2009/10/20 - 2009/10/27
179位(同エリア199件中)
明石DSさん
6:39:08
昨日は晴天だったので、朝の雪景色にちょっと驚く
でも黒河には雪が似合う
気分も引き締まった
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2009.平成21年10月22日(木)
■うっすらと雪景色
午前6時過ぎ窓の外を見ればうっすらと雪景色であった。昨日は好天だったので、今朝のこんな天気はまったく予期していなかった。この雪景色を見て「ホンマ黒河に来たんやなあ・・・」と感じた。
雪景色と言っても大方は溶けて雨の後のように濡れているので、雪から雨になっているのかもと心配したが、歩いている人が誰も傘をさしていないので、雨ではないのだろうと一安心。
7時を過ぎたので朝食を食べに行ったらロシア人ばかりなのには驚いた。エデン・ホテルというのはロシア人専用と言っても過言ではない。デカイ人が多い。そして美男美女。
それに、ごっつい身体のロシア人男性を見るたびに、日露戦争でそんな彼らに白兵戦でいつも圧倒していた先人達の凄さを思う。我が祖父・昌次郎もこんな連中と、この満洲の地で日々戦いの連続だったのだなあ・・・と、当時を振り返り信じられない思いがする。
朝食を終え早速向うのはアムール河川敷。シャーベットのように雪が残りタイル張りの歩道は、慣れていない私は滑るので要注意だ。耳が痛い寒さの中、河川敷に降りて散歩する。頭の中に巡るのは昨日と同じく明治・大正・昭和とこの地で日本人達の大いなるドラマがあったのだと・・・。
対岸のブラゴヴェシチェンスクの街並みはすぐ傍に見える(川幅750〜800m)が音は聞こえてこない。静寂があるのみだ。行って見たいが近くても遠い、この黒河の人でも行ったことのない人が多いようだ。何人かに聞いたが「没去過・行ったことない」という返事が多かった。
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「黒河事件」
http://www.youtube.com/watch?v=xHkwFBckf98&feature=player_embedded
1946年昭和21年6月19日から始まった・・・。
この映像の中で、8月と語っているが6月の間違い 。
八路軍による日本人の惨劇は6月21日から始まった。
-
7:18:26
黒河伊甸園賓館の朝食
宿泊客が多いということは朝食もまあまあ
ロシア人がほとんど -
7:23:56
ロシア人ばかりの風景にブラゴヴェシチェンスクを思う
河を越えれば異国なり
民族・人種が違えば川幅1km足らず全てが違う
この違いこそ多様な文化を生み人類を豊かにさせる -
7:24:00
身体のデカサに応じて食う量も違う
地球環境を守るには人種の壁なく
より小さくを目指せ -
8:09:54
黒河伊甸園賓館の前で撮影す
右方向は、こんな風景です -
8:09:58
左方向はこんな感じです -
8:10:10
ロシア人ご用達:エデン・ホテルです
黒河伊甸園賓館も良いですが
黒河に行くなら絶対、黒河国際飯店をお勧めします
眺望抜群につき -
8:12:06
朝市で売られているアムール河の魚
何故?私が松花江(スンガリー)と書きながら
黒龍江(こくりゅうこう:ヘイロンジャン)とあまり書かないのか?
「ソンフォアジャン(松花江)」「キタイスカヤ」「アムール河」
などと、日頃自分が良く使う言葉で書いています
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http://www.youtube.com/watch?v=HY4ypuMDNWo&feature=player_embedded -
8:30:22
うっすら雪景色のアムール河
中洲の島は、中国領:大黒河島 -
8:31:12
1918/大正7年3月9日:日本義勇隊の方々
1945/昭和20年8月9日以降:ソ連侵攻によって
1946/昭和21年6月19日以降:黒河事件により
その他、多くの日本人同胞がこの地で亡くなっています。 -
8:59:48
線香・タバコに火を付け
般若心経を詠む -
2009年10月22日、9:00:24
ブラゴヴェシチェンスクを望む
アムール河畔にて(?)(?)(?)
http://www.youtube.com/watch?v=dR8w5Vql5xA&feature=player_embedded
http://www.youtube.com/watch?v=esaS_6qwby8&feature=player_embedded
http://www.youtube.com/watch?v=VtaxSry9m_M&feature=player_embedded -
10:29:32
ロシア人買い物客の為の百貨店
ブラゴヴェシチェンスクの百貨店の品揃えは?
