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2月24日(木)<br /><br />ボグラの町を後にする。ボグラはAD3世紀ごろから栄えた町。文化財もたくさん残っているそう。前首相(BNP)の出身地だったので、前首相の肝いりで天然ガスが引かれ、農業主体だったが、工場も増えてきたそうだ。前首相は軍人だったので軍の基地もある。一応、軍が支配してはいけないという法律はあるそうだが、いまだもって軍が力を持っていて、軍人は特権階級みたいに優遇されているようだ。<br />                             <br />ダカに戻る前にパシラという機織の村を訪ねた。村に入ると、鮮やかに染められた糸があちこちにつる下げられて干してある。でもこれは化学染料だね。見慣れない日本人たちがやってきたので、好奇心の強い村人たちが集まってきた。サリー、ルンギの工房を見て回る。家内工業ではなく工房で集団で、サリーはサリー、ルンギはルンギを織っている。いざり機ではなく、縁の模様も上の機械で調節できるらしい。ここは綿織物だ。<br /><br /><br />村の学校をのぞく。子どもたちは先生が言う言葉を、大きな声で復唱している。「エ−テ エクタラ」と聞こえる。私も一緒になって「エーテ エクタラ」と叫ぶ。勘だけど、エーはエクタラ(1)のエと言っているんじゃないかな。ともかく、村中の人が私たちも周りを取り囲み、ぞろぞろとついてくる。もちろん私たちもデジカメ写真のサービスを怠らない。でも撮ってくれと割り込むのは男の子や男性ばかり。「男の子ナイ」と私が叫んでいる。ナイとはNoの意味、男の子はいらないと言いたいのだが、男の子というベンガル語を知らない。男の子と言う単語、教わっとかなきゃ。<br /><br />通りに米が干してあった。村人はその米を平気で踏んで歩いている。戦中派はそれは出来ない「米じゃ〜、踏んじゃだめだ」というと、耳がいいんだろう、すぐ「米じゃ〜、踏んじゃだめ」と鸚鵡返しにまねをする。足の悪いこのオバサンに肩を貸してくれた親切な男の子がいたんだけど、飴もあげられなかった。村人全員があつまっちゃ、とてもだすわけにはいかない。<br /><br />ルンギの販売所に行った。ルンギとは男性が腰に巻いているスカートのようなものだ。模様がきれいだし、一枚3ドルなので、みんながやたらと買っている。私もテーブルクロスにしてもいいと2枚買った。布は折りたたまれているので、しまうのはラク。ぞろぞろはバスに乗るまで続いた。バスの中でサデク君曰く「生産者が言っていました。あの人たち、ルンギをあんなに買ってどうするんでしょうね。どこかで売るんでしょうか」と。それを聞いて一同大笑い。だってそうだよね、買っているのは女性ばかりだったんだもの。ルンギは女性もはいてもいいそうだ、お茶目なサデク君が付け加える「そのときはパンツをはいてくださいね」と。あはは、そうなんだ。ルンギの下は何もはいていないことは知っていた。だから人の悪いこのオバサン、傍にいる男性のルンギをやたらと引っ張ってやったら、「ひゃ〜」と悲鳴を上げていたっけ。<br /><br />さぁ、一路ダカに向かう。例の大きな橋、ジョムナ橋を渡って。<br /><br /><br />何時も食事は日本人ために辛さは現地のものより控えている、とサデク君が言った。現地並の辛さも味わいたいというと、徐々に辛くして最後は現地並にしましょうか、と言っていたんだけど、辛さがますことはなかった。<br /><br />BRACの経営しているお店へ行った。みやげ物を買いたい人のためにである。私はみやげ物はほとんど買わない。買い物好きのおばさんたちは、地元経済への協力だとぬかしている。あっ、そう、ならはした金を使わないで、うんと値の張るものを買ってやってね。      <br /><br />いっそのこと、ホテルに部屋を借りて待っていようかとも思ったが、BRACのお店にも興味があったのでついていった。結局何にも買わなかったけど。見ていると、客はかなり入っていた。ただレジの処理はすこぶる遅いようだ。                                         渋滞の中をホテルに戻った。ホテルは空港に近い。何度も往復したので、空港までの道にはなじみが出来た。今夜はクリスマス・イヴ。イスラムの国でもイルミネーションが光っている。旅も終わる。<br /><br />最後の夕食だ。と、ホテルの支配人が挨拶に来た。