1962/03/05 - 1962/03/05
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ソフィさん
1962年3月5日(月)
知る人ぞ知る話だが、世界一の白ワイン・赤ワインのとれるコート・ドールに、パリを貫流するセーヌ河の源泉がある。
所在地は、サン・ジェルマン・スルス・セーヌ村。
すなわちブルゴーニュの水は、英仏海峡に注いでいるのだ。
この源泉は、1864年、ナポレオン三世がパリ市の飛地にしてしまった。
源泉は河口より約800キロ(厳密には776キロ)、そのほぼ真ん中にパリがある。
だからこの飛地は、パリからほぼ400キロも離れている。
源泉の標高は、海抜471メートル。
セーヌ河の平均勾配は、1/1000にも満たない。
利根川は、5.7/1000に比べれば、緩やかな河である。
「セーヌ河の」と言う形容詞は、男性形で「セカネー」女性形で「セカネーズ」だが、日本語の「急かねー(セカネー)急かねーず(セカネーズ)」に通じて、面白い。
パリは河口から400キロ近くも離れていて、標高は30メートルくらいしかない。
この緩やかな流れのために、ノルマン人は船で遡航し、パリを攻めた。
しかし人や物を運ぶとき、緩やかな流れとは言え、流れに逆らうことは困難である。
流れに逆らって船を使うときには、河岸の道を馬で引っ張った。
だがブルターニュは上流なので、パリへの物の運搬は下流からに比べてうんと楽だった。
その結果、食べ物や燃料など生活必需品の多くが、ブルゴーニュからパリにもたらされた。
ブルゴーニュは、パリを育てた乳房だったと言える。
そこで、ひとつ質問。
「ブルゴーニュから物を積んでパリにやって来た船は、パリで積荷を下ろした後、どうなったと思いますか?」
答「パリからブルゴーニュに戻るのはたいへんなので、パリで解体され薪として使われた」
ブルゴーニュ地方のコート・ドールに、パリを流れているあのセーヌ河の源流があることを知り、セーヌ河への関心がグッと深まった。
パリに帰ったら、見慣れたセーヌの風景を、もう一度ゆっくり眺めてみよう。
パリは、セーヌにより造られた。
パリの河岸も、たくさんの橋も、セーヌを取り巻くすべての事物が、取り囲む自然と共に社会の歴史を刻んでいる。
そこに映された無数の感慨を、噛み締め直し、味わってみよう。
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(片瀬貴文)
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