
2009/11/14 - 2009/11/21
8478位(同エリア16719件中)
☆YU☆さん
JTBの添乗員付きお任せツアーですが
帰りがAF便深夜なのでパリでは2日間弱フリー★
しかしパリ到着日にはパリでサッカーの試合が。
アルジェリアの試合と
あのアンリの疑惑のハンドのフランスとアイルランドの試合が
あり車は大混雑。。。
ただ、オフシーズンでルーヴル、ヴェルサイユ宮殿ではゆっくり鑑賞できました。
6日目 いよいよルーヴル美術館内見学です。夜景、歴史についてはこちらにて☆http://4travel.jp/traveler/yukaringo0518/album/10455535/
☆日程☆
●一日目 成田AF0275→パリ パリAF7708→ニース ニース泊
●二日目 ニース市内観光 ニース→アルル ゴッホの跳ね橋、アルル観光 アルル泊
●三日目 アルル→アヴィニョン 途中ポンデュガール観光 アビニョン法王庁見学 アヴィニョン→リヨン フルビエールの丘観光 リヨン泊
●四日目 リヨン→ブールジュ サンテティエンヌ大聖堂観光 ブールジュ→ロワール ロワール古城観光 ロワール→トゥール トゥール泊
●五日目 トゥール→モンサンミッシェル 島内観光 モンサンミッシェル→パリ パリ泊
●六日目 パリ 市内観光、ルーブル美術館 午後自由行動(ノートルダム寺院、コンシュルジュリー、サントチャペル、オペラガルニエ、ギャラリーラファイエット、シャンゼリゼ通り→セーヌ河クルーズ パリ泊
●七日目 パリ 自由行動(ヴェルサイユ宮殿、エッフェル塔、ベルシヨンのジェラート→マレ地区→サンジェルマン デ プレ地区→ホテルへ 20:00ホテル→シャルルドゴール空港 AF0278→
●八日目 成田着
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 4.5
-
駐車場からこの逆さミラミッドを通り過ぎ荷物預かり場所へ向かいます。
室内は暑いので、とマフラー、コートなどはここに預けてしまいます。 -
イチオシ
逆さミラミッドにはダヴィンチコードの話に影響されてか近くで調べている人が多かったです。
ここでパンフレットをガイドさんにもらってさぁ見学へ。
パンフには美術館内には監視カメラが設置されてます、と・・・。
あれ??だったらシラスって監視カメラに写ってるんじゃないのか??^^;
閉館後はカメラ止まってるの?なんて揚げ足取るようなこと考えてしまった^^; -
まずはDenon(ドュノン)翼へ向かいます。
団体で回るので有名な作品を駆け足で回ります。
ガイドさんに岩窟の聖母見たい!!とリクエストしたら今日はすごい空いてるから時間あるから行けるよ、とのこと♪
なので今回は空いていたので通常よりも多く美術品見て回れました。 -
左 【抵抗する奴隷】1513−1516
右 【瀕死の奴隷】1513−1515
ミケランジェロ
ミケランジェロの作品がイタリア以外で所蔵されているは珍しいですね〜。
この二つの彫像は、フィレンツェのアカデミア美術館に所蔵されている他の彫像とともに、教皇ユリウス二世の墓を飾るために制作された一連の彫刻の一部なのだとか。元々巨大であった構想は、幾度か変更され、最後にはきわめて縮小された規模のものになったそう。 -
この作品を見てヴァチカンのラオコーン像を思い出しましたがミケランジェロのこういった肉体の筋肉の表現とかはラオコーン像の影響を受けてというのもあるのだそう。
この作品はまだ未完成だそうですが、なんか色っぽい・・・(笑)本当に瀕死なのかと(笑)
歴史的背景辿れば、ユリウス2世亡くなった後の芸術家への支援がなくなり自由がなくなったいう表現とか、教皇の権威に従う国家を表しているとか様々な解釈があるそうです。 -
う〜〜んやっぱり色っぽいですねぇ(笑)
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【フォンテーヌブローのニンフ】1542−1572
ベンヴェヌート チェッリーニ
このブロンズ像はフランソワ1世がフォンテーヌブロー宮の入り口「金色の扉」のため注文。王が亡くなり、作品は設置されずアンリ2世の愛妾のディアーヌ ド ポワティエの為に建てたアネット城の門の上に設置されたそう。
浮彫りはフォンテーヌブローの由来と成った伝説を表し、狩猟中にブリオという王室狩猟犬が泉を発見、これが「ブリオの泉」。泉はニンフによって擬人化。チェッリーニはこの構図に森を表す多数の動物を加え、ニンフはフランソワ1世のエンブレムの一つである鹿の首に手を回し、君主を迎える地であることのを表すのだそう。
アネット城では、ニンフは狩猟の女神で城主の詩的モデルであるディアナになったのだとか。 -
【7月28日民衆を導く自由の女神】1831
ウジェーヌ ドラクロワ
ドラクロワが同時代の出来事を題材にするのはめずらしいそう。
1830年に起こった七月革命によって、シャルル10世は王座から追放。
その際、共和制を再興しようとするパリ市民の試みはかなわず、ルイ フィリップが王座に着くことに。
民衆の頂に立ち、革命派を表わすフリジア帽をかぶり、銃を手にした共和国の擬人像は、三色旗を振りかざし、民衆に続くよう促している。右にいる子供はのちにヴィクトル ユゴーの『レ・ミゼラブル』の男の子のモデルに。
