2010/02/12 - 2010/02/19
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funasanさん
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2月16日午後7時、アスワン発カイロ行きのエジプト国鉄寝台列車「アベラ」に乗車し14時間くらいかけてギザまで行く。その後、バスで4時間くらい揺られてアレキサンドリアへ。何とも移動の多い旅である。
写真:ギザ駅に到着した寝台列車アベラ
私のホームページ『第二の人生を豊かに―ライター舟橋栄二のホームページ―』に旅行記多数あり。
http://www.e-funahashi.jp/
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エジプト国鉄寝台列車「アベラ」(写真)は予想どうり綺麗ではない。重いスーツケースを自分で運びながら乗車する。何も期待せずに乗り込む。
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アベラは全車両が「個室寝台列車」なので、一応、動くホテルということになる。狭い通路(写真)を通って自分の客室に行く。
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ドアを開けてみると…。狭い!スーツケースの置き場にも困るくらい。でも室内(写真)は汚くはない。
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客室には簡素ながら洗面台(写真)があり、大きめのタオル2枚、石鹸、コップが準備してある。ただし、洗面台の水はごく少ししか出ないので、コップに水をためて歯磨きできる程度である。
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慣れてくれば「狭い我が家」(写真)である。ここで一晩過ごすことになる。
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出発してしばらくすると客室係のおじさんが夕食(写真)を持ってきてくれた。しかし、見るからにまずそう〜。恐る恐る肉を食べてみる。これが温かくて柔らかくてうまい!ご飯もまずまず。オレンジはジューシーでデザートのチョコレートケーキもGood。結局、ほとんど食べた。
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夕食後はベッドメーキングをしてもらい、客室は「2段ベットルーム」(写真)になる。
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妻は下段のベッドへ、私は上段のベッドへ。何だか遠い昔の学生時代の修学旅行のような気分になってくる。
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枕元にライトがあるが光が弱くて読書に適さない。天井のルームライトが結構明るいので、上段のベッド(写真)に座ってしばらく読書する。そのうち眠たくなり、寝てしまう。注:この列車にはバー・ラウンジ客車が連結されてなかったので部屋の中で一晩過ごす。
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夜中に2度ほど眼が覚めたが、そのまま寝込み、結局朝まで8時間くらいは睡眠をとったことになる。快適とは言えない寝台列車であったが、眠れたことは大きい。列車はナイル川に沿ってひたすら北上する。写真:早朝の車窓からの風景
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各車両にあるトイレ(写真)は意外に広くて綺麗である。ここの洗面台の水はよく出るので、トイレを済ませた後、ここで顔を洗う。すっきりさわやか〜。
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客室係のおじさんを呼んでベッドをたたんで通常の座席(写真)に直してもらう。朝になって車窓からの景色が楽しめる。ただし、窓がむちゃくちゃきたない。
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さて、目覚めの朝食(写真)は?ほとんどパンだけという粗末なもの。これはしかたがないか〜。パンにつける3種「チーズ、バター、ジャム」が救い。
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私はパンを半分以上残す。しかし、妻は「おいしい」と言って完食した。お見事!
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列車はカイロ近郊のある駅(写真)に停車した。朝8時頃、そろそろ通勤時間か?
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列車はカイロ近郊ののどかな田園地帯(写真)を走り抜けていく。やはり、列車の旅は夜行より昼間のほうがいい。
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カイロに近づくと線路脇まで住宅(写真)が建ち並んでくる。大都市近郊でありながらも住宅はみすぼらしい。
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綺麗ずきな日本人の感覚すれば「廃墟」と言えるような家が建ち並ぶ。写真手前はひょっとしたら動物小屋かもしれない。
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到着予定時刻を1時間近くも遅れてギザ(写真)に到着。14時間強にわたる寝台夜行列車の旅が終了した。
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ギザ駅のホームで列車(写真)に別れを告げ、アレキサンドリアに向かう。
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ピラミッドが見えるギザの街の中に用水があり、その用水がゴミ(写真)で埋もれてしまっている。男の人がゴミの山で何かを拾っている。
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ツアー一行を乗せたバスはギザの街の渋滞を通り過ぎてアレキサンドリアまでひた走る。そして、アレキサンドリアの街に入る時に再び大渋滞にあう。写真:アレキサンドリアにて、さとうきび売りのおじさん達
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地中海に面したリゾート地「アレキサンドリア」、クレオパトラの街「アレキサンドリア」……。大いに期待して来てみたら、薄汚く雑然とした庶民の街アレキサンドリアが待っていた。ややショック!
