佳木斯駅を背に写す
佳木斯駅前広場
今日も雲ひとつなく快晴なり
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四豊山風景区へ行く
部屋で休憩の後、今日は佳木斯の四丰山丰景区(四豊山風景区)と呼ばれる佳木斯の南約6kmにある景勝地区に行った。そこに支那事変当時、日本の帝国主義を非難し中国側に立って反戦運動を行った緑川英子:(本名:長谷川照子)の墓が建立されている。
長谷川テル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E3%83%86%E3%83%AB
佳木斯駅前でタクシーと交渉したら、一台目は「往復80元」というので断り、二台目は「120元」というので、又「不要」と言って断ったら、いきなり「50元」に値下げをして来た。2006年の“地球の歩き方”には「往復30元が目安」と書いてあるので、それを見せたら「昔の値段だ」と一蹴された。確かに4年前の値段であり、30元往復は安いので「50元、そして30分の滞在」ならとOKした。
しかしこの20代前半の若い運転手は、したたかで私が緑川英子の墓の場所を知らぬことを逆手に、墓とは反対側の場所にタクシーを停めた。そして降りて墓の方向に歩いて行こうとする私に向かって、彼は「墓は向こうの端だ。ここから歩けば行くだけで30分以上掛かるから無理だ」と言う。
私もそんなことかと、彼の態度からある程度予想をしていたし、何が何でもそこに行きたいという場所ではないので、「途中で引き返す。30分以内にここに戻ってくる」と、奴を無視して歩き出した。
それを見て彼は、諦めたのか、もう一度車に乗れと私を促した。車で墓の傍に行くと言う。まあ、ふざけた奴だと思っていたが案外良いところもあるのだと、私も又横に乗って、今度は悪路を走って真逆の方向に向かい墓の傍までタクシーで行ってくれた。
そして彼もその場所を最初から知っており「ここに有ったはずだ」と教えてくれた。しかしその場所に、緑川英子の墓はなく柵と基礎だけがダム湖に向かってあった。
近くを散歩中の老女に聞いたら、最近、墓はどこかに引っ越したそうだ。奥の方を指差してくれたが、場所が変わったのだろうか。反日運動の戦士の墓に探してまで行く気持ちはなく、風景を眺めてタクシーに戻った。その間に奴はちゃっかりアベックの二人を相乗り客として見つけていた。
吉永小百合がやはり非現実的な反戦平和の発言で、私は嫌いになった女性だが、《この緑川英子と女優の吉永小百合の母和枝とその妹の評論家川田泰代は遠縁にあたる。》とWeb頁にあり、吉永の人間性にそういった影響があるのかと感じた。性善説だけの綺麗ごとこそ世も人も悲惨に追い込む。
このタクシー運転手の彼は子供が来月出来ると言っていた。それを行きしなの車中で聞いて「祝儀」を渡そうと思っていたのに・・・。悪い奴ではないのだろうが、最初に私を真逆のところに連れて行き、値段を上げようとした行為に腹が立っていたので約束の50元だけを渡して最後は松花江沿いでタクシーを降りた。
最初からちゃんと墓の傍に連れて行ってくれれば、別れ際に祝儀を渡し、私も旅の一こまとして気分よかったのに。奴の最初の行為と、その為に祝儀をやれなかったことにも、どっちにしろ面白くない幕切れだった。 -
12:27:18
最初停まった位置とは反対方向にある
緑川英子の墓に向かう -
12:34:32
ここに墓があったはずが、別の場所に引っ越したとのこと
最初に反対側に連れて行った若い運転手
せこいことするなよ -
12:35:48
四豊山風景区の風景 -
松花江の近くで昼食
13:25:16
この店に入る
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松花江の近くで昼食を
松花江の近くのレストランでゴーヤの盛り付けたのと冷麺とを食べた。冷麺は何処で食べても美味しい。そして、又、今度はそこから佳木斯の街を散策するつもりで駅方向に歩いた。昨日からの高熱が出て、今日も太陽の日差しがたまらず帽子を買った(8元=100円)。
そしてボーっとしながらも西林公園まで来た。帰国後、“地球の歩き方”を見たら、この西林公園は日本統治時代の1940年に東宮大佐の戦死を悼み造られたものと書いてあった。
満洲時代にはこの公園傍の気象台跡地には、佳木斯神社があったそうだ。残念ながらそれらのことも現地では脳裏になく公園内を歩いていた。そこから佳木斯站に向かって歩きながら又動画の撮影をした。
◎「佳木斯での戦い、その一」と◎「佳木斯での戦い、その二」を撮影する。佳木斯站近くの場所にて。
動画撮影もこなしながら、駅前にもどり果物を買って部屋に戻り小休止する。もう今では忘れたがぐったりとし、しばらく休んでいたと思う。デジカメ時間によれば、この時部屋に戻ったのは午後3時50分くらいで、次に出て行って写真を写したのは18:31分となっていた。3時間ほど部屋でダウンしていた。 -
13:29:20
ゴーヤの野菜炒め
旨かった -
13:37:28
冷麺も旨かった、値段も安かった
この店は、お得です -
14:00:28
中秋節に供えて月餅の販売 -
14:16:32
西林公園
満洲時代、1940年
東宮大佐の戦死を悼み造られた
帰国後そのことを知る -
14:19:16
公園内の様子
火曜日の昼下がり
定年後の老人たちも多いが
そうでない人も多い、仕事は? -
松花江沿江公園
佳木斯での戦い:?
