津旅行記(ブログ) 一覧に戻る
桜満開の津城址紹介の締め括りです。別名は安濃津城、1608年に藤堂高虎が移封された後、明治維新までに亘って、12代の藤堂家の城主が続きました。

2010春、桜満開の津城址(4/4):染井吉野、山桜、お堀、石垣、ドバト、川鵜

40いいね!

2010/04/04 - 2010/04/04

54位(同エリア337件中)

旅行記グループ 2010春、三重の桜名所

0

20

旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

桜満開の津城址紹介の締め括りです。別名は安濃津城、1608年に藤堂高虎が移封された後、明治維新までに亘って、12代の藤堂家の城主が続きました。

  • 染井吉野の白い花の光景です。僅かばかり落花を始めていましたが、見所十分の時期でした。

    染井吉野の白い花の光景です。僅かばかり落花を始めていましたが、見所十分の時期でした。

  • ヤマザクラ(山桜)の光景です。白い花と、赤っぽい葉が半々といった状況でした。風情のある色合いです。その背後に新しく積み直されたような石垣光景がありました。

    ヤマザクラ(山桜)の光景です。白い花と、赤っぽい葉が半々といった状況でした。風情のある色合いです。その背後に新しく積み直されたような石垣光景がありました。

  • ノズラツミ(野面積)か、ウチコミハギ(打込み接ぎ)か、私には判断が付かなかった石垣が背景にありました。<br />(追記)乱積の打込み接ぎのようです。<br />

    ノズラツミ(野面積)か、ウチコミハギ(打込み接ぎ)か、私には判断が付かなかった石垣が背景にありました。
    (追記)乱積の打込み接ぎのようです。

  • 赤っぽい葉と一緒に花を咲かせていたヤマザクラ(山桜)のズームアップ光景です。足元に季節の草花が飾られていました。パンジーや塔が立ち始めた葉牡丹のようです。

    赤っぽい葉と一緒に花を咲かせていたヤマザクラ(山桜)のズームアップ光景です。足元に季節の草花が飾られていました。パンジーや塔が立ち始めた葉牡丹のようです。

  • 津城址のお堀をバックにした、ソメイヨシノ(染井吉野)の白い花の光景です。僅かですが、落花が始まっているようでした。

    イチオシ

    津城址のお堀をバックにした、ソメイヨシノ(染井吉野)の白い花の光景です。僅かですが、落花が始まっているようでした。

  • お堀の水面に顔を出した亀さんの光景です。最近では在来種に代わって外来種が増えてきているようです。

    お堀の水面に顔を出した亀さんの光景です。最近では在来種に代わって外来種が増えてきているようです。

  • お堀に向かって伸びた幹と、川面に写り込んだ染井吉野の光景です。川面には、小さな波が立っていましたから、鏡という訳にはいきませんでした。

    お堀に向かって伸びた幹と、川面に写り込んだ染井吉野の光景です。川面には、小さな波が立っていましたから、鏡という訳にはいきませんでした。

  • お堀に向かって、長く枝を伸ばした染井吉野の光景です。付近を見渡しても、まだ花筏ができるような花の散り方ではありませんでした。

    お堀に向かって、長く枝を伸ばした染井吉野の光景です。付近を見渡しても、まだ花筏ができるような花の散り方ではありませんでした。

  • 満開だった染井吉野の花のズームアップ光景です。白い花に対し、程よく背景が暗くなってくれました。

    満開だった染井吉野の花のズームアップ光景です。白い花に対し、程よく背景が暗くなってくれました。

  • 染井吉野の樹にとまっていた鳩さん達です。3〜4羽の姿がありました。花喰い鳥のヒヨドリ(鵯)さんと違って、花の蜜が目的ではないようです。右手後方に赤いアンテナ鉄塔が見えていました。

    染井吉野の樹にとまっていた鳩さん達です。3〜4羽の姿がありました。花喰い鳥のヒヨドリ(鵯)さんと違って、花の蜜が目的ではないようです。右手後方に赤いアンテナ鉄塔が見えていました。

  • 津城址の満開の染井吉野の花と、お堀に写り込んだ紅白のアンテナ鉄塔の光景です。花筏になっていない花弁がちらほら浮かんでいました。

    津城址の満開の染井吉野の花と、お堀に写り込んだ紅白のアンテナ鉄塔の光景です。花筏になっていない花弁がちらほら浮かんでいました。

  • お堀に伸びた満開の染井吉野の枝先と、その姿が写り込んだ水面の光景です。

    お堀に伸びた満開の染井吉野の枝先と、その姿が写り込んだ水面の光景です。

  • 城造りの名人の藤堂高虎は、津城などの自分の居城のほか、豊臣政権下では、大和郡山城、大坂城、和歌山城を手掛け、徳川政権下では江戸城、篠山城、膳所城、再築伏見城、再築丹波亀山城、淀城、再築大坂城などを築きました。

