2010/07/17 - 2010/07/17
1482位(同エリア4374件中)
みにくまさん
祇園祭に行ってきました。
祇園祭は日本3大祭の一つで、八坂神社をはじめ氏子区域一帯で、7月1日の「吉符入」から31日の「疫神社夏越祭」までの1ヶ月間、様々な神事や行事が執り行われます。
そのハイライトである「山鉾巡行(17日)」は、絢爛豪華な懸装品をまとった「動く美術館」と称される32基の山鉾が、祇園囃子を奏でながら、大勢の観衆の待つ都大路を進みます。
尚、今年は”ユネスコ無形文化遺産”に登録されて初となる巡行となりました。
この旅行記が最後、巡行順の24からラストまでを掲載。
24:北観音山(きたかんのんやま)
25:橋弁慶山(はしべんけいやま)
26:役行者山(えんのぎょうじゃやま)
27:八幡山(はちまんやま)
28:黒主山(くろぬしやま)
29:鈴鹿山(すずかやま)
30:浄妙山(じょうみょうやま)
31:鯉山(こいやま)
32:南観音山(みなみかんのんやま)
◎ 勇壮な32基の山鉾が、都大路を華麗に巡行! 「祇園祭・山鉾巡行 ③」
http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10481132/
◎ 勇壮な32基の山鉾が、都大路を華麗に巡行! 「祇園祭・山鉾巡行 ②」
http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10480851/
◎ 勇壮な32基の山鉾が、都大路を華麗に巡行! 「祇園祭・山鉾巡行 ①」
http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10480383/
◎ 駒形提灯が映える山鉾に、宵山気分は最高潮! 「祇園祭・宵山」
2010/07/16
http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10479971
おまけ↓↓↓
http://yaplog.jp/awamoko/archive/213
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後祭(あとのまつり)巡行列
1966(昭和41)年に現在の巡行形態となりましたが、以前は7月17日に「前祭」、7月24日が「後祭」として、別々に山鉾巡行が行われていました。
前祭には長刀鉾から船鉾までの23基が、後祭には北観音山から南観音山までの9基が巡行していました。
現在は合同で巡行しており、前祭(先祭)の殿(しんがり)「船鉾」に続き、後祭の先頭「北観音山」が巡行しています。 -
24:北観音山(きたかんのんやま)
応仁の乱の時代から隣町の南観音山と、1年おきの交代で山を出していたといわれる。隔年にでるというのは例がなく、この両山だけ。
もとはかき山だったが、後に曳き山になった。
楊柳観音像と韋駄天立像を安置する。
鉾ではないので真木の代わりに真松を立てる。松は、毎年鳴滝から届けられ、籤で所有を決めている。史料には「左三の枝に尾長鳥あり」とあるが、いまは鳩が留まる。北観音山に、尾長鳥が留まっている。 -
24:北観音山(きたかんのんやま)
復習 ①山鉾の前後左右に飾られている刺繍や絵などの名称について
前方正面 前懸(まえかけ)
左右側面 胴懸(どうかけ)
後方 見送り
復習 ②役割について
一番前で旗を持っている人が、旗持ち。
その次に続く、棒のようなものをぶら下げている2人組の人は、露払い。棒は竹製の時は「ばらん竹」、鉄棒の場合は「錫杖(しゃくじょう)」と呼びます。
その次に歩く正装した方は、それぞれの町の名士。
山鉾を曳くのは曳子(曳方)。
鉾の場合は、さらに車方、音頭取、囃し方、屋根方などが従います。
山鉾は後方に小型の荷車を従えていますが、この車の呼び名や何を搭載しているかなど、不明です。 -
24:北観音山(きたかんのんやま)
↑の写真の2人組は露払い。
実は外人さんです。
妙にさまになっているので、トップ写真にしちゃいました。
こちらの写真に写っているのが曳子(曳方)。
山の前方高い所に立っているのが音頭取です。
山の周囲で青い服を着ている人は車方です。 -
24:北観音山(きたかんのんやま)
この山には外人さんが数名いらっしゃいました。
ちょうど私たちの前で山が停止していたので、記念撮影をしたり、ポーズを取ってくれたりしました。 -
24:北観音山(きたかんのんやま)
