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桜満開の松阪城址紹介の続きです。松阪城を創建した蒲生氏郷は、子供の頃に人質として信長に面会しましたが、信長は二女の冬姫を娶らす約束をするほど、その才能を認めた人物でした。

2010春、桜満開の松阪城址(2/4):本居宣長記念館、石楠花、本居宣長居宅跡、埋門址

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2010/04/04 - 2010/04/04

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旅行記グループ 2010春、三重の桜名所

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

桜満開の松阪城址紹介の続きです。松阪城を創建した蒲生氏郷は、子供の頃に人質として信長に面会しましたが、信長は二女の冬姫を娶らす約束をするほど、その才能を認めた人物でした。

交通手段
JRローカル 私鉄
  • 松阪城址の石垣と、染井吉野の光景です。安土城と同様の形式ですが、それを上回る強固なもので、美観という点でも優れていると評価されています。氏郷の出身地の穴太衆が、『野面積』を主体に、『切り込み接ぎ』と『算木積』が使われています。

    イチオシ

    松阪城址の石垣と、染井吉野の光景です。安土城と同様の形式ですが、それを上回る強固なもので、美観という点でも優れていると評価されています。氏郷の出身地の穴太衆が、『野面積』を主体に、『切り込み接ぎ』と『算木積』が使われています。

  • 松坂市が設置した、『史跡・新上屋敷』の石碑です。本居宣長が国学者の賀茂真淵(1697〜1769年)と会った旅宿のあった場所とされます。

    松坂市が設置した、『史跡・新上屋敷』の石碑です。本居宣長が国学者の賀茂真淵(1697〜1769年)と会った旅宿のあった場所とされます。

  • 真っ赤な花を咲かせていた、シャクナゲ(石楠花)です。ツツジ科ツツジ属の植物です。

    真っ赤な花を咲かせていた、シャクナゲ(石楠花)です。ツツジ科ツツジ属の植物です。

  • 満開だったシャクナゲ(石楠花)の樹ですが、所々に蕾もありました。派手で大きな花に特徴があります。

    満開だったシャクナゲ(石楠花)の樹ですが、所々に蕾もありました。派手で大きな花に特徴があります。

  • 赤い石楠花の花と、白い染井吉野の花の競演です。紅白合戦の光景になりました。

    赤い石楠花の花と、白い染井吉野の花の競演です。紅白合戦の光景になりました。

  • 最後にもう一度、真っ赤な花を咲かせた石楠花のズームアップ光景です。見事な色付きでした。

    イチオシ

    最後にもう一度、真っ赤な花を咲かせた石楠花のズームアップ光景です。見事な色付きでした。

  • 松阪城は、1584年に近江国日野城から蒲生氏郷が移封となり、初め松ヶ島城を居城としましたが、狭小だったため、1588年に四五百森の丘に新城を築いたことに始まります。松ヶ島の武士や商人を強制的に移住させて城下町を作り上げました。城だけでなく、町の基盤も作った蒲生氏郷です。

    松阪城は、1584年に近江国日野城から蒲生氏郷が移封となり、初め松ヶ島城を居城としましたが、狭小だったため、1588年に四五百森の丘に新城を築いたことに始まります。松ヶ島の武士や商人を強制的に移住させて城下町を作り上げました。城だけでなく、町の基盤も作った蒲生氏郷です。

  • 本居宣長旧宅付近に掲示してあった、『宣長まつり』の宣伝ポスターです。かつての宣長の書斎、『鈴屋(すずのや)』でも『ミニ講座』が開かれるようです。

    本居宣長旧宅付近に掲示してあった、『宣長まつり』の宣伝ポスターです。かつての宣長の書斎、『鈴屋(すずのや)』でも『ミニ講座』が開かれるようです。

  • 同じく、本居宣長旧宅付近に掲示してあった、『古事記』と『源氏物語』の企画展のポスターです。こちらは本居宣長記念館での開催です。

    同じく、本居宣長旧宅付近に掲示してあった、『古事記』と『源氏物語』の企画展のポスターです。こちらは本居宣長記念館での開催です。

  • 野面積(のずらづみ)の石垣光景です。自然石をそのまま積み上げる方法で、排水、強度には優れますが、隙間や出っ張りができ、敵に登られやすいという欠点があります。

    野面積(のずらづみ)の石垣光景です。自然石をそのまま積み上げる方法で、排水、強度には優れますが、隙間や出っ張りができ、敵に登られやすいという欠点があります。

  • 『埋門跡』の石碑です。本居宣長旧宅の『隠居丸』近くにありました。松阪城址は、約4.7ヘクタールの城跡が『近世の政治・軍事を知る上で貴重』であるとして、2011年(平成23年)、国の史跡に指定されました。

