2010/01/30 - 2010/02/08
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azianokazeさん
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10年2月4日 コック川沿いのタートーンから、メーサローンに移動。
タイ北部の山間部ということで、少数民族もよく見かける町ですが、それ以上に中国系の住民が多い町です。
その事情は、中国国民党にまつわる、忘れ去られようとしている現代史の1ページでもあります。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 航空会社
- タイ国際航空
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朝食のため、広い敷地内にある川沿いのレストランに向かうと、金網のフェンスの向こうで少数民族衣装の女性がひとり、盛んに手招きしています。アカ族でしょうか。
土産物を売りたいようですが、買うつもりもないので取り合わないことに。
ただ、“金網”で区切られたシチュエーションというのは、いかにも“こっちの世界”と“あっちの世界”という感じで、居心地がよくありません。
しかし、食べている間に、川から直接上がる形で、数人が敷地内に入ってきました。
(気づきませんでしたが、パンダもいますね・・・) -
フェンスの向こうで仲間と待ち合わせしていたようです。
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敷地内に入ると、レストラン前で早速店開き。
朝食を食べに来る泊まり客に声をかけます。 -
取り合わないのは変わりませんが、商売に精を出している様子にちょっと救われた感じも。
「おきばりやっしゃ」 -
メーサローン方面へのミニバスは、メインストリートに出て、川とは反対方向にわずかばかり歩いたところにあるとのこと。
行ってみると、ミニバスと言うより、ソンテオですね。 -
一応時間は決まっていて、確認すると10時半出発。ホテルに貼ってあった時刻表どおりです。信用していない訳でもないですが・・・。
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いったん宿に戻って荷造り等を済ませ、時間前に乗り場に。
10人ぐらい乗り込みます。 -
地図で見ると、距離的には40kmもないぐらいですが、車は30km程度のスローペースで行きますので結構時間がかかります。
途中から高度を上げ始め、しばらく上ると検問所があります。
チェンライからチェンセーンに向かうときも検問所がありましたが、麻薬関係やミャンマー・ラオスからの難民をチェックしているとか。
このエリアは昔からの少数民族のほか、そうしたミャンマー難民も多いところです。
難民の扱いも様々です。国際機関やNGO援助によるメラ・キャンプで暮らし、アメリカなどへの第三国定住というケースもあります。(つい最近、難民鎖国日本も第三国定住への門戸を少しばかり開きました。)
しかし、その他の難民キャンプは設備も劣り、更にタイ政府が「不法滞在者」とみなすキャンプ外に住む難民もいます。
そうしたキャンプでは、「戦闘はすでに終結した」として、ミャンマーへの強制送還が始まっています。
しかし、戻る村には地雷が多く残存し、送還作業が一時中断されたとのニュースも聞いています。
この検問で荷物を多く持った乗客の一人の女性が、荷物検査のためオフィスに連れていかれました。 -
検問所の先にターミナルがあります。
時間的に見てメーサローンについたのかと思ったら、まだ途中のバーン・ローチのようです。
メーサローンへはこの車でそのまま行けるそうで、しばし休憩。
タイには“不法滞在者”を含め、約16万人のミャンマー難民が生活しています。
タイのミャンマー難民キャンプは、世界で最も長く存在するキャンプの1つで、キャンプ内で生まれた世代もすでに自分たちの子育てに入っているほどです。
しかし、タイの法律では、難民はキャンプ外へ出ることは許可されていないため、限定された敷地内での生活はストレスに満ちており、家庭内暴力、レイプ、薬物依存が慢性的に発生するなど、社会面、心理面、安全面での懸念を生んでいるとのことです。【UNHCRホームページより】 -
10分ほどして、検問所で再検査を受けていた女性ももどり、メーサローンに向けて出発します。
多くの客はここまでに降りて、その女性と私の2名なってしまいましたが、すぐに中学生か高校生ぐらいの女の子2名が乗り込んできました。
ミャンマー難民ついでに言うと、タイ北部は、近年は北朝鮮からの脱北者のルートにもなっています。
北朝鮮から中国領内に入り、昆明あたりからラオスを経て、メコン川を下り、③で紹介したゴールデン・トライアングルのチェンセーン付近に上陸・・・というものです。
“中国からラオスを経て”と言っても、現地で売春などによって金を稼ぎ、ブローカーへの支払いをしながら1年とか時間をかけながらの脱出も多いようです。タイ当局に一定期間拘束された後、韓国へ移されます。
このルートが使われるのは、タイは北朝鮮への送還を行わないこと、タイでの拘束期間が短いこと、タイ警察の扱いが比較的穏健であることなどのようです。
タイ北部は、そうした様々な人々の思いが交錯するエリアです。 -
バーン・ローチから更に30分ほど山の中に入ると、中国風の門構えの家などが多くなり、メーサローンです。
