2010/08/03 - 2010/08/10
1512位(同エリア2515件中)
サバーイさん
ベルリンの壁の跡を地図を手に歩いてみました。
-
今回参照したのは、WALK THE WALLという地図です。表は地図上に、どこに行けばどんな壁跡が見られるのかという説明、裏にはベルリンの壁の歴史がまとめられています。
-
各国語版があり(日本語版はありませんが)、駅のキオスクやブランデンブルグ門などにある観光案内所などで売っています。(?3.50 )
-
最初に向かったのは、ベルリンの壁を象徴する場所です。
Unter den Linden という駅名が変わり、今はBrandenburger Tor駅、
になりました。 -
その名の通り、目の前にブランデンブルグ門
(Brandenburger Tor) がそびえます。
東西に引き裂かれた、分断ドイツ時代の象徴。 -
ブランデンブルグ門はかつての東ドイツ領内にあったので、この写真は東側から門を見上げていることになります。
-
4頭立ての二輪戦車に勝利の女神ヴィクトリアを乗せたクヮドリーガ。
「プロイセンの鷲とカシの木の葉で囲まれた鉄十字」を頭上に掲げ持つ。 -
門を通り抜けると目の前に旧西側の景色が。
1989年11月9日、壁が崩壊すると、ここを通って東から西へ、また西から東への行き来が再開した。 -
門の西側は、1848年のドイツ三月革命を記念するPlatz des 18.Marz(3月18日広場)と呼ばれている。
-
ブランデンブルグ門を背に、右手へ進んでいくと直ぐにドイツ連邦議会議事堂が。
-
内部のドーム見学の長蛇の列が。
-
議事堂の正面階段から見た広場。
-
議事堂前広場の横の木立を抜けていくと、旧ソ連のベルリン侵攻を記念する戦勝記念碑。
-
戦勝記念碑の前を走るのは、ブランデンブルグ門を起点に東西に縦断している「6月17日通り」。まだ東西に分断されていた1953年、東側で起きた市民運動をソ連が制圧したことに抗議してつけられ名前。
-
今度はブランデンブルグ門を西側から眺めていることになります。
-
そして、門の先にはParizer Platz(パリ広場)。
-
ここはいつでも観光客で賑わっています。
-
ブランデンブルグ門からは真っ直ぐにウンテル・デン・リンデン(菩提樹の下で)という名の大通りが延びている。テレビ塔が向こうにそびえている。
-
通りの両脇に洒落た店やカフェが並ぶ。
-
かつて壁が築かれていた跡が、道路に残っています。
-
ポツダム広場から直線に延びていた壁が、ブランデンブルグ門の手前で直角に曲がっていた様子が窺えます。
-
かつての東西分断の痕跡。
-
壁が門に真っ直ぐに。
-
壁の跡には延々と石がブロック状に並べられています。
-
壁の痕跡を辿って、南に歩いてみました。
-
壁の両側は、道路や緑地帯になっています。
-
壁跡の上に、新しくビルが建てられているのがよく分かります。
-
通りのカフェを横断する壁跡。もはや昔の姿が想像しづらい、現在の様子です。
-
そして真っ直ぐとポツダム広場前まで延び、一部分残されている壁に繋がります。
-
壁の断片が残されています。
-
高いビルに囲まれ、かつての威容は感じられなくなった歴史の遺物。
-
地下鉄 (U-Bahn)でKochstrase駅へ移動。
-
地上へ出ると、フリードリヒ通りが延び、その先にかつてのチェックポイント・チャーリーが。
-
ソ連統治領とアメリカ統治領の国境検問所。アメリカ領側から見た検問所跡。ソ連兵の写真が掲げれれているが、裏側はアメリカ兵の写真。
-
チェックポイントに隣接した「壁博物館」。出口には壁の断片がオブジェとして置かれている。
-
売店の壁にも壁の断片が。
-
復元されたチェックポイント・チャーリーのアメリカ側の小屋。
-
当時からあった掲示。「ここからはアメリカ管轄領ではなくなる」「ここからは'non-profit' sectorである」と、共産主義を皮肉っている。
-
チェックポイントそばに残る壁は、当時の様子を残している。
-
ニーダーキルヒェン通り(Niederkirchnerstr.)に残る壁跡。ここはかつてナチス秘密警察の本部が置かれていた、ナチス政府の中枢地域。屋外展示されている施設跡。
-
朽ち始めている壁の様子。
-
壁の表面の接写。
-
壁の向こうがかつての西側。
-
Topographie Des Terrorsは今年新しくなった資料館。
-
この日は自転車で街を走りました。
ここはEast Gallery。かつての「東」時代の中央駅、Ostbhf.(ベルリン東駅)近くから、シュプリー川沿いにつづく壁に世界中のアーティストが作品を残す。 -
全長で1km以上あり、見ごたえがあります。
-
かつては丁度このあたりから国境が直角に川を渡り対岸に続いていたそうです。正面のオーバーバウム橋は東側でした。
-
1990年当時、24カ国、118人のアーティストが作品を描いたとか。
-
20年の風雪でかなり傷んだり、落書きされたものを、壁崩壊20周年の昨年、同じアーティストによってリメイクされたという。
-
壁を挟んだ光景。左が東ベルリン、右が西ベルリンに分断されていた。
-
-
通り沿いに車を止めて立ち寄る人たちがたくさん。
-
おそらくは最も有名な一枚。
-
鮮やかな色合いが目を引いていました。
-
日本からの観光客を乗せたバスが必ず停まる場所。
-
さて、ギャラリーの裏側に回ってみると...
-
自転車でAlexanderplatzまで戻り、休憩。
-
広場にある、Imbissと呼ばれる屋台でテイクアウトを。
-
焼きソーセージを短く刻み、カレー粉をまぶし、ケチャップソースをかけた、ベルリン名物のcurry wurst。
-
Sバーン、Nordbhf.(北駅)を出るとすぐにBernauer Str.(ベルナウ通り)にでる。ここもブランデンブルグ門、チェックポイント・チャーリーなどと並び有名な場所。
-
通りに沿って立つポールは壁跡。
-
かつてはこの壁の位置(国境線上)にアパートが建っており、亡命を防ぐために、通りに面した窓はすべてレンガやセメントで塗り固められたという。その後、建物は壊され、本当の壁ができた。
-
壁ができる直前、通りに面したアパートから西側へ飛び下りて、命を落とす人もいたという。当時の様子は通りを挟んだ、ベルリンの壁資料館が詳しい。
-
西側の壁と東側の壁の間のデッドゾーンが今は緑地帯となっている。
-
壁で命を落とした人たちの写真が飾られていた。
-
少なくとも136名が命を落としたという。うち98名は西へ逃げようとしていた人たち。他に、西側からの人や、8人の兵士などがいる。
-
42人は子供や10代の若者であった。
-
壁の北側はかつてのフランス統治領だった。
-
通りにプラークが。
-
壁の犠牲になった人のもの。
-
かつての見張り塔。
-
恐らくは壁の欠片を持ち去るために叩かれ、削られして粗い鉄筋がむき出ししになった壁の表面。
-
-
Bernauer Str. と直角に交わっていた通りの跡。壁によって分断された。
Walk the Wallはここで終点。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ベルリン(ドイツ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
73