1995/06/03 - 1995/06/08
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北風さん
アンカラを出発した豪華トルコ・バスが、遂に目的地に到着した。
ニュージーランドから旅を始めて、既に2年半が経とうとしている現在、とうとうユーラシア大陸のアジア圏の突端にたどり着く事となった!
街の名は、「イスタンブール」またの名を「コンスタンチノープル」!
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス
-
<ANGKARA(アンカラ)>
トルコの新しい首都「アンカラ」
あまりにもヨーロッパに隣接しているイスタンブールから、軍事的にも攻め込まれにくい内陸部のアンカラへ首都が移転されたのはいい事なのだろう。
しかし、オーストラリアのキャンベラや、ブラジルのブラジリアと同じ様に、経済の中心までは移転してこなかった為にアンカラの市内はとても静かな都会となっていた。 -
どれぐらい静かかというと、街中に建つモニュメントの上にどでかい鷲が巣を作っているぐらい。
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交通量といい、人多さといい立派な都会なのだが、何だろうこの静寂感?
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旅日記
『1995年6月7日 飛んでイスタンブール』
アンカラを出発したボルボ・バスは軽快に西を目指す。
さすがにここまで来ると、クルド人ゲリラ対策の検問も路上の戦車も見当たらない。
うれしい!
非常にウキウキしている。
自然と口からでるハミングは、当然「飛んでイスタンブール」
ニュージーランドから旅を始めて、既に2年半が経とうとしている現在、とうとうユーラシア大陸のアジア圏の突端にたどり着く事となった!
「イスタンブール」またの名を「コンスタンチノープル」!
世界史のテストに何度出てきた名前だろう?
そして何度間違えただろう?
とにかく有名な名前だった!
俺にとってのアジア最後の街にもうすぐ手が届く! -
バスがイスタンブールに近づくに従い、人々が小ぎれいに、女性のスカートは短く、車がウジャウジャ増えてきた。
ん?あれは・・・
普通なら重要文化財に指定されてもおかしくないほどの建築物が、さりげなく道を塞ぐように高くそびえているのだが・・ -
どこから見ても重要文化財的な歴史あるローマ式石橋の間を縫うように、片道三車線の道路が敷かれ、モダンな車が猛スピードで走り抜けている。
こういう無頓着で贅沢な文化財の保存の仕方も、この歴史の宝庫と言われる街だからこそできるワザなのかも。 -
旅日記
『イスタンブール漂着!』
イスタンブール長距離バスターミナルは、ヨーロッパ系白人バックパッカーでごったがえしていた。
パリッとしたアウトドアウェア、ピカピカのブーツ、最新モデルのバックパック、彼らは全身で「アジア圏個人旅行にチャレンジしました!」とアピールしている。
(つまり、この烏合の衆に混じっても、まともに安宿エリアに行ける確立はゼロに近い事は経験上理解できた)
ガイドブック片手にあーでもない、こーでもないと議論している平均身長180cmの金髪の烏合の衆をかきわけ、地元の警備員のおじちゃんに問いかける。
「モルハバ、ベン ブルーモスク イットメク イスティヨルム(こんにちは、俺、ブルーモスクに行きたいんだけど・・」
そう、トルコ入国2週間経った今、俺は旅に必要なトルコ語を喋れるようになっていた。
いきなり目の前でどうどうとトルコ語を話す薄汚れた小さな東洋人バックパッカーを見て、
「お前、トルコ語を話せるのか?俺達は安宿を探しているんだが・・・」
と、身長190cm・体重90kgクラスのボディと不安でたまらないような子犬の瞳を備えた金髪のターミネーターが問いかけてきた。
そして、それから10分後、安宿があるブルーモスク地区へ向かう俺の背後には、10人以上もの白人バックパッカーの列が続いていた。
俺のイスタンブール・デビューは「ハメルンの笛吹き男」バージョンで幕を開けたらしい。 -
安宿に荷物を置いて、イスタンブール観光名所「ガラタ橋」を目指し街に出掛けると・・・
久しくお目にかかった事のない大都会だった。
いや、こんな形の大都会は初めてかも知れない。
モダンなショッピングセンターとビルの狭間に歴史的な建物がひっそりと同居している。
昔から続く路面電車のかしましいブレーキ音だけが狭苦しい路地に響いていた。 -
<ガラタ橋>
ヨーロッパとアジアの境界国と言われるイスタンブールの中で、まさにヨーロッパ側イスタンブールとアジア側イスタンブールを分ける「ガラタ橋」
つまり、この橋が文化圏の境界線。
そして今、俺はついに大勢の観光客と地元の人々と一緒にヨーロッパへ渡っている。
(サバ・サンドを食べる為に・・) -
ガイドブックには、ガラタ橋のたもと、観光船の発着所のそばに目指す食べ物屋は浮かんでいるとの事。
・・・浮かんでいる? -
サバ・サンド屋を探す途中、トルコ風あげパン(固いドーナツ)を売る親父とムール貝を売る小僧が、観光客の流れを読んで絶妙な場所で商売を始めた。
貝は食当りの時に地獄を見るのでなるべく見ないようにしていたのだが、空腹に負けてつい1つ食べてしまった!
