2009/10/20 - 2009/10/27
163位(同エリア199件中)
明石DSさん
5:49:52
黒河まであと1時間ちょっと、車窓の景色
はるばる来たぜ黒河へ
満洲の大地は広い、外は寒そうだ
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2009.平成21年10月21日(水)
■黒河に向う
中国で夜行列車に乗るのは何度目か?
三、四回目くらいだろうと思う。初めての夜行は今から6年前の2003/平成15年9月、大連から図們への22時間汽車の旅だった。それが本格的な一人旅の始まりで、中国一人旅は、もう6年連続で続いている。
中国の旅、初回が1998年への上海、11年前。そして今回が14回目の中国だ。今後、何年続けれるのか分からないが、一年でも長く続けれられるように頑張ろう。
黒河に行こうと最初に思ったのは石光真清の「四部作」を読んだのがきっかけだ。1899/明治32年対岸のロシアの街、ブラゴヴェシチェンスクに語学研修・諜報活動の為に彼はやって来た。
そして翌年、ブラゴヴェシチェンスクで在留清国人がロシア軍、ロシア市民によって根こそぎ虐殺された。その後、ロシア軍はアムール河を渡河し満洲を席巻する。
そして、それから19年後の1918/大正7年1月、50歳にして石光真清は再びブラゴヴェシチェンスク及び黒河を訪れる。当時は第一次世界大戦最中、そしてロシアでは前年の1917/大正6年3月にレーニンによるボルシェビキ革命が起きていた。
その余波がこのシベリア東部のアムール州にも及び対岸のブラゴヴェシチェンスクでは風雲急を告げる状態の時だった。真清はやはり諜報任務と在留邦人のまとめ役のような任務を担ってこの地に来た。
そして、革命派との争いに在留邦人は日本義勇隊を編成し反革命派側として街を守備し、その戦いの中で戦死者を出す。
その慰霊碑が当時は建てられていた。
その場所を探したが事前には全く分からず、結局現地に来てタクシーの運転手など何人にも聞いたが「現在没有、今はない」・・・と、誰も知らなかった。町を見渡せる小高い丘も特定には至らず、慰霊碑も日本人墓地も分からなかった。
「誰のために」294頁:引用↓1919/大正8年1月13日
『日本人会で線香を求め、雪に覆われた小高い丘の日本人墓地を訪ねた。あれから早くも一年になる。私の指導が間違っていたために、この日本人墓地の凍土の下には、九名の犠牲者が冷たく横たわって再び醒めることがない。(中略)凍りついた土の上に線香の束を立て、私は凍土に膝を揃え両手をついて謝罪した』
結局、黒河、そして隣の愛琿でも石光真清当時のことに関する物は何も見つけることも出来ずであった。只、アムール河が滔々と昔と変わぬ姿?で流れていたが。
そして、満洲時代ここにも関東軍の要塞が築かれていた。そして敗戦後の昭和21年6月21日に「黒河事件」の起きたところだ。
明治中期から大東亜戦争終結までこの地で日本人の多くのドラマがあり戦いがあり惨劇もあった。その黒河に私は2009/平成21年10月21日59歳にしてやって来た。
-
6:25:12
満洲の日の出、太陽は東から上がる
ならばロシアの方向か
国境は近い
http://www.youtube.com/watch?v=EaAf-BAX9zg -
6:28:44
黒河到着まであと30分の車内
もうみんな準備万端、到着を待ち兼ねています
そとの天気も良さそうで一安心 -
6:54:52
同乗者去る。二人の女性が上で寝てました。
朝になって話しをしたけど、感じの良い女性でした
仕事で黒河に来たようです -
6:56:50
黒河到着
このお姉さん?に部屋に案内してもらいました
車掌さんも掃除から何から忙しいようです -
6:56:58
黒河のプラットホーム
K7033次 -
6:57:06
黒河→錦河(17km)
左側に駅はなし。終点
出口の向こうには何が待っているのか? -
6:58:20
タクシーが沢山待っていました
そしてホテルの客引きもいます。
黒河伊甸園賓館は一体何処にあるのか?
