1982/09/01 - 1982/09/12
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yamada423さん
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デスヴァレーの砂漠とバッド・ウォーター 1982.9.5(昭和57年)
BADWATER
280 FEET BELOW SEA LEVEL
85 METERS
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はじめに
私が写真を撮り始めたのは高校3年のころ(1961年頃)で、高校時代のアルバムを元にまとめたのが下記である。
アーカイブ「高校生活3年間の思い出・記録」ARCHIVE:School life of Urawa High School in early sixties(2011年7月公開)
https://4travel.jp/travelogue/10583150
最も古い記録は高校3年秋の関西地方への修学旅行。
大学時代はオーケストラに所属していたため、いろいろな活動の記録がある。(昭和の記録No.3,No.4公開済み)
また将来はエンジニアを目指して理工系の大学に入り、モータースポーツに強い関心を抱き、各地のレースを見に行って流し撮りのテクニックを身に付けたりもした。
モノクロ(白黒)フィルムは1971年まで使用し、それまでの10年間に撮った写真のネガフィルムはほとんどすべて保管しており、121本(約4200画像)になる。
しかし古いものはフィルムの材料である酢酸セルロースの経年劣化(加水分解)で損傷がひどく、変形や黒点発生で画像の復元が困難なものがある。
平均余命まで10年(平均寿命81.41歳までは5年)を切り、遺品の整理が簡単に済むようにと思い、2019年7月までに全てのモノクロのネガフィルムをスキャナーEPSON GT-F740で電子データ化した。
現代用語:終活(笑い)
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昭和の記録公開について
令和2年になり、新型コロナウィルスの世界的大流行に伴って海外旅行のみならず旅行が難しい状況が続く。とりわけ東京都内への外出自粛を余儀なくされている現状に鑑み、昨年デジタルデータ化したモノクロ写真を元に旅行記に編集して公開することを思いついた。
1968年の九州一周卒業旅行を公開した例はあるが、それ以来の作業になる。
写真の説明資料はほとんど残っておらず、読者に興味を持って見てもらえる作品になるか予想はできないので、とりあえず試しにスタートしてみることにした。(2020年7月)
公開が主な目的ではなく、遺品として廃棄される前に、私自身だけではなく、共に昭和を過ごしてきた人々の記録をこの世に残しておきたいという願望が先に立つ。
もう一つの狙いは「写真を主体にした自分史」をウェブサイトに残すことである。
ここまではシリーズ共通の前文とする。
シリーズ昭和の記録 百選 総集編
https://4travel.jp/travelogue/11651747
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シリーズ昭和の記録No.18酷暑のデスヴァレー 53℃の体験
今回No.18は先日アメリカのデスヴァレーで最高気温54.4℃(130°F)記録したというニュースがあったので、今から38年前の1982年9月にデスヴァレーで53℃を体験した、新型車の酷暑テストに参加したときの写真を紹介する。
新型車の開発において自動車のさまざまな機能、すなわちエンジン、トランスミッション、操舵系統、ブレーキ、空調(エアコン)などの高温時の機能・性能を確認し、必要な対策を講じることは必須である。
地球上で自動車が実際に使用される地域の中で最も気温が高いのがカルフォルニア州デスヴァレーであり、当時は多くの国の自動車メーカーがデスヴァレーで酷暑テストを行う状況であった。現在は極低温から酷暑までに対応した全天候型の恒温室(環境試験室-40~+80℃など)で実車テストを行える。
デスヴァレーが選ばれた理由は他にもあり、新型車を幌で覆った覆面車ではなく、素顔で走らせても機密保持がしやすいことも大きな理由であった。
デスヴァレーは避寒地として冬場は観光客が多いが、40℃を超える猛暑が続く夏場には一般の車を見かけることはほとんどなく、たまに出会うのは他のメーカーのテスト車である。
当時の酷暑テストの日程は9月初めから9日間、デスヴァレー中央部のストーヴパイプ・ウェルズStovepipe Wellsの、夏は通常営業していないモーテルを基地として滞在した。
