2010/03/10 - 2010/03/20
23位(同エリア93件中)
youさん
聖書の世界を一度は巡ってみたいとの思いで、花が咲く3月の時期にツアーにて巡りました。
コースは下記。この旅行記では、「ガリラヤ湖畔→メキド→アッコ→カイザリア→エルサレム」を掲載します
①テルアビブ→テル・ベエル・シェバ→ミツペラモン→エイラート
②エイラート→サンタカテリーナ(エジブト)
③サンテカテリーナ→シナイ山→サンタカテリーナ→エン・ボケック
④エン・ボケック→マサダ→クムラン→エリコ→ガリラヤ湖畔
⑤ガリラヤ湖畔→カペナウム→タブハ→ガリラヤ湖遊覧→ナザレ→カナ
■⑥ガリラヤ湖畔→メキド→アッコ→カイザリア→エルサレム
⑦エルサレム→ベツレヘム→エルサレム
表紙の写真は、ハイファ近郊の草原地帯にて
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ティベリアのホテルベランダから朝のガリラヤ湖方向の眺め。対岸のゴラン高原が良く見えます。8時地中海沿岸側に向けて出発します
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アッコー近郊の住宅地を通過します
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アッコーの旧市街遠望。アッコーは紀元前20世紀には町として機能していてその後、紀元前16世紀にはフェニキア人の港湾都市として繁栄していたといいます
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地下に広がる十字軍の要塞を見学します
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要塞の入口から入った中庭。建物は十字軍が征服していた12世紀のもの
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後に刑務所として使用されたホール。この部分は2階
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こちらは1階のホール。天井に2階に収監されていた囚人が、脱獄を画策して地面だと思って掘ったという穴が見えます
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十字軍と巡礼の人たちの医療の世話などする本部があったところ。訪れた時はここで彫刻等の作品展が行われていました。こんな雰囲気だと作品も一段と生きてくるでしょう
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砂に埋もれていたという中庭
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騎士団参謀本部があったところ。コンサート会場等にも利用されるとか
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地下要塞の脱出用トンネルを抜けて移動します
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十字軍の町を散策します
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土産屋さんが並んでいます
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イスラームの聖なる色の緑屋根のジャーマ・アル・ジャッザール
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旧市街を囲むオスマン朝時代の城壁
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地中海に沿って続く城壁
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イスラエルで3番目に大きな都市ハイファに立ち寄ります。地中海に向けて山麓に広がる美しい町です
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バハーイー庭園の上から。中央円筒形の建物はバハーイー教のバーブ廟。
バハーイー教は、Wikipediaによれば、「人類の平和と統一を究極の目標とし、真理の自己探求、男女平等、一夫一婦制、科学と宗教との調和、偏見の除去、教育の普及、国際補助語の採用、極端な貧富の差の排除、各国政府と法律の尊重(暴力革命の否定)、アルコールや麻薬の禁止などの教義、戒律を持つ」とあります -
イスラエルの海の玄関口、ハイファ港が望めます。
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ハイファ近郊のキブツ内のレストランで昼食です。キブツで働く人達とテーブルを一緒にして食事しました。キブツとは、集団農業共同体のことで、最近は農業だけでなくホテル、レストラン、工場なども経営するようになってきているとのことです。ここで30年以上働いている日本人の方とも出会いました
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ハイファからハルマゲドンの舞台、メギドへ行く途中菜の花畑を見つけ写真ストップします
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麦畑も広がっています
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小高い丘に登れば天然のシクラメンが咲いています
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メギド遺跡に到着。最初に遺跡博物館に入り紀元前1000年当時の全体模型を見ます。ここには紀元前7000年から居住者がいいて、古代の遺跡が26層にも積み重なって山になっているとのことです。
ハルは山の意味・メギットは地名、新約聖書のヨハネの黙示録の舞台となる地ということで、「ハルマゲドン」という言葉は、ここから最終戦争を意味するようになったといいます -
遺跡入口にあった地図です。丘の全体に遺跡が分布しています
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上の地図の①に該当する紀元前4000年頃の階段
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紀元前3500年頃のシティー・ゲート。三重の門で左右にそれぞれ2つの部屋を有しています
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更に奥に進むと紀元前1000年頃のシティー・ゲートが現われます
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こちらは紀元前1000年頃のシティー・ゲートの説明版。この地はメソポタミアとエジプトを結ぶ交易路上にあり、古代から戦略上頑丈な造りになっていたうです
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紀元前800世紀頃の宮殿や寺院跡
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宮殿跡。しっかりとした基礎が残っています。このあたりは異なった時代の基礎が何層か重なっているようです
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丘を削った斜面に異なった時代の層が見えます。紀元前7000年前からの人々の生活で積み上がった丘なのです。そう思うとすごい場所に来ていると感動してしまいます
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現地にある説明版
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遺跡のある丘から肥沃なエズレル平野を眺めます。ここは古代からイスラエル民族にとって重要な戦いの舞台となったところです・・・だから彼らにとってこの地を手放すわけはない・・・争いのない平和はいつ来るのでしょうか・・
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神殿跡。各時代ごとに神殿が造られていました
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穀物貯蔵庫。大量の穀物が貯蔵できそうです
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紀元前1000年頃の厩舎。石の餌桶が並んでいます
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南の宮殿跡。石がごろごろしています
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地下通路に通じている坑道を下りて行きます。町を維持するための生命線は古代から水。その水を確保するための大規模施設です
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水施設の説明版。水の出る泉は城壁の外、山の麓にあり、何か事が起きた場合には町の下に造られたトンネルを通って泉にアクセスして水を確保できるようになっています
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城外の泉に通じている地下トンネルを進みます。約70mほどあります。紀元前1000年頃造られたものです。泉には今も水が溜まっておりました
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城外から泉にアクセスする階段を登って丘を振り返ります。古代の歴史を見続けてきたメギドの丘に菜の花が沢山咲いていました。どうぞハルマゲドン等無いことを祈ります
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地中海に面したカイザリアに来ます。ここは聖パウロがローマ宣教に旅立った聖地です。キリスト教の中心都市として栄え、1251年にはマムルーク朝の攻撃に備えて十字軍により要塞が造られました
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空濠に囲まれた十字軍の要塞です
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町のメインストリートで海に通じています
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遺跡全体の地図。左側のローマ劇場は夕刻4時までということで入場できませんでした
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ローマ時代の公衆泉の跡。馬の水飲み場でもあったようです
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ローマ時代の港跡。現在の海岸線はだいぶ後退していますが当時は海岸線がこの付近までありました
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遺跡から見た地中海の海岸線
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神殿の丘。ここはユダヤのヘロデ王がローマのカエサルのために造ったとされる大規模な神殿があったところです
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海岸線と平行に伸びる列柱道路
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海岸沿いに広がる大規模なローマ時代の遺跡。このような計画的な街づくりがされた遺跡を見るたびにローマ帝国の凄さを感じます
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ローマ時代の水道橋。ヘロデ王が水の少ないカイザリアに水を引くために建設したもの。現在の水道橋の先は海に没しています。地盤沈下したのでしょうか
イスラエル世界遺産を巡る旅--⑤につづく
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