さっぱり分かりません
とりあえずタクシーにのるしか・・・。 -
7:33:28
黒河伊甸園賓館にチェックイン
朝の7時半、こんな早くても入れる
日本はどうなのか知らないが、助かる
黒河に来るなら少し高くても国際飯店がお勧めです
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■黒河に到着
午前6時前にうっすらと車窓は明るくなっていた。6時57分定刻通りに黒河に到着、10時間の汽車の旅は終わった。
やはり外は超寒かった。天気予報では当日の最低気温が零下6度くらいだったと思う。西明石の冬ではあり得ないそんな寒さに感じた。駅前広場には客待ちの出祖汽車(タクシー)が、びっしりと待ち構えていた。
私はいつもように声を掛けてくる運ちゃんたちを一応無視して周囲を見渡し一呼吸置いてから、ボチボチどうしようかと考える。結論はホテルの場所も全く分からないので出祖汽車に乗るしかないのだが・・・。
そして、声を掛けて来た運ちゃんに「伊甸園賓館知ってるか?」と聞いた。無論「知っている」と答えるので「多少銭?いくら?」と聞いたら「5元:60円」であった。やはりこの辺りは哈爾濱に比べて安いのだろう。
そして、その出祖汽車に乗り、自分の勘でこの運ちゃんなら、まあ大丈夫だろうと思ったから、又探すのは邪魔臭いので交渉をした。
資料を出して行きたい場所を書いたのを示した。
「法別拉陣地・黒河陣地・1918年当時の日本人の慰霊碑、墓・1945年当時の日本人俘虜収容所、江岸収容所・南崗収容所・愛琿古城・愛琿川・愛琿橋・愛琿火車站・愛琿陣地」
「日本人の墓/慰霊碑・愛琿站・愛琿川・愛琿橋・愛琿站」は知らないと言った。「法別拉・黒河要塞・愛琿古城は知っている。法別拉と愛琿は方向が反対で、これだけ行くなら300元」と言った。
「収容所の遺跡は知ってるのか?有るのか?」と再度確認したら「知ってる」と答えたが「知らない」と彼の目は言っていた。
まあええか、距離もあるし妥当だろうと包車(貸し切り)することにした。先ずはホテルに行きチェックイン。日本のホテルはどうなのか知らないが中国では早朝からでもチェックイン出来るからホント助かる。
伊甸園賓館の伊甸園は“エデン(地上の楽園)”のエデンを漢字で当て字にするとこうのように書く。宿泊客のほとんどがロシア人だった。
運ちゃんの"項○○"は「もっといいホテルがあるのに」と他を勧めた。ここも私が泊まるには十分のホテルだった・・・が。日本人のツアー客ならアムール河の畔に建つ国際飯店に泊まるのだろう。
私もその場所を知り、黒河国際飯店にすれば良かったと思った。黒河に行くなら国際飯店が絶対お勧めです。中味は知らないが河畔に建ち眺望抜群だから。あァ〜無念。ケチったが為の、ちょくちょく失敗も多し、止む無し。
チェックインし、次に書店で黒河の地図を買いに行った。馬鹿でかい地図(15元)まだ午前8時過ぎのことである。そして次は中国銀行で両替に、包車タクシーで周る。
銀行では大概嫌な思いをする。日本と比較してのことだが行員の態度がデカイ。あっちに行けと言われて、待っていたら、しばらくして又向こうに行ってくれと窓口の女性行員が席を外した。ふざけるな!って言いたいがここは中国。
そして、あっちに行ったら前の客が手間取っていた。その時横から両替屋(黒銭)が声を掛けて来た。銀行の中で堂々と私設両替屋が商売出来るとは・・・ホンマ、オモロイ国だ。
最初は偽札が嫌で断っていたが、前の客が長引き邪魔臭いし、真面目そうな両替屋の顔にかけて頼んだ。そしたら、こともあろうか自分の通帳から現金をその窓口で引き出すではないか、私の目の前で。
ならば偽札はない。「ふ〜ん、これなら安心だけど、こんなこと銀行の中で堂々とやれるものなのか・・・」と心の中で思いながら一安心、日本円5万円を730元×5=¥3,650元交換した。
これなら窓口でパスポート見せて書類に名前書いてややこしいことするよりよっぽど早いし便利だ。これが中国か、と改めてその凄さ?に驚く。 -
7:52:58
ここはロシア人専用?のホテルでした
綏芬河(すいふんが)と同じくロシア人の買い物客で賑わっています -
8:15:50
黒河駅前にて駅を背にして北東方向を写す
アムール河まで20分くらい歩けば行けると思う
左斜め前方方向が市内の中心部 -
8:16:56
一期一会の出会い、運転手“項○○”
見かけは角刈り兄ちゃんふうだったけど
どこかのんびりと安全運転で乗り心地良し。 -
8:31:20
紅興村の標識がある
のところに黒河要塞があった
この右手が電視台
その壁の奥に黒河陣地が広がっていた -
8:31:56
黒河テレビ局の中継所
この敷地内に陣地があると書かれているが