最初の日、Mさんご夫妻の部屋にバスタブがなかったことを詫びにきたのである。<br /><br />とりあえず水で乾杯。するとサデク君が「ここのホテルならワインがあると思います」と言った。「なら私がご馳走するわ、赤ワイン、何があるかな?」というと「たぶん一種類ぐらいしかないと思います」確かに一種類しかなかった。見るとアルゼンチンワインだ。「いいよ、いいよ、みんなについであげて。サデク君はどうする?飲む?」と聞くと少し飲むという。無事仕事も終わることだし、アッラーを忘れなければいいんだよ。改めて、カンパイ!<br />                             清算のとき、ワイン、いくらと聞くと3500TK、で、50ドルだすと、ドルでは困るという。なんで〜?ならカードで払ってくれというので、カードで払ったけど、こんなホテルで、変なの。でもこの値段、3500TKって数字,覚えがある、一般市民の平均月収だ、でも、今日はクリスマス・イヴ、私は観光客、許してもらおう。<br /><br />空港の入り口で荷物を下してもらい、サデク君と運転手さんとはここでお別れ。お世話になりました。おかげでとてもたのしい旅だったよ。荷物のX線検査をすると、毎回、女の人だけ隅の囲いの中で身体検査をされる。探知機を当てるだけだが、何のためにしているんだろう。これは飛行機に乗るたびにされた。まったく!<br /><br />カウンターでパスポートを出すと、名前を呼んだ順に荷物を乗せてくれという。初め呼ばれたのがTさん。続いて私。入国審査に手間がかかったから、チェックインが済んだ人からイミグレに行って出国審査をしませておこうということになって、私とTさんが出かけた。入り口でパスポートとエアチケットを出すと、入国の時の半券がないという。あれ、半券、どこにしまっちゃんたんだろう、何時も同じケースに入れておくのに。仕方がないのでもう一度書き直した。Tさんも同じく書き直し組み。早く来てよかったね。出国審査も時間がかかったけど、まずはOK。<br /><br />掲示板で登場口を調べて、列に並んだら、列はドバイ行きだった。とはいえ、私たち二人以後、だれも来ない。何かトラブルがあったんだろうか、いささか心配になった。しかしみんな旅はなれているはず。しかも残っている方が人数は多い。掲示に番号が出た。さっきとは違って4番になっている。4番に行ってみた。確かにクアルンランプール行きだ。でもまだだれも来ない。待合室に入るチェックが始まった。先に入ってしまう。みんなが間に合わなかったら、二人だけ先に帰ってしまおうか、なんて言っていると、後続の姿が見えた。やれやれほっと。<br /><br />聞くと、私たちのすぐ後で、コンピューターがトラブルを起こし、作業が出来なくなってしまったとか。そこで待たして悪かったと、3人分、ビジネスにしてくれたという。なんのこっちゃ。きっと心配していると思ってたけど、と。そのビジネスのチケット、私とTさんとFさんがもらった。飛行機は1時間半以上遅れ、11時半過ぎに出発した。せっかくビジネスにゆったりすわれたのはいいんだけど、眠くて食事はサテを2本食べただけ。後はいいと断って寝てしまった。<br /><br /><br />12月25日(金)<br /><br />遅れて出発したのは、クアラルンプールでの待ち時間が少なくなるから歓迎。日本へのロビーを探しながら、黒川紀章が設計した構内を眺めながら歩いていく。時間があったって真夜中だし、開いているお店もあるようだが、足が悪いので、ふらふら見学に行くのも苦労。じっと待っている。ラジシャヒで出会った日本人一行と一緒になった。結局彼らはカワウソ漁を見ることはできなっかったそう。彼らが、飛行機はクアラルンプールからコタキナバルによって成田に向かうのだという。まさか〜、コタキナバルはボルネオだ、国内線じゃあるまいし、と疑いながら掲示板を見るとそうみたいだ。9時半発なのに夜7時着とは時間がかかると思っていたら、そうだったのだ。調べもしなかったんだけど。コタキナバルで乗客を降ろし、掃除がは入った。私は機内から出ずにシートに座って外を見ていた。窓から見る海はきれいだった。フィリピン諸島の上を飛んだときの下界は美しかった。<br /><br />さぁ、帰ってきた。バスでちょっと時間はかかったけど、横浜まで出て、横浜から電車に乗った。日本は心配していたほど寒くはなかった。10時50分ごろには真鶴に着いた。Papasanが迎えに来ていてくれた。<br />

