2010/07/17 - 2010/07/17
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みにくまさん
祇園祭に行ってきました。
祇園祭は日本3大祭の一つで、八坂神社をはじめ氏子区域一帯で、7月1日の「吉符入」から31日の「疫神社夏越祭」までの1ヶ月間、様々な神事や行事が執り行われます。
そのハイライトである「山鉾巡行(17日)」は、絢爛豪華な懸装品をまとった「動く美術館」と称される32基の山鉾が、祇園囃子を奏でながら、大勢の観衆の待つ都大路を進みます。
尚、今年は”ユネスコ無形文化遺産”に登録されて初となる巡行となりました。
この旅行記では、巡行順の10から17までを掲載。
10:伯牙山(はくがやま)
11:山伏山(やまぶしやま)
12:郭巨山(かっきょやま)
13:鶏鉾(にわとりぼこ)
14:白楽天山(はくらくてんやま)
15:綾傘鉾(あやかさぼこ)
16:蟷螂山(かまきりやま・とうろうやま)
17:月鉾(つきぼこ)
◎ 勇壮な32基の山鉾が、都大路を華麗に巡行! 「祇園祭・山鉾巡行 ①」
http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10480383/
◎ 駒形提灯が映える山鉾に、宵山気分は最高潮! 「祇園祭・宵山」
2010/07/16
http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10479971
おまけ↓↓↓
http://yaplog.jp/awamoko/archive/213
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10:伯牙山(はくがやま)
戦後に町会所が無くなったため、綾小路に面した旧家・杉本家の表の間の格子を外し、お飾り場にしている。
琴をまえに、斧をもった人形は、中国・晋時代の琴の名手・伯牙。怒りの目、紅潮した両頬は、友人の訃報を聞き、悲しみに打ち震えながら、まさに琴を打ち破らんとしている様を表す。
明治になり多くの山が名前を改めさせられているが、この山も「琴破(ことわり)山」から改称した記録がある。 -
10:伯牙山(はくがやま)
少し復習
山鉾の前後左右に飾られている刺繍や絵などの名称について。
前方正面 前懸(まえかけ)
左右側面 胴懸(どうかけ)
後方 見送り -
10:伯牙山(はくがやま)
前掛には上下詩文、中央に人物風景の有名な「慶寿裂(けいじゅぎれ)」をかけ、その下に竜文の錦を用い、さらに人物文の刺繍の水引によって飾っている。
胴掛は花卉尾長鳥文(かきおながどりぶん)の綴錦。
見送は「柳絲軒」在銘の三仙一桂人図綴錦。
※ 伯牙山の写真は何故か残っているものが少なかったです -
11:山伏山(やまぶしやま)
山に飾る御神体が山伏の姿をしているので、この名前がある。
前(さき)の祭りでは一番北の山。
役行者山と同様、当時民間信仰として人気のあった修験道・山伏から着想された。
正面の水引は、雲中の竜、青海波と麒麟を精緻な刺しゅうで描いた中国からもたらされた豪華なもの。見送りも中国・明時代のものとされる。 -
11:山伏山(やまぶしやま)
復習 ②役割について
一番前で旗を持っている人が、旗持ち。
その次に続く、棒のようなもの(この写真のケースでは竹)をぶら下げている2人組の人は、露払い。棒は竹製の時は「ばらん竹」、鉄棒の場合は「錫杖(しゃくじょう)」と呼びます。
その次に歩く正装した方は、それぞれの町の名士。
山鉾を曳くのは曳子(曳方)。
鉾の場合は、さらに音頭取、囃し方、屋根方などが、鉾に従います。 -
11:山伏山(やまぶしやま)
前懸 雲龍文の刺繍
胴懸 花卉胡蝶文(かきこちょうもん)の綴錦(つづれにしき)
見送 龍波涛文(りゅうはとうもん)の綴錦 -
11:山伏山(やまぶしやま)
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11:山伏山(やまぶしやま)