Stovepipe Wellsにはレストランがないため、一日のテストを終えると機密テスト車をコンテナトラックに格納を済ませ、約40キロ(25マイル)離れたオアシスの町ファーネス・クリークFurnace Creekまで夕食を食べに往復した。
夕食後は翌日の朝と昼の食料、飲料(350cc缶1人3本)、氷などを購入して宿へ戻った。
上記の地名もいかにも暑い様子を表している。
Stovepipe Wells ストーブの煙突のような井戸
Furnace Creek 加熱炉・溶鉱炉のような小川
酷暑テストの内容は記載できないので、いくつかの体験をまとめて紹介する。
1. クルーズ・コントロール
アクセル操作をしなくても一定速度で走行できるシステムであるが、ハイウェイを55マイルとかに設定しておくとドライバーはハンドル操作以外にすることがなく、居眠り運転に陥る危険がある。
ロスアンゼルスからデスヴァレーに向かうフリーウェイで連絡車のBMW535を運転したとき、昼食に駐在員に奨められて初めてのタコスを食べた後に睡魔に襲われ、同乗の駐在員にクルーズ・コントロールを解除するよう指示された。
ロスからデスヴァレーまで約300マイル(480キロ)を交代で運転しながら無事にテストチームに合流できた。
2. 氷が解けて水にならない。
1日一人3本の炭酸飲料(Mountain Dewなど)がなくなり、クーラーボックスの氷を紙コップに入れて解けたら飲もうとしばらく放置すると、コップには何も残っていない。高温で乾燥しているため氷は解けずに昇華してしまったのである。
暑くても汗をかいた感触はなく、日中トイレに行った記憶がない。
3. デジタル温度計(サーミスタ式)の先を指で挟むと温度の数値がどんどん下がる。
40℃以上の気温では体温のほうが低いのだ。
日常生活では経験できない貴重な体験だった。
4. 滞在中に測定した最高気温は53℃であった。
デスヴァレー内はファーネス・クリークなどのオアシス以外には樹木がないので日中はどこも炎天下であり、風が吹くと熱風になる。観測用に持ち歩くサーミスタ温度計が熱風を受けて53℃を表示したときはさすがに驚いた。熱処理工場の加熱炉や熱間鍛造機の前にいるよりも暑く、何分もいたら身の危険を感じる暑さだった。
国内で猛暑日が続く中、驚異的な暑さを観測したアメリカ・カリフォルニア州のデスヴァレーに注目が集まっている。8月16日には「54.4度」を記録した。正式に確定すれば、世界で3番目に高い気温になるという。
出典:https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5f3b2021c5b6e054c3fdcac1
5. 一本道(写真掲載)
テスト基地のストーブパイプウェルズからエアコンのコンプレッサー用のVベルトを購入するために34マイル(55キロ)離れたネバダ州のビーティBeattyまで2往復したことがある。ビーティはデスヴァレーの谷を囲む山並みの中にある町(標高1008m)で、途中から町までの道路は約20Kmの直線路で、対向車もない一本道を一人で走るのは昼間でも心細かった。デスヴァレー内の場所によっては「次のサービス(ステーション)まで57マイル NEXT SERVICES 57 MILES」の標識があり、車が故障したら直ちに身の危険を感じる。
6. オニオンソテー
夕食は毎晩同じレストランで、メインはいくつか選べたが、付け合せ(前菜)は毎日同じ煮豆(カウボーイの主食)だった。1週間経ってさすがに飽きたので、仕事で滞在している事情を話し、「何か他にできないの、たとえばオニオンソテーとか」と言ったら早速オニオンソテーを作ってきてくれた。その美味しさには言葉にできないほど感動した。
それ以来、私にとってのオニオンソテー(たまねぎを薄く輪切りにして炒めただけのもの)は格別な料理となった。
7. 天の川
夕食から帰って車から降りて空を見上げると、うっすらと雲がかかったように見えた。
目を凝らしてよく見ると雲ではなく天の川で、その広がりは川のような狭いイメージとはかけ離れ、星雲と呼びたいほどだった。子供のころに農家の実家の広い庭で見たり、スキー場の夜空で見て以来の天の川に感動した一瞬である。
水蒸気も周囲の光もまったくない世界は星を見るには最高だった。
8. ガラガラ蛇
デスヴァレー内には砂漠があり、休日の午前中に猛暑になる前に見学に行った。
砂山の形は風によって頻繁に変わるらしいが、うわさのとおりガラガラ蛇の蛇紋(写真掲載)が砂に印されていた。蛇は見ていないが数メートルもありそうな大きさを想像した。
9. バッドウォーター(写真掲載)
デスヴァレーのほぼ中心に近い場所にある標高がマイナス86mの窪地で、溜まった水の塩分濃度が高く飲めないためバッドウォーター(悪い水)と呼ばれる。
大雨が降ると周囲から水が集まり湖ができるが、普段は干上がって塩と泥が混じった独特の荒涼とした光景が見られる。
死の谷・デスヴァレーはここが驚異的!
