2009/10/20 - 2009/10/27
186位(同エリア199件中)
明石DSさん
13:55:40
この左側一帯が陸軍病院跡地
道路上に私の影が・・・東方向を写している
前方がソ連の方向だ
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■陸軍病院跡地へ行く
病院跡はコンクリートの基礎が残っていた。20数年前に取り壊したそうだが、何故、コンクリートの基礎を残したのだろう。それだけの重機がなかったとしか思えない。今は農家があり、畑が広がる大地のあちこちに梃子でも動かぬコンクリートの基礎が、まるで畑の境界かのようにアチコチに残っている。
この辺りの家の主なのか、そして隣近所の農家仲間なのか、何人かが作業をしていた。「日本軍の病院遺跡か?」と聞いたら口を揃えて「そうだ、この辺り全部そうだ」と言っていた。それくらい結構な広さを感じた。あっちにもこっちにも向こうの方にもコンクリートの基礎が残っている。碑は無かった。
-
14:00:54
畑の区切りのように残る病院建物の基礎
撤去の為の重機がなかったので残ったとしか・・・。
どうもみても邪魔なように思うが。
こんなコンクリートの基礎が残ったままだ -
14:02:26
ここの農家の人たち
口を揃えて「ここは日本軍の病院跡だ」と教えてくれる
反日感情は、まるで感じない -
14:03:36
畑にしっかりと基礎が残っている
この病院で遠く故郷を想い病に臥せ
亡くなられた方も一人や二人ではあるまい -
14:04:54
陸軍病院は結構広い敷地の中にあったようだ
この辺りには関東軍のいろんな施設建物があちこちにあり
軍都に相応しい景観があったはずだ
我ここに立ちて往時を偲ぶ -
14:10:02
この景色の奥が病院の敷地
我は分からず
これらの写真を撮る -
14:18:44
発電所跡の附近に残っている日本人の官舎
「煙突が壁の外側にある」
それに“藤○”が、地元の人たちに聞いてくれた
それらしき建物があったがこれも含めて真偽は分からない
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■発電所跡
病院跡から少し孫呉の方に戻って来た。そして発電所跡周辺に、「煙突が壁の外側にある」のが満洲時代の日本人の建物。いろんなWeb頁にそう書かれているが、“藤○”もそう言っていた。
そして、近所の人たちにも聞いてくれていたので、これらが日本人が暮らしていた家なのだと思う。
この発電所跡は写真でも見ていたので、実際に現地で目の当たりにすれば「良くぞここまで来たものだ」との感動もある。思ったより大きい。今は本体の建物は廃墟と化しているようだが、敷地内には電線のドラムが転がり作業場のようになっていた。
表門の方に回ったら施錠がしてあり閉まっていた。大きな番犬の吼える声がして、中には人が居るような気配がしたのか“藤○”が、更にデカイ声で呼びかけてくれた。閉まったドアを揺すりながら・・・。「外から十分見れるし、もうここで良いから」と私は内心思っていたし番犬の声にビビッていた。
でも“藤○”は諦めず、「もうすぐ人が来るから」と何度か呼びかけてくれた。そしたらオッサンが近づいて来たので「日本人を連れてきた。門を開けてくれ中を見たいから」と“藤○”が言うと、向こうが開いてるからと指を指し示した。
さっき行き掛けた方向だった。その時、そのままもう少し進んでいれば柵もなにもなく入れた。その廃墟になっている発電所跡に入って行き階段を上った。手摺も何もなく、今思い出せば恐いがその時は、高い所から見渡したいという気持ちもあって上に上にと登れる所まで上がって行った。
とにかく中の発電設備はソ連が強奪して持ち去ったのか?すっかりがらんどうで吹き抜けになってしまっている廃墟だ。それぞれのフロアーらしき場所も設備をはがした穴がぽっかり開いていたり、下も上も前も要注意でないと下に落ちかねない。通常の建物の4階か5階くらいの高さまで上がり、外を眺めた。
この『発電所は完成寸前で終戦になりフル創業することはなかったと聞く』とWeb頁にある。きっと完成当時は立派な発電所だったのだろう。ここも「兵どもの夢の跡」なり -
14:21:12
正面が発電所跡
ほう、こんな所にこんな風に建っているのか
この地に来る前に、この写真は見ていたので
実際に実物を見て感動する -
14:22:16
「偽満発電所守護房(守衛室)遺址」とのプレートが貼っている
偽中共政府は果たして何時まで統治者として君臨出来るのか?