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11:山伏山(やまぶしやま)
各山鉾の前後左右に飾られている絢爛豪華な刺繍などは一見の価値あり。
それぞれ由緒あるものが使われていることが多く、中には重要文化財や博物館に展示されても不思議でないくらい貴重なものも。 -
12:郭巨山(かっきょやま)
山には屋根がないのが普通だが、この山は日覆障子を乗せている。金地彩色法相華文の板絵として他の山にない古い形式を残している。
名前の由来は、中国の史話にある貧しくて母と子を養えない郭巨が、思い余って子を山に捨てようしたとき、土の中から金の釜が現れ、母に孝養を尽くした話による。人形は、鍬を持つ郭巨と紅白の牡丹の花を持つ童子の2体。 -
12:郭巨山(かっきょやま)
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12:郭巨山(かっきょやま)
進行が停止しているのは、前方が詰まっているためです。 -
祇園祭・山鉾巡行
こんな感じに、前方で菊水鉾(きくすいぼこ)が方向転換(辻廻しと呼ぶ)をしているので、後続はしばらく待機しているわけです。
山は方向転換が容易にできますが、鉾はまっすぐしか進めないので、90度曲がるのはとても大変だ。
なのでこの辻廻しが、山鉾巡行の見どころの一つでもあるのです。 -
12:郭巨山(かっきょやま)
各山鉾の後ろには、写真のような小さな車が従っている場合が多いです。
何か意味があると思うのですが、名称・役割などサッパリ分かりません。 -
12:郭巨山(かっきょやま)
露払いの方が、ばらん竹を交差させていますが、これは全体停止もしくは、ここより前には進まないようにとの合図かと思われます。 -
祇園祭・山鉾巡行
沿道の人々
私たちがいた場所から30メートルくらい先で辻廻しが行われています。
本当は辻回しが良く見える交差点の角に行きたかったのですが、現地に来るのが遅かったために、もう人垣で近寄れないくらいでした。 -
祇園祭・山鉾巡行
沿道の人々
後方の山鉾も、一旦前進を止め休憩中です。 -
祇園祭・山鉾巡行
動きが止まっているうちに、記念撮影。 -
12:郭巨山(かっきょやま)
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12:郭巨山(かっきょやま)
山に飾る人形(御神躰)の郭巨と子供は寛政4年(1792)金勝亭九右衛門利恭作といわれています。 -
13:鶏鉾(にわとりぼこ)
中国古代の伝説「諫鼓(かんこ・れんこ)」、天の岩戸の永世の長鳴鳥の故事にちなむとも。
「諫鼓」は、暦を制定した伝説の聖天子・尭帝が、宮廷の外に太鼓をすえ、政治に不満があればたたかせ、木を立てて、訴えを書かした。世は治まり、太鼓は苔を生じて鶏が巣をつくったという。
鉾頭は、紅白を互い違いに巻いた三角枠で、中に銅の円板が挟まれる。3つの角には紺いろの苧束の房がつけられる。
中ほどには舟を担いだ人形が飾られる。 -
13:鶏鉾(にわとりぼこ)
鉾は重量が8〜12トンもあるので、曳子(曳方)も山とはけた違いに多く、30〜40人で引っ張ります。 -
13:鶏鉾(にわとりぼこ)
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13:鶏鉾(にわとりぼこ)
鉾の前に乗って扇子を振っているのが、音頭取です。
「よーい よ〜い、え〜んやらや〜」の掛け声にあわせて、曳子が綱を引っ張ります。
車の運転手のような重要な役割を担っています。
音頭取は4人いるはずなのですが、移動中は2人しか乗っていません。
もしかしたら辻廻しの時だけ4人になるのかも。 -
13:鶏鉾(にわとりぼこ)
◎ 音頭取 -
13:鶏鉾(にわとりぼこ)
◎ 稚児(ちご)像
かつては全ての鉾に10歳前後の生稚児が乗っていたが、今は巡行の先頭を行く長刀鉾のみが生稚児で、他は人形になりました。 -
13:鶏鉾(にわとりぼこ)
◎ 囃し方(はやしかた) -
13:鶏鉾(にわとりぼこ)
◎ 車方 -
13:鶏鉾(にわとりぼこ)
◎ 車方 -