https://welove.expedia.co.jp/destination/usa/18033/
10. デスヴァレー城(スコッティズキャッスル)(写真掲載)
砂漠の中に突如現れる豪華な城で、1920年代にシカゴの保険会社重役アルバート・ジョンソンによって建てられた。ジョンソンと妻ベッシーの別荘であったが、主に住んでいたのはウォルター・スコットで、スコットは金探鉱者でカウボーイでもある。
11. ストーブパイプ・ウェルズのモーテル
酷暑テストの基地としたモーテルと道路を挟んで向かいにある雑貨屋general storeは現在も存在する当地で唯一の施設で、現在はデスヴァレーホテルと呼ばれる。
Death Valley Hotels
https://deathvalleyhotels.com/
グーグルのストリートビューで確認できる。
https://www.google.co.jp/maps/@36.6064776,-117.1468117,3a,83.5y,102.35h,76.75t/data=!3m7!1e1!3m5!1s9jOsyZb0glqbIsbPtbETnw!2e0!6s%2F%2Fgeo2.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3D9jOsyZb0glqbIsbPtbETnw%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D95.54544%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656
撮影・編集
CANON AE-1 PROGRAM FD 35-70mm F3.5-4.5.
フィルム SAKURACOLOR Ⅱ FILM
KODAK SAFETY FILM 5035
掲載画像はアルバムの写真をEPSON GT-F740でスキャンしたもので、画像データの大きさは約3000×2100です。
カラーのネガフィルムも保存しているが、ほとんど劣化していないプリント写真をスキャンしたほうがきれいな画像が得られるのでそうしました。
モノクロネガフィルムの編集が終わったら、カラー「昭和の記録」の編集に取り掛かる予定です。生きていればですね(笑い)
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編集者自己紹介(シリーズ共通)
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/19/67/06/src_19670641.jpg?1420067275
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/22/38/50/src_22385032.jpg?1388882024 浦和高校同窓会 遺影用Yei !
シニア写真愛好家のyamada423です。
一眼レフの経歴はPENTAX、CANON FT、CANON AE-1P、CONTAX RX、EOS40D、EOS80Dなど50年以上です。
<略歴>
大岡山の工学部の研究室では金属組織などの顕微鏡写真の処理は現像液の調合からガラス乾板・フィルムの現像、印画紙焼付けなどすべて自前で行っていたので、写真の処理技術は一通り身につけていました。
写真を撮ることについても風景写真のみならず、当時人気の高かったカーレース(日本グランプリ、CAN-AMなど)に出かけ、200ミリの望遠レンズで高速の被写体を流し撮りするのが好きでした。日本グランプリなど、レースの特集は9月中にはイベント毎に編集して投稿する予定です。
月額1~1万3千円の奨学金の大半はカメラや写真、旅行などに消えてしまいましたが、今の自分を育ててくれた大変ありがたい資金でありました。きちんと返済しました。
1980年頃から欧米主要国の自動車および自動車部品関連企業、研究機関への出張を繰り返し、その間仕事の合間を利用して撮影を続けました。1997年に財団法人へ出向を機会に出張がなくなり、個人旅行のみとなりました。
自動車会社の研究所(29年)と特許庁関連の財団法人工業所有権協力センター(IPCC)で11年、計40年勤務し、2008年3月退職
4トラベル会員登録 2010年5月21日
ホームページ(長期休眠中)自己紹介、随想「設計技術者の心」など掲載。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~yamada423/
素顔の本田宗一郎と社員たち/3代社長の3ショット (永久保存版)
https://4travel.jp/travelogue/10484193
おねがい
50年以上前の写真ですが、なにかお気づきの情報がありましたら掲示板等でお知らせいただければ嬉しいです。
yamada423
投稿2020.9.6 20:00
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1982年8月末にアメリカ出張の際、四街道の親戚に行くついでに成田空港へ見送りに来た家族
子供3人は9歳、5歳、3歳でした。
横長画像をクリックすると拡大します。 -
成田からロサンゼルスまではJAL62便で現在も同じ便名で運行されています。
夜行便で現地に朝着くため、徹夜したようにその日の夕方には睡魔に襲われます。
すぐに運転して長距離移動するのは危険なため、ロスの研究所R&Dで1,2日準備してからデスヴァレーへ出発したと思います。(記録は残っていません) -
ロスからデスヴァレーまでは、サンジェゴからラスヴェガスを通りモンタナ州の国境まで続くフリーウェイ15号を利用します。
15号を南に向かうとサン・ディエゴSan Diegoです。
標識はシンプルで明快です。 -
ここは片側3車線の一般的なフリーウェイです。
アメリカは右側通行です。 -
この日は朝10時ごろ出発し、途中でランチして300マイル(480キロ)先のデスヴァレーまでの移動です。
駐在員と二人で交代で運転しました。
移動の車は連絡車のBMW535で、競合メーカーの車の性能確認の意味もあります。 -
デズヴァレーは山脈に囲まれた盆地で、周囲には三千メートル級の山があります。
ここに見えるのはデスヴァレーの手前側(西側)の山並みです。 -
