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「The Hub」の道の反対側にも、赤い扉がかわいい、やはり教会と見紛う建物があるが、しかしここも教会にあらず。<br /><br />バスを降り、「The Hub」をぐるりと回ってロイアル・マイルに戻り、西に向かって徒歩でエジンバラ城へ。<br /><br />エジンバラ城に行くにはこの道しかない。<br /><br />エジンバラ城の入り口の手前で振り向くと、バスからの眺めのとは逆に、この通りにしてはひと際モダンなカメラオ・ブスキュラ建物が左に、その先に「The Hub」の尖塔が見える。<br /><br />エジンバラ城の入り口はエジンバラ・フェスティバルの会場設営中と云う事情も加わり、入場を待つ人で一杯だ。<br /><br />エジンバラ城は7つの丘で囲まれたエジンバラの街のほぼ中心の、最も高い、キャッスル・ロックと呼ばれる岩の丘の上に建っている。<br /><br />紀元600年頃、この辺りのに住んでいたゴドーディン族は、ここを「ディン・エイディン(エイディンの要塞)」と呼んだ。<br /><br />後にここに攻め入ったアングル人たちが英語で「エジンバラ」と呼ぶようになり、現在に至っている。<br /><br />この天然の要塞を、11世紀の後半に時の王マルコム3世が王の居城とした。<br /><br />以後この城はスコットランドの、スコットランドとイングランドとの抗争の、そして大英帝国の歴史を見続けて来た。<br /><br />がっしりと構える城の入り口の門の上にはスコットランドの紋章レッドライオン、両脇に中世の騎士像が刻まれている。<br /><br />右がウイリアム・ウォーレスの像で左がロバート・ブルース?世。<br />私には耳慣れない名だが、スコットランドの歴史はこの二人の英雄なしでは語れないと云う。<br /><br />ウイリアム・ウォーレスは14世紀、イングランドに反逆を起こし、当時のイングランドの王エドワード1世を散々打ち破ったが、最後には身内の裏切りにより逮捕され、八つ裂きにされ、見せしめにスコットランド各地で晒された人物。<br /><br />左のロバート・ブルース?世はウォーレスの後を継いでイングランドと戦い、スコットランドの独立を果たした人物。<br /><br />その後エジンバラ城はイングランドとスコットランド側に何度か主を変え、攻防毎に破壊と改造が行われ、エジンバラ城は戦の城に変容し、王家の住居は、ホリルードハウス宮殿へと移行していくが、スコットランド自体は1707年迄独立を死守する。<br /><br />戦に敗れたからでも無くスコットランドと云う独立国が消滅したのは、1707年の合同法が成立、施行され、両国が同じ国王を持つことになったからだ。<br />しかしながら以後スコットランドは、イングランドの属国的扱いを受ける時期が続いた。<br />このことが今でもスコットランド人の心に深く潜み、対イングランドへの対抗心の大きな要因となっている。<br /><br />門を入り石壁の続く先の、いざと云う時に下ろされる槍状の柵の間仕切りが吊られているポーカルティスゲイトを潜り、螺旋状の石段を登ると視野が広がる。<br /><br />12世紀の建設当時その儘と云うマーガレット礼拝堂の脇を、南側に第1、2次大戦の戦没者記念堂、北側に王宮が建つクラウンスクエアーへと進む。<br /><br />朱系の壁が美しい王宮の大ホールの奥のクラウン・ルームには、1996年イングランドからやっと変換された「運命の石」をはじめ、王冠、御剣、王笏のいわゆる三種の神器が展示されていた。<br /><br />王宮を出て北側の城壁からは、東端のカールトンの丘から西に広がる、エジンバラ新市街サイドのパノラマが一望出来る。<br /><br />城壁の穴から覗く大砲の群れが市街を睨み、戦乱の歴史を思い起こさせる。<br /><br />最後に捕虜収容所だったという建て物を覗いた。<br /><br /><br />エジンバラ市街中心部旅行マップ<br />https://www.wtshin.com/uk/ukmap/edinburgh/frameedinburgh.html<br />

