2010/06/17 - 2010/06/18
190位(同エリア408件中)
極楽人さん
陽気で賑やかなイタリアの町にあって、マテーラはひときわ異彩を放っています。
色のないすさんだ廃墟、崖に張り付いた無数の洞窟住居群。
念願かなって、ようやくこの町を訪問することが出来ました。
凝灰岩の洞窟には先史時代から人が住みつき、
外敵の脅威や多様な異文化の影響を受けながらも幾時代にも亘って
『サッシ』と呼ばれる独特な洞窟住居群を形成してきました。
戦後の移住政策で無人となり、
生活感のない不思議な景観のまま放置されていましたが、
世界遺産への登録を契機にふたたび住民が集まってきています。
マテーラは今、『新しい観光拠点』として何度目かの再生へと動き始めたようです。
- 交通手段
- 鉄道
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2010年6月17日午前10時、アルベロベッロのホテル(オフィス)前にワゴン車が止まり、快活な青年が降りてきました。ホテルの『送迎サービス』。
これから彼の運転で、いよいよマテーラへと出発です。 -
マテーラまではおよそ1時間の道のり。
電車でバーリを経由して行った場合には、待ち時間を含めて優に4時間以上かかるでしょう。スケジュールが、ずいぶん楽になりました。
送迎サービスの料金は70ユーロ/台です。
以前、どなたかの旅行記で「タクシーで80ユーロだった」と記されたのを見て、まあ良心的な価格だと判断しました。もっとも、電車なら6ユーロ/人ですが。
タクシーに1時間乗れば、日本なら2万円は下りませんね。(深夜料金しか知りませんが・・・) -
沿道の風景は案外単調で、プレハブの工場らしきものが散在しています。
ときどき、こんなものが現れます。トゥルッリは納屋や倉庫として使われているようです。 -
40〜50分経過した頃、マテーラを示す標識が現れました。
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まもなく車は、マテーラ新市街へ。
多少くすんでいますが、これといった特徴のない街並みに気を緩めていましたが・・・ -
旧市街への角を曲がったとたん、
「おおおおおおぅ!!」
はじめて見た衝撃の強さは、クエンカ(スペイン)以来かもしれません。いや、あの時は"予期しない絶景"、今回は何度も写真で確認してきたのに、この"驚愕"です。
曲がりくねった坂道を下る車窓の右に左に、視界の範囲をはるかに超えた巨大な廃墟が移り過ぎます。圧巻でした。
車窓からの写真はガラスが反射してしまっています。 -
送迎車はここで終点。
予約しておいたホテルの前まで送ってもらいました。
でも、ホテルはどこだ?
ホテルは、中央の水色の看板を左に入ったところでした。 -
うまい具合に、すぐ隣がインフォメーション。
とりあえず、この町の地図をもらっておきます。
現在位置と、鉄道駅の場所も書き込んでおきました。 -
宿は、いくつかある洞窟ホテルのひとつ。
写真と価格で選んで、ネットで申し込みました。 -
部屋は一階(地階)、フロントの隣です。
丸天井の大きな寝室に、大型バスタブ付きのと洗面所がついています。冷蔵庫完備、冷房もしっかり効いていました。
鍵を持たずに外に出た妻は、しばしば窓から出入りしていました。 -
さあ、町歩き。
マテーラの全体は、トランプの"ダイヤ"に似た形をしています。ホテルの位置は右下の線の真ん中あたりです。
ホテル前には古びた『サン・ピエトロ・カヴェオソ教会』。
その右はもっと古い『マドンナ・デ・イドリス教会』、自然の岩山を削って造った原始的な"洞窟教会"です。
(洞窟教会はたくさんありますが、際立って特徴的。) -
二つの教会の間を抜けると、深い崖の淵に出ます。
『グラヴィーナ峡谷』と言うそうです。 -
岩山の洞窟教会に沿ってつけられた階段を登り、ぐるっとひと周りすると、ファザード前の小さな広場からマテーラ旧市街のパノラマが見られました。
くすんだ凝灰岩の洞窟住居は、折からの激しい日差しに焼かれてすべての色を失くしてしまったかのようです。 -
マテーラには二つのサッシ(洞窟住居群)があります。
今、見ているのは南側の『Sasso Caveoso』、町の北側にはもうひとつ『Sasso Barisano』があります。
「サッソ」は岸壁を意味する言葉、複数形が「サッシ」だそうです。
ついでですが、「パニーノ」(イタリア風サンドイッチ)
は単数、「パニーニ」が複数形だと知りました。 -
洞窟教会を降りて、右側の崖に沿って進みます。
ホテルは写真の外、左側にあります。 -
峡谷の反対側には、自然の洞窟が見られます。
旧石器時代から使われていた、最も古いサッシです。
現在に繋がる形を作ったのは、6世紀にイスラム勢力に追われたトルコ民族だと言われています。
その後、11世紀前後にほんの短い繁栄期を迎えて、現在の大掛かりなサッシになっていったようです。 -
谷の下の方から、カウベルのくぐもった音が聞こえてきます。
手すりに乗り出して覗いてみると、渓流沿いに牛が放牧されていました。 -
行く手の断崖に、砦のような建物が見えてきました。
『Madonna delle Virtue S.Nicola der Greci』(地図からそのまま引用)とういう教会らしく、"ダイヤ"の上端近くに位置する筈です。 -
町の北端はCIVITA地区と呼ばれ、ここからサッシの全貌がよく見えます。
中央は丘の上に建つドゥオーモの尖塔。どこからでも望めるので、迷子の心配はありません。
これは、前の写真の『Madonna delle Virtue S.Nicola der Greci』に登って撮ったものです。 -
左上方から中央下方面に歩いてきましたが、ここで道が二つに分かれます。
右上に向かう、サッシの中深く入ってゆく道を進みます。 -
この道は南北二つのサッシの中央を貫いて新市街まで達する、旧市街いちばんの大通りです。
ここから、『サッシ・ブリサーノ』です。
(と言いつつも、二つのサッシの「境界」は未だによく分かりません。) -
通りを上から見たところ。
いま、奥から手前のほうに進んでいます。 -
ドゥオーモの下に来ました。
後で登ることにして、今はこのまま道を進みます。 -