この時はけっこう長い時間ここで山が停止していたので、その隙に記念撮影を。 -
24:北観音山(きたかんのんやま)
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24:北観音山(きたかんのんやま)
北観音山の向う側にも続々と山が到着しており、ある程度の距離を置いて停止しています。 -
24:北観音山(きたかんのんやま)
沿道の警備をする警察官の方。
警察の方が時々観衆の前に来て、「もう少し後ろに下がって」と言わないと、どんどん観衆の列が道路の方にはみ出てしまうのです。 -
24:北観音山(きたかんのんやま)
山と言っても大きさは鉾に匹敵。
巡行時の重量は9.27トンにもなります。 -
24:北観音山(きたかんのんやま)
◎ 音頭取
山の前に乗って扇子を振っているのが、音頭取です。
「よーい よ〜い、え〜んやらや〜」の掛け声にあわせて、曳子が綱を引っ張ります。
車の運転手のような重要な役割を担っています。 -
24:北観音山(きたかんのんやま)
鉾の場合はここに稚児(人形)が乗っているのですが、山なので乗っていません。
ここには、楊柳観音像と韋駄天像が祀ってあります。 -
24:北観音山(きたかんのんやま)
◎ 囃し方
鉾の上層に乗っているのは囃し方。鉾によって違いますが、待機要員を合わせ40人くらいが担当しています。 -
24:北観音山(きたかんのんやま)
◎ 屋根方
鉾の屋根には4人の屋根方が乗っています。
彼らは鉾の前方に電線などの障害物が無いかを監視する役割があります。 -
24:北観音山(きたかんのんやま)
見送 雙鳳群児文(そうほうぐんこもん)の綴錦(つづれにしき)。 -
24:北観音山(きたかんのんやま)
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25:橋弁慶山(はしべんけいやま)
山の御神体がなにを表すかは一目瞭然。五条の橋の上、牛若丸が軽々とぎぼしの上に飛び上がり、弁慶がなぎなたを構えるシーン。足駄の前歯だけで人形の体を支えるこの躍動感は、とても500年も前の造形とは思えない素晴らしさだ。
舁山(かきやま)としてただ1つ、くじ取らずであったことや、山籠、真松もない形式からも、山の中では屈指の古いものであることが分かる。 -
25:橋弁慶山(はしべんけいやま)
弁慶は永禄6年(1563)平安大仏師康運(こううん)の銘、牛若丸は天文6年(1537)同じく 仏師康運の銘を持ち、足駄金具は美濃国住人右近信国の銘がある。 -
25:橋弁慶山(はしべんけいやま)
弁慶 -
25:橋弁慶山(はしべんけいやま)
牛若丸 -
25:橋弁慶山(はしべんけいやま)
牛若丸の足元。
周辺の装飾も見事。 -
25:橋弁慶山(はしべんけいやま)
曳子(曳方) -
25:橋弁慶山(はしべんけいやま)
胴掛 綴錦賀茂葵祭図(つづれにしきかもあおいまつりず)。
円山応挙(1733〜95)の下絵。 -
26:役行者山(えんのぎょうじゃやま)
鈴鹿山と共に山鉾町最北の山。
役行者(えんのぎょうじゃ)は自ら修行するだけでなく、庶民の中に入って医療などにつとめた僧。古くから民衆に人気があった。
人形(御神体)3体はその役行者をまん中に、鬼の顔の一言主神、葛城女神。
三者の関係はさだかではないが、者が大峰山と葛城山のあいだに橋を架けようとして、鬼を使ったとの伝説によるらしい。
人形が多いだけに山のサイズも最大級。 -
26:役行者山(えんのぎょうじゃやま)
前方の山鉾が止まっており、一旦停止しているところ。
町衆・曳子・車方の方も、少し休憩です。 -
26:役行者山(えんのぎょうじゃやま)
◎ 露払い(つゆはらい)
貴い人や行列の先に立って道を開くこと。また、その役を務める人。
転じて、人に先立って物事の先鞭をつけること。また、そうする人。 -
祇園祭・山鉾巡行
この時、進行方向約30mくらい先では、舟鉾の辻廻しが行われていました。
鉾の辻廻しはかなり時間がかかるので、方向転換する間、後続の山鉾はしばらく待機することになります。
◎ 辻廻し
山鉾巡行の中で、見所は何といっても辻廻し。
重さ十トンを越える鉾の向きを90度変えるのだから迫力があります。
ハンドルが付いている訳ではないので、無理矢理の方向転換になります。位置を見定め竹を敷き詰め、鉾を竹の上に停めます。
次に曳き綱を車輪に渡し、水を打ち、音頭取りのかけ声と共に一気に引きまわします。周囲には車輪と竹がきしむ音が響きます。
