2009/12/23 - 2010/01/02
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ヌールッディーンさん
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台南で見かけたものを建築を中心にメモしておきます。
表紙の写真は赤崁楼。
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台南市警察局
古そうな赤レンガ造の建築。国立台湾文学館(旧台南州庁舎)の向かいにあることなどから考えて、やはり日本統治時代の警察署だったのかもしれません。
台湾では中華民国が台湾に来た際、日本統治時代の資産を接収しているため、日本時代の警察署が中華民国統治下の警察署へ、同じく消防署は消防署へ、といった感じで機能はそのまま引き継がれているところを台北で結構見かけたので。 -
旧嘉南大圳組合事務所(現・嘉南農田水利会)
もともとは嘉義にあった事務所が1940年に事業拡張のため台南に移されたもの。デザインは実用性を重視しているため非対称的で、こうしたことは西洋の歴史主義建築からモダニズム建築への移行期に典型的なスタイルである、との解説がありました。
日本統治時代に行われた大水利事業・嘉南大圳(かなんたいしゅう)の建設は、当初、政府が直接事業を行っていましたが、あまりに予算が大きくなりすぎたため、直轄事業という形はとりにくくなり、事業組合に移管されたということを矢内原忠雄の『帝国主義下の台湾』で読みましたが、その後も、事業拡張のため事務所の移転などもしていたことがわかり興味深かったところです。 -
消防署
「119」と書いた白い建物が消防署というのは、なかなかわかりやすくて良いかも。台湾文学館の向かい(ロータリー沿い)にある。 -
台湾府城城隍廟のそろばん。
城隍が善と悪を計算するためのそろばんなので、台の部分に「善」「悪」の文字が書かれています。 -
「自動 押してください」
日本で使う部品がそのまま使われているのが面白かった。
台湾は人口規模も大きくないので、繁体字のバージョンをわざわざ作るより、日本向けの部品をそのまま使う方が安上がりなのだろうなぁ、と想像されました。 -
1930年に「台湾文化三百年紀念大典」のために日本政府がゼーランディア城の上に展覧場所および外賓の接待所として新しく洋館を建てた。その建物が現在も「安平古堡文物陳列館」として残っています。
建築様式は典型的な植民地様式で、四方に向いた斜めの屋根、石造の階段付の土台、広いポルティコなどが即座に見て取れました。 -
安平古堡文物陳列館の上下に開く窓
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ゼーランディア城博物館
こちらも植民地様式を踏襲しています。高い階段付の土台、屋根、ポルティコなど。
この建物についての解説を抜粋。
建築様式
以前の安平税務司公館。1891年(清光緒17年)に建てられ、当時は港のすぐ近くでした。「植民地テラス様式」と呼ばれる建築様式です。
二階建ての二階部分は生活空間でした。周囲は回廊式のテラスが巡っています。回廊式テラスは十分に広く、室内の空間の延長となっており、各空間が連なり、中央の廊下から開放的な空間が広がるようになっています。東西南には各階段があり、南側には出入り口の門が設置されています。
歴史の流れ
この建物は清代末に台湾に来たイギリス関税官員W.A.Pickeringの住まいでした。その後二階部分は様式に改築され、後の「安平税務司公館」となりました。日本時代には税関クラブ、台南歴史館となり、第二次世界大戦後、安平区役所の所在地となり、その後「永漢民芸館」に改築されました。「永漢民芸館」には邱永漢さんが台南市に寄贈した漢人、原住民の収蔵品が陳列されており、2004年の10月より、台南市が修復し、「ゼーランディア城博物館」として展示企画を進めています。
なお、この博物館の展示によると、ゼーランディア城は城壁がレンガで造られており、台湾のレンガ製造の発端となったそうです。
それによると、台湾の先住民はレンガを焼く技術がなく、漢民族も移動が多く、レンガ造りの家は当時存在しませんでしたが、オランダ人が市内の火災管理を強化し、茅葺の家や、竹で作った家をレンガ造りの家に作り直させ、台湾の建築発展に大きな影響を与えたのです。 -
旧徳記洋行(Tait & Co. Former British Merchant House)
こちらもやはりコロニアルスタイルの建物でした。
