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初めての沖縄旅行。<br />今回の観光は、とりあえず那覇市内で定番の観光スポットを巡ろうと思い、玉陵にやってきました。<br />ここは首里城の近くにひっそりと建っているので見過ごしがちですが、せっかくなので一緒に見て回るのが良いと思います。<br /><br /><br />◎ 世界遺産 ~琉球王国のグスク及び関連遺産群~<br /><br /> 今帰仁城跡(なきじんじょうあと)<br /> 座喜味城跡(ざきみじょうあと)<br /> 勝連城跡(かつれんじょうあと)<br /> 中城城跡(なかぐすくじょうあと)<br /> 首里城跡(しゅりじょうあと)<br /> 園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)<br />⇒玉陵(たまうどぅん)<br /> 識名園(しきなえん)<br /> 斎場御嶽(せーふぁうたき)

【沖縄観光】 世界遺産 ~琉球王国のグスク及び関連遺産群~ 「玉陵(たまうどぅん)」

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2010/04/17 - 2010/04/17

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みにくま

みにくまさん

初めての沖縄旅行。
今回の観光は、とりあえず那覇市内で定番の観光スポットを巡ろうと思い、玉陵にやってきました。
ここは首里城の近くにひっそりと建っているので見過ごしがちですが、せっかくなので一緒に見て回るのが良いと思います。


◎ 世界遺産 ~琉球王国のグスク及び関連遺産群~

 今帰仁城跡(なきじんじょうあと)
 座喜味城跡(ざきみじょうあと)
 勝連城跡(かつれんじょうあと)
 中城城跡(なかぐすくじょうあと)
 首里城跡(しゅりじょうあと)
 園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
⇒玉陵(たまうどぅん)
 識名園(しきなえん)
 斎場御嶽(せーふぁうたき)

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  • 世界遺産 玉陵(たまうどぅん)<br />国指定史跡 重要文化財<br /><br />玉陵(たまうどぅん、玉御殿または霊御殿とも)は、琉球王国、第二尚氏王統の歴代国王が葬られている陵墓。<br /><br />所在地は沖縄県那覇市首里金城町。<br /><br />そもそもは第3代尚真王(在位1477年〜1526年)が父、尚円王を葬るために建築したものである。世界遺産のひとつで沖縄県最大の破風墓。なお「玉陵」と名付く墓所はほかに「伊是名玉陵」、「山川の玉陵」がある。

    世界遺産 玉陵(たまうどぅん)
    国指定史跡 重要文化財

    玉陵(たまうどぅん、玉御殿または霊御殿とも)は、琉球王国、第二尚氏王統の歴代国王が葬られている陵墓。

    所在地は沖縄県那覇市首里金城町。

    そもそもは第3代尚真王(在位1477年〜1526年)が父、尚円王を葬るために建築したものである。世界遺産のひとつで沖縄県最大の破風墓。なお「玉陵」と名付く墓所はほかに「伊是名玉陵」、「山川の玉陵」がある。

  • 玉陵(たまうどぅん)<br /><br />世界遺産の石碑と玉陵奉円館と名付けられた資料館。<br /><br />ここで拝観料を支払います。<br /><br />観覧時間 9:00〜18:00<br />観覧料金 300円<br />

    玉陵(たまうどぅん)

