2009/09/18 - 2009/09/28
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takkunnさん
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朝7時45分「サンクトペテルブルグ」港に着岸。
天候は、晴れ。気温7度、日中は13度の予報。
「ボルガ河クルーズ」の最終目的地である到着地はネバ川。
モスクワを出航してから1771キロの船旅でした。
ここネバ川で2日間停泊します。
当初はオランダ語風にサンクト・ピーテルブールフ、後にドイツ語風にサンクト・ペテルブルクと呼ばれ、ロシア帝国の首都として長く定着していた。
第1次世界大戦でドイツと戦争状態に入ってから1914年ロシア語風にペトログラードと改められ、さらにソビエト連邦時代の1924年にはレーニンにちなんで「レニングラード」と改称され、この名称が半世紀続いた。
しかしソ連崩壊を受けて、1991年に住民投票によって現在の名称「サンクトペテルブルグ」に再び戻った。ロシア人の間では「ピーテル」の愛称で呼ばれる。
ウィキペディアより
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 船
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
サンクトペテルブルグに到着です。
接岸作業は比較的に簡単そうですが、実際はベテラン作業員がやっているのでしょうね。 -
リトビノフ号から見た河港前の様子。
一般的なアパートが建ち並ぶ地域で、道路にはトロリーバスと電車が走っています。
左奥に見える赤い建物の左側には、スーパーマーケットがあり、食料品・家庭用品・酒・お土産品が比較的安く買い物が出来ます。
通貨は当然ルーブルのみの使用です。 -
雲が多いですが、朝焼けの様子です。
今日は天気が良く、気温も13度位になる予報なので、市内観光にもってこいの一日になりそうです。 -
市内へ向かう途中の、車窓からの眺めです。
2両連結の電車が走る、ロシアにしては狭い道路です。 -
最初の観光名所は、「スモーリヌィ修道院」です。
ロシア正教の修道院の一つで、青と白の美しい建物です。
ここはエカテリーナ二世が作った寄宿学校があって、貴族の娘達がここで教育を受け、祈りの生活を送っていたようです。
また、革命当時にはレーニンの作戦本部が置かれたそうですが、現在は市役所になっています。 -
血の上の教会です。
バス下車後に撮影しました。
ガイドさんから説明を聞きまながら近くまで行きます。 -
血の上の救世主教会(スパース・ナ・クラヴィー教会)は、ロシア正教会の聖堂で、正式名は「ハリストス復活大聖堂」と言う。
一般的には、血の上の教会の名称で知られ、1881年3月13日にロシアの皇帝、アレクサンドル2世が暗殺された場所に建てられためです。
2世の跡を継いだアレクサンドル3世が、1883年工事を開始したが在位中に完成せず、ニコライ2世の治世に入って3年目の1907年に完成した。 -
血の上の教会の上部を撮影。
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血の上の教会。
左側に少しづつ回り込み見たものです。
近づき過ぎてるので全体を写せませんでした。
左端の塔は修理中のため覆いが取り付けられている。 -
血の上の教会(Church on Spilt Blood)
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血の上の教会。
公式名は、ハリストス復活大聖堂(Собор Воскресения Христова)。
ロシア革命による社会主義体制は、教会に大打撃を与えた。教会はソビエト政権によって略奪された。また教会内部も損害を被った。ソ連政府の指令で1930年代初期に教会は閉鎖された。第二次世界大戦中は野菜倉庫として使われた。人々は教会を「ジャガイモの上の教会」「ジャガイモの救世主」と冷笑的に呼んだ。
教会は他の建築物同様、レニングラード包囲戦で損害を被った。さらに戦後は近くのオペラ劇場のための倉庫として使用された。
ウィキペディアより -
血の上の教会。
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血の上の教会。
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アーニチコフ橋に立つ「馬の調教師」.