バングラデシュ 9

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2009/12/16 - 2009/12/25

326位(同エリア359件中)

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6

buchijoyce

buchijoyceさん

2月24日(木)

ボグラの町を後にする。ボグラはAD3世紀ごろから栄えた町。文化財もたくさん残っているそう。前首相(BNP)の出身地だったので、前首相の肝いりで天然ガスが引かれ、農業主体だったが、工場も増えてきたそうだ。前首相は軍人だったので軍の基地もある。一応、軍が支配してはいけないという法律はあるそうだが、いまだもって軍が力を持っていて、軍人は特権階級みたいに優遇されているようだ。
                             
ダカに戻る前にパシラという機織の村を訪ねた。村に入ると、鮮やかに染められた糸があちこちにつる下げられて干してある。でもこれは化学染料だね。見慣れない日本人たちがやってきたので、好奇心の強い村人たちが集まってきた。サリー、ルンギの工房を見て回る。家内工業ではなく工房で集団で、サリーはサリー、ルンギはルンギを織っている。いざり機ではなく、縁の模様も上の機械で調節できるらしい。ここは綿織物だ。


村の学校をのぞく。子どもたちは先生が言う言葉を、大きな声で復唱している。「エ−テ エクタラ」と聞こえる。私も一緒になって「エーテ エクタラ」と叫ぶ。勘だけど、エーはエクタラ(1)のエと言っているんじゃないかな。ともかく、村中の人が私たちも周りを取り囲み、ぞろぞろとついてくる。もちろん私たちもデジカメ写真のサービスを怠らない。でも撮ってくれと割り込むのは男の子や男性ばかり。「男の子ナイ」と私が叫んでいる。ナイとはNoの意味、男の子はいらないと言いたいのだが、男の子というベンガル語を知らない。男の子と言う単語、教わっとかなきゃ。

通りに米が干してあった。村人はその米を平気で踏んで歩いている。戦中派はそれは出来ない「米じゃ〜、踏んじゃだめだ」というと、耳がいいんだろう、すぐ「米じゃ〜、踏んじゃだめ」と鸚鵡返しにまねをする。足の悪いこのオバサンに肩を貸してくれた親切な男の子がいたんだけど、飴もあげられなかった。村人全員があつまっちゃ、とてもだすわけにはいかない。

ルンギの販売所に行った。ルンギとは男性が腰に巻いているスカートのようなものだ。模様がきれいだし、一枚3ドルなので、みんながやたらと買っている。私もテーブルクロスにしてもいいと2枚買った。布は折りたたまれているので、しまうのはラク。ぞろぞろはバスに乗るまで続いた。バスの中でサデク君曰く「生産者が言っていました。あの人たち、ルンギをあんなに買ってどうするんでしょうね。どこかで売るんでしょうか」と。それを聞いて一同大笑い。だってそうだよね、買っているのは女性ばかりだったんだもの。ルンギは女性もはいてもいいそうだ、お茶目なサデク君が付け加える「そのときはパンツをはいてくださいね」と。あはは、そうなんだ。ルンギの下は何もはいていないことは知っていた。だから人の悪いこのオバサン、傍にいる男性のルンギをやたらと引っ張ってやったら、「ひゃ〜」と悲鳴を上げていたっけ。

さぁ、一路ダカに向かう。例の大きな橋、ジョムナ橋を渡って。


何時も食事は日本人ために辛さは現地のものより控えている、とサデク君が言った。現地並の辛さも味わいたいというと、徐々に辛くして最後は現地並にしましょうか、と言っていたんだけど、辛さがますことはなかった。

BRACの経営しているお店へ行った。みやげ物を買いたい人のためにである。私はみやげ物はほとんど買わない。買い物好きのおばさんたちは、地元経済への協力だとぬかしている。あっ、そう、ならはした金を使わないで、うんと値の張るものを買ってやってね。      

いっそのこと、ホテルに部屋を借りて待っていようかとも思ったが、BRACのお店にも興味があったのでついていった。結局何にも買わなかったけど。見ていると、客はかなり入っていた。ただレジの処理はすこぶる遅いようだ。                                         渋滞の中をホテルに戻った。ホテルは空港に近い。何度も往復したので、空港までの道にはなじみが出来た。今夜はクリスマス・イヴ。イスラムの国でもイルミネーションが光っている。旅も終わる。