    『埋門跡』の石碑です。本居宣長旧宅の『隠居丸』近くにありました。松阪城址は、約4.7ヘクタールの城跡が『近世の政治・軍事を知る上で貴重』であるとして、2011年(平成23年)、国の史跡に指定されました。

  • 咲き乱れる染井吉野と、石垣光景です。蒲生氏郷が築城に際し、石垣を積ませた穴太衆(あのうしゅ)は、現在の滋賀県大津市坂本穴太を本拠とする石工集団とされます。安土城の石垣を施工したことで、織田信長や豊臣秀吉に認められ、全国各地の築城に携わることになりました。

    咲き乱れる染井吉野と、石垣光景です。蒲生氏郷が築城に際し、石垣を積ませた穴太衆(あのうしゅ)は、現在の滋賀県大津市坂本穴太を本拠とする石工集団とされます。安土城の石垣を施工したことで、織田信長や豊臣秀吉に認められ、全国各地の築城に携わることになりました。

  • 『国指定特別史跡・本居宣長旧宅』の説明プレートです。宣長が12歳から亡くなる72歳までの60年間住まった旧宅です。『鈴屋(すずのや)』の呼び名は、宣長がこよなく鈴を愛し、床の間に下げていたエピソードが紹介されていました。床の間とその周りの鈴の数は、36個とも言われます。

    『国指定特別史跡・本居宣長旧宅』の説明プレートです。宣長が12歳から亡くなる72歳までの60年間住まった旧宅です。『鈴屋(すずのや)』の呼び名は、宣長がこよなく鈴を愛し、床の間に下げていたエピソードが紹介されていました。床の間とその周りの鈴の数は、36個とも言われます。

  • 橙や裏白と一緒に飾られた、しめ飾りの光景です。その下に『宣長さんってどんな人』のポスターがありました。この『本居宣長旧宅』は、もともと松坂職人町に建てられ、後に松坂魚町に移築された建物です。明治政府時代になって宣長に従三位が追贈されたことで保存の機運が高まり、1909年(明治42年)に鈴屋遺蹟保存会の手によって松坂城二の丸跡地に移築されました。また、1953年(昭和28年)、本居宣長旧宅と移築前の魚町の跡地は、国の特別史跡に指定されました。

    橙や裏白と一緒に飾られた、しめ飾りの光景です。その下に『宣長さんってどんな人』のポスターがありました。この『本居宣長旧宅』は、もともと松坂職人町に建てられ、後に松坂魚町に移築された建物です。明治政府時代になって宣長に従三位が追贈されたことで保存の機運が高まり、1909年(明治42年)に鈴屋遺蹟保存会の手によって松坂城二の丸跡地に移築されました。また、1953年(昭和28年)、本居宣長旧宅と移築前の魚町の跡地は、国の特別史跡に指定されました。

  • 移築されてきた井戸のようです。もちろん、囲いの石枠だけです。宣長旧宅の建物は1691年(元禄4年)に本居宣長の祖父・小津三四右衛門定治が隠居所として建てたものです。宣長が53歳のとき2階の物置を改造して新しい書斎を作り、『鈴屋(すずのや)』と名付けました。

    移築されてきた井戸のようです。もちろん、囲いの石枠だけです。宣長旧宅の建物は1691年(元禄4年)に本居宣長の祖父・小津三四右衛門定治が隠居所として建てたものです。宣長が53歳のとき2階の物置を改造して新しい書斎を作り、『鈴屋(すずのや)』と名付けました。