13:鶏鉾(にわとりぼこ)
◎ 車方 -
13:鶏鉾(にわとりぼこ)
◎ 車方 -
13:鶏鉾(にわとりぼこ)
◎ 見送
見送は有名な毛綴(タペストリー)で、近年の調査によるとトロイの王子ヘラトルが妻子に別れをつげる図であるという。
15世紀頃ベルギーで製作、江戸時代の初期に輸入されたものと考えられ、鯉山(こいやま)の見送と共に重要文化財に指定されている。 -
13:鶏鉾(にわとりぼこ)
◎ 見送 -
13:鶏鉾(にわとりぼこ)
鉾の後ろに従う台車。
何やらいろいろなものが搭載されているようです。 -
14:白楽天山(はくらくてんやま)
2体の人形の唐冠を付けたほうが白楽天、帽子(もうす)をかむった僧形が道林禅師の像。長恨歌などの名詩で有名な中国・唐の詩人、白楽天が道林禅師に仏法の大意を問いかけているシーンを表している。
この山も過酷な運命をたどっている。天明、元治の大火で胴組や人形の胴を失い、そのたびに巡行中断と復元を繰り返している。 -
14:白楽天山(はくらくてんやま)
◎ 露払い
露払い役は2人。
この山では、錫杖を引きずって歩いています。 -
14:白楽天山(はくらくてんやま)
前懸は、トロイ城陥落のときイエーニヤスが父を救出する図の優 品であり、滋賀県大津市の大津祭の月宮殿山見送と相幅である。
胴懸はフランスより購入した17世紀製毛綴(タペストリー)。 -
14:白楽天山(はくらくてんやま)
唐の詩人白楽天が道林禅師(どうりんぜんじ)に仏法の大意を問うところ。
道林禅師は緞子(どんす)地の紫衣(しえ)を着け、藍色羅沙(あいいろらしゃ)の帽子(もうす)をかぶり手に数珠と払子(ほっす)を持ち松の枝の上に座し、白楽天は唐織白地狩衣(かりぎぬ)の衣裳に唐冠をかぶり笏(しゃく)を持って立っている。 -
14:白楽天山(はくらくてんやま)
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15:綾傘鉾(あやかさぼこ)
徒歩の傘鉾として応仁の乱以前より伝わる古い鉾だが、元治元年に焼けて以来、明治10年代に一時復活したもののふたたび中断。ようやく昭和54年、巡行を再開した。
形の上でも変転を繰り返す。江戸期、どうした理由からか、徒歩から引き鉾に変化、御所車風の屋根に風流傘が乗る古図が残る。
明治の復活では再び徒歩に。
鬼形の踊り手を中心に、棒振り、鉦、太鼓のはやしかたが行列する。 -
15:綾傘鉾(あやかさぼこ)
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15:綾傘鉾(あやかさぼこ)
◎ 棒振り囃子
赤熊(しゃくま)をかぶり、棒をもった者が、鉦・太鼓・笛に合わせて踊るもので、壬 生(みぶ)村の人々により奉仕されていた。
★ トップ写真 ★ -
15:綾傘鉾(あやかさぼこ)
音楽と舞踊、そして棒振の芸が付随しているところに大きな特徴がある。
それは今宮神社の「やすらい花」と同じく疫病鎮圧の呪法に基づくものとして成立し、平安朝以来の風流踊の伝統を正しく今につたえるものとされている。 -
15:綾傘鉾(あやかさぼこ)
私たちがいた場所より、かなり手前での演舞だったので、望遠レンズで撮りました。 -
15:綾傘鉾(あやかさぼこ)
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15:綾傘鉾(あやかさぼこ)
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15:綾傘鉾(あやかさぼこ)
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15:綾傘鉾(あやかさぼこ)
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15:綾傘鉾(あやかさぼこ)
◎ 6人の稚児
綾傘鉾の稚児は、祇園祭に参加している多くの鉾の稚児が人形となった中で、長刀鉾と同様に生身の人間が稚児となる数少ない鉾であり、これが大きな特徴となっています。