ランチに立ち寄った店
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駐在員の奨めで初めてタコス(メキシコ料理)を食べました。
タバスコが辛かったのを覚えています。
タコスはいま思えばフランスで人気の料理クレープに似た感じです。 -
ホンダがアメリカ現地生産を開始して初期に生産した大型バイクGL1000とトレーラー
<参考記事>
ホンダ(Honda)の米国部門は2019年9月10日、米国における現地生産の開始から40周年を迎えた、と発表した。
ホンダは1979年、ホンダ・オブ・アメリカ・マニュファクチュアリング(HAM)のオハイオ州メアリズビル二輪工場において、二輪車の生産を開始した。9月10日に第1号車がロールアウトした。翌1980年1月には日本の自動車メーカーとして初めて、米国で乗用車を現地生産する計画を発表した。二輪工場の隣接地にメアリズビル四輪工場を建設し、『アコード』が1982年11月1日にラインオフした。
この40年の間に、ホンダは米国での生産能力を着実に成長させてきた。 現在、ホンダは米国内の12の工場で、2万5000人以上の従業員を雇用している。年間100万台以上の自動車、300万基のエンジン、40万台のパワー機器製品、33万台のパワースポーツ製品を生産している。
出典:https://response.jp/article/2019/09/14/326506.html -
典型的なアメ車が並んでいました。
ここはキューバではありません。 -
ホンダCB900
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Barstowのジャンクションの案内
フリーウェイ15号を行くとラス・ヴェガス Las Vegas
40号はニードルス Needles方面
どちらの町もここから約150マイル(230キロ)ほどです。
デスヴァレーは15号を途中Bakerで左折するが、Stovepipe Wellsまでは170マイル(270キロ)残っています。 -
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ガソリンスタンド
当時もセルフ給油が一般的で、Full Serviceを頼めば給油、窓拭きなどやってくれました。(このスタンドのことではありません) -
ベイカーBakerでフリーウェイ15号から一般道127号Death Valley Rdに乗り換えます。
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先を行くトラックが見えますが、うっかりすると左側通行をしてしまいます。
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デスヴァレーの標準的な風景
夜間に走ると真っ暗闇に光る動物の目にぎょっとすることがあります。
キツネだそうです。 -
砂地に生えた背丈の低い草が枯れた、このような景色がずーっと続きます。
風で飛ばされた草が道路に散乱していることがしばしばです。
春にはおそらく花が咲くと思います。 -
まっすぐな道路ですが周囲の山に向かうと上っていくのがわかります。
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対向車はトレーラーのようです。
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記録写真
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デスヴァレーは山脈に挟まれた低地で周囲は険しい岩山が連なっています。
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道路端にあるタンクはラジエター用の水タンクです。
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珍しく緑の草です。
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NO ROADSIDE SERVICES NEXT 72 MILES
「この先72マイルは沿道のサービス(ステーション)はありません」 -
ファーネス・クリークFurnace Creekの案内標識
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種類は少ないがこんな植物もありました。
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現地を記録する駐在員
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デスヴァレーで最も標高が低いバッドウォーター
海抜ー85m(-280フィート) -
バッドウォーターの標識 表紙写真(下)
BADWATER
280 FEET BELOW SEA LEVEL
85 METERS -
岩の中腹の白い標識は海面(SEA LEVEL)の位置です。
連絡車のBMW535 -
記録写真
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山に挟まれたデスヴァレー平原
ValleyですがV字型の谷ではなく平らな地形です。 -
周囲の山並みは3000メートル級の山が連なっています。
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逆光に浮かぶ塩水の湖(池)
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遠くに砂漠(砂丘)が見られます。
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先を行くのは西日を反射するコンテナトラックです。
画像をクリックすると拡大します。 -
テスト場所にはワンボックス車などで移動し、休憩や待機などに利用します。
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ラジエター用水タンク RADIATOR WATER
