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12月18日(金)<br /><br />食事に行って戻ってくると、ドアをノックする音。開けるとボーイが立っている。明らかに東洋系の顔立ち。ランガマティの少数民族の出だろう。「アッサラーム アレイクム」と挨拶すると「私は仏教徒です」という返事。「仏教徒はなんて挨拶するの?」と聞くと「・・・」と答えた。耳の悪い私には聞き取れなかったので2回繰り返すと「いいです」という身振りをして戻って行った。あれ、なんの用事だったんだろう。<br /><br /><br />まずはマハムニ寮を訪問するのだ。チッタゴンから1時間半ぐらいかかるという。バスの中でサデク君に聞いた。「仏教徒はアッサラーム アレイクムは使わないんだって。だれもは使えるような言葉ないの?」「あります。Good morningのような言葉です。でも、一般に通じるかどうか」「一般の人に通じなければ意味ないよ。それにしてもアッサラーム アレイクムはアラビア語でしょう。なんで一番使う挨拶にベンガル語を使わないんだろうね。」そういえば他の国でもムスリム同士はアッサラーム アレイクムを使うが、ムスリム以外ではマルハバを使うと聞いたような覚えがある。バングラデシュはイスラムが国教で、85%以上がムスリムだから、アラビア語を使うといえば分からないわけではないが、この国の革命を思い出せば、東西パキスタンの公用語をウルドゥ語にしようとしたことに端を発している。それに抗議して死んだ学生たちの記念碑がダカ大学の構内にも、他の大学にもあったんだが。<br /><br /><br />子どもたちへのお土産のボールを買うためにスポーツ店に寄ってもらった。買い物はまかせて私はバスで待っていた。ほどなく「いまバングラではバドミントンが流行っているんだって。だからバドミントンとサッカーボールとバレーボールにした」と言いながら荷物を抱えてきた。ごくろうさま!きっと子どもたち、よろこぶよ。<br /><br /><br />通り過ぎる村の様子を走るバスの窓からコンパクトデジカメでいい加減に撮っている。シャッターを押しても2秒ほど遅れるので、どこが撮れるかわからない。ほとんど捨てることになる。ここらへんは竹が多い。<br /><br /><br />マハムニ母子寮に着いた。門の外に代表のノトゥさんが出迎えてくれた。「ノトゥさんですか」とたずねるとにこやかにうなずいた。すると横から日本人の顔。「あれ、日本人がいる!」と思わず叫ぶと「山田真です。私がご案内します。」「えっ、写真家の山田さん?船舶解体の写真を撮った・・」「そうです」それはそれは願ってもない方にお目にかかった。「もっと年配の方だと思っていたら、お若いんですねぇ」おばさんは変なところに感心している。もっとも若いからああいう写真が撮れるのかも。<br /><br />山田さんの写真「チッタゴン船舶解撤場の現状」:<br /><br />http://www.sof.or.jp/jp/news/101-150/110_3.php<br /><br />                             <br />まずは事務所に招き入れられ、ご挨拶。青木さんからの手紙と用意してきた私のドネイションをノトゥさんに渡す。日本語にしたマハムニ寮の経緯をみなに配ってくれた。<br />マハムニ寮の紹介は、<br />http://mahamuni.dreamblog.jp/blog/7.html<br /><br /><br />1971年、渡辺天城(てんじょう)さんという僧がパキスタンからの独立戦争で親や夫を失った貧困に苦しむ子どもや女性を助けることから始まった。天城さん亡き後、福井さんという僧が継いだが、その方もガンでなくなり、いまは卒業生のノトゥさんが責任者をしている。今は地元の協力も得られるようになった。                                <br /><br />山田さんがマハムニと関わって10年になる。バングラデシュは国土が狭い上に人口が多い。土地は高い。なかなか自作農は始められない。マハムニも村から畑を借りて、米作りをしている。その稲刈りが明日なので、取材に来て、その後、宮川先生を取材するのだと言う。マハムニの課題はここを出た子どもたちの受け入れ先の開拓だろうという。日系企業にも話をしているそうだ。企業的センスのある,政治力のある人がいるといいんだけどね。宮川先生のところの看護学校にひとり入学できることになったとも話してくれた。<br /><br /><br />子どもたちの様子を見に教室に行くと、子どもたちはにこにこしながら「おはようございます」「いらっしゃい」と日本語で挨拶する。子どもたちに「勉強はたのしい?」