uk08エジンバラ城とエジンバラ市街のパノラマ

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2009/05/29 - 2009/05/29

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WT信

WT信さん

「The Hub」の道の反対側にも、赤い扉がかわいい、やはり教会と見紛う建物があるが、しかしここも教会にあらず。

バスを降り、「The Hub」をぐるりと回ってロイアル・マイルに戻り、西に向かって徒歩でエジンバラ城へ。

エジンバラ城に行くにはこの道しかない。

エジンバラ城の入り口の手前で振り向くと、バスからの眺めのとは逆に、この通りにしてはひと際モダンなカメラオ・ブスキュラ建物が左に、その先に「The Hub」の尖塔が見える。

エジンバラ城の入り口はエジンバラ・フェスティバルの会場設営中と云う事情も加わり、入場を待つ人で一杯だ。

エジンバラ城は7つの丘で囲まれたエジンバラの街のほぼ中心の、最も高い、キャッスル・ロックと呼ばれる岩の丘の上に建っている。

紀元600年頃、この辺りのに住んでいたゴドーディン族は、ここを「ディン・エイディン(エイディンの要塞)」と呼んだ。

後にここに攻め入ったアングル人たちが英語で「エジンバラ」と呼ぶようになり、現在に至っている。

この天然の要塞を、11世紀の後半に時の王マルコム3世が王の居城とした。

以後この城はスコットランドの、スコットランドとイングランドとの抗争の、そして大英帝国の歴史を見続けて来た。

がっしりと構える城の入り口の門の上にはスコットランドの紋章レッドライオン、両脇に中世の騎士像が刻まれている。

右がウイリアム・ウォーレスの像で左がロバート・ブルース?世。
私には耳慣れない名だが、スコットランドの歴史はこの二人の英雄なしでは語れないと云う。

ウイリアム・ウォーレスは14世紀、イングランドに反逆を起こし、当時のイングランドの王エドワード1世を散々打ち破ったが、最後には身内の裏切りにより逮捕され、八つ裂きにされ、見せしめにスコットランド各地で晒された人物。

左のロバート・ブルース?世はウォーレスの後を継いでイングランドと戦い、スコットランドの独立を果たした人物。

その後エジンバラ城はイングランドとスコットランド側に何度か主を変え、攻防毎に破壊と改造が行われ、エジンバラ城は戦の城に変容し、王家の住居は、ホリルードハウス宮殿へと移行していくが、スコットランド自体は1707年迄独立を死守する。

戦に敗れたからでも無くスコットランドと云う独立国が消滅したのは、1707年の合同法が成立、施行され、両国が同じ国王を持つことになったからだ。
しかしながら以後スコットランドは、イングランドの属国的扱いを受ける時期が続いた。
このことが今でもスコットランド人の心に深く潜み、対イングランドへの対抗心の大きな要因となっている。

門を入り石壁の続く先の、いざと云う時に下ろされる槍状の柵の間仕切りが吊られているポーカルティスゲイトを潜り、螺旋状の石段を登ると視野が広がる。

12世紀の建設当時その儘と云うマーガレット礼拝堂の脇を、南側に第1、2次大戦の戦没者記念堂、北側に王宮が建つクラウンスクエアーへと進む。

朱系の壁が美しい王宮の大ホールの奥のクラウン・ルームには、1996年イングランドからやっと変換された「運命の石」をはじめ、王冠、御剣、王笏のいわゆる三種の神器が展示されていた。

王宮を出て北側の城壁からは、東端のカールトンの丘から西に広がる、エジンバラ新市街サイドのパノラマが一望出来る。

城壁の穴から覗く大砲の群れが市街を睨み、戦乱の歴史を思い起こさせる。

最後に捕虜収容所だったという建て物を覗いた。


エジンバラ市街中心部旅行マップ
https://www.wtshin.com/uk/ukmap/edinburgh/frameedinburgh.html

同行者
カップル・夫婦
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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