    世界遺産の石碑と玉陵奉円館と名付けられた資料館。

    ここで拝観料を支払います。

    観覧時間 9:00〜18:00
    観覧料金 300円

  • 玉陵奉円館<br /><br />◎ 被葬者一覧<br /><br />この名簿に載っている人がここに葬られています。<br /><br />◎ 被葬者としての資格<br /><br />玉陵内には被葬者としての資格を記した碑、いわゆる玉陵の碑文があり、それによると有資格者とは<br /><br />尚真王<br />おぎやか (尚円王の妃、尚真王の母)<br />聞得大君・音智殿茂金 (尚真王の妹)<br />佐司笠按司・真鍋樽 (尚真王の長女)<br />尚清王 (尚真王の第五王子)<br />尚韶威・今帰仁王子朝典 (尚真王の三男)<br />尚龍徳・越来王子朝福 (尚真王の四男)<br />尚享仁・金武王子 (尚真王の六男)<br />尚源道・豊見城王子 (尚真王の七男)<br /><br />上記9名とその子孫ということになっており、長男・次男の名が見当たらない。これは王室内の勢力の対立を物語っている。<br /><br />尚真王の死後、即位した尚清王は、すぐにこの碑文の内容に反し、廃嫡された兄:尚維衡・浦添王子朝満を玉陵に移葬している。また、各王子の子孫もここには葬られず、それぞれ各家で墓所をもっている。<br /><br />つまり例外を除き、基本的に被葬者は歴代王と王妃であると考えていいだろう。<br /><br /><br />※ ちなみに、この写真の上に貼られている謎の生物は、「たまちゃん」という名前である。<br />

    玉陵奉円館

    ◎ 被葬者一覧

    この名簿に載っている人がここに葬られています。

    ◎ 被葬者としての資格

    玉陵内には被葬者としての資格を記した碑、いわゆる玉陵の碑文があり、それによると有資格者とは

    尚真王
    おぎやか (尚円王の妃、尚真王の母)
    聞得大君・音智殿茂金 (尚真王の妹)
    佐司笠按司・真鍋樽 (尚真王の長女)
    尚清王 (尚真王の第五王子)
    尚韶威・今帰仁王子朝典 (尚真王の三男)
    尚龍徳・越来王子朝福 (尚真王の四男)
    尚享仁・金武王子 (尚真王の六男)
    尚源道・豊見城王子 (尚真王の七男)

    上記9名とその子孫ということになっており、長男・次男の名が見当たらない。これは王室内の勢力の対立を物語っている。

    尚真王の死後、即位した尚清王は、すぐにこの碑文の内容に反し、廃嫡された兄:尚維衡・浦添王子朝満を玉陵に移葬している。また、各王子の子孫もここには葬られず、それぞれ各家で墓所をもっている。

    つまり例外を除き、基本的に被葬者は歴代王と王妃であると考えていいだろう。


    ※ ちなみに、この写真の上に貼られている謎の生物は、「たまちゃん」という名前である。

  • 玉陵奉円館<br /><br />資料館の中に撮影禁止の張り紙は無し。<br />

    玉陵奉円館

    資料館の中に撮影禁止の張り紙は無し。

  • 玉陵奉円館<br /><br />◎ 厨子甕(ずしがめ)<br /><br />沖縄地方の陶製の蔵骨器で、那覇にあった壺屋の製品が有名だった。素朴な無釉有蓋壺もあるが、御殿(うどぅん)建築を模した重厚な大型施釉陶器のものが一番上等とされた。<br /><br />風葬がおこわれていた沖縄地方では、洗骨後の遺骨を蔵骨器に納め、亀甲墓(きっこうばか)とよばれる門中(むんちゅう)の墓室内に安置した。風葬がすたれた今も、洗骨の習慣は受け継がれている。

    玉陵奉円館

    ◎ 厨子甕(ずしがめ)

    沖縄地方の陶製の蔵骨器で、那覇にあった壺屋の製品が有名だった。素朴な無釉有蓋壺もあるが、御殿(うどぅん)建築を模した重厚な大型施釉陶器のものが一番上等とされた。

    風葬がおこわれていた沖縄地方では、洗骨後の遺骨を蔵骨器に納め、亀甲墓(きっこうばか)とよばれる門中(むんちゅう)の墓室内に安置した。風葬がすたれた今も、洗骨の習慣は受け継がれている。