と聞くと、口々に「たのしい」という答えが返ってきた。山田さんも「私は不意に顔を出すんですが、いつでもまじめに勉強していますよ」と付け加えた。学級崩壊なんてないんだね。<br /><br /><br />子どもたちの宿舎を見たり、炊事場を見たりして、校庭に出ると、子どもたちが集まっている。どうもお土産の贈呈式をするようだ。MR.に挨拶をしてもらい、それをサデク君が通訳してくれた。記念撮影をするというので、みんながそれぞれにカメラをサデク君やファルク君に渡し、シャッターを切ってもらっている。みんなに向かってサデク君が「ハシムケ」と叫んでいる。まねして私も「ハシムケ!」というと、みんながどっと笑った。「ハシムケ」とは「笑って」という意味だった。                                       <br /><br />子どもたちはすぐさまもらったバドミントン、サッカーボールやバレーボールで遊びだした。それでも何も出来ない子どもたちもいる。それを見て、「もっと買ってきてやればよかったね」とFさんが言った。<br /><br /><br />入り口近くに渡辺天城師の記念堂がある。胸像を祀ったその上に南無妙法連華経の文字をみた。「日蓮宗なのですか?」と山田さんに聞くと「渡辺さんは日本山妙法寺の坊さんで、藤井日達さんの弟子でした」と言う。あらま〜、マハムニの話は聞いていたし、渡辺師のことも聞いていたが日本山の坊さんだったとは聞いていなかった。「藤井日達さんはよく存じ上げていますよ。家にもよく見えていたし。日達さんはガンジーとも親交が深く、仏教をインドに返したいとおしゃっていましたよ。なるほど、日本山の坊さんなら、こういうことも。これもお引き合わせかも」と私はうなった。<br />山田さん、ノトゥさん、子どもたちに見送られて、次の訪問地チャンドラゴーナに向かった。<br /><br />病院に着いた。サデク君が宮川先生を呼びに行った。ほどなく白衣を着た先生が現れた。Fさんが皆を代表して院長に挨拶に行った。そのままバスで先生宅に、といっても病院から数十メートルなんだけど。お弁当を先生宅で取らせてもらうようだ。そういえば、ネパールでも木村先生宅にお邪魔したっけなぁ。預かってきたダンボールを渡し、これで任務完了。<br /><br />食事をし、先生の活動を紹介するスライドを見せてもらった。初めての人もいるので、これはわかりやすい。ついでに今回携えていった「バングラデシュを知る60章 (第二版)」に宮川先生も「それでも命は待ってくれない」を執筆していることを紹介した。<br /><br />そのあと病院内を案内していただいた。宮川先生は若いとき、ネパールで医療活動をしていた岩村昇医師の講演を聞いて、自分も地域医療に携わりたいと医師の道をすすまれたのだときいた。岩村昇さんの著書「ネパールの青い空」には私も大きな影響をうけている。宮川先生は夢かなって医療に従事しているが、夢に付き合わせてしまっている奥さんには感謝していると言っていた。夢はひとりより二人の方が大きく膨らむ。奥さんの理解があればこその日々だろう。理解者がいて、それも最愛の人が理解者なんだから、先生は幸せですよ。<br /><br />内科、外科、小児科、産婦人科と病室をまわる。先生は患者一人一人に優しく話しかけている。赤ちゃんが生まれて、家族こぞって心から喜んでいる、心温まる景色だ。健康に育つことを祈るのみ。検査室でマラリア菌をみせてもらった。ネパールでは結核菌とサナダムシの4つある口をみせてもらった。だからマラリア菌はみたかったんだ。分かりやすく赤い点を入れてくれたが、素人には単にまるい点に赤が入っていることしか分からない。顕微鏡で見る限りは迫力ないなぁ、しかしこれが悪さを引き起こすんだ。タイでマラリア撲滅に来てマラリアにかかってしまった若い人に合ったことがある。日本だって、戦中までは八重山諸島ではマラリア蚊が猛威を振るっていたんだ。私は島民から直に体験談を聞いたことがある。西表島の海岸には「忘勿石」が立っているよ。ネパールだって、タルー平原はマラリア蚊の生息地だったんだよ。<br /><br />そして最後にハンセン病棟に行った。ハンセン病は聞いてはいたが、実際に患者さんに会うのははじめて。先生の説明だと、ハンセン病は感染症だが、ハンセン病菌はとても弱い菌だそう。ただ潜伏期間が長いので感染したかどうか早期判断が出来ない、また発病してもハンセン病に対するまわりの偏見も根強く、隠していることで病気を重くしてしまっている。先生は本当に優しく、患者一人一人の患部を触りながら病状を説明する。患者は素直に受け答えしている。これこそ医療の原点だ。