2009/11/14 - 2009/11/22
180位(同エリア376件中)
☆YU☆さん
久しぶりにフランスへ行ってきました。
JTBの添乗員付きお任せツアーですが
帰りがAF便深夜なのでパリでは2日間弱フリー★
しかしパリ到着日にはパリでサッカーの試合が。
アルジェリアの試合と
あのアンリの疑惑のハンドのフランスとアイルランドの試合が
あり車は大混雑。。。
ただ、オフシーズンでルーヴル、ヴェルサイユ宮殿ではゆっくり鑑賞できました。
ブールジュから次はロワール古城へ向かいます。
1つしかお城見れないなんて超ショックですが、内部をじっくり見れたのはとても良かったです。
☆日程☆
●一日目 成田AF0275→パリ パリAF7708→ニース ニース泊
●二日目 ニース市内観光 ニース→アルル ゴッホの跳ね橋、アルル観光 アルル泊
●三日目 アルル→アヴィニョン 途中ポンデュガール観光 アビニョン法王庁見学 アヴィニョン→リヨン フルビエールの丘観光 リヨン泊
●四日目 リヨン→ブールジュ サンテティエンヌ大聖堂観光 ブールジュ→ロワール ロワール古城観光 ロワール→トゥール トゥール泊
●五日目 トゥール→モンサンミッシェル 島内観光 モンサンミッシェル→パリ パリ泊
●六日目 パリ 市内観光、ルーブル美術館 午後自由行動(ノートルダム寺院、コンシュルジュリー、セントチャペル、オペラガルニエ、ギャラリーラファイエット、シャンゼリゼ通り→セーヌ河クルーズ パリ泊
●七日目 パリ 自由行動(ヴェルサイユ宮殿、エッフェル塔、ベルシヨンのジェラート→マレ地区→サンジェルマン デ プレ地区→ホテルへ 20:00ホテル→シャルルドゴール空港 AF0278→
●八日目 成田着
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サンテティエンヌ大聖堂からまたバスに乗って、シュノンソー城まで移動します。
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アンボワーズ城方面からシュノンソー城へ向かいます。
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バスと止めてここから歩いてシュノンソー城へ向かいます。
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ここにはチケット売り場と中にギフオショップがありました。
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ここでチケットを購入します
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チケット売り場でまずトイレ休憩に。
待ってる間にさっきの駐車場方面に逆走 -
線路を撮りたくなったので逆走しました^^;
ここの線路の手前のすぐ右側が駐車場になってます。 -
ではではさっきのチケット売り場まで戻って
シュノンソー城に向かいます♪ -
さぁ段々近づいてきました〜♪
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シュノンソー城は別名貴婦人たちの城と言われ、
①ディアーヌ ド ポワティエ 1499-1566
②カトリーヌ ド メディシス 1519-1589
③ルイーズ ド ロレーヌ 1553-1601
④ルイーズ デュパン 1706-1799
⑤マルグリッド ペルーズ 1836-?
⑥シモーヌ ムニエ 1903-1972
の女性たちが所有していました。
大元はジャンマルクが所有していましたが相続者のピエールマルクがシャルル8世の従徒に譲ることに。
そのトマボイエが新しい邸宅を作るが結局フランソワ1世に献上することに。
フランソワ1世没後、アンリ2世がディアーヌドポワティエにプレゼントしたとのこと。 -
ガーーーンまた改装中・・・。
①ディアーヌドポワティエ
城と川沿いの眺めを非常に愛したそうで、アーチ型の橋を建設し城を向こう岸と結んだのも彼女。
庭園に花や野菜、果樹なども植えさせ
川岸に沿っているため氾濫に備えるため石のテラスで補強され、4つの三角形が配置された洗練された庭が作られた。
1555年に彼女の資産となった。
しかしアンリ2世が1559年に死ぬと、彼の妻で摂政のカトリーヌドメディシスはディアーヌを城から追い出したとのこと。 -
②カトリーヌドメディシス
カトリーヌの庭園を追加させ、1577年にはグランドギャラリーを増設させる。
③ルイーズドロレーヌ
カトリーヌが1589年に死ぬと、城はアンリ3世の妻でカトリーヌにとっては義理の娘になるルイーズドロレーヌが相続。
シュノンソー城でルイーズは夫の暗殺を知り、うつ状態に陥った彼女は残された日々喪服を着用し黒っぽいタペストリーに囲まれて、過ごしたそう。 -
④ルイーズデュパン
1624年にはアンリ4世の愛妾ガブリエルデストレ→ルイーズの相続人ヴァンドーム公セザール・ド・ブルボン&ヴァンドーム公爵夫人フランソワーズ・ド・ロレーヌの資産となりる。
ヴァロア朝の遺産として100年以上引き継がれる。
1720年ブルボン公ルイ・アンリがシュノンソー城を買い取るり城の調度を売却。すばらしい彫像の多くがヴェルサイユ宮殿に納められた。
その後城はクロード・デュパンという大地主に売却
クロードの妻がルイーズデュパン
⑤マルグリットペルーズ
この方はあまり知られてないのですがゴンドラをシュノンソーに運んできたオーナーとされています。
⑥シモーヌムニエ
1913年にチョコレート業者のムニエ一族がオーナーとなり現在に至っているとのことです。
そhして現在、後期ゴシックとルネサンスが混ざっているシュノンソー城は観光地として見学できすようになっています。 -
前庭とマルク家の塔
シェール川をまたぐシュノンソー城を建設するためにトマボイエとッカトリーヌぶりそんがマルク家の城塞と水車を16世紀に取り壊して塔だけ残したそう。
そしてこの塔もスネサンス様式に変えてしまったとか。
この塔の脇にマルク家の紋章であるキマイラと鷲のモチーフが刻まれた井戸が残っているそう。 -
さて、今から場内に入ります〜♪
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シェール川
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ここから入ります。
木製の扉はとても年代を感じさせます。 -
フランソワ1世の時代に彫刻、彩色されたこの門には、トマボイエとカトリーヌブリソネの家紋がそれぞれ左側と右側にあり、その上にはフランソワ1世の紋章のサラマンダーとラテン語の碑文が彫られています。
FRANCISCUS DEI GRATIA FRANCORUM REX − CLAUDIA FRANCORUM REGINA
と彫られています。意味は“神の恵みを受けたフランス王フランソワと王妃クロード”だそう -
まず入ってすぐのホールです。
天井は一連の尖塔アーチでなっています。
要石をずれた位置に取り付けることによって折れ線をを描いているそうです。
花篭飾りには葉、バラ、天使の顔、キマイラ、豊穣の角で装飾されているのだそう。
1515年のこの装飾はルネサンス様式の最も美しい装飾彫刻の1つといわれています。 -
ここは護衛兵の間
この部屋には武装した宮殿の護衛tちが控えていたそう。
これは16世紀の暖炉
トマボイエの紋章に飾られています。 -
壁には16世紀に作製されたフランドル地方のゴブラン織りのタペストリーがかかっています。
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城での生活や結婚の申し込みや狩の場面が折られています。
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キレイな織物ですね。
下にあるお花もキレイですね。
ゴシック様式とルネサンス様式の大箱には16世紀にはその中に銀器、食器、タペストリーがしまわれ、宮廷が城から城へ移動する際に使用されていたそう。
天井の梁にはカトリーヌドメディシスの2つのCの組み合わせた文字が使われていました。
床のタイルは16世紀のマジョリカ焼タイルとのこと。 -
礼拝堂
護衛兵の間から聖母マリア様の像が据えられた扉を通り礼拝堂に入れます。
オーク材でできた扉にはキリストと聖トマが彫られています。
また聖ヨハネによる福音書からの引用が記されています。
“INFER DIGITU TUUMHUC”
“DNS MEUS ET DEUS ME”
ここに汝の指を置け、あなたはわたしの主、わたしの神 -
カラーレ大理石に刻まれたミノ ダ フィエソーレ作
聖母マリアと幼子キリストの彫刻 -
ステンドグラスはマックス アングランの作品1954年とのこと。
もとからあったステンドグラスは1944年の爆破で破壊されてしまいました。
年代から言って第二次世界大戦ですかね。。 -
祭壇の右にある石細工の祭器卓
ボイエ家の金言が刻まれていました。
壁には宗教画がかかっていました。
青いヴェールの聖母
フェルディナンとイザベルに説教するキリスト
聖母被昇天
パドヴァの聖アントニウス -
高壇は礼拝堂を見下ろすようになっていて
王妃がミサに参列するための席だそう。
1521年の日付が記されているとのこと。 -
白の壁にカラフルなステンドグラスが映えますね。
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お祈りしようとしたら、現地ガイドさんはもう次の部屋に^^;
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ディアーヌ ド ポワティエの部屋
書棚にはシュノンソーの古文書が保管されていました。
ガラスケースに陳列されている中にトマボイエとディアーヌ ド ポワティエのサインが見られます。 -
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奥にあるのが先ほど書いた書棚
上にあるのは宗教画
衣服を脱ぎ捨てるキリスト
天蓋ベッドやコルドバ革で作られたアンリ2世の肘掛けイス、ベッド脇の寄木細工のテーブルはルネサンス様式だそう。 -
ムリリョ作宗教画
聖母子 -
ソヴァージュ作のカトリーヌ ド メディシスの肖像画
あ〜性格悪そうですねぇ^^; -
グージョン作の暖炉
暖炉及び格天井にはアンリ2世とカトリーヌ ド メディシスの頭文字HとCが組み合わされています。 -
ここにもありました。
重なってディアーヌ ド ポワティエの頭文字Dにも見えますね〜。 -
次はギャラリー
グランドギャラリーは第一次世界大戦中当時の所有者ガストン ムニエが自費で城を病院に改装し使っていたそう。 -
ギャラリー
ディアーヌ ド ポワティエの部屋から細い通路を通るとここギャラリーに出ます。
1576年カトリーヌ ド メディシスがフィリベール ド ロルム設計に基づきディアーヌ ド ポワティエの橋の上にギャラリーを建設したそう。 -
ギャラリーの両端にはルネサンス様式の暖炉がありました。
ただ南側の扉の暖炉は装飾だそう^^; -
厨房
厨房はシェール川の川床に建てられた2つの橋脚が形成する大きな土台の上に位置するそうです。
配膳室は2つの尖塔アーチで構成、天井がとても低いです。 -
いろんなフライパンがそろってます
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16世紀の暖炉は場内で一番大きい暖炉だそう。
横にあるのはパン焼釜 -
配膳室
暗いですね・・・。 -
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お花がとてもキレイでした。
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こっちもすごくキレイ〜。
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16世紀のオーク材の扉と階段
この扉には古い戒律と新しい戒律を意味する彫刻があります。 -
2階へ上がる階段はイラリアの真っ直ぐな階段を模してフランスでも作られるようになっら初期の頃のものだそう。
階段にもメダイヨンがありました。
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