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アレキサンドリアの下町の中にある、古代からの墓場「コームッシュアーファのカタコンベ」(写真)を見学する。薄暗い階段を下りていくと地下深くに墓がある。何となく不気味な雰囲気。
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かなり昔の日本製のチンチン電車(写真)が今も現役で走っている。相変わらず薄汚く雑然とした街並と車と人の渋滞……。これが、エジプト第2の都市アレキサンドリア。正直、幻滅!
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たった1本だけ残った「ポンペイの柱」(写真)を見学する。実際に柱の下まで行くと、その大きさが分かる。高さは約27mもある。「25mプール3コース分くらいの石の塊(かたまり)を立ち上げたもの」を想像すればいい。
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ポンペイの柱はローマ皇帝ディオクレティアヌスが建てた図書館の柱の1つで、かってはこの柱が400本もあったといわれる。何という壮大さ!
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バスはアレキサンドリアの中心街を通って地中海に面した海岸通りをめざす。写真:タフリール広場にあるムハンマド・アリ像
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そして、遂に地中海(写真)に出る。エジプト最南端のアブシンベルから最北端の地中海まで、バスと電車を乗り継いで陸路で縦断したことになる。
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ツアー一行はバスから降り、地中海とサアド・ザグルール広場に面した高級ホテル「ソフィテル・セシル」(写真)に入っていく。
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ロビーに入ると高級感が漂っている。このホテルは1929年創業でアレキサンドリアを代表するホテルのひとつという。ここでランチ(写真)を取る。JTBさんに感謝。
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アレキサンドリアの下町の雑踏に少々うんざりしていた私にとって、海岸通りに並ぶ高級ホテルでの食事は何よりのリフレッシュになる。写真:メイン料理は魚とイカのフライ、Very Good.
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昼食後は「アレキサンドリア国立博物館」に行く。ここは1926年に建てられた宮殿を改築した博物館(写真)で実に美しい。
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アレキサンドリアの歴史はエジプトとしては新しく、紀元前4世紀、アレクサンドロス大王によって建設された街である。写真:地中海の海底からの発掘物
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大王の死後、プトレマイオス朝時代に首都がここにおかれ、アレキサンドリアは地中海世界の文化の中心
地として全盛期を迎える。写真:地中海の海底からの発掘物 -
その王朝最後の女王がクレオパトラである。クレオパトラが君臨し、恋をし、自殺した街「アレキサンドリア」の昔と今を見てまわる。
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海岸通りに出ると無数のヨットや小舟(写真)が碇泊している。2月中旬はちょうどエジプトの冬休みで、アレキサンドリアは地元の人や観光客であふれている。
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地中海に突き出た岬の先端にある「カーイトウベーイの要塞」に行く。要塞のまわりも人でいっぱい。
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「カーイトウベーイの要塞」(写真)もともと、ここには高さ120mのファロスの灯台(紀元前3世紀に建立)があったという。
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夕方、アレキサンドリア(写真)を出発し、最後の宿泊地カイロに向かう。今回のツアーは「エジプトクレオパトラ紀行」なので、アレキサンドリア観光をしたのであるが、往復のバス時間(合計7時間強)、市内観光の中身を考えると、疑問符がつく日程である。明日はいよいよ「ピラミッドとスフィンクス」に対面する。
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