上手くまわれば拍手が湧き起こります。
辻廻しが行われる場所は2か所、四条河原町の交差点と、河原町御池の交差点です。
写真の場所は、河原町御池の交差点で、私が居たのは交差点から30mくらい手前のところです。 -
26:役行者山(えんのぎょうじゃやま)
水引は綴織の名手とうたわれた西山勘七作の唐子遊図。
前掛は牡丹胡蝶図(ぼたんこちょうず)と雲龍文との三枚継ぎの綴錦。 -
26:役行者山(えんのぎょうじゃやま)
山の御神躰(人形)として役行者(えんのぎょうじゃ)と一言主神(ひとことぬしのかみ)と葛城神(かつらぎのかみ)の三体を安置している。この組合せは役行者が一言主神を使って葛城と大峯の間に橋をかけたという伝承を想起させる。
正面の洞(ほこら)に役行者が角帽子(もうす)、掛絡(から)、経巻(きょう かん)、錫杖(しゃくじょう)を持って座し、葛城神は女体で手に宝輪をのせた輪台を持ち、一言主神は鬼形で赤熊(しゃぐま)をかぶり手に斧を持っている。 -
26:役行者山(えんのぎょうじゃやま)
胴懸 雲龍波涛文(はとうもん)の綴錦。 -
26:役行者山(えんのぎょうじゃやま)
見送 袋中上人(1552〜1639)請来と伝える朝鮮軍旗竜文のものを2枚合わせ、縁を赤地古金襴(安楽庵裂(あんらくあんぎれ)で縁どったもの。 -
27:八幡山(はちまんやま)
八坂さんの祭りに石清水八幡を祀るのは不思議だが、当時それだけ八幡さんが信仰されていたあかしだろう。
社殿は江戸時代後期天明年間(1781〜88)の作と伝えられる総金箔押しの華麗なもの。前面の鳥居の笠木の上に、向かい合って八幡さんのシンボルの鳩が2羽、止まっているのが愛らしい。 -
27:八幡山(はちまんやま)
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27:八幡山(はちまんやま)
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27:八幡山(はちまんやま)
前掛は上下詩文と人物風景文の慶寿裂。 -
27:八幡山(はちまんやま)
胴掛は雲龍文の綴錦の継ぎ合せ。 -
28:黒主山(くろぬしやま)
油天神山が梅なら、こちらは桜を松と共に飾り、華やいだ雰囲気をかもす。
謡曲「志賀」のなかで、六歌仙の1人、大友黒主が志賀の桜を眺めるさまをテーマにしている。
杖をつき、白髪の髷(まげ)の翁の人形は、いかにも品格がある。
失火で町家(ちょういえ)を失ったのを機に5階建てビルにし、祭りのときだけ町会所にするのは時代をさきどりしたと話題になった。
山を飾る桜の造花は、家に悪事を入れないお守になる。 -
28:黒主山(くろぬしやま)
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28:黒主山(くろぬしやま)
前掛 伝萬暦帝御服(でんばんれきていぎょふく)、1989復元。 -
28:黒主山(くろぬしやま)
人形を飾る町家の一階は特に折上げ格天井(ごうてんじょう)につくられ、この人形が御神躰として大切にされている様子がうかがえる。 -
28:黒主山(くろぬしやま)
胴掛は百華文の綴錦。 -
28:黒主山(くろぬしやま)
山鉾の後ろに従う台車。
この名称や何を搭載しているかなど、データが無くて分かりません。 -
29:鈴鹿山(すずかやま)
鈴鹿山は、旧東海道の難所・鈴鹿峠をいう。畿内と東国を結ぶ要衝として、歴史上のエピソードも多い。
商人を狙う盗賊が多かったことが、鬼が出る、に転化したようだ。
この山の神・鈴鹿明神(瀬織津姫命)の伝説も鬼退治のおはなし。大なぎなたを手に、立て烏帽子の女神の姿がりりしい。 -
29:鈴鹿山(すずかやま)
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29:鈴鹿山(すずかやま)
伊勢国鈴鹿山で道ゆく人々を苦しめた悪鬼を退治した鈴鹿権現(瀬織津姫命(せおりつひめのみこと))を、金の烏帽子(えぼし)をかぶり手に大長刀(なぎなた)を持つ女人の姿であらわしている。
後の山には退治された悪鬼の首をあらわす赤熊(しゃぐま)が置かれている。 -
29:鈴鹿山(すずかやま)
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29:鈴鹿山(すずかやま)
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30:浄妙山(じょうみょうやま)