    城造りの名人の藤堂高虎は、津城などの自分の居城のほか、豊臣政権下では、大和郡山城、大坂城、和歌山城を手掛け、徳川政権下では江戸城、篠山城、膳所城、再築伏見城、再築丹波亀山城、淀城、再築大坂城などを築きました。

  • 積み直されたのかもしれませんが、キリコミハギ(切り込み接ぎ)に見えた石垣の光景です。角の部分は、中間が少し膨らんでいますが、算木積です。

    イチオシ

    積み直されたのかもしれませんが、キリコミハギ(切り込み接ぎ)に見えた石垣の光景です。角の部分は、中間が少し膨らんでいますが、算木積です。

  • 津城址の石垣光景です。藤堂高虎時代の石垣が残っているようでした。藤堂高虎は高石垣造りの名人、史上最も高い石垣は現存する大阪城の石垣で、32〜33メートル、2番目が伊賀上野城の石垣の28メートルとされます。いずれも高虎が築いたもので、水中と根石を含めた高さです。

    津城址の石垣光景です。藤堂高虎時代の石垣が残っているようでした。藤堂高虎は高石垣造りの名人、史上最も高い石垣は現存する大阪城の石垣で、32〜33メートル、2番目が伊賀上野城の石垣の28メートルとされます。いずれも高虎が築いたもので、水中と根石を含めた高さです。

  • 花菖蒲当たりを植えこんだ囲いの上で一休みしていた、『カワウ(川鵜))さんです。日本では主として本州、四国、九州に繁殖地があり、留鳥、または漂鳥として生息するようです。漂鳥(ひょうちょう)は、暑さ、寒さに応じて、日本国内を季節移動する鳥です。

    花菖蒲当たりを植えこんだ囲いの上で一休みしていた、『カワウ(川鵜))さんです。日本では主として本州、四国、九州に繁殖地があり、留鳥、または漂鳥として生息するようです。漂鳥(ひょうちょう)は、暑さ、寒さに応じて、日本国内を季節移動する鳥です。

  • 『カワウ(川鵜)』さんのズームアップ光景です。凛々しい顔立ちでした。お気に入りの場所のようでした。

    『カワウ(川鵜)』さんのズームアップ光景です。凛々しい顔立ちでした。お気に入りの場所のようでした。

  • 少し角度を変えて撮影した、同じ『カワウ(川鵜)』さんの光景です。日本の鵜飼で活躍するのは、川鵜さんではなく、『ウミウ(海鵜)』さんの方です。

    少し角度を変えて撮影した、同じ『カワウ(川鵜)』さんの光景です。日本の鵜飼で活躍するのは、川鵜さんではなく、『ウミウ(海鵜)』さんの方です。

  • 津城址紹介の締め括りは、高虎を巡るエピソードです。高虎は、6尺2寸(約190センチ)の大男だったとされます。亡くなった時、その体を清めた近習が見たのは、弾傷や槍傷で隙間なく、右手の薬指と小指は千切れ、左手の中指も短く、爪は無かった。左足の親指も爪が無く、満身創痍の身体だったとされます。まさに戦国の世を生き抜いた壮絶な姿でした。

    津城址紹介の締め括りは、高虎を巡るエピソードです。高虎は、6尺2寸(約190センチ)の大男だったとされます。亡くなった時、その体を清めた近習が見たのは、弾傷や槍傷で隙間なく、右手の薬指と小指は千切れ、左手の中指も短く、爪は無かった。左足の親指も爪が無く、満身創痍の身体だったとされます。まさに戦国の世を生き抜いた壮絶な姿でした。

  • 津藩藤堂家の家臣が座右の銘とした、高虎の遺訓です。『寝屋を出るよりその日を死番と心得るべし。かように覚悟極まるゆえに物に動ずることなし。これ本意となすべし』の遺訓は、既に紹介したように、津城址に高虎の騎馬像とともに残されています。

    津藩藤堂家の家臣が座右の銘とした、高虎の遺訓です。『寝屋を出るよりその日を死番と心得るべし。かように覚悟極まるゆえに物に動ずることなし。これ本意となすべし』の遺訓は、既に紹介したように、津城址に高虎の騎馬像とともに残されています。

この旅行記のタグ

40いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP