2010/03/10 - 2010/03/20
46位(同エリア92件中)
youさん
聖書の世界を一度は巡ってみたいとの思いで、花が咲く3月の時期にツアーにて巡りました。
コースは下記。この旅行記ではエン・ボケック→マサダ→クムラン→エリコ→ガリラヤ湖畔を掲載します
①テルアビブ→テル・ベエル・シェバ→ミツペラモン→エイラート
②エイラート→サンタカテリーナ(エジブト)
③サンテカテリーナ→シナイ山→サンタカテリーナ→エン・ボケック
■④エン・ボケック→マサダ→クムラン→エリコ→ガリラヤ湖畔
⑤ガリラヤ湖畔→カペナウム→タブハ→ガリラヤ湖遊覧→ナザレ→カナ
⑥ガリラヤ湖畔→ナザレ→アッコ→カイザリア→エルサレム
⑦エルサレム→ベツレヘム→エルサレム
表紙の写真は、最後のユダヤ人が籠城したマサダ遺跡山頂からの眺め。はるか下にローマ軍陣営跡が見えます
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エイラートから北上して死海の南端のリゾート地、エン・ボケックに泊まります。LE MERIDIEN HOTELのペランダから死海方向の眺め
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死海は塩分含有量が約33%、例により浮遊体験をします。湖底の泥はヨルダン側とは違って、すでに取りつくしているようでミネラル豊富な黒泥ではありませんでした
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マサダ遺跡にロープウェイで行きます。遺跡は標高400mの山頂に広がります
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まもなく山頂です。死海が霞んで見えます。死海は海面下約420m、ヨルダン川から流入した水が常に蒸発しているので、死海は常に視界が悪い・・のだそうです
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山頂に到着。平らな台地となっており遺跡らしい建物は少ししか見られません
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マサダは元は、紀元前120年頃要塞としてつくられ、その後、ヘロデ王によって増築強化された冬の宮殿であった
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司令官らの住居跡。床にはモザイク画が残っています
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崖に三層からなる豪華な宮殿があり、各層は地下でつながっております
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大規模な食料倉庫。当時この宮殿には900人もの人が生活していた
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こちらは4万tもの水を貯められるようになっている巨大な貯水槽。貴重な雨水や食糧を蓄えるための施設が充実しています
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建物壁にかすかに壁画が残ります
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大浴場建物です
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こちらはこの大浴場の模型
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浴場床のモザイク。崖上の不便な場所なのに贅沢な造りです
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浴場の床下をスチームが流れる構造となっています
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宮殿跡から見る死海方向の眺め。絶景ではありますが、荒涼たる風景が広がっているだけでもあり、いつまでも眺めていたくなるような風景ではありません。荒野に見られる四角い形跡はローマ軍の陣営跡です
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ロープウェイで登ってきた方向。こちら側の荒野にもローマ軍の陣営跡が見られます
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宮殿跡から左側の眺め。急な渓谷となっており、丘陵地にもローマ軍の陣営地が見られます。陣営地はマサダを取り囲むように全部で8つあった
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シナゴーク跡地にある解説版。ここに「われわれはずっと以前に、決してローマ人の召使いにも、また唯一神自身以外の何人の召使いにもならないと決心した・・ヨセフス」が引用されています。
ユダヤ人達の心の拠り所としての集会所で、一致団結してローマ軍と戦いぬくことを神に誓ったのでしょう。そして最後は、ここで集団自決するという悲劇となってしまった・・・ユダヤ人離散の歴史が始まった場所です・・・ -
マサダ遺跡の西側城壁の下には、ローマ軍により造られた攻撃用の傾斜路が見られます。籠城した千人足らずのユダヤ人を1万人ものローマ兵士がここまで徹底して攻めていたとは驚きです。
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ビザンチン時代の教会跡。モザイクの床と飾がある壁が残されています
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攻めてくるローマ軍に対して、城壁から転がして防戦すための石が寂しく残っています
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マサダからバスで死海沿いに北上し、死海写本が見つかったクムランを訪れます。ここは古代ユダヤ教徒が共同体生活を営んだ集落遺跡で、至る所に体を清めたミクベが残されています
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紀元前8〜7世紀頃から人が住みはじめ、紀元前1世紀頃、最も繁栄し一時は何千人もの人が集まっていた
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集団で自給自足の生活をするための食堂や台所、写本を書いた部屋などがあります
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ナツメヤシを干しそこから蜜を取りだすための作業エリア
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遺跡から見た渓谷と裏山。死海写本が発見された洞窟が断崖に見えます。ローマ軍がユダヤのあちこちに侵攻してきた紀元後70年頃、やがてはこの地にも侵攻してくると予測したクムラン教団の人々は、自分たちが大切に書きためてきた写本を素焼きの壺に入れ、手の届きにくい洞窟に隠した・・・街は滅びたが2000年後それが偶然発見された・・・小説よりも歴史は面白いです
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遺跡にこの時期だけひっそりと咲く花たちです
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更に北上してエリコに向かいます。エリコはパレスチナ自治区にありますが、バスのドライバーがユダヤ人でないということで、すんなり検問を通過します。風景がなんとなく中近東という感じになりました
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途中イスラエル軍に壊されたと思われる建物などが見られます
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エリコは1万年前から人が住んでいて要塞化された世界最古の町と言われております。3000年の昔、モーゼに率いられてエジプトを出たイスラエルの民が放浪の末カナンの地に入り、ヨシュアの指揮下で最初に攻め込んだ町で、「エリコ」の戦いの舞台となったところ。遺跡は小さな丘となっており、赤茶けた誘惑の山が背景に見えます
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掘り下げられた穴の壁に1万年前からの町の層が見えます
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1万年前の城壁や石を積み上げた円形の塔の一部です
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5000年前の城壁と建物跡。風化が進んでいて崩れています
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入口から丘を登る途中に見られるローマ時代(2-3世紀)のワインを造るための樽です
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遺跡の説明版。当時の町の全体像が分かります。また拡大して遺跡の説明を再確認するのに都合がよいので訪れた各場所で撮ってきます
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丘からイエスが悪魔に試みられた誘惑の山を眺めます。山の中腹にギリシャ正教の修道院も見えます。こ 赤く見えるのはケーブルカーで遺跡の上を通って山頂に行くことができます
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丘からエリコの町を眺めます。オアシスの町らしく緑が豊かです
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ここは地球上で一番低地にある町・・そして1万年前の古時代から神聖な平和が続いている・・・これからも平和が続きますように・・との祈りが込められたパレスチナ自治区からのメッセージです
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預言者エリシャが悪い水を塩で清めてよい水にしたと伝えられるエリシャの泉です。遺跡がある丘の下の道路際にあります
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再び検問所を通過してパレスチナ自治区を後にします。イスラエルとの境界には鉄線が張り巡らされています。いつでも境界を移動できるようにするためなのか意外と簡単なつくりです
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ガラリヤ湖畔の町ティベリアに連泊します。ティベリアの歴史は2000年と古いですが、温泉リゾートとしても人気が高くこぎれいな町です。町は小さいので夕食までの時間を利用してぶらぶらしてみました
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保存状態の良い十字軍の城壁です。町の入口付近にも残っています
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ガラリヤ湖で漁をする漁師のための「海の寺院」と呼ばれるジャーマ・アル・バフルです
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ガラリヤ湖畔に沿う城壁。左側はガラリヤ湖の水位を表示するモニュメントです
イスラエル世界遺産を巡る旅--③につづく
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