最後の夕食だ。と、ホテルの支配人が挨拶に来た。最初の日、Mさんご夫妻の部屋にバスタブがなかったことを詫びにきたのである。

とりあえず水で乾杯。するとサデク君が「ここのホテルならワインがあると思います」と言った。「なら私がご馳走するわ、赤ワイン、何があるかな?」というと「たぶん一種類ぐらいしかないと思います」確かに一種類しかなかった。見るとアルゼンチンワインだ。「いいよ、いいよ、みんなについであげて。サデク君はどうする?飲む?」と聞くと少し飲むという。無事仕事も終わることだし、アッラーを忘れなければいいんだよ。改めて、カンパイ!
                             清算のとき、ワイン、いくらと聞くと3500TK、で、50ドルだすと、ドルでは困るという。なんで〜?ならカードで払ってくれというので、カードで払ったけど、こんなホテルで、変なの。でもこの値段、3500TKって数字,覚えがある、一般市民の平均月収だ、でも、今日はクリスマス・イヴ、私は観光客、許してもらおう。

空港の入り口で荷物を下してもらい、サデク君と運転手さんとはここでお別れ。お世話になりました。おかげでとてもたのしい旅だったよ。荷物のX線検査をすると、毎回、女の人だけ隅の囲いの中で身体検査をされる。探知機を当てるだけだが、何のためにしているんだろう。これは飛行機に乗るたびにされた。まったく!

カウンターでパスポートを出すと、名前を呼んだ順に荷物を乗せてくれという。初め呼ばれたのがTさん。続いて私。入国審査に手間がかかったから、チェックインが済んだ人からイミグレに行って出国審査をしませておこうということになって、私とTさんが出かけた。入り口でパスポートとエアチケットを出すと、入国の時の半券がないという。あれ、半券、どこにしまっちゃんたんだろう、何時も同じケースに入れておくのに。仕方がないのでもう一度書き直した。Tさんも同じく書き直し組み。早く来てよかったね。出国審査も時間がかかったけど、まずはOK。

掲示板で登場口を調べて、列に並んだら、列はドバイ行きだった。とはいえ、私たち二人以後、だれも来ない。何かトラブルがあったんだろうか、いささか心配になった。しかしみんな旅はなれているはず。しかも残っている方が人数は多い。掲示に番号が出た。さっきとは違って4番になっている。4番に行ってみた。確かにクアルンランプール行きだ。でもまだだれも来ない。待合室に入るチェックが始まった。先に入ってしまう。みんなが間に合わなかったら、二人だけ先に帰ってしまおうか、なんて言っていると、後続の姿が見えた。やれやれほっと。

聞くと、私たちのすぐ後で、コンピューターがトラブルを起こし、作業が出来なくなってしまったとか。そこで待たして悪かったと、3人分、ビジネスにしてくれたという。なんのこっちゃ。きっと心配していると思ってたけど、と。そのビジネスのチケット、私とTさんとFさんがもらった。飛行機は1時間半以上遅れ、11時半過ぎに出発した。せっかくビジネスにゆったりすわれたのはいいんだけど、眠くて食事はサテを2本食べただけ。後はいいと断って寝てしまった。


12月25日(金)

遅れて出発したのは、クアラルンプールでの待ち時間が少なくなるから歓迎。日本へのロビーを探しながら、黒川紀章が設計した構内を眺めながら歩いていく。時間があったって真夜中だし、開いているお店もあるようだが、足が悪いので、ふらふら見学に行くのも苦労。じっと待っている。ラジシャヒで出会った日本人一行と一緒になった。結局彼らはカワウソ漁を見ることはできなっかったそう。彼らが、飛行機はクアラルンプールからコタキナバルによって成田に向かうのだという。まさか〜、コタキナバルはボルネオだ、国内線じゃあるまいし、と疑いながら掲示板を見るとそうみたいだ。9時半発なのに夜7時着とは時間がかかると思っていたら、そうだったのだ。調べもしなかったんだけど。コタキナバルで乗客を降ろし、掃除がは入った。私は機内から出ずにシートに座って外を見ていた。窓から見る海はきれいだった。フィリピン諸島の上を飛んだときの下界は美しかった。

さぁ、帰ってきた。バスでちょっと時間はかかったけど、横浜まで出て、横浜から電車に乗った。日本は心配していたほど寒くはなかった。10時50分ごろには真鶴に着いた。Papasanが迎えに来ていてくれた。

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