2010/03/17 - 2010/03/18
102位(同エリア562件中)
熊野古道さん
熊野古道中辺路を滝尻王子から発心門王子(トータル行程:約30.8km)まで歩いてきました。
vol.7は小広王子から、湯川王子までの内容となっています。
【vol.7の行程】
小広王子 → 熊瀬川王子 → 岩神王子 → 湯川王子
(0.5km) (2.4km) (約2.8km)
【一日目の行程:合計13km】
滝尻王子 → ネズ王子 → 熊野高原神社 → 大門王子 → 十丈王子→ 大阪本王子 → 近露王子(民宿で一泊)
【二日目の行程:合計17.8km】
近露の民宿 → 比曽原王子 → 継桜王子 → 中ノ河王子 → 小広王子・熊瀬川王子 → 岩神王子 → 湯川王子 → 猪鼻王子 → 発心門王子
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 自家用車 徒歩
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8時35分
小広王子を出発しました。
標識のあるところから下に降ります。 -
石畳の下りを降ります。
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この先人家の無いエリアに入っていきます。
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いきなり登り坂です。
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少し歩くと熊瀬川王子到着です。
小広王子からはさほど距離がありません。 -
熊瀬坂といわれるきつい登りです。
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熊瀬坂の途中に一里塚跡がありました。
和歌山から28里と書かれていました。
江戸時代、和歌山から本宮までの熊野街道の1里ごとに、道の両端に塚を築き、その上に松を植えて、里程の標識としていたようです。
ちなみに今回の旅では、滝尻から5つ目になります。 -
9時05分
わらじ峠到着です。
標高592m地点です。
江戸時代この付近の山道は、蛭降峠百八丁と言われ、山ビルに悩まされたそうです。 -
わらじ峠からは女坂を下ります。
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一面の杉林が綺麗でした。
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女坂は結構長い距離でした。
でも下りは快適です。
下に林道が見えてきました。 -
林道を横断します。
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岩神王子まで1.1km。
これから岩神王子まで男坂と言われる長い登りです。 -
橋を渡って直ぐのところに仲人茶屋がありました。
昔からわらじ峠の女坂と岩神峠の男坂を両方合わせて女夫坂と呼んだりしていて、江戸時代に仲人茶屋と名付けれたようです。 -
男坂が見えてきました。
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道標も44まで来ました。
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上りながら、なぜ男坂なのか考えていました。
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先ほど下ってきた女坂よりも2倍ほどの距離があり、険しい道が続くからなのか?
それと仲人茶屋とは上手く名付けたなと思いました。 -
この辺ぐらいから登りが緩やかになりました。
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下に林道が見えるところまで来ると、岩神峠はもう直ぐです。
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9時49分
岩神王子到着です。
標高655mと2日目のコースの中では一番高いところです。 -
ここで少し休憩しました。
水分は500mlのペットボトルで5本持ってきました。
私が歩いた時季は、少し寒ったので実際に飲んだ量は1日1本くらいです。
リュックの重さが増えて道中応えますが、後は予備として考えていました。 -
5分だけ休憩して出発です。
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ここからも少し長い下りが続きますが、特に名前は無いようです。
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坂を下りると林道と合流です。
ここにも非常電話がありました。 -
少しだけ林道を歩いて、またコースに戻ります。
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下っていきます。
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水が道まで流れてきていました。
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下りを降りるとここからは、平坦な道が続きます。
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小川のせせらぎが聞こえる場所に来ました。
それと苔が生えていて一面がモスグリーンです。 -
何箇所から水が流れて来て、一つの小川になっています。
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小川に沿って平坦な歩きやすい道をどんどん歩いていきます。
歩きやすいですが、時々誰かいるような気がして後ろを振り返ったりしました。
山中に一人で長い時間いると、ちょっとした物音などにもナーバスになったりする時もあります。
自分との戦いです。
「疑心暗鬼」 -
道のそばを流れる小川の水は綺麗です。
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10時23分
おぎん地蔵到着です。
文化13年(1816年)の頃の話です。
京都の芸者であったおぎんは、この先にある道湯川の豊之丞を慕ってここまで来て、もうすぐ道湯川と言うところで、二人組みの追いはぎに襲われ命までも奪われたそうです。
土地の人たちその死を哀れんで、地蔵を建て、おぎん地蔵と呼ぶようになったそうです。 -
おぎん地蔵からしばらく行くと、このような岩の道がありました。
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振り返って撮影しました。
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石畳に歴史を感じます。
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道は整備されていますが、柵が無いので、足を踏み外すと危ないところも何箇所かあります。
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5つ目の一里塚跡です。
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人工的に築かれた石垣がありました。
かなり古いものだと思います。 -
ちょっと急な下りです。
岩の斜面に水が流れていて滑りやすかったので、注意して下りました。 -
下りてから撮影しました。
確かに急ですが、神倉神社の石段に比べればまだまだ序の口です。 -
湯川王子まで後0.4km地点まで来ました。
蛇形地蔵にちょっと寄り道します。
反対方向の右に曲がります。 -
分かりづらいので角度を変えて・・・
向かいの橋を渡ると湯川王子に行けます。
蛇形地蔵へは反対方向になります。 -
20mくらい歩くと蛇形地蔵です。
こんな山中に立派な地蔵尊があるとは、少し驚きました。
この付近で出土する海藻の化石が蛇の鱗のように見えるから「蛇形石」と名付けられ、それを背に置いて祀られていることから「蛇形の地蔵さん」と呼ばれるようになったそうです。
海藻の化石と言うことは、この辺も何万年か前は海底だったんですね! -
それでは、先に進みます。
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山小屋が見えてきました。
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かなり古いもので、一見すると住居のようではないようですが・・・
山師の人たちの休憩所でしょうか。 -
10時53分
湯川王子到着です。
格式の高い准五体王子で、参詣道の要地であったことから、院政期には上皇や貴族もしばし宿泊や休息をし、谷川でみそぎを行ったそうです。 -
石の水鉢には、「宝暦」と書かれていたので、江戸時代中期頃のものと思われます。
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ここは湯川一族発祥の地です。
ノーベル賞の湯川博士もやはり、同じ湯川姓と言うことからこちらにゆかりがあるようです。
ここには昭和31年に無人なるまで、集落があったそうです。
学校は、野中まで歩いて3時間かけて通っていたそうですが、朝五時に出ても一時間遅刻したそうです。
野中は、旅行記vol.6で先ほど歩いてきた途中のとがの木茶屋のあった周辺の地名です。
あまりに山深いことから義務教育の免除の措置がとられることになり、それを聞いた野中のお寺の和尚さんが、湯川地区の子供達を寺に下宿させ、学校へ通わせたそうです。
この道を片道3時間かけて毎日通学していたとは、登校拒否になりそうです。
また義務教育免除など、今の考えでは特例にしてもありえませんね。 -
湯川王子を後に、最後の難関三越峠に向かいます。
このころから、ちょっと雲行きも怪しくなってきました。
vol.8につづく。
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