新市街への出口。
位置は"ダイヤ"の、左の角のあたりです。
新市街にはこうしたサッシへの出入り口が数箇所あります。 -
新市街の街並み。
商店街らしく、明るい雰囲気のお店やレストラン、官庁などが並んでいます。
鉄道駅は、正面ピンクの建物の右脇の道を600mほど進んだ先にあります。 -
とは言っても、新市街にも古い建物がいくつか見られます。
『サン・フランチェスコ教会』は13世紀の建造、18世紀にバロック様式へ改修された教会です。 -
内部のステンドグラス。
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これも古そうな、今は官庁の建物でしょうか。
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目抜き通りにもあるインフォメーション。
このすぐ横に、バリサーノ地区が一望できる展望台があります。 -
通り過ぎてしまいそうな小さなバルコニーですが、ドゥオーモを中心に広がるバリサーノ地区の全貌が一望できます。
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これが、そのパノラマ。
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"ダイヤ"型の町の左角から下の角へ、さらに右上へと道を辿って、ホテルの場所まで戻ってきました。
これで旧市街を、ほぼひと周りした事になります。 -
今度は、ホテル横の急な坂を登って、ドゥーモ広場まで近道を歩きます。
階段と坂道、トンネルもあります。 -
住居の脇をすり抜け、見晴らしのいい崖を通って・・・
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なんと、7分くらいでドゥオーモ広場に到着しました。
サッシには、住民しか知らないこんな近道が迷路のように走っています。 -
で、ドゥオーモ広場からの眺めです。
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サッシ・バリサーノの中心部。
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右下の方には、サッシ中央を通る旧市街のメインストリートが見えます。
今夜の夕食は、この通り沿いのレストランに決めています。 -
これがレストラン。
調べていった資料では、「ワインが豊富。料理の味は上品で、手頃な値段でバジリカータ州の郷土料理を食べることができます。」とあります。
マテーラはパンもおいしいところとだそうで、それも楽しみです。 -
洞窟住居を改造して造ったという内部。地元の赤ワイン、マテーラ・パン、パスタ(一皿)、肉料理(一皿)、デザートまで堪能して、全部で50ユーロ程度。
日本の居酒屋は高すぎます。 -
レストラン横の工芸品店。
サッシと同じ凝灰岩を加工して、精巧で巨大な模型が造られていました。
店のオーナーが、3年の月日をかけて作り上げたものだそうです。
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夜10時。外に出るとライトアップの時間になっていました。
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崖っぷちの要塞風教会を目安に、断崖沿いの道を右に進めばホテルのはずです。
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10分ほど歩くと、ホテル前の教会が見えてきました。
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広場にはワールドカップ観戦用のモニターが設営され、教会前のテントでは修道女たちが大きな手作りマテーラ・パンを配っていました。
妻が購入しようとしましたがそれは出来ず、他の人と同じ「小さなかけら」をいただいてきました。紙コップの赤ワインはその場で飲みました。
サッカー人気とチャリティー。教会は今も、人々の生活の拠りどころなのでしょう。 -
最後に振り向いて、もう一度、夜景。
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翌朝、ホテル前の洞窟教会に併設されている『洞窟住居』の展示を見に行きました。
受付で「何語?」と聞かれ、「Japanese」と答えると5分間ほど日本語のテープが流れます。
サッシは1954年まで人が住んでいましたが、不衛生と貧困の温床であるとして、住民は高台の新市街へ引越しを促されたそうです。
これはキッチン。生活用水の確保と排水の工夫が説明されました。 -
高いベッドの下は収納、農機具や家畜もひと部屋に同居していた様です。
短い時間ですが、当時の生活ぶりがよく分かりました。
これで大体、マテーラ見学は終了しました。 -
マテーラの鉄道駅は、新市街の外れにあります。
アップロ・ルカーネ鉄道(FAL)という私鉄の駅です。
(日曜日は運休、バスで代替しているようです。)
外からはそれと分かりにくい殺風景な建物で、ホームは地下にあります。
バーリまで、ひとり4ユーロ。
切符は地上階の窓口で買いました。 -
11:47発の、ずいぶん汚れた電車が入ってきました。
バーリまでは、約1時間半の道のりです。 -
軌道は単線、途中のアルタムーラ駅で3両増結して荒野のような平原をひた走ります。
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13時30分、予定より少し遅れてバーリ駅到着。
FAL線の駅は、FS(イタリア鉄道)バーリ中央駅前のロータリー脇にある、写真の黄色い建物です。 -
こちらがFSのバーリ中央駅。
売店でパニーニ(複数形)と水を買って、
14:12分発のESで、いったんローマのホテルへ戻ります。そこに大きな荷物を預けてあります。
出発直前にホームが変更になり、人々がざわつきながら移動しましたが、なんとか無事に乗り込めました。
(完)
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