やはりここ黒河の方が圧倒的に品物は豊富で安いのだろう
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■大黒河島と南崗地区(高台)へ行く
アムール河中州の中国領である大黒河島へタクシーに乗って行った。タクシーに乗り、運ちゃん(女性)に「日本人の墓・慰霊碑・江岸収容所跡・南崗収容所跡・市内を一望できる高台」を聞くが「知らない、高台もこの附近にはない、高層ビルの上から見れば良い。そこに建ってる商貿大酒店(ホテル)とか・・・」と言われた。
中洲の島だから橋を渡り到着。「大黒河島国際商貿城」なるショッピングセンターに入って行った。どことも良く似た構造で吹き抜けの一階フロアーからエスカレーターが上階に続き、各階周り廊下のようになっている。そしてそこから中は、初めて入るの者にとっては迷路のように店が並んでいる。
中国人買い物客もいるがロシア人相手の商売で、日本人の一人歩きなど全く無視。ロシア人を呼び込んだり店の中で中国人のオバチャンが流暢なロシア語を駆使してロシア人相手に接客している。やはり言語と言うのは面白い。中国語はかん高く喧しいが、ロシア語は何となく低音で煩い中国人でもロシア語を話しているとアジア系ロシア人のように思える。
店を出て島の北の端まで行った。更に対岸のブラゴヴェシチェンスクが近くなる。この川辺で車を休憩しているタクシーがいたので、又近づいて上記と同じ質問を繰り返した。答えも同じ「何も無い」。ならば収容所の名前にあった「南崗という場所はあるのか?」と聞いたら「ある」と言うので、その地域に行くことにした。
この運ちゃん(50前後・男)の同級生の母親が日本人残留孤児で日本に帰国したが、彼の同級生は日本での生活に慣れず又黒河に戻って来てこの地で商売をし暮らしているそうだった。
南崗地区で降りた。この地区のどこかに1945年終戦後日本人兵士、及び在留邦人が入っていた「南崗収容所」があったはずだ。そして、そこから黒河事件は始まった。
黒河:南崗、江岸収容所
「刻みつけられた足跡」溜口麻一(著)より引用
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江岸収容所と南崗収容所
満洲時代の牡丹江木材のすぐ近くに作られていた。ここは前年関東軍の多数の捕虜がソ連に渡る前に、一時的に渡河の順番を待つ生活をしていた所である。(中略)
収容所の建物は一見してそれと分かる満洲警察かなにかの建物で、細長い同じ形の建物が幾棟か並んでいた。その建物の周囲を鉄条網で囲ってあって、出入口は一ヶ所あるだけであった。
当時(終戦後)黒河にはもうひとつ、丘の上に南崗収容所があった。南崗収容所には、北上途中で病気になって入院した人々と敗戦の時に逃げ遅れた一般邦人が収容されていた。
江岸収容所は、一度ソ連に渡って発病し送り返された者が多かった。どの顔を見ても人間と言うには、あまりにひどい状態だった。まるで骸骨に皮をかぶせたようで、垢と煤で汚れて黒光りをし、何ヶ月も風呂に入らず、顔すら洗っていないようだった。
///////////////////////////////以上抜粋終わり
乗ってからメーターを倒さなかったのを見逃していた。乗る前には7〜8元と言っていたが、案の定降りる時10元を出したら2元の釣りを出し渋り、“くれ”と言う態度だったのでちょっとガッカリ。
“まあええけど”とそのまま降りる。成る程、私がタクシーから降りた場所は少し高台だった。今のように街が発展していなかった時は、この辺りが丘だったのだろう。
ならば、もしかしたら石光真清が小高い丘の上にある日本人の墓と言うのは、昨日の電視台からこの辺りに掛けての高台の何処かだったのかも知れない。いや多分そうだと思う。
この辺が南崗地区だと案内されて降りた場所は、環城南路・環城西路・機場路・西興路が交わる大きな交差点附近だった。機場路を南方向に向かい龍源路と交差する附近が昨日行った電視台、すなわち黒河要塞(第7国境守備隊)がある場所だ。
少し高台になっているので市内中心部方向はすぐに分かる。まず地図で現在地を確認し、環城南路を街、すなわちアムール河に向って歩いた。途中地図にはないが人民解放軍「黒河警備司令部」なる堂々の門構えがあった。昔も今も今後も国境地域は紛争がいつ起きても不思議ではない。
「実験小学校」なる名前の小学校もあった。中国語で実験を調べたら意味は日本語と同じ。何を実験するのか?こんな発見も旅の楽しさの一つだ。文化の違いは面白い。
「黒河市内を一望したいなら高いビルに上がれば・・・」と言う女性運転手のアドバイスで、上れそうなビルを探しながらの散策だったが、黒河市第一人民医院なる病院があったので入って行った。入院患者を見舞うが如く、何気ない振りをしエレベーターの前で待っていたら、ドアが開きいきなりベッドに寝かされた患者と三人くらいの付き添いが出てきた。