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プーシキン像。
芸術広場に1957年に建てられた像です。
社会見学の子供達が、像の前で記念撮影をしています。
アレクサンドル・プーシキン(1799〜1837)
ロシアでは、偉大な詩人・作家・小説家・劇作家、新しいロシア文学の生みの親として一番良く知られているそうです。
この近くのレストランでの食事後、フランス仕官ジョルジュ・ダンテスに決闘を挑み、致命傷を受け2日後に息を引き取った。
後方の建物は、国立ロシア美術館(ミハイロフスキー宮殿)です。 -
国立ロシア美術館。
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国立ロシア美術館。
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国立ロシア美術館。
左手奥には、血の上の教会が少し見えてます。 -
カザン聖堂。 車中から撮影。
アンドレイ・ヴォロニーピンの設計により、1801年に着工し、1811年に完成した。
特徴はバチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂を参考にしたとされる半円状のコリント式列柱の回廊である。
ナポレオンが70万人の大帝国軍を引き連れ、ロシアに侵攻したが大敗、ロシアは勝利後、カザン聖堂を戦勝記念モニュメントとしたのである。 -
ロストラの灯台柱。
高さは32メートル有ります。
ロストラとは船の船首部分のことで、海戦勝利記念に建てられた昔の灯台。
紀元前256年、ローマ海軍とカルタゴ海軍が、シチリアの南海岸のエクノモス岬沖で戦い、ローマ海軍が圧勝した。
拿捕したカルタゴ軍船の船首を切り取り、海戦勝利を報告のためローマ本国に送った。
この習慣に由来して作られたと言う。
なお、すぐ近くにもう一基建っています。 -
ロストラの灯台柱。
台座には女神の像。
灯台の左の建物は旧証券取引所、現在は中央海軍博物館。 -
ロストラの灯台柱。
灯台であっても明かりは灯りません。 -
正式名称は、サンクトペテルブルグ要塞と言う。
スエーデンから奪った土地を防衛するために、河口付近のザーヤチ島に1703〜1733年にかけて建造された。
サンクトペテルブルグで最初にして最古の名所旧跡になっている。
高い塔は、123メートルのペトロパヴロフスキー大聖堂で、ピョートル大帝からニコライ2世までの皇帝と、皇后のほとんどが埋葬されている。
19世紀には政治犯収容所としても利用され、一時はレーニン・ドストエスキーらも投獄された。 -
巡洋艦オーロラ号1900年5月進水、1948年退役。
全長127メートル、全幅17メートル、6731トン、19ノット、乗員578名。
152ミリ砲8門・75ミリ砲24門・37ミリ砲8門・魚雷発射管3門等を搭載。
バルチック艦隊所属であったが、日露戦争時の1905年5月の日本海海戦(東郷平八郎司令官)で、艦隊は大敗しバルチック艦隊は壊滅した。
しかし、オーロラ号は、中立国であったアメリカ領フィリピンに逃げ込み助かったのである。 -
巡洋艦オーロラ号。
第一次世界大戦中、バルト海での戦闘で損傷し、修復のため1916年〜17年にサンクトペテルブルグ港に停泊中であった。
1917年に2月革命が勃発すると、乗組員の一部が反乱し参加、1917年10月25日砲撃を開始、ポリシェヴィキ達がロシア皇帝の冬宮(現在のエルミタージュ美術館)を制圧した。
その後2回の内戦を経て、ソビエト連邦が誕生することになったのである。
しかし、オーロラ号の砲撃については、疑問符が投げかけられている。
1956年に博物館船となり、2800万人が見学したと言われている。 -
青銅の騎士像(The Bronze Horseman)
通称、ピョートル大帝の騎士像。
台座の右側にラテン語で、左側にはロシア語で、「ピョートル1世へ、エカテリーナ2世、1782年」と彫られている。 -
ピョートル大帝の騎士像。
馬の後ろ足は、大蛇を踏みつけている。
敵国スエーデンを表しているといわれている。
台座も芸術的な役割をしている。台座に使われたのは「雷の石」と呼ばれた巨大な岩石である。 -
車中から見たサンクトペテルブルグの街風景。
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車中から見たエカテリーナ2世の銅像。
少しピンボケです。
後に見えるのはアレキサンドリンスキー劇場。 -
昼食は街中で、スープです。
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昼食のメインは「キエフ風カツレツ」
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昼食のデザートを食べて、午後はエカテリーな美術館へ向かいます。
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この旅行記へのコメント (1)
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- カメちゃんさん 2010/01/09 23:39:16
- 歴史豊かな街・サンクトペテルブルグ
- takkunnさん こんばんは〜(^^)
モスクワから1700Kmの旅を終えてサンクトペテルブルグに到着ですね。
ヨーロッパは戦いの多かったところでしょうか、サンクトペテルブルグの街も戦争と争いに関わる史跡が多いみたいですね。
「血の上の教会」なんて、その名からすればもうチョット地味でも良かったと思いますが(^o^)、巨大で豪華な造りなんですね〜。過去の支配者へのイヤミみたいにも考えてしまいますね。
それが、日露戦争を挟む近代になってあのような教会が造られるというのは、チョット理解に苦しみますね。その後、歴史に翻弄されたというのも、なんかしら分かるような気がしますね。
巡洋艦オーロラは、歴史の遺産ですね。
戦艦三笠とちょうど同じ時に建造されたモノですね。
大型客船に乗ってきた私達の感覚からすれば、かなり小さな印象かと思います。
「にっぽん丸」や「飛鳥?」でもすぐ揺れてしまうのに、そんな小さな船で良くまぁ遙々日本近海までやってきたモノだと感心しますね。(もっとも、漁船なんかはもっと小さいですけどね)
戦争云々よりも、昔の人の気概にはホントに驚きます。
サンクトペテルブルグは歴史豊かな街ですね。
それでは、また・・
カメちゃん
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