患者に接しているときの先生の優しさ、全身からにじみでるような優しさ、カメラを向けたい衝動に駆られたが、どうしたら優しさを表現できるんだろう、その表現方法が見つからず、とうとう一度もシャッターを切ることは出来なかった。先生はいつでも自由に写真を撮ってかまいませんよ、とおっしゃったが。<br /><br />病気は止めることが出来るが、手や足が曲がってしまった人たち、どうしたらこの人たちの社会復帰が出来るんだろう。若くして発病してしまった女性の未来に打ちひしがれる思いだった。壊死してしまった足を補う部品を作っている工房も見学した。靴のBATAが底は硬く、内部はやわらかい材質を提供してくれているという。<br />「何か質問がありますか」と先生。「話には聞いていましたし、本も読んでいささかの知識もありましたが、実際にハンセン病の患者さんにあったのははじめて。言葉もありません」と私。私たちもショックだったが、同国人のガイドたちは初めての体験で、もっとショックだったようだ。<br /><br />病院から程近いところに小さなバザールがある。休憩中だからと先生が連れて行ってくれた。いろんなお店が並んでいる。このバザール、気がついたのは薬屋さんが多いことだ。例えが悪いかもしれないが、病院の門前町みたい。この方が薬が買いやすいのだそうだ。<br /><br />病院をバザールに下ると川があった。ただし、その川は白い物質で覆われていた。上流に製紙工場があるのだという。公害だねぇ。おそらくそのヘドロだろう。当時の悪臭の田子の浦を思い出した。水質検査しなくていいのかねぇ。気になった。<br /><br />先生一家に見送られてバスはランガマティに向かう。ランガマティは丘陵地帯で以前からモンゴロイド系の民族が暮らしていた。13の民族がそれぞれの文化を守って暮らしている。仏教徒が多い。バングラデシュ独立で併合されたはいいが、力を背景にした政府の強引な政策で、少数民族はその権利を奪われてしまった。イスラエルが入植者を送り込んでいるパレスチナとよく似ている。当然のことながら、少数民族側は反政府運動を展開する。そのため分離独立を求める紛争が起こり、平和協定は結んだが、まだ火種はくすぶっていて、外国人がこの地に入るには政府の許可証が必要だ。<br />参考:http://www.jummanet.org/ <br /><br />緊急署名のお願い:<br /><br />http://cht-global-voices.jp/index.php<br /><br />                             バスは何回も止まり、許可証を見せたりと、なにやら交渉をしているようだ。<br />行きかう人々の顔も、アーリア系からアジア系になってきた。民族衣装も変わってきた。この辺りで一番多い民族はチャクマ族だという。<br /><br />先ず、パナビハール寺院を訪問。ここの開祖はボノ・バンテという僧で20年も森の中で修行をされたのでこの名があるとか、ボノはボンと同じく森を意味する。お堂の周りの手すりに三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)の像がはめ込まれている。三猿はエジプトにもその教えがあり、シルクロードを経て日本に伝わったと聞いているが、藤井日達さんがガンジーに三猿の置物をお土産に持って行き、ガンジーがとてもよろこんで、教えにも使っていたという逸話を聞いている。<br /><br />講堂では糞掃衣をまとった修行僧たちがお祈りをしていた。ほどなくお祈りが終わってぞろぞろと僧たちが出てきた。年配の僧に声をかけると、あの建物の二階に高僧がいる、会えるから会っていきなさい、と教えてくれた。で、建物の中に入っていく。廊下を回り階段を上ってさらに奥に行くと、そこは広い講堂。壁の傍には信者と思しき人たちが座っている。私たちも入って座れと言われた。入り口近くにまとまっていると、もっと奥にいってもいいと言われ、中にすすんだ。車椅子に乗って頭巾をかぶった93歳のボノ・バンテ師が、車椅子を押してもらい講堂内をゆっくりと回ってくる。老僧は頭をたれたまま。しかし私たちの前に来ると、頭を上げ、右手でなにやら、祝福をするような仕草をしてくれた。サデク君が、日本からはるばる来たのだと伝えておいたのだそうだ。<br /><br />ホテルは森の中の国営のホテル。2階なのでエレベーターはない。バスタブもない。私たちの部屋は階段の上がり口。ドアを開けると中は網戸。窓も中がわは網戸だ。蚊取り線香をつけようと思ったが、大丈夫そうなので焚かなかった。食事はホテルで、宮川先生が差し入れしてくれた辛い味のついたチャパティを温めて頂いた。結局シャワーも浴びず、窓も締め切ったまま寝てしまった。厚い毛布が置いてあったので、他よりは暖かく眠れた。<br /><br />               <br />