入院病棟なのか人気はない。エレベーターが示す最上階9階を押し登る。全く人気なくシーンとした中、廊下を歩いたが9階と言っても、そんなに眺望は良くなく、アムール河方向も見えなかった。8階に下りても同じ方向しか見えず仕方なし。数枚の写真をとり退散する。 -
10:32:06
内部は、どこともこんな構造が多い
吹き抜け、周囲に店が並ぶ
奥行きも広く迷路の如し -
10:52:50
大黒河島国際商貿城
以前はブラゴヴェシチェンスクで商売する中国人が多かったそうだ
あまりに中国商人増えすぎて、ロシアは入国を厳しくた。
そして今はロシア人が黒河に来て買い物するようになっているとのこと
ロシア人はその気になればいつでも追い出す力と精神がある
日本人は追い出せない、逆に居座られ大きな顔される
それが民族の資質の違いだ
http://www.youtube.com/watch?v=AMOFbX7sfS8&feature=player_embedded -
10:57:52
大黒河島よりブラゴヴェシチェンスクを写す
ここで休憩していたタクシーに乗って南崗地区へ行く -
10:58:12
ブラゴヴェシチェンスク
河を隔てて中味はどう違うのだろう
いつの日か、向こうからこっちを見たい
それぞれの街の様子も違うだろう -
11:16:26
環城南路・環城西路・機場路・西興路
これらが交わる交差点附近
この辺りが南崗地区だそうだ -
11:23:36
環城南路を北北東(アムール河:市内)に向って歩く
下り勾配・この辺りは市街より高台になっている -
11:28:24
中国人民解放軍「黒河警備司令部」
地図には記載なし
環城南路沿いにある -
11:36:18
環状南路をボチボチ歩く -
11:41:32
実験小学校
この小学校でどんな実験をしているのか?興味ある。
実験の内容及び結果を是非公開してくれ -
11:52:56
黒河市第一人民医院
この建物の最上階?の9階に上がる
これも諜報活動なりや? -
12:00:04
9階からの景色
見たい方向(アムール河)がさっぱり見えない
仕方なく断念す -
12:00:04
8階からの景色
ここからも
見たい方向(アムール河)がさっぱり見えない -
13:04:26
伊甸園賓館の隣のロシア料理店に入った
午後も1時になっていたので先客は一組
注文する品も分からず、とりあえず
////////////////////////////////////////
■昼食はロシア料理を
一旦部屋に戻り仕切りなおしで昼を過ぎての昼食となった。折角の黒河だからと伊甸園賓館の横にあるレストランに入る。1時を過ぎていたので客は二人のロシア人男女だけ。
その二人が出て行く時は上客なのか三人が並んで丁寧な挨拶での見送りだったが私の時は何もなし。店の雰囲気から値段も思ったより安く聞き直した。51元(¥714円)
その後もひたすら歩き、教えてもらった高楼「商貿大酒店」へ行きエレベターで最上階に上がったが真っ暗。下でフロントの小姐に聞いたら最上階のレストランは朝食の時しか開いていないとのこと、残念。展望喫茶店のようなものもなく対岸のブラゴヴェシチェンスクは望めず。
又中洲の大黒河島に渡りブラゴヴェシチェンスクに近い川辺に立ち、語りながら動画を撮影した。遊んでいた小学生の女の子の一人から「何処の言葉?」と聞かれた。「日本語」と答えても反応なく、そっけなかったが。
そして最後の期待をかけて河岸に聳える国際飯店に行き又最上階にこっそり上ったが、ここでも廊下だけで展望できるような場所はなく、部屋に入れば素晴らしい眺望があるはずだが、そうも行かず。
展望レストランもなくスゴスゴ出る。初めて黒河に来て宿泊するならこのホテルを選ばないと大きな損をする。このホテルの最上階の部屋の窓からアムール河と対岸に広がる風景を一日中見ているだけでも、何処に行かずとも旅の価値はある。
-
13:14:12
名前は分からないが、このシチューは美味い
身体も暖まる -
13:14:12
このレストラン、並びの向こうがホテル -
13:44:32
韓国狗肉
ここにも犬の肉料理店がある
昔、図們で一度食べたけど、以来食っていない
理由は?別に味わいたいと思わないから
ロシア語説明もあるということはロシア人もお好みかも -
13:47:54
満族鉄鍋焼鶏・・・。
満族か、韓満と言えど経営者は漢族の場合も多し
看板も何もかもこの地は信用無用 -
13:57:52
商貿大酒店
最上階に上がったが真っ暗
展望レストランは、朝食時だけオープンとのこと
上に喫茶もなく展望出来るところなし、残念無念 -
14:23:26
黒龍江公園に面して聳える高級マンション群?