  • 水は溜まっていませんでしたが、この手水鉢も宣長が使用し、その子孫の方達も使われていたもののようです。周りにはシダ(羊歯)の葉がありました。

    水は溜まっていませんでしたが、この手水鉢も宣長が使用し、その子孫の方達も使われていたもののようです。周りにはシダ(羊歯)の葉がありました。

  • ここからは、履物を脱いでの見学となります。大勢の見学客がありました。

    ここからは、履物を脱いでの見学となります。大勢の見学客がありました。

  • 台所のカマドに置かれていた鉄釜です。旧宅は、現在は本居宣長記念館によって管理されています。

    台所のカマドに置かれていた鉄釜です。旧宅は、現在は本居宣長記念館によって管理されています。

  • こちらはカマドに置かれていた飯釜です。年代物の黒い蓋が付いていました。

    こちらはカマドに置かれていた飯釜です。年代物の黒い蓋が付いていました。

  • 『本居宣長旧宅』の内部の天井の明り採りの光景です。推測ですが、見学のために、移築後に設けられた施設のようでした。

    イチオシ

    『本居宣長旧宅』の内部の天井の明り採りの光景です。推測ですが、見学のために、移築後に設けられた施設のようでした。

  • 室内に置かれていた階段のアップ光景です。長年使われた跡が残っていました。現在は立ち入り禁止ですが、この階段を登れば、二階の鈴屋です。

    室内に置かれていた階段のアップ光景です。長年使われた跡が残っていました。現在は立ち入り禁止ですが、この階段を登れば、二階の鈴屋です。

  • 移築された旧宅の間取りは、1階の見世(みせ)の間、おいえの間、居間、仏間、奥座敷と台所、それと二階の書斎です。『二階・鈴屋』とその説明書きの木札がありました。

    移築された旧宅の間取りは、1階の見世(みせ)の間、おいえの間、居間、仏間、奥座敷と台所、それと二階の書斎です。『二階・鈴屋』とその説明書きの木札がありました。

  • これで『本居宣長旧宅』の見学はおしまいです。旧宅を囲う、新しい板塀の光景です。

    これで『本居宣長旧宅』の見学はおしまいです。旧宅を囲う、新しい板塀の光景です。

  • 移築された、『本居宣長旧宅』の建物側面光景です。素材は新しいですが、同じ材質が使われているようでした。

    移築された、『本居宣長旧宅』の建物側面光景です。素材は新しいですが、同じ材質が使われているようでした。

  • 移築された、『本居宣長旧宅』の建物側面とその周りの光景です。

    移築された、『本居宣長旧宅』の建物側面とその周りの光景です。

  • 『国指定特別史跡・本居宣長旧宅』と『国登録有形文化財・鈴屋遺跡保存会旧事務所・倉庫・清門・塀』の説明プレートです。2007年(平成19年)11月21日の日付入りの松阪市教育委員会名の説明文でした。

    『国指定特別史跡・本居宣長旧宅』と『国登録有形文化財・鈴屋遺跡保存会旧事務所・倉庫・清門・塀』の説明プレートです。2007年(平成19年)11月21日の日付入りの松阪市教育委員会名の説明文でした。

  • 外から眺めた、『本居宣長旧宅』の光景です。場所を探せば、二階の『鈴屋(すずのや)』の写真も撮れるようです。

    外から眺めた、『本居宣長旧宅』の光景です。場所を探せば、二階の『鈴屋(すずのや)』の写真も撮れるようです。

  • 松の高木と、染井吉野の光景です。現在の『松阪』名前は、蒲生氏郷が縁起の良い『松』の字を用い、また、秀吉の大坂城の『坂』の字を賜ったとされます。その後、大坂が大阪に変わったので、松坂も同じように『松阪』となったようです。

    松の高木と、染井吉野の光景です。現在の『松阪』名前は、蒲生氏郷が縁起の良い『松』の字を用い、また、秀吉の大坂城の『坂』の字を賜ったとされます。その後、大坂が大阪に変わったので、松坂も同じように『松阪』となったようです。

  • 『鈴屋遺蹟之碑』らしい文字がタイトルにあった石碑の光景です。本居宣長の功績などが記されていました。昭和3年(1928年)建立の石碑です。

    『鈴屋遺蹟之碑』らしい文字がタイトルにあった石碑の光景です。本居宣長の功績などが記されていました。昭和3年(1928年)建立の石碑です。

  • 画面いっぱいに広がる染井吉野の花の光景です。その背後の石垣の上では、花見の宴が開かれていました。

    画面いっぱいに広がる染井吉野の花の光景です。その背後の石垣の上では、花見の宴が開かれていました。

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