バングラデシュへ3

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2009/12/16 - 2009/12/25

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buchijoyce

buchijoyceさん

12月18日(金)

食事に行って戻ってくると、ドアをノックする音。開けるとボーイが立っている。明らかに東洋系の顔立ち。ランガマティの少数民族の出だろう。「アッサラーム アレイクム」と挨拶すると「私は仏教徒です」という返事。「仏教徒はなんて挨拶するの?」と聞くと「・・・」と答えた。耳の悪い私には聞き取れなかったので2回繰り返すと「いいです」という身振りをして戻って行った。あれ、なんの用事だったんだろう。


まずはマハムニ寮を訪問するのだ。チッタゴンから1時間半ぐらいかかるという。バスの中でサデク君に聞いた。「仏教徒はアッサラーム アレイクムは使わないんだって。だれもは使えるような言葉ないの?」「あります。Good morningのような言葉です。でも、一般に通じるかどうか」「一般の人に通じなければ意味ないよ。それにしてもアッサラーム アレイクムはアラビア語でしょう。なんで一番使う挨拶にベンガル語を使わないんだろうね。」そういえば他の国でもムスリム同士はアッサラーム アレイクムを使うが、ムスリム以外ではマルハバを使うと聞いたような覚えがある。バングラデシュはイスラムが国教で、85%以上がムスリムだから、アラビア語を使うといえば分からないわけではないが、この国の革命を思い出せば、東西パキスタンの公用語をウルドゥ語にしようとしたことに端を発している。それに抗議して死んだ学生たちの記念碑がダカ大学の構内にも、他の大学にもあったんだが。


子どもたちへのお土産のボールを買うためにスポーツ店に寄ってもらった。買い物はまかせて私はバスで待っていた。ほどなく「いまバングラではバドミントンが流行っているんだって。だからバドミントンとサッカーボールとバレーボールにした」と言いながら荷物を抱えてきた。ごくろうさま!きっと子どもたち、よろこぶよ。