この絵はあまりにも有名ですね〜。私もこの絵は中学生のときから興味がありました。中学の頃からフランス好きだったなぁそういえば。 -
【サルダナバロスの死】1827−1828
ウジェーヌ ドラクロワ
これもドラクロワ
サルダナパロスは古代ギリシアにおける古代アッシリア帝国サルゴン朝の最後の王アッシュール・バニパルの異名だそう。
バイロンの詩集でのサルダナパロスは、高貴な姿で書かれてるが、ここでは全く逆で左上のいるのがサルダナパロス。臣下や近衛兵、奴隷らが財宝を破壊し、寵姫や寵馬などや動物を殺害する様子が描かれさらに右上にはサルダナパロスが火葬される処刑台があります。
批評家たちから激しく批判されたのは、遠近法を無視した表現や過度に鮮烈な色彩などのほか、オリエント的主題、狂乱的な官能性などの感情的意識が、当時理想美とされていた古代ギリシア・ローマの新古典主義の保守的で典型的な様式と対極に位置する表現を用いたためである。しかしこれらの要素こそロマン主義であり、今なおロマン主義絵画の最高峰として位置付けられているのだそう。 -
【メデュース号の筏】1819
テオドール ジェリコー
1816年のメデューズ号の遭難は、政治家の後押しで舞い戻ってきた無能な船長によって引き起こされ救命ボートのない149人の船員は、唯一の筏で12日間漂流し、生き残ったのはたった15人のみだそう。
筏は非常に不安定で一本の対角線は、筏を今にも飲み込みそうな大波、もう一本の対角線は、メデューズ号の船員を救助するアルギュス号のごくわずかなシルエット。
いろいろな心理状態が描かれていますね。 -
この日は本当に空いていました。
時間のない中でじっくり見れて幸せ。 -
ここの奥にはダヴィンチコードのロケになったトイレがあるそう。
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【聖母の死】1601−1605
カラヴァジョ
ローマのサンタ・マリア・デッラ・スカーラ・イン・トラヴェステヴェレ聖堂のために1601年に注文されたこの絵画は、1605-1606年になってようやく完成。でも聖堂にふさわしくないと修道士から拒否され、絵画はカルロ・サラチェーニによる同じ主題を描いた作品に取り替えられたのだそう。
マリアが赤い衣服を着ただけの姿で寝床に横たわっていて人間的ですね。唯一、細い光輪が人物の神聖なる特性を表している感じです。聖母の周りに集った使徒たちの顔はほとんどわかりません。左側の年老いた男はおそらく聖ペテロ、彼の横で跪いているのが聖ヨハネ?女性は、マグダラのマリアでしょうか。 -
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四季1573
ジュゼッペ アルチンボルド
≪春≫右下
春のお花を始めとする植物から構成され、マクシミリアン2世がザクセン選帝侯アウグストに進呈する為に依頼し制作された作品だそうです。連作である『四季』の四枚が全て揃う最も古いものでもあるが周囲の花飾りは17世紀に後補されたとか。
≪夏≫左下
南瓜、胡瓜などの夏野菜や、野苺、桜桃、葡萄、洋梨、白桃などの果物で、鮮やかなコントラストによって表現されてます。これも春と同じくマクシミリアン2世がザクセン選帝侯アウグストに進呈する為に依頼し制作された作品。
≪秋≫右上
茸や柿、葡萄などの果物・野菜や紅葉した木々の葉、木材などから構成される人物。ん〜おいしそなんて(笑)
≪冬≫左上
これまでの春夏秋とは違って、枯れ朽ちた一本の樹木を中心に構成された1573年制作の本作は、マクシミリアン2世がザクセン選帝侯アウグストに進呈する為に依頼し制作された。老人をイメージさせる古木の顔面の深い色は、冬の厳しさを連想させますね。 -
【著述家であり外交官えあるバルダッサーレカスティリオーネの肖像】 1514−1515
ラファエロ
題名長っ^^;
この絵画はおそらく、1514-1515年にローマで、ウルビーノ公爵がカスティリオーネを駐教皇庁代表使節に任命した際に制作されたと考えられているそうう。
なんとなく気品が漂ってきます〜。 -
堕天使を駆逐する聖ミカエル
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聖母子と幼き洗礼者聖ヨハネ1507−1508
ラファエロ
聖母と幼子イエスが幼い洗礼者聖ヨハネに伴われてゆったりした風景の中に描かれており、前景は聖母の人間性の象徴であるスミレやキリストの受難の象徴であるオダマキの花を含む克明に描写された花々が散りばめられている。当初は《農民の聖母》として王室コレクションの記録に記されていたこの絵画は、1720年頃に、芸術愛好家のピエール・ジャン・マリエットの『手引書』の中で《女庭師》という名が付けられ、その直後に複数の版画作品の銘の中で《美しき女庭師》と書かれるようになったのだそう。
ルイ14世以来フランス王室コレクションに収蔵されていることがわかっているが、コレクションに加わった際、それが具体的に誰のために描かれたのかは不明なのだとか。 -
これはずっと見たかった一枚!!うれしい!!