  • 上焼コバルト掛け厨子甕 20世紀初頭<br /><br />コバルトなどの釉薬(うわぐすり)を用いて加飾・彩飾されている。<br /><br />

    上焼コバルト掛け厨子甕 20世紀初頭

    コバルトなどの釉薬(うわぐすり)を用いて加飾・彩飾されている。

  • マンガン掛け庇付き焼締め厨子甕 20世紀半ば<br /><br />全体にマンガン(灰白色で赤みを帯びた金属)のうわぐすりをかけて焼き締めた荒焼。<br />

    マンガン掛け庇付き焼締め厨子甕 20世紀半ば

    全体にマンガン(灰白色で赤みを帯びた金属)のうわぐすりをかけて焼き締めた荒焼。

  • 玉陵奉円館<br /><br />◎ 厨子甕(ずしがめ)

    玉陵奉円館

    ◎ 厨子甕(ずしがめ)

  • 玉陵(たまうどぅん)<br /><br />資料館はサラッと10分間ほどで見終わるので、玉陵へ向かいます。<br /><br />昼間なのにこんなに暗いのは、道の左右に植えてある木のせい。<br />

    玉陵(たまうどぅん)

    資料館はサラッと10分間ほどで見終わるので、玉陵へ向かいます。

    昼間なのにこんなに暗いのは、道の左右に植えてある木のせい。

  • ガジュマル<br />クワ科<br /><br />屋久島・種子島以南に自生する常緑高木。<br />幹から気根を垂らし、複雑に幹に絡みつくため、見た目が凄いことになっています。<br /><br />ガジュマルの名の由来は、こうした幹や気根の様子である「絡まる」姿が訛ったという説も。<br /><br />別名「絞め殺しの木」。<br />

    ガジュマル
    クワ科

    屋久島・種子島以南に自生する常緑高木。
    幹から気根を垂らし、複雑に幹に絡みつくため、見た目が凄いことになっています。

    ガジュマルの名の由来は、こうした幹や気根の様子である「絡まる」姿が訛ったという説も。

    別名「絞め殺しの木」。

  • 玉陵(たまうどぅん)<br /><br />玉陵は2重の石壁で守られている。<br />写真は外側の石壁。<br />

    玉陵(たまうどぅん)

    玉陵は2重の石壁で守られている。
    写真は外側の石壁。

  • 玉陵(たまうどぅん)<br /><br />外側の石壁と内側の石壁に挟まれたこの場所は、外庭。<br /><br />ここには特に何も無いようです。<br />

    玉陵(たまうどぅん)

    外側の石壁と内側の石壁に挟まれたこの場所は、外庭。

    ここには特に何も無いようです。

  • 玉陵(たまうどぅん)<br /><br />内側の石壁。<br />この門をくぐると玉陵の全体が見えてきます。<br />

    玉陵(たまうどぅん)

    内側の石壁。
    この門をくぐると玉陵の全体が見えてきます。

  • 玉陵(たまうどぅん)<br /><br />玉陵は中室、東室、西室の3つの建築物に分かれる。中室は葬儀の後、遺骸が骨になるまで放置し、骨を取り出して洗骨した。洗骨した後、王及びその妃の骨は東室に納められ、他の王族は西室に納められた。<br /><br />第二次世界大戦時には、玉陵は東室、西室が破壊されるなど大きな被害を受けた。現在、見られる大部分は第二次世界大戦後に復元(1974年から3年を要した)されたものである。

    玉陵(たまうどぅん)

    玉陵は中室、東室、西室の3つの建築物に分かれる。中室は葬儀の後、遺骸が骨になるまで放置し、骨を取り出して洗骨した。洗骨した後、王及びその妃の骨は東室に納められ、他の王族は西室に納められた。

    第二次世界大戦時には、玉陵は東室、西室が破壊されるなど大きな被害を受けた。現在、見られる大部分は第二次世界大戦後に復元(1974年から3年を要した)されたものである。

  • 玉陵(たまうどぅん)<br /><br />東室<br />

    玉陵(たまうどぅん)

    東室

  • 玉陵(たまうどぅん)<br /><br />東室<br />

    玉陵(たまうどぅん)

