2009/09/22 - 2009/09/24
91位(同エリア41件中)
パンガンさん
マガジンで簡単なパンとジュースで昼食を買って食べた後は、続いて日本の遺跡を探す街歩きをしました。
まずは、1938年建造の「サハリン州立郷土博物館」を訪問。日本時代は「樺太庁博物館」と称して、樺太の自然や歴史などを展示する文化センター的な役割を果たしていたそうなのですが、現在もその使命は変わっていません。築70年以上経つ建物が現在もがっちりとした佇まいでそびえているのは素晴らしいことと思います。日本時代の様子を写した写真も多く展示されていましたが、「活気」という点では、現在のユジノサハリンスクよりもずっと栄えていたような感想を持ちました。
次は、樺太唯一の官幣神社だった「樺太神社」跡へ。道が舗装されておらず、泥で滑る場所もあって大変でしたが、何とかいちばん奥の神殿跡まで。秋の日差しの中で、風がそよぎ、ひっそりと時間だけが流れていました。印象深い場所でした。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 航空会社
- ウラジオストク航空
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コムニスチーチェスキー通りにある「サハリン州立郷土博物館」にやって来ました。日本時代の1938年(昭和13年)に建造された建物。かつては「樺太庁博物館」だったものです。日本の城郭を思わせる様式は、サハリンに住むロシア人からも愛されている建物だとか。
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建物の前に石造の動物が2匹置かれていますが、これは同じく日本時代にあった「樺太神社」の狛犬をここに移設したものです。樺太には良質の石材は無いため、日本本土から運んで造られたもの。
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前庭には噴水があります。これも日本時代を模して、最近復元されたのだとか。
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料金はやはり安く200円程度でしたが、今回は別料金(と言ってもやはり200円程度)を払って、写真撮影をさせてもらいました。更に別料金を払えばビデオ撮影も出来ます。
一階がサハリンの自然誌の展示、二階はサハリンが流刑の島だった頃からの歴史的な展示となっています。
これは一階の展示で、先住民族のニブヒ(ギリヤーク)の住居を再現したもの -
地図が掲示されていますが、北方領土はサハリン州の一部としてロシア領とされているのが残念
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動物誌の展示
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同じく動物誌
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ガオー
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先住民族ニブヒに関する展示
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二階に上がってきました。まず目に入るのは、かつての日本とソビエトの国境線の北緯五十度に配されていた「国境標石」。4つあったそうなのですが、そのいくつかが展示されています。本物とレプリカと色々とあるそうなのですが、これはどうなのでしょう。
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日本領時代の写真も豊富に展示されています
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日本時代には40万人もの日本人が樺太に住みました。
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国境標石。これは、半田沢(はんださ)に置かれていたもの。
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日本時代に使われていた品々も展示。ヤマハのオルガン。
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樺太神社の写真。現在は既に無い建物です。
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二階の展示室です。かなりにきれいに整備されてます
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同じく二階
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同じく二階です
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国境標石の裏側(ソビエト側)は、このようになっています。
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結構見学客で賑わっていました。日本人の姿もちらほら見られました。午後の暖かい日差しがまぶしい。
この威風堂々とした建築は、樺太庁の技師貝塚良雄によって設計されたものです。建設途上にかなり細かく厳しい貝塚の現地指導があったようで、そのせいで現在も少しの補修を施しただけで残存することができたのでしょう。
貝塚の軌跡はご興味のある方は下記リンクをどうぞ。
http://homepage2.nifty.com/itayan2/histj01.html -
博物館を出た後、再び街歩きへ。
日本の中古車(右ハンドルのまま走っているのですぐにわかる)が非常に多いのですが、驚きなのが輸送用トラックが塗装を変えないで走っていることです。知らない人が見たら、丸大食品がサハリンに進出したのかと思ってしまいそう。
日本の技術はロシアの人も高評価らしく、日本の塗装を消さないのは一つのステイタスとして残しているのだとか。塗り替えが面倒という理由も本当はありそうですが。 -
街角には、このようなマガジン(商店)が散在しています。これらが日本で言うところのコンビニの役割を果たしています。
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コムニスチーチェスキー通りの突き当たりに、戦勝記念碑があります。第二次世界大戦で命を落としたロシア人たちの霊を慰めるモニュメントです。