岩窟の聖母1483−1486
レオナルドダヴィンチ
岩窟の聖母のふたつのバージョンを比較することによって、ルーヴル版における図像表現に幾つかの曖昧さを認めることができるのだそう。大天使ガブリエルの指によって指し示され、イエスに祝福されている聖母マリアの傍らで、幼い聖ヨハネは、その持物が描かれていないにもかかわらず強調されて描かれており、そのため登場人物が誰であるのか、判然としないからである。神聖なる受胎から生まれた二人の子供の出会いが設定されている伝統的な砂漠は、ここでは洞窟と岩、水や植物から成る超自然的な背景に取って替わられているのだそう。
ダヴィンチコードの本でも2つの絵が比べられてましたね。 -
説明が載ってます。
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レオナルドダヴィンチ 1503−1506
モナリザ(フランチェスコ デル ジョコンドの妻、リザ ゲラルディーニの肖像)
フランソワ一世が1518年に取得し、当時の芸術家に称賛されたこの《モナ・リザ》が、一躍有名になったのは20世紀のことでしかありません。それはこの絵の素晴らしさもさることながら、とりわけ1911年に盗難に遭ったというその「波乱万丈の運命」によるところが大きい。
まぶしいばかりに美しい絵画技法を駆使し、上塗り(ほぼ透明に近い、非常に薄くのばした色の層)によって形をつくり上げ、色をぼかすこと(スフマート)によって巧みな明暗効果を生み出しているのだそう。褐色から青色に移り変わる空気遠近法を用い、空気の密度によって、大地と水を表わす抽象的な風景を描き出す。 -
モナリザ付近はさすがに混んでいました。
それでも最前列でゆっくり鑑賞できました。 -
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カナの婚礼
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オダリスク1814
ジャン オーギュスト ドミニクアングル
裸婦という古代のテーマをオリエントの世界に移し換えています。異国風の内装の中ハーレムの女性の官能的なイメージを描くアングルは、晩年に至るまで、トルコ風呂のように、オリエンタル風のテーマと、最もお気に入りの主題の一つである裸婦像を描き続けたとか -
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レカミエ夫人1800
ジャック ルイダヴィッド
パリのとある銀行家夫人であるジュリエット・レカミエは、当時最も知られた婦人の一人であった。ポンペイ様式の家具に囲まれて「古代風」の衣裳に身を包んだ夫人を、飾り気のない背景の中に描いたこの肖像画は、1800年において前衛的な作品であった。未完成の状態であることから(その原因は不明なのだが)、震えるようなタッチと背景の「ぼかし」に半透明色で「上塗り」が施される前の、ダヴィッドの技法を調べることができる。
作品解説
女性における理想的な気品
寝台の上に優雅に横たわったレカミエ夫人が、観者の方を振り向いている。腕と足が露になった古代風の白いドレスを身に纏っており、ソファー以外には足台と古代から想を得た大燭台しかない、がらんとした室内に描かれている。人物像全体はかなり遠くから捉えられており、彼女の顔は僅かな位置を占めているに過ぎない。すなわち、この作品は一人の人物を描写しているというよりはむしろ、女性における理想的な気品を描き出したものと言ってよいだろう。レカミエ夫人(1777−1849年)は当時23歳であったが、その美貌と彼女の主催するサロンゆえに既に最も賞賛されていた女性の一人であり、革命後の新しいエリート階級の社会的地位の向上を象徴する人物であった。公証人の娘であった彼女は、1793年に年上の銀行家レカミエ氏と結婚したが、氏は第一執政官ナポレオン・ボナパルトの財政を援助する主要な一人となる。建築家シャルル・ペルシエによって再建され、高級家具職人ジャコブによって家具が備え付けられたレカミエ家の邸宅では、女主人に夢中であったバンジャマン・コンスタンやシャトーブリアンといった数多くの作家たちが夫妻のもてなしを受けた。
ダヴィッドの気まぐれ