通り過ぎる村の様子を走るバスの窓からコンパクトデジカメでいい加減に撮っている。シャッターを押しても2秒ほど遅れるので、どこが撮れるかわからない。ほとんど捨てることになる。ここらへんは竹が多い。


マハムニ母子寮に着いた。門の外に代表のノトゥさんが出迎えてくれた。「ノトゥさんですか」とたずねるとにこやかにうなずいた。すると横から日本人の顔。「あれ、日本人がいる!」と思わず叫ぶと「山田真です。私がご案内します。」「えっ、写真家の山田さん?船舶解体の写真を撮った・・」「そうです」それはそれは願ってもない方にお目にかかった。「もっと年配の方だと思っていたら、お若いんですねぇ」おばさんは変なところに感心している。もっとも若いからああいう写真が撮れるのかも。

山田さんの写真「チッタゴン船舶解撤場の現状」:

http://www.sof.or.jp/jp/news/101-150/110_3.php

                             
まずは事務所に招き入れられ、ご挨拶。青木さんからの手紙と用意してきた私のドネイションをノトゥさんに渡す。日本語にしたマハムニ寮の経緯をみなに配ってくれた。
マハムニ寮の紹介は、
http://mahamuni.dreamblog.jp/blog/7.html


1971年、渡辺天城(てんじょう)さんという僧がパキスタンからの独立戦争で親や夫を失った貧困に苦しむ子どもや女性を助けることから始まった。天城さん亡き後、福井さんという僧が継いだが、その方もガンでなくなり、いまは卒業生のノトゥさんが責任者をしている。今は地元の協力も得られるようになった。                                

山田さんがマハムニと関わって10年になる。バングラデシュは国土が狭い上に人口が多い。土地は高い。なかなか自作農は始められない。マハムニも村から畑を借りて、米作りをしている。その稲刈りが明日なので、取材に来て、その後、宮川先生を取材するのだと言う。マハムニの課題はここを出た子どもたちの受け入れ先の開拓だろうという。日系企業にも話をしているそうだ。企業的センスのある,政治力のある人がいるといいんだけどね。宮川先生のところの看護学校にひとり入学できることになったとも話してくれた。


子どもたちの様子を見に教室に行くと、子どもたちはにこにこしながら「おはようございます」「いらっしゃい」と日本語で挨拶する。子どもたちに「勉強はたのしい?」と聞くと、口々に「たのしい」という答えが返ってきた。山田さんも「私は不意に顔を出すんですが、いつでもまじめに勉強していますよ」と付け加えた。学級崩壊なんてないんだね。


子どもたちの宿舎を見たり、炊事場を見たりして、校庭に出ると、子どもたちが集まっている。どうもお土産の贈呈式をするようだ。MR.に挨拶をしてもらい、それをサデク君が通訳してくれた。記念撮影をするというので、みんながそれぞれにカメラをサデク君やファルク君に渡し、シャッターを切ってもらっている。みんなに向かってサデク君が「ハシムケ」と叫んでいる。まねして私も「ハシムケ!」というと、みんながどっと笑った。「ハシムケ」とは「笑って」という意味だった。                                       

子どもたちはすぐさまもらったバドミントン、サッカーボールやバレーボールで遊びだした。それでも何も出来ない子どもたちもいる。それを見て、「もっと買ってきてやればよかったね」とFさんが言った。


入り口近くに渡辺天城師の記念堂がある。胸像を祀ったその上に南無妙法連華経の文字をみた。「日蓮宗なのですか?」と山田さんに聞くと「渡辺さんは日本山妙法寺の坊さんで、藤井日達さんの弟子でした」と言う。あらま〜、マハムニの話は聞いていたし、渡辺師のことも聞いていたが日本山の坊さんだったとは聞いていなかった。「藤井日達さんはよく存じ上げていますよ。家にもよく見えていたし。日達さんはガンジーとも親交が深く、仏教をインドに返したいとおしゃっていましたよ。なるほど、日本山の坊さんなら、こういうことも。これもお引き合わせかも」と私はうなった。
山田さん、ノトゥさん、子どもたちに見送られて、次の訪問地チャンドラゴーナに向かった。