巡行時は6人の稚児に差し掛け傘がなされ、稚児の後方に棒振りやお囃子方、鉾という順番で進んでいきます。 -
祇園祭・山鉾巡行
綾傘鉾の巡行が止まっているのは、前方で鉾が辻廻しを行っているためです。
この時は、後ろに続く全ての山鉾が一旦前進を止め、待機することになっています。 -
15:綾傘鉾(あやかさぼこ)
太鼓打ちは2人がペア。 -
15:綾傘鉾(あやかさぼこ)
赤熊と笛方 -
15:綾傘鉾(あやかさぼこ)
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15:綾傘鉾(あやかさぼこ)
歩きながら棒振りをしていました。 -
15:綾傘鉾(あやかさぼこ)
鉾頭に飾られているのは、金の鶏と金幣。 -
15:綾傘鉾(あやかさぼこ)
傘につける垂り(さがり)は、人間国宝の染織家森口華弘の友禅「四季の花」と、平成4年(1992)に町在有志の寄贈になる綴錦「飛天の図」。 -
16:蟷螂山(かまきりやま・とうろうやま)
文字どおりカマキリが屋根の上に乗り、子供たちも喜びそうな楽しい趣向だ。
「蟷螂の斧」とは、自分の力のほどをわきまえず、大敵に立ち向かうことだが、その勇猛さを賞した中国の君子の故事が出典。
古くから人気があり、洛中洛外図屏風をはじめ祇園祭を描いた諸種の絵画には必ずこの山がみられる。
町内の事情で、明治初め以降巡行をやめたが復帰した。 -
16:蟷螂山(かまきりやま・とうろうやま)
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16:蟷螂山(かまきりやま・とうろうやま)
◎ 露払い -
16:蟷螂山(かまきりやま・とうろうやま)
御所車や一部保存されている装飾布帛類の刺繍は、金糸の平戸といわれ絢爛豪華(けんらんごうか)である。
西洋機械文明輸入に先だつ我国古来の智巧の妙をみるべきであろう。
前懸、胴懸、見送りには共に羽田登喜男作の友禅の瑞苑浮遊図などがある。 -
16:蟷螂山(かまきりやま・とうろうやま)
屋根の上に置かれた大蟷螂。
これ、からくりが施されていて、いろんな部位が動くんですよ。
驚いたのは羽もバッサバッサと広がるところ。
広がった時、急だったので写真に撮る余裕が無かったのが残念。 -
16:蟷螂山(かまきりやま・とうろうやま)
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16:蟷螂山(かまきりやま・とうろうやま)
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16:蟷螂山(かまきりやま・とうろうやま)
車の上に御所車が乗っています。 -
16:蟷螂山(かまきりやま・とうろうやま)
瑞苑飛翔之図、羽田登喜男氏作 -
17:月鉾(つきぼこ)
『古事記』によれば、伊弉諾尊が黄泉の国から戻り、禊祓いをされたとき、左眼を洗って天照大神、右眼を洗って月読尊、このあと、鼻を洗って素戔鳴尊を生んだ。月読尊は夜を支配した神だが、水徳の神でもあり、月鉾はこの故事に由来する。
鉾頭に、横40センチ、上下24センチの金色の三日月。真木の中ほどに天王様を飾った天王台の下には籠製の船が真木を貫いてとり付けられる。
元治元年の大火にもわずかに真木を失っただけだった。 -
17:月鉾(つきぼこ)
曳子(曳方) -
17:月鉾(つきぼこ)
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17:月鉾(つきぼこ)
鉾頭に新月型(みかづき)。
屋根裏の草花図・前懸のメダリオン絨毯・錺金具など装飾品の絢爛豪華さから動く美術館の筆頭とも言われており、32の山鉾の中で最重量を誇る。
11.88トン(巡行時。人、懸想品含む)
9.05トン(山鉾装飾のみの重量) -
17:月鉾(つきぼこ)
前懸・見送は華麗なペルシャ緞通(だんつう:手織りのカーペット)。 -
17:月鉾(つきぼこ)
曳子・車方・音頭取など、それぞれが整然と仕事をこなしている。
その無駄のない動きは、見ていて気持ちが良いし美しいです。 -
17:月鉾(つきぼこ)