歴史は繰り返す
まだたったの60年目を迎えただけなのに、各地で暴動が
頻繁に起っているのが今の中共の現実だ -
14:23:52
満洲時代に日本が作った発電所跡
建物の中は廃墟だが、敷地は作業所として利用している
遺跡として残しておくのか? -
14:28:16
近くで見れば発電所というだけあって大きな建物だ -
14:29:20
中は完全なもぬけの殻
私の想像では、ソ連が設備一切
持ち去ったのだろうと思う -
14:29:52
完成寸前に終戦となったようで
その設備はソ連にとって垂涎の的のように光っていただろう
何もかも火事場泥棒のソ連野朗
ホンマ“ロ中”は人類にとっての厄介者だ
こんな奴等が存在するからこの世も面白い -
14:31:48
発電所最上部に上り外を写す
影の方向を見れば・・・。
写真・正面は南東の方角のようだ
ならば遠くの街並みは、孫呉の東の端くらいだと思う -
14:38:28
廃墟の発電所の横にも建物が残っている
“藤○”のタクシーは黒色
なんで?
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http://www.youtube.com/watch?v=uipJxjn4kgM&feature=player_embedded
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http://www.youtube.com/watch?v=haAW2qV8uMA&feature=player_embedded
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14:41:16
イースター島のモアイ像ではありせんが
一周周っても、出入り口なし
いったい何処から入るのか?地下から続いているのか?
全く不明なり
“藤○”曰く、日本の物だ
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■満洲時代の遺跡
これも日本の遺跡と“藤○”が教えてくれた。彼女も何であるのか知らないようだが。中に入る扉もなく、地下から通じているのだろうか
-
14:43:10
似てるけど別物
発電所近くにあった
ご存知のかたあれば教えて頂きたいです -
14:48:10
孫呉駅を背中にすぐ左側にあります。
「侵華」も「偽」も付いていない紀念館
鍵が掛かったままの三日間
結局中は見れなかった
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■一旦孫呉の街に戻る
この時、帰り道に孫呉大橋で写真を撮る事をすっかり二人とも忘れていた。そして駅前の孫呉抗戦紀念館に行ったが鍵が掛かっていた。ここでも“藤○”は、私より粘ってドアを揺すったり覗き込んで誰か居ないかと頑張ってくれた。
私は内容は何処とも同じ様な物なので、さしたる興味はないと言いたいが、今回だけは、全体像が掴めていないので陣地の配置図を見たかった。
ここなら有るかも知れないと思っていたし、この紀念館の職員の方なら参考になることも聞けるのにとの期待があったが、結局この紀念館は、23,24,25の三日間とも鍵がかかり閉まったままだった。 -
14:58:34
孫呉西方の郊外に673支隊があったようです
こんな風景の道を入って行きました
碑には孫呉から西南方4キロ
20万?の敷地に300くらいの建物があったとのこと
満洲は広い
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■673支隊遺址に行く
731部隊の支隊がこの地にあり研究をしていた。この場所は街から西方向になる。支隊の周辺にも満洲時代の日本人の住んでいた住居跡を今もそのまま使っているようだ。
その真偽の程は、私にはっきり分からないが地元の人に聞いてくれたり、煙突が外側にという目安には適っているものばかりだ。
その中でもはっきりプレートが貼り付けてある建物が有った。「孫呉673支隊営房(Ying fang:兵舎)遺址」兵舎跡のようだが今も人が住んでいるのか、使っているのは確かだ。その近くに支隊の遺跡跡があった。
敷地は広く、一部基礎が残っている。碑が南北両側に建ち南側から私たちは入ったが、鉄条網の柵を潜り抜けて入った。北側(基礎の残っている方)には柵がないのかも?あるのかないのか、写真にも写っていないし記憶にもない。
哈爾濱の平房にある731部隊跡地にも去年行ったが、私は通説?は信じていない。
平房の731部隊の建物は、2000年まで地元の中学校として使われていた。2001年9月から「侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館」として公開されるようになったが、2004年夏も西側半分は中学校としてまだ使われていた。