病院に着いた。サデク君が宮川先生を呼びに行った。ほどなく白衣を着た先生が現れた。Fさんが皆を代表して院長に挨拶に行った。そのままバスで先生宅に、といっても病院から数十メートルなんだけど。お弁当を先生宅で取らせてもらうようだ。そういえば、ネパールでも木村先生宅にお邪魔したっけなぁ。預かってきたダンボールを渡し、これで任務完了。

食事をし、先生の活動を紹介するスライドを見せてもらった。初めての人もいるので、これはわかりやすい。ついでに今回携えていった「バングラデシュを知る60章 (第二版)」に宮川先生も「それでも命は待ってくれない」を執筆していることを紹介した。

そのあと病院内を案内していただいた。宮川先生は若いとき、ネパールで医療活動をしていた岩村昇医師の講演を聞いて、自分も地域医療に携わりたいと医師の道をすすまれたのだときいた。岩村昇さんの著書「ネパールの青い空」には私も大きな影響をうけている。宮川先生は夢かなって医療に従事しているが、夢に付き合わせてしまっている奥さんには感謝していると言っていた。夢はひとりより二人の方が大きく膨らむ。奥さんの理解があればこその日々だろう。理解者がいて、それも最愛の人が理解者なんだから、先生は幸せですよ。

内科、外科、小児科、産婦人科と病室をまわる。先生は患者一人一人に優しく話しかけている。赤ちゃんが生まれて、家族こぞって心から喜んでいる、心温まる景色だ。健康に育つことを祈るのみ。検査室でマラリア菌をみせてもらった。ネパールでは結核菌とサナダムシの4つある口をみせてもらった。だからマラリア菌はみたかったんだ。分かりやすく赤い点を入れてくれたが、素人には単にまるい点に赤が入っていることしか分からない。顕微鏡で見る限りは迫力ないなぁ、しかしこれが悪さを引き起こすんだ。タイでマラリア撲滅に来てマラリアにかかってしまった若い人に合ったことがある。日本だって、戦中までは八重山諸島ではマラリア蚊が猛威を振るっていたんだ。私は島民から直に体験談を聞いたことがある。西表島の海岸には「忘勿石」が立っているよ。ネパールだって、タルー平原はマラリア蚊の生息地だったんだよ。

そして最後にハンセン病棟に行った。ハンセン病は聞いてはいたが、実際に患者さんに会うのははじめて。先生の説明だと、ハンセン病は感染症だが、ハンセン病菌はとても弱い菌だそう。ただ潜伏期間が長いので感染したかどうか早期判断が出来ない、また発病してもハンセン病に対するまわりの偏見も根強く、隠していることで病気を重くしてしまっている。先生は本当に優しく、患者一人一人の患部を触りながら病状を説明する。患者は素直に受け答えしている。これこそ医療の原点だ。患者に接しているときの先生の優しさ、全身からにじみでるような優しさ、カメラを向けたい衝動に駆られたが、どうしたら優しさを表現できるんだろう、その表現方法が見つからず、とうとう一度もシャッターを切ることは出来なかった。先生はいつでも自由に写真を撮ってかまいませんよ、とおっしゃったが。

病気は止めることが出来るが、手や足が曲がってしまった人たち、どうしたらこの人たちの社会復帰が出来るんだろう。若くして発病してしまった女性の未来に打ちひしがれる思いだった。壊死してしまった足を補う部品を作っている工房も見学した。靴のBATAが底は硬く、内部はやわらかい材質を提供してくれているという。
「何か質問がありますか」と先生。「話には聞いていましたし、本も読んでいささかの知識もありましたが、実際にハンセン病の患者さんにあったのははじめて。言葉もありません」と私。私たちもショックだったが、同国人のガイドたちは初めての体験で、もっとショックだったようだ。

