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 京都市伏見区の京阪電車淀駅のホームから淀城の石垣とお堀が見えた。この城は豊臣秀吉が、側室茶々の産所として築かせた淀城ではなく、江戸時代になって築城し、山城国唯一の大名家の居城として明治まで続いた。淀古城はこれより北へ約500メートルのところにあったが、豊臣秀次失脚の際に連座して廃城となった。<br /> 元和9年(1623年)松平定綱が所領3万5千石で入部し、築城された。城郭は1625年(寛永2年)にはほぼ完成した。3万5千石でも徳川の城で、5層の天守閣が建った。当初は伏見城の天守閣を移築する計画であったが、急遽伏見城の天守閣は二条城に移され、替わりに二条城の天守閣が移築された。このときには一時的ではあるが二条城には大小2つの5層天守閣が建っていたのだ。伏見城の天守閣の方が大きかった。そのため、天守台が余り四隅に二重櫓を配して埋めた。現代の伊賀上野城のような話だ。<br />(表紙写真にはホーム越に石垣とお堀が見える)

淀城

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2008/11/09 - 2008/11/09

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 京都市伏見区の京阪電車淀駅のホームから淀城の石垣とお堀が見えた。この城は豊臣秀吉が、側室茶々の産所として築かせた淀城ではなく、江戸時代になって築城し、山城国唯一の大名家の居城として明治まで続いた。淀古城はこれより北へ約500メートルのところにあったが、豊臣秀次失脚の際に連座して廃城となった。
 元和9年(1623年)松平定綱が所領3万5千石で入部し、築城された。城郭は1625年(寛永2年)にはほぼ完成した。3万5千石でも徳川の城で、5層の天守閣が建った。当初は伏見城の天守閣を移築する計画であったが、急遽伏見城の天守閣は二条城に移され、替わりに二条城の天守閣が移築された。このときには一時的ではあるが二条城には大小2つの5層天守閣が建っていたのだ。伏見城の天守閣の方が大きかった。そのため、天守台が余り四隅に二重櫓を配して埋めた。現代の伊賀上野城のような話だ。
(表紙写真にはホーム越に石垣とお堀が見える)

交通手段
観光バス 私鉄

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