私が行った2008年5月は陳列館のみの使用だった。そんな丸太の亡骸が山ほど眠った地獄のような場所で地元民が学校として使うのか?何も無かったとは言わないが、私は一方的な話を鵜呑みにはしない。 -
15:00:34
この建物が673支隊の兵舎跡だそうです
戦後64年、まだしっかりと使われています -
15:01:10
侵華日軍七三一細菌部隊:孫呉六七三支隊営房(兵舎)遺址
この辺りに日本人が当時日々の暮らしをしていた
この現代中国は死刑囚の臓器移植を行っている
ここで日本人が何を行っていたのか知らないが
風聞の類は一切信じない。
そして全ては戦争に帰結する
私の思う戦争は何でもありだ。
ということは逆に何をされてもそれが戦争だ。
嫌なら奴隷を受け入れるしかない。 -
15:05:06
南側の道から入ったら鉄条網で囲まれていた
その隙間をくぐり中に入る -
15:12:20
この廃墟の基礎が写真で良く見た物だ
解剖室の跡とか言う
その他、周囲を見渡してもコンクリートの基礎とかない
「広いなあ・・」と言うのが私の感想 -
15:14:14
解剖室跡が見える
戦争を遂行した先人が何を行っていても
私はその全てが戦争の範疇だと思っている
戦争中に例え何があっても先人も敵も非難しない
それが戦争だ
戦争なんて誰にだって普通は出来るものではない
今の私は戦争の当事者に、なる勇気も気概もない
自ら牙を抜き、属国の民として平和を享受し生きてきた
そんな私に最早一人前の人間の精神はないだろう -
15:18:54
前方遠く東方向に孫呉の市街が望める
この場所が支隊があった場所だ
孫呉駅前から車なら10分くらいの場所だ
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http://www.youtube.com/watch?v=HJbtrfREscw&feature=player_embedded -
15:33:06
午後3時半だと言うのに、すっかり夕方の雰囲気に
遜比拉河に架かる孫呉大橋に戻って来た
橋の向こうが北孫呉:勝山陣地方向へと続く
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■孫呉大橋に戻る
発電所の方からの帰り道、立ち寄り写真を撮るのを忘れていた孫呉大橋に戻った。『遥かなる黒龍江』小林静雄(著)によれば↓
『孫呉大橋の上に立つと、遥か西方に小興安嶺の山並が遠望できる。テレビ塔のアンテナが、かすかに見える周辺が、孫呉123師団の野戦司令部があった花見山陣地であるという』
そんな書き込みがあるので、橋の上に立って西方を見たがテレビ塔のアンテナは分からず。 -
15:33:18
「昭和拾九年壱拾月竣工」
夕陽に赤く染まる
ここは満洲の孫呉 -
15:33:34
「孫呉大橋」
遜比拉河の鉄橋を黒河に向って列車が渡る
当時もこれが日常の風景だったろう -
15:35:00
孫呉大橋より西方を写す
写真の左の方、遠方にテレビ塔らしき物あり
あの辺りが花見山陣地があった所なのか? -
15:48:54
孫呉:軍人会館附近から沈み行く夕陽を写す
まだ3時48分なり
今回の旅で満洲の夕陽を幾度となく見た。そして写真に撮った。
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軍人会館へ行く
ここも最初にこっちの方向に来た時に、行き損ねていて私も忘れていたが“藤○”が思い出して案内してくれた。中国のWeb頁によれば、「将校倶楽部」とも言い、一階には酒場があり大浴場・映画館・ダンスホール・レストラン・会議室があった。そして2階には休憩室、慰安所もあったような事を書かれている。
それがどうした。例え慰安所が有っても、それを作る事こそ健全であり、何ら恥ずべき事でも道徳的に劣る事でもない。毎度毎度「イ尓要按摩マ?」と、寝る邪魔をして電話をしてくる連中がほざくな、笑わせるだけだ。
しかし私は決して、女郎・売春婦・慰安婦などの女性を軽蔑しない。心底軽蔑するのは自分を棚に上げ奇麗事をほざく連中だ。或いは被害者面する元慰安婦だ。 -
15:50:58
軍人会館
見事な建物だ
今も堂々と建っている
関東軍将校たちがこの会館でひと時の英気を養ったのか
日本の今、満洲の今、未来を大いに語り笑い
故郷を偲んだ場所でもあろう
今もこの地に堂々なり -
15:51:18
師団長もきっとここに来られたのだろう
関東軍良くぞ戦えり -
15:52:26
侵華日軍軍人会館遺址
いつまでも保存していてくれ
使うならもっと大事に使え -
15:53:06
奥のほうから全体を写す
何処から見ても良い建物だ
威厳あり堂々たるものだ -
15:58:38
軍人会館から孫呉に戻る
午後3時58分の夕陽
いいなあ満洲に沈む夕陽は
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■元明和国民学校跡へ行く
Web頁にこの学校は元明和国民学校跡に建てられた小学校とあったので、その学校を見に行った。小学校があるということは、その附近に日本人家族が沢山住んでいた証でもある。今そこに何も無くても、私はそんな場所に行きたい。