病院から程近いところに小さなバザールがある。休憩中だからと先生が連れて行ってくれた。いろんなお店が並んでいる。このバザール、気がついたのは薬屋さんが多いことだ。例えが悪いかもしれないが、病院の門前町みたい。この方が薬が買いやすいのだそうだ。

病院をバザールに下ると川があった。ただし、その川は白い物質で覆われていた。上流に製紙工場があるのだという。公害だねぇ。おそらくそのヘドロだろう。当時の悪臭の田子の浦を思い出した。水質検査しなくていいのかねぇ。気になった。

先生一家に見送られてバスはランガマティに向かう。ランガマティは丘陵地帯で以前からモンゴロイド系の民族が暮らしていた。13の民族がそれぞれの文化を守って暮らしている。仏教徒が多い。バングラデシュ独立で併合されたはいいが、力を背景にした政府の強引な政策で、少数民族はその権利を奪われてしまった。イスラエルが入植者を送り込んでいるパレスチナとよく似ている。当然のことながら、少数民族側は反政府運動を展開する。そのため分離独立を求める紛争が起こり、平和協定は結んだが、まだ火種はくすぶっていて、外国人がこの地に入るには政府の許可証が必要だ。
参考:http://www.jummanet.org/

緊急署名のお願い:

http://cht-global-voices.jp/index.php

                             バスは何回も止まり、許可証を見せたりと、なにやら交渉をしているようだ。
行きかう人々の顔も、アーリア系からアジア系になってきた。民族衣装も変わってきた。この辺りで一番多い民族はチャクマ族だという。

先ず、パナビハール寺院を訪問。ここの開祖はボノ・バンテという僧で20年も森の中で修行をされたのでこの名があるとか、ボノはボンと同じく森を意味する。お堂の周りの手すりに三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)の像がはめ込まれている。三猿はエジプトにもその教えがあり、シルクロードを経て日本に伝わったと聞いているが、藤井日達さんがガンジーに三猿の置物をお土産に持って行き、ガンジーがとてもよろこんで、教えにも使っていたという逸話を聞いている。

講堂では糞掃衣をまとった修行僧たちがお祈りをしていた。ほどなくお祈りが終わってぞろぞろと僧たちが出てきた。年配の僧に声をかけると、あの建物の二階に高僧がいる、会えるから会っていきなさい、と教えてくれた。で、建物の中に入っていく。廊下を回り階段を上ってさらに奥に行くと、そこは広い講堂。壁の傍には信者と思しき人たちが座っている。私たちも入って座れと言われた。入り口近くにまとまっていると、もっと奥にいってもいいと言われ、中にすすんだ。車椅子に乗って頭巾をかぶった93歳のボノ・バンテ師が、車椅子を押してもらい講堂内をゆっくりと回ってくる。老僧は頭をたれたまま。しかし私たちの前に来ると、頭を上げ、右手でなにやら、祝福をするような仕草をしてくれた。サデク君が、日本からはるばる来たのだと伝えておいたのだそうだ。

ホテルは森の中の国営のホテル。2階なのでエレベーターはない。バスタブもない。私たちの部屋は階段の上がり口。ドアを開けると中は網戸。窓も中がわは網戸だ。蚊取り線香をつけようと思ったが、大丈夫そうなので焚かなかった。食事はホテルで、宮川先生が差し入れしてくれた辛い味のついたチャパティを温めて頂いた。結局シャワーも浴びず、窓も締め切ったまま寝てしまった。厚い毛布が置いてあったので、他よりは暖かく眠れた。


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  • ボールで遊ぶ子どもたち

    ボールで遊ぶ子どもたち

  • 記念撮影

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  • 写真家の山田真さんを子どもたちが囲んで。

    写真家の山田真さんを子どもたちが囲んで。

  • 渡辺天城師の記念碑

    渡辺天城師の記念碑

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    川に流れ込んだパルプのヘドロ

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