メーサローンに行くとしかドライバーには言っていなかったのですが、「新生(スィンセン)か?」とゲストハウス前で降ろしてくれました。料金は60B(約170円)
この一角に4軒のゲストハウスが集中しています。写真左が「Little Home」、中央奥が中国系の「新生(スィンセン)」、右手がアカ族の「アカ・メーサローン」、写真には写っていませんが、右手前にももう1軒あります。
まず、「Little Home」をあたってみたのですが、満杯とのこと。写真に写っていないもう1軒を「小さいけどきれいだ」と勧められました。「新生(スィンセン)」については「ウーン・・・」と言葉を濁していました。 -
どうしたものかと迷っている間に、「新生(スィンセン)」の主人から声がかり、結局そこに決めました。
トイレ・シャワー共同なら50B(約140円)ですが、TV・トイレ・ホットシャワーもついたバンガロー200B(約570円)にしました。敷地内の斜面にこうしたバンガローが点在しています。 -
無料WiFiも使えるとのことで大喜びしたのですが、「ただ、今日は繋がらない」とのこと。
なんか理由を言っていましたが、よく理解できませんでした。「じきに使えるようになる」との言葉を信じて待つことに。
結局、夜になってもネットは繋がらず(部屋の向かいにWiFiの発信装置があるので電波は強くネットワークに接続できるのですが、ページが開けない状態)、この日のブログ更新ができませんでした。
旅行中もあの手この手で毎日の更新に執着してきた私としては、かなり悔やまれることです。 -
ちょうどお昼時どきだったので、ゲストハウスで昼食。
スープのキノコが気持が悪くなる妙な味でした。 -
街の散策に。
中国系の町ですので、家も中国風です。 -
ゲストハウスから少し先にはセブンイレブンもあります。
ホテルも「新生(スィンセン)」の一画以外にも、いくつかあるようです。 -
お茶が特産ですので、通りにも写真のようなお茶屋さんがあります。
買う気があれば、頼めば中国茶を飲ませてくれます。 -
この先は何もなさそう。
引き返します。 -
途中、メーサローン・リゾートに行く道がありましたので、行ってみることに。
“歩き方”によれば、上り坂を徒歩12分とのこと。お茶でも飲んでみましょう。 -
近郊の少数民族風の人も。
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どんどん上ります。
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家はほとんど道路沿いだけのようです。
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メーサローンの街の中心部
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メーサローン・リゾートの入口
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広大な敷地内にはバンガローが点在しています。
写真のバンガローは比較的新しいものですが、「新生(スィンセン)」のバンガローと大差ないようなものも多くあります。 -
各種施設が取り囲むリゾート中央部。
誰もいません。チェックインには早い時間帯ではありますが、もう少し人の気配があってもよさそうです。 -
小さな資料館がありました。
日本語の新聞の切り抜きも。
ここメーサローン・リゾートは、中国国民党軍の軍事訓練所だった場所です。
国共合作で日本と戦った中国では、日本敗戦後、毛沢東・共産党(人民解放軍)と蒋介石・国民党の内戦となり、蒋介石・国民党軍は台湾へ追われます。ここまでは歴史の表世界です。
しかし、中国奥地に展開していた国民党軍の一部は、ミャンマー・タイへ逃れ、この地で武装したまま独自の支配地を確保します。1987年に武装解除するまで、この地で軍事訓練など行っていたということです。
そのため、この地域は中国系の人々がいまも多く居住している訳です。 -
当時の軍事訓練の様子
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ヘリなどいるところを見ると、少し時代は新しいようです。
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かつて軍事訓練が行われた、リゾート中心部。
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当時の行軍の様子
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現在の道路。
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この道路を行軍していたのでしょう。
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敷地裏の展望台。
元国民党軍は、ケシ栽培・アヘン製造にも手を染めていきます。
ゴールデン・トライアングルでケシ栽培によって独自の支配を行うクンサーの勢力との武力衝突もあったとか。 -
世の中が落ち着くにつれ、大陸へ戻る可能性は誰の目にもなくなってきます。
蒋介石・台湾とも遠いこのタイ北部で、どのような思いで日々の軍事訓練に励んだのでしょうか?
