2010/04/04 - 2010/04/04
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桜満開の松阪城址の紹介です。最初に松阪神社から見学を始め、次に本居宣長記念館を見学しました。松阪城はキリシタン大名であった蒲生氏郷により、1588年(天正16年)に築城されました。現在は、お城の建物はありませんが、日本百名城に選ばれています。
- 交通手段
- JRローカル 私鉄
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最初に松阪神社から見学を始め、次に本居宣長記念館を見学しました。満開の染井吉野でした。
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満開の染井吉野の花のズームアップ光景です。ズームアップしますと、僅かながら蕾が残っていました。
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イチオシ
『松阪神社』の石碑です。『松阪』は、お城や神社などを含めて、『松坂』とも表記されますが、『松阪』の表記で統一しました。
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松阪神社の鳥居光景です。延喜式神名帳に記載された式内社で、旧社格は郷社でした。誉田別命(八幡神)と宇迦御魂神(稲荷神)を主祭神としますが、明治の神社合祀により天照皇大神を始めとする多くの神々が合祀されています。
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右手の石灯には明治35年10月の日付がありましたが、肝心の対象物の記載が分かりませんでした。背後に見える小さな祠のことでしょうか、その前にはご神灯が設置されていました。
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満開の染井吉野の参道光景です。白さが際立つ咲き方でした。
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満開の染井吉野の花のズームアップ光景です。満開だったこの日、こんな撮影シーンが増えそうです。
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同じく、染井吉野の花のアップ光景です。ほんの少しだけ蕾が残っていますが、散ってしまった花弁は見当たらないようでした。
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こちらは、染井吉野ではなく、山桜(やまざくら)の花です。葉も一緒に出ますが、こちらも満開でした。
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山桜(やまざくら)の花のズームアップ光景です。正面からの眺めですと、新芽がほとんど隠れてしまいます。
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更にズームアップした、山桜(やまざくら)の花です。風情のある、見事な満開でした。
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満開の染井吉野の花の光景です。古木らしい風格が感じられた樹でした。背後に見える新緑と重なって、一瞬、山桜と勘違いしそうでした。
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『本殿遥拝所』の文字が刻まれた石碑です。松阪神社の本殿までは、長い石段を登らなくてはいけませんので、遥拝所が設けられたようです。
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松阪神社の狛犬です。吽形で、子獅子もいますから、雌獅子です。
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口を開けた、阿形の姿の雄獅子です。左足の下には玉があります。
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参道の桜並木の光景です。満開の染井吉野の花をカメラに収める人達の姿がありました。
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松阪神社、本居宣長ノ宮への登り口の階段のようです。かなりの段数がありそうですから、気合を込めて登らないといけないようです。
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神社の境内でしょうか、手入れがされた庭木の光景が見えてきました。
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古木の根元光景です。小動物のねぐらになりそうな穴がいくつも開いていました。
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『本居宣長ノ宮』の石碑です。本居大人奥墓がある旧山室村から、この『四五百(よいほ)の森』に遷座したのは、大正4年(1915年)です。長く『本居神社』として親しまれてきましたが、平成7年(1995年)、社号を『本居宣長ノ宮』と改称しました。学問の神として広く知られたお宮さんです。
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『本居宣長ノ宮』への参道の、最後の石段です。学問の神様らしい、『必勝合格祈願』の赤い幟が石段の中央にありました。
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石垣の隙間に生えていた、キランソウ(金瘡小草、金襴草)です。ジゴクノカマノフタ(地獄の釜の蓋)と言う、恐ろしい別名を持ちますが、薬草としても知られています。シソ科アジュガ属の植物です。
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松阪城址の石垣光景です。算木積のコーナー部分が綺麗な姿のまま残っていました。明治4年(1871年)に廃城となりましたが、天守台、本丸、二の丸等の石垣が多数残されました。松阪城を創建した蒲生氏郷(1556〜1595年)の幼名は鶴千代、織田信長に人質に出されましたが、只者ではないことを見抜き、娘の冬姫を娶らせる約束をしたと伝わります。岐阜城での元服の際には、信長自らが烏帽子親となりました。天正10年(1582年)、信長が本能寺の変により自刃すると、氏郷は安土城にいた父の賢秀と連絡し、城内にいた信長の一族を保護し、支度を整えて、明智光秀に対して対抗姿勢を示しました。
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イチオシ
算木積のコーナー部分から眺めた、松林と染井吉野の光景です。かつての城の縄張りは、梯郭式平山城とされます。天正10年6月27日(1582年7月16日)に開かれた、織田氏の継嗣問題と領地再分配に関する『清須会議』以降では、蒲生氏郷は信長の統一事業を引き継いだ羽柴秀吉(豊臣秀吉)に従いました。
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同じく、石垣と染井吉野と松の光景です。氏郷は、文武に優れ、茶湯では千利休に師事し、利休七哲の筆頭にまで数えられました。利休が秀吉に処罰された時、利休の子の千少庵は、氏郷のもとに逃れて一年半ほど庇護を受けました。
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本居宣長記念館方面に向かう途中の光景です。初代城主だったが蒲生氏郷の話を続けます。文禄3年(1594年)、徳川家康と蒲生氏郷のとりなしで、千少庵は赦されて京に戻り、千家(京千家)を興し、息子の宗旦を還俗させました。豊臣秀吉が利休から召し上げた茶道具は、宗旦を名指しして返したと伝わります。
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前方に、本居宣長記念館が見えてきました。千宗旦(1578〜1658年)は、父は利休の後妻・千宗恩の連れ子の千少庵、母は利休の娘・お亀です。千家三代で、宗旦流(三千家)の祖となりました。勘当された宗拙を除く3人の息子が、武者小路千家(次男:一翁宗守)、表千家(三男:江岑宗左)、裏千家(四男:仙叟宗室)を興し、『三千家』として現代まで続いています。
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本居宣長記念館の近くにあった石碑の光景です。本居宣長記念館は宣長の実子本居春庭の子孫の家に伝わった資料や、宣長の養子本居大平の子孫の家に伝わった資料などを所蔵し、うち467種1949点が国の重要文化財に、20種31点が三重県の有形文化財に指定されています。(ウィキペディア)
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本居宣長記念館の近くにあった石碑のアップ光景です。国学者で本居宣長の六世孫にあたる本居弥生氏筆による宣長の歌碑です。宣長が生涯に詠んだ歌は約1万首とされます。この歌碑のことを調べてみましたが、まだよく分かっていません。
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イチオシ
本居宣長記念館の入口光景です。日本の歴史に残る国文学者だけあって、若い人達の人気も高いようでした。国の重要文化財に指定されているのは、『古事記伝』自筆稿本、『日記』、『遺言書』、自画像など467種1949点です。
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