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 埼玉県川越市小仙波町に鎮座する仙波東照宮は、喜多院27世住職天海僧正が江戸幕府初代将軍徳川家康公を祀ったものである。元和2年(1616年)4月に家康公が75才で薨去されると、一旦、静岡県の久能山に葬られたが、翌元和3年(1617年),に遺骸を日光に移葬した。その時久能山から日光に至る道中の川越喜多院に遺柩は止留され、天海僧正により4日間の法要が営まれた。元和3年9月、その跡に大堂を建て、家康公の小像を祀ったのが仙波東照宮の始まりである。その後、寛永10年 (1633年) に現在の地に立派な社殿を造って遷祀したが、寛永15年(1638年)、川越街に大火起り、延焼してしまった。寛永17年(1640年)に再建されたのが現在の社殿である。<br /> 日光東照宮、久能山東照宮、仙波東照宮を三大東照宮はというようだが、実際に家康公の遺骸が埋葬された日光東照宮と久能山東照宮は別格であろう(。これら2社の社殿は国宝であり、これ以外の社殿は重文であることもこれを後押ししていようか)。少なくても日光東照宮が本宮に相当し、同一には論じられない。これらを除いた中では仙波東照宮、日吉東照宮、上野東照宮などの立派な社殿が思い付く。<br />(表紙写真は仙波東照宮拝幣殿)

川越仙波東照宮

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2009/10/18 - 2009/10/18

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 埼玉県川越市小仙波町に鎮座する仙波東照宮は、喜多院27世住職天海僧正が江戸幕府初代将軍徳川家康公を祀ったものである。元和2年(1616年)4月に家康公が75才で薨去されると、一旦、静岡県の久能山に葬られたが、翌元和3年(1617年),に遺骸を日光に移葬した。その時久能山から日光に至る道中の川越喜多院に遺柩は止留され、天海僧正により4日間の法要が営まれた。元和3年9月、その跡に大堂を建て、家康公の小像を祀ったのが仙波東照宮の始まりである。その後、寛永10年 (1633年) に現在の地に立派な社殿を造って遷祀したが、寛永15年(1638年)、川越街に大火起り、延焼してしまった。寛永17年(1640年)に再建されたのが現在の社殿である。
 日光東照宮、久能山東照宮、仙波東照宮を三大東照宮はというようだが、実際に家康公の遺骸が埋葬された日光東照宮と久能山東照宮は別格であろう(。これら2社の社殿は国宝であり、これ以外の社殿は重文であることもこれを後押ししていようか)。少なくても日光東照宮が本宮に相当し、同一には論じられない。これらを除いた中では仙波東照宮、日吉東照宮、上野東照宮などの立派な社殿が思い付く。
(表紙写真は仙波東照宮拝幣殿)

交通手段
JRローカル 私鉄

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  • 仙波東照宮随身門(重文)。随身像が安置されておらず空だ。

    仙波東照宮随身門(重文)。随身像が安置されておらず空だ。

  • 仙波東照宮石鳥居(重文)。

    仙波東照宮石鳥居(重文)。

  • 仙波東照宮拝幣殿(重文)。拝殿にある三十六歌仙絵額も重文。

    仙波東照宮拝幣殿(重文)。拝殿にある三十六歌仙絵額も重文。

  • 仙波東照宮拝幣殿。

    仙波東照宮拝幣殿。

  • 仙波東照宮平唐門(重文)と本殿(重文)。 <br />

    仙波東照宮平唐門(重文)と本殿(重文)。

  • 仙波東照宮平唐門と本殿。 <br />

    仙波東照宮平唐門と本殿。

  • 仙波東照宮平唐門と本殿。 <br />

    仙波東照宮平唐門と本殿。

  • 仙波東照宮平唐門と本殿。 <br />

    仙波東照宮平唐門と本殿。

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