あの最上階の部屋に入れば、
ブラゴヴェシチェンスク市が一望できるのに -
14:32:08
大黒河島へ渡る橋が工事中
降りて島へ行く -
14:39:26
大黒河島よりブラゴヴェシチェンスクを望む
午前中の場所より西側
http://www.youtube.com/watch?v=gCj_g8mal0Y&feature=player_embedded -
15:37:06
中国人の一団(5名ほど)に付いていったら乗れた
右端の“おばちゃん”見た目おっかないけど優しい
良い人だ。それで旅は百倍楽しくなる
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■アムール河遊覧船に乗る
そして時間も午後3時半くらいになり夕方の雰囲気になって来た。遊覧船がまだ遊覧していたが、もうこの時間になれば客もいないだろうし、次に乗るのは無理だろうと諦めていた。でも、4人ほどの中国人が戻って来た遊覧船に向って歩いていくので、もしかしたらと、私もその後ろを付いて行った。
案の定、この四人連れは客を降ろしたばかりの船に声を掛けた。服務員(おばちゃん)は最初「もう無理だ」と言うような事を言っていたが、彼らに押し切られたのか一人20元で乗れることになった。ガイドブックには10元と書いているので20元なら動かすという話しになったのかも知れない。
どっちにしても幸運だった。彼らのすぐ後ろで、私も「20元?」と船員に声を掛け金を払い乗り込んだ。私の言葉に「どこから来た?」と聞かれ「日本から」というと、周囲のみんなが私に注目した。そして船内でこのグループのボスらしき男が話し掛けて来た。
ボス:「年は?」
私:「多分あんたより私の方が上だ。私は1950年生まれ」
ボス:「俺は1951年、一歳あんたが年上だな。中日友好!」
私:「何処から来たの?仕事?」
ボス:「哈爾濱、ここへは仕事で来た」
そのうち、その他数名の客も乗り込み総勢10名くらいにはなっていた。そして出航前に船上でセルフでカメラを置いて撮ろうと準備していたら、それを操舵室で見て気付いたのか“おばちゃん”がわざわざ出て来て「私が写してあげるから・・・」と言って写してくれた。こんな親切に出くわすだけでホント嬉しくなる。
4時前に船は動き出した。
多くの日本人がこの凍結したアムール河を渡河したのだろう。黒河からブラゴヴェシチェンスクへ、そしてブラゴヴェシチェンスクから黒河へと。そして又この河に多くの人たちが惨殺され流された。そんな歴史を持つこの両岸の街と河。
2009/平成21年の今日、私はのんびりと船に佇み夕焼けの空の下、景色を眺め平和と豊かさを謳歌している。今の時代に日本人として生まれた幸運である。
もし中国人として生まれていたなら、若し昭和の始めに生まれていたなら・・・。今の私の幸運は先人達の艱難辛苦の歴史の上にこそある。日本を守り、誇り高き国家を保つ為に敢えて困難な道を恐れず突き進んだ、そんな先人の方々に感謝しかない。
省みて今の日本国家・日本人は如何であろう。“恥を知る”という私が思う日本人として最も大切な精神も、気高き武士道も影を潜め、身勝手な個人主義が大手を振って罷り通る。生活保護受給者が、低所得で頑張って働く者の所得より多い日本になった。
「靖国神社に参拝しない」「日本と言う国は日本人だけのものではない」「友愛」などと言うような鳩山を国家のリーダーに選んだ。リーダー足る者冷徹なる現実と厳然と対峙できない男にはその資格はない。こんな男をリーダーに託した国民の将来は無様なものになる。
ばら撒き政策は弱者を更に弱者にし、道徳の荒廃は底なし沼のように留まることはない。子供は己が稼ぎで育てるのが筋だ。今までは三人四人と子育てをした両親は誉れでもあった。
しかし今後は三人の子供があれば、トータルすれば計1千万円以上のお金を給付されると言う。今後は子育てが誇りではなく、大勢の子供を連れた夫婦は国から沢山お金がもらえていいな・・・と、チラッとでも思われるのだ。
育ててもらった子供もそう思うだろう。親として人間としての質を落とし価値を下げる。プラスなどない。世界の先進国が例えそうであろうと倣う必要はない。自分が生んだ子供は自分の稼ぎで育てることに日本人として当たり前の意地がある。
結果の平等を追い求める弱者に媚びた政策を良しとし、まるで腐った社会主義国家のように左傾化するばかりの日本に明るい未来などない。そんな愚かしい国が今の日本だ。今の日本人が子孫に何を残せるのか?冷気に当たりながらも寒さを感じず風景を凝視し続けた。