・・・たかがムール貝にレモンをかけた物が何故これほどうまいんだ? -
旅日記
『サバ・サンド』
長期旅行者の間でのイスタンブール観光名所は、数あるモスクではなく「さばサンド」だった。
そして、その言葉の真偽を確かめるべく、わざわざ朝から飯も食わずにこのガラタ橋まで来たのだけど・・・
どこを見渡してもそれらしき屋台は見つからない。
しかし、この匂いは、魚を揚げるこの香ばしい香りは、確実にサバ・サンドに近づいている事を意味していると思う。
港に魚を目一杯積み込んだ船が入ってきた。
あの魚のトラ模様はサバ?
つまり、あの漁船の行き先に? -
漁船の向かう先には、フェリーの発着する大波をくらいながら大きく上下する小船があった。
なんと、香ばしい匂いはこの小船から流れていた。 -
派手派手のトルコ民族衣装に身を包んだ親父が、グラグラ煮立った油の中に、次々とサバを放り込んでいる。
船の揺れと共に、油がサバと共にしぶきを上げる!
少し間違えば大やけどじゃないのか?
何はともあれ、「サバ・サンド!」と指を一つ立ててオーダー!
親父が揚げたてのサバをフランスパンに挟んでライムをギュッと搾る。
無造作に新聞紙に包んだ物体が、俺に放り投げられた。
拍子抜けするぐらいにあっけない調理法だと思う。
しかし、なんでこんなに美味いんだ? -
旅日記
『フェイク・マネー』
俺は銀行にいた。
俺が差し出した紙幣の前で、銀行支店長が薄笑いを浮かべている。
周りの女子社員も忍び笑いを漏らしているようだ。
紙幣はフェイク・マネー(偽札)だった。
何故か他の店が受け取らない紙幣を銀行に持ってきたのは、どうやら俺が初めてではないらしい。
こいつらの対応はどう見ても「また馬鹿なツーリストがだまされやがった」という態度だ。
人の災難に笑って答えるイスタンブール気質に血圧は急上昇し始めるが、どうにか抑えて記憶をリピートさせてみる。
昨夜、俺は近くのロカンタ(食堂)で飯を食った。
支払いの時俺が差し出した1000000トルコリラ(2000円)が店の親父に拒否された時から今回の物語は始まったらしい。
小額の買い物に大きな紙幣で支払う事を嫌がられるのは、別に日本以外どこでもある事なのだが、この時俺は細かい紙幣を持ってなかった。
さてどうしたものかとあたりを見渡すと、1人の男が「俺が一緒に払ってやる」と、俺の金を受け取り残金を返してくれた。
・・・つまり、あの男だ!
めでたく俺の人生で初めて偽札をつかませてくれた男として記憶に刻まれる事になった。
1995年6月8日、1200円相当の金がトルコの闇に消えていった。
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