ちょうど下校時間で学校前は道路にロープが張られ車は、その一角は通行止めになっていた。どことも下校時間の出迎え風景には驚く。大都会の小学校であれば、誘拐を恐れる気持ちは判るが、こんな地方都市でも同じ状態なのか・・・。一人っ子の大切さ、大事さは親として必死なのだろう。
二人の子供が将来四人の親の面倒を見る。それが中国の近い将来の現実だ。金持ちは益々金持ちに、大多数の貧乏人は這い上がる事も出来ず国家を頼る事も出来ずひたすら家族で助け合う。それがこの大陸の過去現在未来の普遍の姿なのだろう。
今この学校の名前は「明徳小学校」と名前を変え校舎も建て直したようだ。でも“藤○”の家の近くだし、黒河の地図の裏に孫呉の小さい地図がありそれには第三小学校と書いている。間違いないはずだ。
最後に市内中心部にある日本時代の建物を紹介してくれた。横にピンク色の公衆便所がへばりついているが、それらしきしっかりした建物に見える。写真を撮っていたら便所から出てきた女性に怪訝な顔で見られて、そこが便所だと分かった。ピンク色の鮮やかな色なのに眼中になく・・・。そりゃあ怪訝な顔するのも当然だろう。
4時20分ころに予定終了。
北苑賓館に戻ったら“藤○”が紹介してくれる明日の包車の相手が待っていた。本当に“藤○”のお蔭で、今日の午後はメチャ充実した3時間20分だった。明るいし元気だし、気が強そうだが気配りも出来優しくもある。運転手を探してくれたり、ちゃんと紹介してくれたり、その他面倒見も良い。
たった数時間の一期一会だったが、これが旅の一番の楽しさだ。結局、遺跡探訪も良き人との出会い無くば、面白さも感動も半減、いやそれ以上につまらぬ物になるのだろう。100元だったが50元をプラスして渡した。十二分にそれ以上の価値はあった -
16:02:30
学校前の道路に車は入れない
ロープを張って通行止め
幼稚園・小学校は保護者の送り迎えが常識だ
理由は、一人っ子にもしものことがあれば・・・。 -
16:03:48
元明和国民学校跡:現在:明徳小学校
少し前:孫呉第三小学校 -
16:04:04
西方向を写せば逆行で暗い
未だ夕陽は沈みきっていないのか? -
15:53:06
夕陽を背にして写せば、まだまだ明るく写る
小学校前の下校時風景は賑やかだ
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http://www.youtube.com/watch?v=uKXLO675ST8&feature=player_embedded -
16:11:24
日本時代の遺物は、お世辞抜きで立派に見える
何か、しっかりしており、かっちりしている
孫呉の街角に残る遺跡?何か分からないが
小学校からも近く、北苑賓館からも近い
街はそれだけ小さい
ピンク色のトイレとの対比がオモロイ
写真を何枚か撮っていたら、トイレから出てきた女性が
こっちを見ていた。怪しい者に違いない
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■孫呉市内の遺跡・夕食・明日の包車
“肖○○”46歳。娘は22歳で働いている。奥さんは専業主婦。そして姑との同居。何とか上手くやっているようだ。姑の年金¥400元(¥5600円)を合わせて、一ヶ月¥3万円ちょっとの家族の収入で、この辺ではそこそこやっていけるそうだ。
今日の午後“藤○”と行けなかった場所は↓
「花見山陣地・勝武屯陣地・霍爾莫津・勝山陣地・孫呉神社遺址」
“肖○○”は、知り合いがいるのか、その場で旅行社に電話をして長々と聞いてくれていた。そして行けるのは、この内、勝山陣地と私の書いた中には無いが飛行場跡地の二つだと言う。私も勝山陣地のことは、日本のWeb頁でも見て知っているが、花見山・勝武屯・霍爾莫津は、ハッキリした資料もなく分からない。中国のWeb頁でも、それらの写真はない。
結局、飛行場跡と勝山要塞の二ヶ所で¥150元。明日朝8時半出発という事で決まった。“藤○”が紹介してくれた運ちゃんだから安心感もあった。
商談成立のあと、暗くなった街を歩き小吃店に入った。そして又持参の菜単を出し注文する。焼飯はちょうど良かったが西紅柿鶏卵湯(スープ)はバケツに入っていた。
飲んでも飲んでも腹は膨れるも減らず。焼飯は全部食ったが、スープは見た目最初の量と変わらず?
食後すっかり暗くなった孫呉の街を散歩して、北苑賓館に戻ってきたのは未だ6時前だった。でも十分に疲れ、十二分に充実し有意義な一日だった。
明日は勝山要塞に行く。 -
17:21:00
西紅柿鶏卵湯スープはガラスのバケツに入っていた
焼飯は全部食ったが、スープは
腹が張ったが、残った量は最初とさほど変わらず -
17:51:48
北苑賓館前、解放路を站方面に向って写す
今日最後の一枚だ
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