2009/10/08 - 2009/10/08
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frau.himmelさん
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高齢者(まだ後期ではありません!)の街歩きはのろいです。
あちらに珍しいものがあれば「あれは何?」「これはどうして?」。こちらに目を引くものがあれば「ちょっと来て、来て!」。
それを一つ一つ写真にとって…。写真にとっておかなければ忘れてしまうからです。
カメの歩みよりのろいです。
帰国してからは、写真をPCで見ながらそれぞれの場所や、疑問に思ったことの謎解きをしながら旅行記を作っています。暇でなければ出来ませんね。
でも、本人はいたって楽しくやっています。ただ、難点はとにかく写真がヘタなこと! すみません。
◆◇◆
さて、その1ではホロコーストの記念碑を見て、連邦議会議事堂にフラれて、ベルリンの壁追悼メモリアルの白い墓標に両手を合わせて、ブランデンブルク門までやってきました。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
-
私達は2009年7月に開通したばかりの地下鉄55号線、ブランデンブルク門に入ってみました。
地下鉄の壁にはブランデンブルク門の歴史に関するパネルが年代別に展示してありました。
ヘタな写真で申し訳ありません(泣)が見てください。 -
1806ー1918年。
プロイセン王国の時代から第一次世界大戦の終結までです。ビスマルクが帝国宰相に任命され、ベルリンの人口も急増、産業都市として発展したころです。
また、1806年はプロイセンがナポレオンに敗れた年。
ブランデンブルク門の勝利の女神とカドリガはパリに持っていかれたそうですが、1814年には又戻ってきました。 -
1933年〜1945年
1933年ヒットラーが首相に任命され第3帝国の時代の幕開けとなる。
そして、日・独・伊の三国同盟が結ばれ、第二次世界大戦に突入し、敗戦を迎える。 -
1945年〜1961年
写真には終戦後ブランデンブルク門の土地を耕し、食料を作っている人々の写真があります。
ドイツは第二次世界大戦敗戦後、4つの国の戦勝国の管理下に置かれることになった。
東側がソ連。西側が米・英・仏の連合国に。
ところが西側、東側の経済の発展には大きな差があり、東側の人間が西側に流れ込むようになった。
ベルリンの壁は東ドイツ側によって西側への人の流出を防ぐために建設されたもの。 -
1961年〜1989年
壁によって東西に分断された暗い時代です。
この当時ベルリンはソ連が占領する東側とアメリカ、フランス、イギリスが占領する西側に分かれていました。
当時の米ソ超大国冷戦時代の縮図だったんですね。
西ベルリンは周りを壁に囲まれた島国でしたが、生活用品や食品などは空路大作戦で運び込まれ不自由はありませんでした。 -
1963年ケネディー大統領がベルリンを訪れた際、ブランデンブルク門の前で演説をしました。
「私もベルリンの1市民です。」
という名言を残しました。 -
1989年11月 壁の崩壊。
ブランデンブルク門にあるベルリンの壁で歓喜する人々の姿は世界中のメディアで配信され、記憶に新しいこととおもいます。 -
駅のエスカレーターの上にあるこのパネルは各国首脳の壁に関する発言を集めたものだそうです。
-
ロシア語の掲示もあります。
調べたところによると、イギリスのブラント首相、ソ連のゴルバチョフ、それにホーネッカーの発言などだそうです。 -
まだこの地下鉄55号線はブランデンブルク門駅とドイツ議会駅、それに終点の中央駅までしか開通していません。
出口の案内です。
この文字を見ただけでもこの駅がどんなに重要な場所にあるのかわかります。 -
円柱のあるこの通りには右側にイギリス大使館、左側にロシア大使館があるため車両は自由に通行できません。
許可された車のみ、このように円柱が地下に沈んで通ることが出来ます。 -
この時期、崩壊関連の表示があちこちにありました。
これは大きな建物の幅イッパイに凧の絵が。
この辺は地図で見るとハンガリーやポーランドの大使館もあることから、そちら関連かな〜と思ったりしました。 -
ロシア大使館です。
ものすごく立派。
中学生か高校生くらいの男の子達も見学に来ていました。 -
Unter DEN Lindenstarass.65番地。
なんたって東西分裂時代、東ベルリンを支配していた超大国ですから、これくらい豪華な大使館でなきゃカッコがつかないってことですね。 -
こちらは左の通用門。
なのに63番地。
あちらは65番地だった…。
てことはなんと1区画またがって左右の通用門が配置できるくらい広いってことです。 -
まだまだロシア大使館は続きます。
地図で確かめるとこの一角全てロシア大使館らしいです。 -
フリードリッヒ通りまで来ました。
この通りはブランデンブルク門と大聖堂のちょうど中間にあります。
ここは東西ドイツにとって大変重要な場所でした。 -
この奥のほうに見える高架がフリードリッヒシュト−ラーセ駅。
長い間東と西ベルリンを隔てていた駅でした。
西側市民にとっては通過駅、東側市民にとっては終着駅となっていたのです。
ここで乗り換えるには国境検問所を通らなければならなかったそうです。 -
えっ、グッゲンハイム美術館ってベルリンだったの?
って不思議に思って調べたら、世界中にグッゲンハイム財団が造った同名の美術館があるそうですね。 -
ここはたぶん国立図書館だと思います。
何か大掛かりな工事のための急ごしらえの通路が出来ており、景観を阻んでおりました。 -
ベルリンの有名どころ満載です。
テレビ塔、大聖堂、フンボルト大学、それにフリードリッヒ大王の騎馬像。 -
ここでちょっと一休み。
今来た道を振り返りましょう。
ウンターデンリンデン通り。
この通りの名前にもなっている菩提樹の並木道が両脇にずっと続いています。
大都会とは思えないいい雰囲気。
ずーっと先にはブランデンブルク門が見えます。
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この旅行記へのコメント (1)
-
- 近鉄バッファローズさん 2010/11/03 21:51:08
- ベルリンの変貌
- frau.himmelさん、こんばんは。
近鉄バッファローズです。
私が行った頃とは、色々変わってますね。
私が行った頃は、中央駅もまだなく、地下鉄55号線もありませんでした。
私はZooのそばにホテルを取りました。
Brandenburger Tor駅の駅舎は良いですね。
何だか、歴史博物館へ行ったみたいな感じで。
ここを見てるだけでも、何時間か過ごせそうな気がします。
取り急ぎ、感想まで。
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