1800年にレカミエ夫人からダヴィッドに注文されたこの絵画は、よく分からない、そしておそらくは色々あった理由のために未完成の状態に留まっている。ダヴィッドが作品の出来に満足せずに手直しをしようとしたところ、仕上がりのあまりの遅さにレカミエ夫人はダヴィッドの弟子の一人に肖像画を依頼した。感情を害したダヴィッドは、モデルのレカミエ夫人に「女性は気まぐれなものだが、画家もそうである。私の気まぐれを満足させるためにも、貴女の肖像画は私が取っておきましょう」と言ったと伝えられている。作品は画家のアトリエで保管され、1826年にルーヴルに収蔵された後になって再発見されたのである。1864年、テオフィル・ゴーティエはこの女性像の「無名詩人の詩のような、いわく言いがたい魅惑」について言及している。
未完成の美学
きわめて革新的なこの作品は、本来は歴史画のために用いられ、肖像画にとっては奇異な横長の画布に描かれている。ダヴィッドは人物の周囲に空間を創り出し、女性の身体のアラベスク風の優雅な曲線を強調している。レカミエ夫人の古代風のポーズ、装飾品の排除や若い婦人の衣裳などが、新古典主義の理想美に呼応している。ジュリエット・レカミエの白いドレスがもたらす全体の明瞭な調和に、家具の暖かな色調が彩りを添えている。この作品ではモデルの頭部がほとんど完成されているだけで、ドレスの部分の滑らかな絵具には上塗りが施されていない状態である。同様に付属品、壁、床も震えるような薄塗りの状態のままであり、所々に白い下地が見えている。作品は未完成であるがゆえに、この肖像画を完成することによってダヴィッドが求めていたであろうものとはおよそ違った謎めいた詩的な様相を呈している。アンシャン・レジーム下で克明な肖像画を残した後、フランス革命以降のダヴィッドの作品には、この絵のように未完成の背景の上に描いた肖像画(《トリュデーヌ夫人》、ルーヴル美術館)がいくつか見受けられる。 -
ナポレオン1世の戴冠式と皇妃ジョセフィーヌの戴冠
1806−1807
ジャック ルイダヴィッド
ナポレオン一世は、パリのノートル=ダム大聖堂で1804年12月2日に挙行された自身の戴冠式を不滅のものとするため、ダヴィッドにその絵を描くよう依頼しましたが、ダヴィッドはこの巨大な作品を仕上げるのに3年を要しました。戴冠式を機に、大聖堂の内陣も、トロンプ=ルイユ(だまし絵)で描かれた木のつくりによって新古典主義様式に改装され、威風堂々たる場面において各々の人物がその役回りを演じる舞台となったのです。 -
サビニの女たち1799
ジャックルイダヴィッド
隣国のローマ人によってサビニの女たちが掠奪された後、サビニの男たちは女たちを奪回しようとした。ダヴィッドが描くことにしたのはこのエピソードである。サビニの女たちが戦う男達の間に割って入り、仲介しようとしている。中央では夫であるローマ王と自らの父であるサビニ王の間に入って争いを止めようとしているヘルシリアが描かれている。 -
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アフロディテ
アフロディーテ、通称「ミロのヴィーナス」
ミロのヴィーナスは1820年、キクラデス諸島の南西の島、メロス島(現代ギリシア語でミロ)で発見。ルイ18世に献呈し、後者は翌年ルーヴル美術館にそれを寄贈した。両腕は発見される事はなかったそう。 -
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駆け足で見学はこれにて終了
逆さピラミッドまで戻り、ギフトショップ&トイレ休憩の時間をとります。 -
ナポレオンホール
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逆さピラミッド ダヴィンチコードの話を考えるといろいろ想像しちゃいますね。
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半地下にてギフトショップでフラフラ。
お手洗い休憩&自由行動が30分くらいありました
半地下にはいくつかお店があったので
ラ メゾン ドュ ショコラにてカラメルエクレール購入♪
食べたかったので楽しみ〜☆
1つづつ買ったら今すぐ食べるの?
と聞かれこのままもらいました^^ -
ソファーに座っていただきま〜〜す♪
う〜んそこまで甘ったるくなくておいしい☆
もう一個くらい食べられそう(笑) -
さて、ルーヴル美術館見学終了です。
この後はリヴォリ通りの免税店に一度行かねばならず、そこで話を少々聞き解散に。
自由に商品見てくださいね〜と言った瞬間出口向かいました^^;
午後は楽しみにしていた自由行動!!
ノートルダムとサントシャペルにまず行きます☆ -
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