ケシ栽培の利権だけが目的となっていたのでしょうか?
台湾に移住するといことは選択肢になかったのでしょうか?
台湾との繋がりはなかったのでしょうか?
この山奥で、歴史の袋小路に迷い込んだ人々がどのような思いで暮らしていたのか・・・感慨深いものがあります。
武装解除後は、この地がサクラの名所であることもあって、観光地として生き残りを図っている、それがこのメーサローン・リゾートという訳です。
(帰国後確認したところでは、やはり多くが台湾へ移住したそうです。ただ、何らかの思いでこの地に残ってアヘンに手を染めながら独自の戦いを続けた人々が、今のメーサローンの人々、その父母です。「新生(スィンセン)」の主人の父親もそうした元国民党兵士だったそうです。) -
残念ながらサクラは12月から1月頃ということで、もう終わっていました。
資料館の写真によると、こんなサクラが咲くそうです。(旧日本軍の影響でしょう、現地でも“サクラ”と呼ばれているとか) -
レストランでお茶でも飲みましょう。
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休憩時間なのか、広い店内には客はおらず、店の人も片付け作業中です。
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作業中の女性にお茶を頼んだところ、一応出してはくれました。
なんか言っていましたが、中国語だかタイ語だかでわかりません。 -
出してはくれましたが、期待した中国式のお茶というより、そこらの食堂で食事前に出てくるような普通のお茶のスタイルです。ただ、なぜかポットがふたつあり、ひとつは白湯のようでした。
どうせ本格的な中国式のお茶でも、味はわからない人間ですので、こだわることもありません。
料金だけはしっかり50Bほどとられました。 -
メーサローン・リゾートを少し下ったあたりから、仏塔にあがる道があります。
時間もあるので行ってみましょう。 -
間もなく石段の道になります。
718段あるそうです。 -
こんな落書きも。“上まで登んなきゃ男じゃないよ!”といったところでしょうか。
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あまり大した男でもありませんが、上がります。
普段体を全く動かすことがない生活で、こんな運動は旅行中だけです。
途中休みながら上がります。 -
苦労して上った山頂からの眺めは素敵です。
でも700段あまりに苦労しているようでは、やはりヒマラヤ・トレッキングは無理みたい・・・。
(車道もありますので、車でも来られます)
1本だけピンクの花をつけているのは、山桜でしょうか? -
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広場の周囲に丸く家々が並ぶ集落も。
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茶畑でしょうか。
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仏塔は新しいもののようで、内部は上まで登れますが、特別目を引くようなものはありません。
観光開発の一環でつくられたものでしょうか。 -
仏塔の裏にも建物があります。
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裏の建物にも入ってみましょう。
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がらんとした内部には仏像が一体。
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仏像の前に1匹の蝶が。
動かないので死んでいるのでしょうか。
仏様の前で息絶えるとは・・・ひょっとしたら仏様の化身かも・・・という訳で、蝶々にも手を合わして拝みます。 -
仏塔から街へ下ります。
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漢字の標識が。
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台湾との繋がりを示すものでしょうか。
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ゲストハウス前を過ぎて、反対方向にも行ってみます。
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お茶屋さんの店先。梅干しみたいにも見えます。
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子供たちが大勢。
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学校でしょうか?白板には漢字が。
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ゲストハウスへ戻る道。
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夕食は豚足。
旅行前に「Little Home」のホームページで、豚足は雲南料理の素晴らしい体験だとかなんとか書いてあったのを思い出したからです。国内では豚足は食べません。1回食べて閉口したような記憶があります。
豚足を注文すると、「豚の足だけだが、本当にいいか?」と確認されます。
「ああ、食べてみようじゃないか」とオーダーしてみましたが、やはりコラーゲンの塊と言うか・・・。
教訓:これまでダメだったものは、場所が変わったからと言って良くなることはありません。
明日は、乗馬トレッキングなどで過ごし、メーサローンにもう1泊しようかと考えています。
インターネットが使えるようになればの話ですが。
ただ、乗馬トレッキングについては、これまでもインドネシアのジョグジャ近郊と中国・麗江で試したことがありましたが、乗っているのも結構大変で歩いたほうが楽かも・・・という印象もありました。
あのときは急な山道の上り下りだったから・・・場所が変わればまた違うかも・・・教訓が生かされない日々です。
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