橋弁慶山に似て、アクロバティックな人形の姿が人目を引く。
宇治橋の上、宇治川の合戦で、一来法師が三井寺の僧兵・浄妙の頭上を飛び越して先陣をとった故事にちなむ。
揺れる山の上で人形の上にさらに1体を乗せるのは強度の点で難しいが、1本の木で上下を繋ぐアイデアは素晴らしい。上下の人形を、上さま、下さまと呼ぶのもゆかしい。
浄妙のよろいは室町時代のもので、重要文化財。 -
30:浄妙山(じょうみょうやま)
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30:浄妙山(じょうみょうやま)
平家物語の宇治川の合戦から取材。
治承4年(1180)宇治川の合戦に三井寺の僧兵筒井浄妙(つついじょうみょう)が橋桁を渡り一番乗りをしようとすると、一来法師(いちきほうし)がその頭上を飛び越え「悪しゅう候、御免あれ」と前に進み出て先陣をとってしまったという。
御神体(人形)は一来法師が浄妙 の頭上を飛び越える一瞬をとらえ、木片の楔で一来法師の人形を支えている。
黒漆塗の橋桁にも数本の矢がささり戦さのすごさを示している。
かつては「悪しゅう候山」とも呼ばれていた。 -
30:浄妙山(じょうみょうやま)
胴掛には、ビロード織の琴棋書画(きんきしょが)を用いていたが、昭和60年からは、長谷川等伯筆の柳橋水車図 (りゅうきょうすいしゃず)綴錦にかえている。 -
30:浄妙山(じょうみょうやま)
見送はこの町に住んでいた本山善右衛門が苦心して織った、雲龍文の「かがり織」である。 -
30:浄妙山(じょうみょうやま)
山鉾の後には荷車が付き従うものが多かったのですが、こういう籠を持つタイプは初めてです。 -
31:鯉山(こいやま)
前掛けや見送りは16世紀のベルギー製のタペストリーで、重要文化財に指定されている。ギリシャの叙事詩に題材をとって人物や風景が描かれており、山鉾きっての貴重なものだ。
人物でなく、魚をテーマにするのは山のなかで唯一。竜門の滝をのぼる鯉は竜になるとの言い伝えで、木製の鯉が勢い良く水しぶきを上げる様は勇壮。 -
31:鯉山(こいやま)
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31:鯉山(こいやま)
曳子(曳方) -
31:鯉山(こいやま)
鯉山の周囲を飾る毛緞(タペストリー)は、B・Bのイニシアルに依って、16世紀にベルギー(当時はブラバン州)のブリュッセルで織られた壁掛であることが判明した。
もとは一枚の壁掛から「見送り」「胴掛」「前掛」「水引」が作られている。
また、この壁掛の図柄は、最近の調査に依り古代ギリシャの詩人ホーマー作で、トロイ戦史を綴った叙事詩「イリアッド」物語の中のプリアモス王と后がゼウスの神に鳥占いを乞うという重要な場面を描いたものであるといわれている。 -
31:鯉山(こいやま)
御神体の鯉は全長1メートル50に及ぶ木彫の見事なもので、名工左甚五郎作と伝えられている。 -
31:鯉山(こいやま)
見送り -
32:南観音山(みなみかんのんやま)
俗に「北観音山の観音様は男だが、南観音山は女性なので、南では宵山の夜更けに翌日の巡行の無事を祈って“あばれ観音"の行をされる」といういい伝えがあり、「あばれ観音」の別名がある。
楊柳観音像と善財童子像を安置する。
楊柳観音は、三十三観音の筆頭とされ、姿を変えて、手に柳を持ち薬師観音と同様に衆生の苦難を救う。この山の楊柳観音は頭から袈裟をつけ趺座(ふざ)する。 -
32:南観音山(みなみかんのんやま)
山鉾巡行の殿(しんがり)を勤めるのはくじ取らずで南観音山と決まっています。
江戸時代には、北観音山と交替で巡行していたようです。 -
32:南観音山(みなみかんのんやま)
北観音山と同じく、山と言っても鉾と同じくらい大きく、構造もほぼ同じです。
曳子も多く40人くらいいるのではないでしょうか。
重量は巡行時で9.54トン、装飾のみでも7.05トン。 -
32:南観音山(みなみかんのんやま)
音頭取り2名、屋根方4名に、車方、囃し方など、構成する人員も鉾とほぼ同じです。 -
32:南観音山(みなみかんのんやま)
車輪の前にストッパーのようなものをセットしていますが、車を止めたい時はこのような道具を使うようです。
この他、進行方向の微調整、進路の確認などをするのが、車方の仕事です。
辻廻の時が最も大変で難しく、本領発揮となるのでしょう。 -