道端に故障した廃車を時々見かけましたが、すべてアメ車でした。 -
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ワンボックスカー内部
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宿舎のモーテルのテラスにて
この日は休日で、砂漠やデスヴァレー城、隕石の穴(クレータ)などの見学に行きました。 -
デスヴァレーはカルフォルニア州とネヴァダ州にまたがっており、州境の標識には銃弾で穴があけられていました。
WELCOME TO Nevada THE SILVER STATE
ネヴァダ州は銀の主要な生産地のようです。 -
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まっすぐな一本道
ネヴァダ州との州境からBeatty(標高1008m)までは10マイル以上続く直線道路で、次第に上り坂になっているのがわかります。
スピードを上げて走ろうなんていう気にはなれません。
地球上にこのようなところは他にはないと思います。
ネヴァダ州の地図に定規で直線を引いて作ったと推測しますが、アメリカ合衆国の州境や中東諸国の国境を決めた方法と同じでしょう。 -
同行のメンバーの一部
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砂漠
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ガラガラヘビの蛇紋
画像をクリックすると約2倍に拡大します。 -
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デスヴァレー城(スコッティズ・キャッスル)
砂漠の中に突如現れる豪華な城で、1920年代にシカゴの保険会社重役アルバート・ジョンソンによって建てられた。ジョンソンと妻ベッシーの別荘であったが、主に住んでいたのはウォルター・スコットで、スコットは金探鉱者でカウボーイでもある。 -
右は1913年パッカードPACKARD
コントラストが強すぎて色合いが悪いためモノクロに修正しました。 -
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オルガン
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スコッティズ・キャッスルには植物も植えられていました。
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かつての鉱坑跡、ハーモニーボラックス
ファーニスクリークの北にあるホウ酸ナトリウムの採掘跡。
出典:https://welove.expedia.co.jp/destination/usa/18033/ -
隕石でできたと言われる巨大な穴(クレータ)
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巨大なクレータ
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クレータから吹き上げる風で、こんなにしても倒れません。
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人がこんなに小さく見えます。
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塩の海
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砂や土にまみれて汚れていますがカチカチに固まった塩の塊に覆われた平原です。
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まっすぐな一本道
テスト基地のストーブパイプウェルスからエアコンのコンプレッサー用のVベルトを購入するために34マイル(55キロ)離れたネバダ州のビーティBeattyまで2往復したことがある。ビーティはデスヴァレーの谷を囲む山並みの中にある町(標高1008m)で、途中から町までの道路は約20Kmの直線路で、対向車もない一本道を一人で走るのは昼間でも心細かった。 -
釜と煙突があるのでと木炭運搬車かもしれません。
かつてホウ酸ナトリウムの採掘鉱山があったようです。 -
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海抜ゼロメートル地点
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FURNACE CREEK 1マイル
127号Death Vally Rd.野ジャンクション29マイル -
運搬車両の鉄の車輪は直径が90インチ(2.3m)ぐらいありそうです。
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BADWATERでの記念写真 (メンバーの一部)
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同行メンバーが乗った車
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Beatty ビーティ
Scottys Castle スコッティズ・キャッスル -
NEXT SERVICES NEXT 57 MILES
次のサービスは57マイル先 -
最終日にロサンゼルスへ戻る途中の休憩です。
デスヴァレーから15号ハイウェイとの分岐点Bakerまでの127号の中間地点の178号への分岐点ショーションShoshoneにある標識
(Googlemapsで調べた) -
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ロスへ戻ると雨でした。
デスヴァレーは9日間快晴で雲ひとつ見ることはなかったが、帰ってきたとたんの雨でなんとなくほっとした気分でした。 -
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