    東室

  • 玉陵(たまうどぅん)<br /><br />東室<br /><br />全体的な構造は、当時の板葺き屋根の宮殿を現した石造建造物になっており、墓域は2442?。<br />

    玉陵(たまうどぅん)

    東室

    全体的な構造は、当時の板葺き屋根の宮殿を現した石造建造物になっており、墓域は2442?。

  • 玉陵(たまうどぅん)<br /><br />西室

    玉陵(たまうどぅん)

    西室

  • 東(あがり)の御番所(うばんじゅ)<br /><br />東の御番所は、法事の折には国王の控所として使用されました。<br /><br />ところが、太平洋戦争直前には、2間(約360cm)四方ほどの大きさしかなく、国王の葬儀に使用する龕(遺骨などを運ぶ神輿のようなもの)や、その他の道具類を保管する倉庫として使用されていたようです。<br /><br />2000年に発掘調査を行ったところ、東西約18m、南北約12mにわたり、柱を支えた礎石や建物の周囲に巡らされた石敷、便所跡などの遺構が発見されました。<br /><br />驚いたことに、西の御番所の部屋割を描いた図を反転させると、ほぼ柱の位置が一致することが分かりました。<br />つまり、玉陵の東西に同じ大きさの御番所が建っていたということが判明したのです。<br />そこで、遺構や写真などを元に分析し、東の御番所を復元しました。<br /><br />復元にあたり、砂などで遺構を保護し、元の面より約45cm上げて整備を行っています。<br />

    東(あがり)の御番所(うばんじゅ)

    東の御番所は、法事の折には国王の控所として使用されました。

    ところが、太平洋戦争直前には、2間(約360cm)四方ほどの大きさしかなく、国王の葬儀に使用する龕(遺骨などを運ぶ神輿のようなもの)や、その他の道具類を保管する倉庫として使用されていたようです。

    2000年に発掘調査を行ったところ、東西約18m、南北約12mにわたり、柱を支えた礎石や建物の周囲に巡らされた石敷、便所跡などの遺構が発見されました。

    驚いたことに、西の御番所の部屋割を描いた図を反転させると、ほぼ柱の位置が一致することが分かりました。
    つまり、玉陵の東西に同じ大きさの御番所が建っていたということが判明したのです。
    そこで、遺構や写真などを元に分析し、東の御番所を復元しました。

    復元にあたり、砂などで遺構を保護し、元の面より約45cm上げて整備を行っています。

  • 東(あがり)の御番所(うばんじゅ)

    東(あがり)の御番所(うばんじゅ)

  • 東(あがり)の御番所(うばんじゅ)

    東(あがり)の御番所(うばんじゅ)

  • 東(あがり)の御番所(うばんじゅ)<br /><br />ここから見える庭にはガジュマルがたくさん植えられており、ある意味不気味な雰囲気を醸し出しています。<br />夜はあまりこの庭を眺めたくないかも・・・。<br />

    東(あがり)の御番所(うばんじゅ)

    ここから見える庭にはガジュマルがたくさん植えられており、ある意味不気味な雰囲気を醸し出しています。
    夜はあまりこの庭を眺めたくないかも・・・。

  • 玉陵(たまうどぅん)<br /><br />入口付近にあった小さな庭。<br /><br />日本の石庭のようにも見えるし、中国風の石を使用したものにも見える。それでいて植えられている木は南国のものだったりで、各種の文化が融合した姿を見てとれます。これは琉球様式と呼んでいいのでしょうか。<br /><br /><br />◎ おしまい<br /><br />

    玉陵(たまうどぅん)

    入口付近にあった小さな庭。

    日本の石庭のようにも見えるし、中国風の石を使用したものにも見える。それでいて植えられている木は南国のものだったりで、各種の文化が融合した姿を見てとれます。これは琉球様式と呼んでいいのでしょうか。


    ◎ おしまい

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