黒河の街に沈む夕陽を見続けた。石光真清も見たのだろう・・・と。そして多くの日本人も。私は飽きることなく見続けていた。黒河の街は電飾でけばけばしく輝き、ブラゴヴェシチェンスクの街は夕暮れの静かな佇みを見せていた。文化の違いがここにもある。
通常通りの遊覧なのか戻って来た時は、4時50分、暗くなっていた。
私は昔の日本と、昔の日本人が好きだ。尊敬する。
戦後の日本人は碌な奴がいない。
特に戦前に生まれ戦中戦後を生き延びながら、敗戦後の世間の風潮に同調し或いは“こび”、艱難辛苦の道を共に突き進みながら、今は亡き同胞たち(時の、軍人・戦友・政治家・仲間)を庇うことなく悪く言う奴は人間として最低だ。恥を知れ!千回でも万回でも同じ事を書く。 -
16:01:20
ブラゴヴェシチェンスクに近づく
河半ばの国境を越えロシア側に、私はロシアに行ったのか?
ならば図們江でも鴨緑江でも北朝鮮側に越えたけど
アムール河岸で働く人たちが見える
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http://www.youtube.com/watch?v=wPd7DSAKQtg&feature=player_embedded -
16:05:36
黒河に沈みゆく夕陽
満洲の夕陽ここに見ゆる
///////////////////////////////////////
http://www.youtube.com/watch?v=YLMMpYW4OAM&feature=player_embedded -
16:05:50
黒河に沈まんとする夕陽
右:ブラゴヴェシチェンスク
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http://www.youtube.com/watch?v=WQKtxPAwBxo&feature=player_embedded -
16:06:08
-
16:06:26
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16:08:12
-
16:08:48
夕陽を浴びるブラゴヴェシチェンスク
絵にもいわれぬ美しさ
これぞ感動と言わずになんと言う
写真じゃあ、なあ・・・。今一かも -
16:13:34
ブラゴヴェシチェンスク最接近写真:ズーム
1900/明治33年7月、この河岸から在留清国人三千人が
惨殺され投げ込まれた。今から109年前のこの場所である -
16:20:50
遠ざかるブラゴヴェシチェンスク
1918年:大正7年3月、
ボルシェビキ革命派の攻撃により
日本義勇軍は戦死者3名、重傷3名、負傷4名を出す。
その後、報復によって生存者も殺され、計9名が犠牲になった
このブラゴヴェシチェンスクで -
16:39:08
陽が沈み
夜の佇まいになり行く街
ブラゴヴェシチェンスク -
16:44:34
黒河の街は電飾にて中味を隠す
見た目の華やかさの裏が容易く想像できる
我見ればすべてに偽装なり
偽が偽満洲とはこれいかに?
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この旅行記へのコメント (2)
-
- こまちゃんさん 2010/06/03 13:47:03
- 実験◎学
- こんにちは〜♪
中国にある「実験中学」「実験小学」は、「模範学校」的な意味なんです。
大抵は「◎◎師範大学附属◎◎実験中(小)学」と言うのが正式名称ですね。
(「◎◎」は地名や大学呼称などが入ります)
漢字の世界なのに、ニュアンスが違うのって困ることもあります。
検討:反省し謝罪する。
怪我:これは文章で、「私のせい」の意味。
愛人:奥様のこと。
手紙:ハナ紙(トイレットペーパー)。
など、勘違いする可能性があるものも多いですね。(^灬^v
こま
- 明石DSさん からの返信 2010/06/03 21:20:51
- RE: 実験◎学
こまちゃん
お久しぶりです。
「実験小学校」は「模範小学校」なんですね
明石にも神戸大学付属小学校がありますが・・・。
ご教授ありがとうございます。
今も月二回近所の中国人女性の老師宅に中国語学習に通ってますが
まったく進歩はありません(泣)単語も増えずです
でも生涯学習として意地でも続けるつもりです
こまちゃんも
今は日本滞在のようですが
中国からの素晴らしい写真とコメントを楽しませてもらっています
私も秋には又満洲に行こうと思ってます。
明石DS
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