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戦勝記念碑
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同じく戦勝記念碑
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戦勝記念碑がある「ゴーリキー通り」です
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戦勝記念碑の少し南寄りに、旧樺太神社へ続く小道があります。ここが日本時代は参道でした。ちなみに、現在のコムニスチーチェスキー通りは、「神社大通り」と呼ばれ、今も昔もユジノサハリンスクのメインストリートになっています
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ユジノの街の奥側に位置しているこの坂道を今、登る人はほとんどいません。本当にぽつりぽつり地元の人たちの散歩コースになっているぐらい。両側は木々の林です。
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樺太神社の鳥居や神殿などは、ソビエトの侵攻後すぐに破壊されたと言います。「日本的なもの」の象徴として真っ先に攻撃の対象になったのは、致し方ないことだったとは思います。かすかに残る遺跡の一つが、この石段です。
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神殿跡の奥から湧き水小屋へと続く道
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湧き水小屋があります
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地元の人がボトル片手に水を汲みに来ていました。昼間の時間ではありますが、ひっそりとした場所なので本当は1人で訪れるのはちょっぴり危険かもしれません
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その湧き水小屋の裏手に、樺太神社の「宝物殿」が残っています。
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この平地が樺太神社本殿跡です。秋の昼下がりの軟らかな陽の光が注いでいます
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同じく本殿跡近く
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裏手の山にある宝物殿に登ってみました。結構、泥んこの滑る小道をやっとこさっとこ登りました。
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何故、この宝物殿のみが破壊されずに残されたか。一見、校倉造のこの建造物は木造に見えますが、実はかなり頑丈なコンクリート造りなのです。裏手にあるということと、壊すのが厄介と言う理由で残されたのではないでしょうか、多分。
外は、見るも無残な落書きだらけです。 -
内部もご覧の通り
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地元の子たちの悪戯の場所になっているのか、火遊びの臭いがしていました。
別に大事に保存しろとは申しません。が、日本人として、この有様はやはり胸が痛みます。 -
本殿跡の付近には、この洋館があります。一説によると、サウナとかホテルとか色々と言われていますが・・。この付近までは別の道から車で来ることができます。
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このような地すべりしそうな道を登ってきました
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また旧参道をゴーリキー通りへ降りていきます。
ここがかつて、樺太にやって来た日本人がまず参拝したという官幣樺太神社だったことを目に焼き付けました。殆ど遺蹟というものは何も残ってはいませんでしたが、日本人の魂みたいなものはずっと胸に感じました。
かつて樺太に住まわれた方が今訪れたら、どんな思いを持たれるでしょうか。 -
このユジノサハリンスクという街は、日本人が「豊原」として、札幌を模した東西南北に伸びる整然とした街路計画のもと作られました。若干当時と比して、道幅は広がったそうですが、区画そのものは変わっていないとのこと。
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雄大な青空と広い道。日本には無い風景も見られます
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昼下がりのコムニスチーチェスキー通り。
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ガガーリン公園(旧豊原公園)の一角にあるロシア正教会。青空の色とは違ったブルーの色彩が美しい
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このような看板が街のいくつかにあります
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コムソモーリスカヤ通りを歩きます
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メガホテルのガガーリンホテルです。駅などの市街地からはちょっと離れていますが、それでも徒歩15分ぐらいで到着します。
ユジノサハリンスクの街自体がそれほど大きくはなく、徒歩でも市内観光などは一日、車だったら半日もあれば十分という広さです。 -
「ゲルメス」という御土産物屋さんにやって来ました。サハリン自体がメジャーな観光地ではないので、正直観光客向けの施設や店舗などが発達しているとは言えないのですが、この店ではロシア名物?のマトリョーシカ人形、琥珀などのアクセサリーなどの土産物が所狭しと並んで売られていました。クレジットカードも使えます。日本から訪れた団体ツアー客などは、ここがコースに必ず入っているようです。
自分も、マトリョーシカ人形とキーホルダーなどを購入。全部で5000円ぐらいでしたでしょうか。店の人はロシア語しか通じませんが、ジェスチャーなどで何とかなります。
ここから徒歩で、宿泊先のユーラシアホテルに戻ります(続く)。
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