2009/11/07 - 2009/11/07
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有田みかんさん
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皆さん(。・ω・)ノ゛ コンチャ♪
化野念仏寺をあとにして・・・
まだ時間があったので、嵯峨野界隈を散策することにしました。
紅葉にはまだちょっと早かったようですが・・・><
一応今回の全行程を・・・
広沢池→嵐山・高雄パークウエイ→神護寺→西明寺→高山寺→嵐山・高雄パークウエイ→化野念仏寺→檀林寺→祇王寺→滝口寺→二尊院→落柿舎→常寂光寺→終わり
でした
もうちょっとうまくまわれた気がしますし、見落とした所も多いですが・・・
それも旅の楽しみ、次回のお楽しみということで
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
-
まずはこの檀林寺から〜
あまりガイドブックなどにも載っていないところです
紅葉時の嵐山・嵯峨野にもかかわらずここへ入って行く方は少なかったです・・・ -
看板にもあるように・・・
平安時代の初め、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子(たちばなのかちこ)(786〜850)が創建した寺院に由来するしします
そんな皇后が建てたものですから、一時期は仏教・文化の中心的存在だったようです -
皇室ゆかりだからでしょうか、瓦に菊の御紋
お坊さん?がやたらプッシュしてくるので、妙に印象に残ってしまいました^^;
屋根には立派な青銅(かな??)彫刻の鳥もいます -
こちらの木は見頃には素晴らしいでしょうね〜
-
葉っぱも大きいです
ここには宝物館もあり、名前だけ聞けば国宝級の文化財がご覧になれます・・・
例えば・・・
何と空海をはじめ、光明皇后、雪舟、円山応挙、渡辺崋山、西郷隆盛といった人物の書や手紙などが・・・
が、いくらなんでも雑然すぎだろww
って位、床に転がったり、無造作に置かれたりしてます
真贋を見極められる方は行ってみてもいいかもしれませんね
そうでないσ(゚∀゚ には上級すぎるお寺でした^^;
あと帰ろうとすると、お守りを購入前提で売り込んでくるお坊さん??には参ってしまいました^^;
知名度の割には印象に残るお寺でした@@ -
続きまして祇王寺です
平家物語ゆかりのお寺だそうです
法然の門弟良鎮によって始められたと伝えられる往生院の境内にあり、かつては広い地域を占めていたがしだいに荒廃してささやかな尼寺として残ったそうです
平清盛の寵を失い、尼となった白拍子祇王と、妹の祇女、母の刀自らがこもったことにちなんで、のちに祇王寺とよばれるようになったそうです -
竹林がきれいですね
-
紅葉もそこそこ・・・
-
4枚しかなかった^^;
-
続きまして滝口寺です
寺名の滝口寺は、 平家物語「維盛高野」の巻で語られている滝口入道と横笛に由来するそうです -
念仏房良鎮上人によって創建された往生院の子院、三宝寺の旧跡、念仏道場として栄え、往時の境内は広く多くの坊があったと伝えられている
その後、応仁の乱などの戦火で都の多くの社寺が焼失したが、三宝寺は免れていた
しかし、明治維新で廃寺となり隣接する祇王寺の再建に続いて再建されたそうです -
本堂付近です
-
本堂から
正直あまり覚えてません><;
旅行から時間が経ちすぎたせいでしょうか^^; -
ここからは二尊院です
承和年間(834-48)慈覚大師円仁が開基
応仁・文明の乱のあと法然の弟子湛空が再興
総門は角倉了以が伏見城の薬医門を移築したものだそうです
釈迦如来と阿弥陀如来(ともに鎌倉時代の作で重文)を共に本尊とするため、二尊院の名もここから名付けられました
本堂に本尊が二体あるというのは珍しい事なのだそうです -
「紅葉の馬場」と呼ばれる参道ですね
見頃はまだといった感じでしょうか・・・ -
時代劇のロケとかでも使われそうですね
-
-
唐門から
応仁の乱で消失したものを永正18年(1521年)三条西実隆によって再建
扁額「小倉山」は、後柏原天皇の筆の勅額だそうです -
-
境内奥には土御門天皇、後嵯峨天皇、亀山天皇の分骨を安置する三帝陵があります
他にも、中・近世・現代を通じた著名人の墓も多く、大堰川開発の豪商角倉了以、幕末・明治の元勲三条実美、戦前の名優坂東妻三郎(田村正和のお父さん)などの墓もあります -
小倉餡は、こし餡の中に小豆が残っているものを指しますが・・・
小豆が鹿の模様に似ている
↓
鹿と言えば紅葉(花札?和歌?)
↓
紅葉と言えば京都の小倉山
だそうです・・・
九州の小倉かと思っていたσ(゚∀゚ は・・・ -
角倉了以像です
地元京都では商人と言うより琵琶湖疏水の設計者である田辺朔郎と共に「水運の父」として有名だそうです
石割斧を持ってますもんね・・・ -
境内を少し散策し、次の目的地へ・・・
-
続きまして落柿舎です
松尾芭蕉の弟子、向井去来の別荘として使用されていた草庵です
去来の『落柿舎記(らくししゃのき)』には、庭に柿の木四十本あり、その柿の実が一夜のうちに殆(ほとん)どおちつくした。それが落柿舎の名の由来(ゆらい)とかかれています
1691年(元禄4年)4月から5月までここに松尾芭蕉が滞在して嵯峨日記を著したそうです -
ちなみに手前は手前の白菜畑です
なんとなく日本の原風景を感じる風景です -
近づいてみました・・・
上の距離のほうがσ(゚∀゚ は好きですね・・・
特別きれいな風景では無いけれど・・・
心休まる風景を見ることができました^^ -
続きまして、常寂光寺です
百人一首で詠まれる小倉山の中腹の斜面にあって境内からは嵯峨野を一望でき、秋は全山紅葉に包まれる。その常寂光土のような風情から寺号がつけられたとされています -
まだ少し見頃には早かったようですね
例年11月半ば以降が見頃だそうです -
平安時代に藤原定家の山荘「時雨亭」があったと伝わる地で、安土桃山時代末の慶長元年(1596年)に日蓮宗大本山本圀寺十六世日禎が隠棲の地として当山を開いた
歌人でもある日禎に小倉山の麓の土地を寄進したのは角倉了以と角倉栄可で、小早川秀秋ら大名の寄進により堂塔伽藍が整備されたそうです -
仁王門です
南北朝時代の貞和年間に本圀寺の南門として建立、元和2年(1616年)に現在地に移築したものだそうです
仁王像は福井県小浜の日蓮宗寺院・長源寺から移されたものだそうです
寺伝に運慶作というが実際の作者は不明です・・・ -
本堂前にて
-
これだと・・・・
-
どこで撮ったのかわかりませんね><;
-
高さ12m余の多宝塔
-
実に美しかったです・・・
これにて今回の旅はおしまいです
(久々の旅で、ここで力尽きました^^;)
最後までお付き合い頂きありがとうございました^^
また別の旅でお目にかかれれば幸いです
みかん
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