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17:月鉾(つきぼこ)
◎ 屋根方
鉾の屋根には4人の屋根方が乗っています。
彼らは鉾の前方に電線などの障害物が無いかを監視する役割があります。 -
17:月鉾(つきぼこ)
◎ 囃子方(はやしかた)
交代要員も含め40名もの囃子方が乗っています。 -
17:月鉾(つきぼこ)
胴掛はコーカサス緞通などが使われています。 -
17:月鉾(つきぼこ)
スコップのような木製の道具を持った人は、車方と呼ばれており、時々車輪の下に挟み、鉾の進行を微調整していました。 -
17:月鉾(つきぼこ)
榊 -
17:月鉾(つきぼこ)
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17:月鉾(つきぼこ)
鉾の後ろに従う小型の車。
◎ 第2部終わり
「祇園祭・山鉾巡行 ③」
http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10481132/
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この旅行記へのコメント (4)
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- 宗谷丘陵さん 2010/07/22 22:56:01
- 写真最高!!
- 16蟷螂山の露払と17月鉾のおじさんの写真最高です。
臨場感がストレートに伝わってきます。
あー京都、行きたいっ!!
- みにくまさん からの返信 2010/07/23 12:59:34
- RE: 写真最高!!
宗谷丘陵さん、こんにちは〜。
そうなんですよー。
私も臨場感のある祭の写真が撮りたくて、いろいろ工夫していました。
選んでいただいた写真は、私もお気に入りのものです。
祭の男!って感じで、躍動感があっていいですよね。
では〜(^O^)/
-
- ちぐささん 2010/07/21 20:56:23
- 祇園祭
こんばんは32基の山鉾どれもよく撮れていますね。お祭り行ったみたい
に感じました。何年か前にいきましたがなにげなく見ているからあまり思い
出しません写真撮ると残るからいいですね。
9日京都に行ったんですが少し時間できたので観光しようと思いましたが
雨が降り出してしまい京都駅にタクシーで戻ってしまいました。
京野菜のお店にはいりランチしました。いい感じのお店で美味しかったので
カメラ忘れ携帯電話で色々撮りましたがブログに載せるような写真とれませ
んでした。名古屋から30分でいけるのでまた機会みて行きたくなりました
又訪問します
- みにくまさん からの返信 2010/07/21 23:56:38
- RE: 祇園祭
ちぐささん、こんばんは〜。
初めての祇園祭・山鉾巡行だったので、32基の山鉾を全て見ておきたいと思って、たくさん写真を撮ったら、凄い数になってしまいました。
写真を撮っていると、記録には残っても記憶には残らない、と言われますが、目で見た光景も、けっこうポロポロと記憶の棚から落っこちてしまうので、同じことですよね・・・。それなら記録に残っていた方がましかなと思い、写真を一生懸命撮っています。
京野菜のお店ですが、どこだろう。
料理の写真は、「美味しかったから撮影する」というのは、ほとんど不可能ですね。美味しいかどうかは食べてみないとほぼ分からず、食べた後では写真に残すことができないという・・・。
なので私は美味しいか美味しくないか分からない、「食べる前」に写真を必ず撮っておくのです。
携帯のカメラも性能上がりましたが、それでも近距離とか弱いので、料理写真は難しいかもしれないです。
京都は何故だかわからないのですが、また行きたくなる街ですよね。
私もしょっちゅう行ってるのですが、飽きるということがありません。
まだまだ通い続けると思います。
では〜(^O^)/
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