32:南観音山(みなみかんのんやま)
鉾だと、車の前面に稚児(人形)が乗っていますが、山なので乗っていません。 -
32:南観音山(みなみかんのんやま)
車方が持ち運んでいるのは割竹で、辻廻しの時に必要になるものです。
車の真下に収納してある場合と、後ろの荷車が運んでいる場合があるようです。
この先30メートルほどの交差点で、辻廻しを行うのでその準備を行っています。 -
32:南観音山(みなみかんのんやま)
◎ 囃し方 -
32:南観音山(みなみかんのんやま)
◎ 音頭取 -
32:南観音山(みなみかんのんやま)
車の車輪の大きさは2メートルになるものも。 -
32:南観音山(みなみかんのんやま)
胴掛にはペルシャ花文の緞通が用いられている。
そのほか、孔雀草花文インド更紗や貞享元年(1684)在銘の花文インド更紗なども保存している。 -
32:南観音山(みなみかんのんやま)
山の後ろに従う荷車。
この荷車はかなり大きいみたいです。
屋台みたいなのが丸ごと動いている感じ。 -
32:南観音山(みなみかんのんやま)
見送は中国明時代の雲中青海波文(うんちゅうせいかいはもん)の綴錦である。 -
32:南観音山(みなみかんのんやま)
とても暑い日だったので、最初の頃は私の周囲にたくさんの人がいたのですが、最後まで頑張っていたのは、半分くらいに減ってしまいました。
途中で入れ替わった方もいると思うので、最初から最後まで見た人はけっこう少ないかも。
暑いのもキツかったですが、雨よりは全然マシ。
防水対策をほとんどしていない私は、雨が降ったら写真撮影も不可能になってしまいます。
今年は詳細に全32基を撮影しましたが、来年以降はもっとポイントを絞った写真を撮りたいと思います。
ちなみに来年の山鉾巡行は、3連休の真ん中の日曜日と、絶好の日取りになっています。 -
32:南観音山(みなみかんのんやま)
最後の辻廻しをしているところです。 -
祇園祭・山鉾巡行
最後に鴨川付近を歩いている時に撮った空を。
それにしても全4部構成で、写真枚数が322枚にもなってしまいました。
もともと1133枚の写真があったので、これでもだいぶ減らしたんですよ(^_^;)
◎ おしまい
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この旅行記へのコメント (2)
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- churros さん 2010/07/23 08:01:04
- !Hola! 先日はど〜も
- みにくまさん、おはようございます。
先日はど〜もありがとうございました、お陰さまでSDカードをPCに
入れる事が出来ました。
祇園さんに付いて勉強になりました、何気なく夏が来れば祇園さんが
始まって人ごみの中、汗をかきながら見終わった後「はも」を食べて
夏やね〜っと言うのが例年のこの時期の行事でした。
みにくまさんの旅行記は祇園さんを見に来る方の解説書?ガイド?
になりますよね〜、来年は7月に入ったらみにくまさんの旅行記を
開いてから京都に向かう事にします(それにしてもカマラの重みで
腕が疲れませんでした?)。
折角PCに入れた写真なんですが、恥ずかしくて旅行記に出来ません
でした、諸般の事情で祇園さんの旅行記はパスと言う事で・・・・
churros
- みにくまさん からの返信 2010/07/23 13:32:17
- RE: !Hola! 先日はど〜も
churros ひらたさん、こんにちは〜。
私のカメラは記録媒体がCF(コンパクトフラッシュ)というのに変わってしまったので、直接PCに落とすのは無理になってしまいました。
SDカードなら楽ちんなんですけどねー。
この日は本当に暑かったですねー。
私たちは現地に到着するのが少し遅れたので、道路の上で撮っていたのですが、汗がダラダラ落ちてきて大変でした。
でもこの暑さが京都の夏なんですよね。
腕は筋肉痛と日焼けで、大変なことになっていました(^_^;)
旅行記は、お気に入りの写真だけ厳選して作成すればいいのではないでしょうか。
私の場合、旅行ガイド?のようになってしまったので、写真枚数が多いだけでまとまりがなくていけないです。
来年は今年の10分の1くらいの枚数、30枚程度の写真を厳選して旅行記を作成したいと思っています。
では〜(^O^)/
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