佳木斯は満洲時代、三江省の省都で政治・経済・軍事の中枢をなす街でした。当時の人口約2万人、北方及び東方からの接近経路はすべてここに集まり、ここから内陸へは図佳(とか)線(図們⇔佳木斯)沿いに牡丹江へ、あるいは綏佳(すいか)線沿いにハルピンに向かうことになります。
1945年:昭和20年7月30日:三江省内にバラバラに所在した第134師団の編成は完結したそうです。司令部:佳木斯・師団長:井関中将:編成定員は約16,000名です。
では、この佳木斯での戦いはどうであったのか・・・。
佳木斯での戦い:その一
「ソ連軍侵攻と日本軍」中山隆志(著作)によれば・・・。昭和20年8月9日ソ連侵攻当日、第134師団長の井関中将は液河(えきが)での司令部演習に参加しており佳木斯には不在でした。師団長一行は、報(しらせ)を受け9日午後8時頃佳木斯司令部に帰着しています。その後、井関中将以下の師団司令部主力は、在留邦人の避難及び各部隊の方正(ほうまさ)に向かう出発を指導し、8月13日船により方正に向かいました。
その他、佳木斯に所在した第134師団の部隊は12日〜14日にかけて一部水路、主力陸路で方正に向かっています。その結果、ソ連軍接近前に、日本軍部隊はすべて佳木斯を離れています。佳木斯特務機関において臨時編成された松花部隊も10日〜12日頃方正又は綏化方面に向かったとあります。その後の佳木斯は佳木斯特務機関によって工兵隊の一部と日系市民有志をもって編成した佳木斯遊撃隊だけが佳木斯周辺の警備に残り、最後に佳木斯西側の松花鉄橋を爆破した。
松花(しょうか)部隊というのは、在郷軍人及び近郊開拓団子弟、少年を含む多くの民間人が動員された部隊です。在留邦人の避難や撤退する関東軍の援護などが主な任務で活動記録が残されておらず、“幻の部隊”とも呼ばれています。
しかし「旧満州を調査記録する会」によれば前述の記録とは少し異なっています。松花部隊はソ連軍が侵攻した一九四五(昭和二十)年八月九日に関東軍に臨時召集され、当時の軍都だった佳木斯で結成され、8月13日に編成を終え隊員は約三千人。10代半ばの満蒙開拓青少年義勇隊や開拓団ら民間人が半数以上を占め、関東軍の特務機関が統率したとあります。
そして関東軍の撤退が敵軍に悟られないよう、軍服に階級章までつけて軍隊を装ったそうです。混乱の中、関東軍は撤退を開始。松花部隊は、撤退の援護や証拠隠滅のための関東軍の軍事施設の破壊、在留邦人の避難誘導などを担当。一部の部隊でソ連軍との交戦もあり、終戦後の九月上旬に武装解除されたそうです。
その他、佳木斯地区には満洲国軍第7軍管区があり、推定合計約3千名がいました。しかし、これらの行動については不明な点が多いようです。第134師団参謀長:末永大佐によれば、満洲国軍側の希望により三江省内に残って、前任務を継続することとなり、両軍首脳は涙の中に決別したとのことです。
http://www.youtube.com/watch?v=J4fXn03AfRE&feature=player_embedded -
夕方、駅周辺の散策
17:35:16
佳木斯駅
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佳木斯での戦い:?
佳木斯の攻防についてソ連軍の資料には、次のように書かれています。
佳木斯下流40キロの樺川(かせん)に至り、15日午前10時部隊を上陸させ、同日、佳木斯北岸の蓮江口(れんこうぐち)を占領し、佳木斯に向かって渡河を試みたが、日本軍の抵抗と速い河の流れのために失敗した。15日夜、艦隊が佳木斯に近づくと、日本軍は丸太や火をつけた“はしけ”を放流して前進妨害を試みた。艦隊が16日朝佳木斯に近づいてみると、市内の多くの建物や倉庫は撤退する日本軍によって火をつけられ燃え上がっていた。上陸後、散発的な抵抗を掃討した。そして、午前11時、降伏を申し出た満洲国軍を武装解除した。
以上、このソ連側資料から見て、最後まで残置された佳木斯遊撃隊と満洲国軍の一部が奮闘したものと判断されますが、日本側資料では裏付けが困難です。殊に満洲国軍の行動については日本人(日系者)全員(3名)と、日本人幹部:参謀:柴田中校、中校というのは満州軍の階級で日本軍では中佐に当たります。営長:田中中校など全員戦死と見られ、詳細は不明です。
佳木斯遊撃隊:松花部隊:満州国軍など戦死された方々のご冥福を、ここに心からお祈りします。
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三江省:ソ連侵攻に関しての要約
日本軍は松花江の水路閉塞(へいそく)を行ったが、降り続く雨のため増水して効果がなく、ソ連アムール小艦隊の遡航(そこう)を許してしまいました。第134師団が、ソ連に拘束されることなく主力を方正に集結できたことは、作戦的には後退作戦の成功と言えますが、任務上とは言え、早期の後退により在留邦人に多くの犠牲者が生じました。
しかしその中で、富錦警備隊:歩兵第367連隊第二大隊:等の前方部隊の敢闘は、ソ連軍の佳木斯来攻を遅らせて綏佳線を確保し、佳木斯付近邦人及び同地流入邦人の多くの綏化方面への脱出成功に貢献しました。
http://www.youtube.com/watch?v=2rusVcABClo&feature=player_embedded -
17:35:26
佳木斯駅前より和平街を写す
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佳木斯駅前賓館の下の果物屋で果物を買う
http://www.youtube.com/watch?v=2OaMs2l64KU&feature=player_embedded -
17:40:34
駅前賓館と満洲の三日月
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