日本統治時代に日本の政府と資本家は外国商人たちを駆逐したと矢内原忠雄は述べていましたが、まさにそうして駆逐された会社の一つがイギリスのTait & Co.だったということでしょう。
現在は台湾開拓史料蝋像館として蝋人形を用いて台湾開拓の歴史が展示されています。 -
ドイツの洋行、東興洋行。
こちらも植民地様式。回廊が周囲を囲んでいない点は特徴的かもしれません。 -
建築についてもいろいろと解説がされていました。
こちらは『地球の歩き方』などには掲載されていませんが、徳記洋行から徒歩5分くらいと近いので建築に興味がある方などはついでに足を伸ばすことをお勧めします。 -
ゼーランディア城のすぐ外にある立派な邸宅。現在も個人の邸宅だそうです。
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スクーター用の駐車スペースがあるというのは台湾らしい。
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運河博物館(旧安平海関[税関])
1926年に建てられた安平の税関。運河のほとり、安億橋の傍らにひっそりとたたずんでいます。
周囲の樹木も100年以上の歴史があるそうです。
この博物館に台南運河が日本統治時代に拡張された経緯等について展示されているという情報に基づいて訪れてみたのですが、残念ながら開いていませんでした。 -
台南運河
安億橋の傍らより。安億橋からの台南運河の眺めはなかなか良いという話だったので行ってました。
駅舎も比較した小樽と比べると、小樽運河は湾曲しているのが珍しく、その湾曲しているところが美しさの秘密であると聞いたことがありますが、それが納得できました。直線だと、景色が単調になってしまうように感じます。 -
億載金城
牡丹社事件をきっかけに1874年に日本政府が台湾出兵したことを契機として清朝が築いた要塞。
この事件とその前の清仏戦争とが清朝の台湾統治を積極的なものに転換する景気となった台湾にとっては画期的な事件を象徴する史跡です。
私が訪れたことがある軍事施設の遺跡としてはかなり小さい方で、それゆえに機能などが分かりやすかったという印象です。定番スポットなので説明は割愛。 -
私から見た台湾の数少ない欠点の一つがこれ。
道路にやたらと車が駐車されており、さらに歩道にはスクーターが数え切れないほど停められているので、町が歩き難い。これだけはもう少し改善してもらいたい気がします。
まぁ、あれだけ小さい島に2千万人も住んでいるからある程度はしょうがない部分もあるのでしょうが。台北の方が台南よりは歩きやすかったような気がするのは、たぶん、台南が古都だからではないかと思っています。 -
国立成功大学の歴史系館
昔の日本軍の施設を大学が利用しています。内部は軍事施設だけあっていたって機能的でシンプルなつくりになっていました。
一階と二階ともに前面だけでなく裏面にもポルティコがありますが、裏面のポルティコは人が一人通る程度の広さしかなく、多分に装飾的なものとなっていたのが印象的です。こうした周囲をポルティコで囲む様式は、当時の日本軍の建築の特徴だったそうです。 -
国立成功大学の大成館
歴史系館の隣にあり、ほぼ同じつくりの建物でした。
こちらの方が窓が上下開きになっているなど、少し古い要素が残っている感じもしましたが、実際どうなのかは分かりません。 -
国立成功大学の礼賢楼(旧日本軍歩兵第二連隊)
歴史系館や大成館より明らかに古く、ガタが来ていました。天井が剥落するので注意するよう看板が出ていたりしました。
日本軍の歩兵第一連隊は台北におり、台南には第二連隊が駐留していましたが、ここは第二連隊の将校の集会所でした。中華民国の時代になってからも軍事施設として使われた後、1966年から成功大学の施設となったそうです。
明治末から大正初期の日本軍の軍事施設として建てられた建築で残っているものは少ないため、貴重な遺構となっています。また、日本陸軍が鉄筋コンクリート造の実験をした建築の一つでもありますが、主要材料はレンガです。 -
国立成功大学、格致堂
「格致」とは「事物の原理を極め、知識を得る」という意味の中国語らしい。日本統治時代に建てられた、この大学内でも2,3番目に古い建物らしいですが詳細は不明でした。 -
国立成功大学博物館
国立成功大学の前身は日本統治時代の台南高等工業学校で、2階には当時の校長室が再現されていました。
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