この敷地外にも壕が縦横に残っている
重層の陣地、要塞跡もある
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■黒河陣地。
市内からさほど遠くない場所に電視台はあった。“項○○”の案内で塀沿いに歩いて行ったら陣地跡と思われる場所が次々に現れた。塹壕が今も縦横に残っている。
小林氏が塀の中の陣地跡だけ見たのかどうか?分からないが、私は敷地内には入らなかったが。外に広がっている陣地跡を見て歩いた。
この地は黒河の街より少し高台になっている。石光真清が言う「小高い丘」と言うのもこの付近のことかも知れないと思ったが分からない。電視台のすぐ近くに紅興村との標識が立っていた。ここが黒河要塞跡である。
この黒河陣地:第七国境守備隊のソ連侵攻時の戦いの様子は、戦記を探してもなくWeb頁で検索しても情報なく、今の所全く分からない。
黒河要塞:北門鎮陣地跡
「遥かなる黒龍江」:小林静雄(著)より要約抜粋
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黒河街の南西に位置する山手の高台に黒河の北門鎮陣地跡があった。現在、黒河テレビ局の中継所の敷地内となっており、高い塀に囲まれていた。
テレビ局職員の方の案内で陣地内を見学した。砲座は破壊されて無残な姿をさらしていた。散兵壕が縦横に張り巡らしてあったが、半分くらい土砂に埋もれていた。
『黒龍江黒河市北門鎮侵華日軍地下工事遺址』という標示板が、北門鎮陣地の地下入口のところに立っていた。中には入れなかったが、地下陣地へはコンクリートの階段で降りれるようになっているようだった。
黒河要塞は1938年:昭和13年、第一次工事によって構築され、第7国境守備隊1,500名が駐屯していた。開戦時、第7国境守備隊は解隊し、兵員武器の抽出は続き、旧7国の第一大隊が警備にあたっていたが、兵員の移動も激しかった。
8月9日のソ連軍の急襲、怒涛の進攻の前に、あえなく黒河要塞は陥落し、突破されたのである。
//////////////////////////以上抜粋終わり
厚さが50cm以上はあろうかと思えるコンクリートの擁壁が破壊され残骸となってあちこちに要塞跡を思わせる痕跡が残っていた。何の説明書きもなくガイドもいないので詳細は分からないが、要塞跡であるのは今も十二分に分かる。
縦横に通じる交通壕、或いは戦車壕なのかもと思える幅広の壕が64年後の今も結構深く、くっきりと残っていた。これだけの要塞を持ちながら兵士・武器とも限られ、ソ連軍に思う存分の戦いも出来ず突破された兵士の無念を思う。ここでどんな戦いがあったのか?
ここに来る前に“項○○”に懐中電灯を買えと言われて露店で買ってきた。
その時おっちゃんが「12元」と言うので「10元就買・10元なら買う」と言うと、「これは10元では売れない。10元ならこっちのだ」と言うので10元のを買った。それを見て項○○は「イ尓是中国人、中国人やな」と笑っていた。
懐中電灯を買ったのは、ここの地下要塞に入る為の物だった。電視台の塀の中はどのような跡地になっているのか入らなかったので知らないが、塀の外に大きな規模で要塞跡地が残っている。
現在は、ほったらかしのようであり、維持管理もないようであった。そして地下要塞にも入って行けた。水槽があり鉄の階段も残っている。排気口・炊事場・浸透槽などの赤い字で書かれた文字がくっきりと残っていた。
でも入って行ったが、どの程度奥まで広がっているのか?大要塞に繋がる一部なのか孤立したものなのか分からない。全体像は全く分からず、そこが何なのかも不明のままだ。入れた範囲はそんなに広くない。只、中は重層構造で階段を上り下りした。
外の陣地の広さも何も分からないが一人で入り込めばすぐに迷ってしまうだろう。磁石を持ち帰り道を確認しながら進まないと迷うので、只、“項○○”の背中を追って歩いた。でも「翌日再度行ってゆっくり見たかった」と今になって思っている。 -
8:32:58
電視台の壁に沿って奥に進む
この陣地の写真も予備知識もなく一体どんな陣地なのか?
ただ“項○○”の後を付いて行くのみ -
8:36:32
潅木の中に一歩足を踏み入れるとすぐに
交通壕・散兵壕が縦横に残っていた
64年前のこの辺りの様子が偲ばれる
武器弾薬兵員揃っていれば・・・。
要衝として大いなる盾になっていただろうに -
8:36:58
破壊されたコンクリートの厚さ
ここは何だったのだろう?どんな攻撃によって
それともソ連軍占拠後の破壊によってかも -
8:40:56
ささやかな慰霊
火気厳禁故、火はつけれないが
般若心経を詠む -
8:43:12
砲座跡なのか?
周囲至る所に陣地跡の形跡残る
戦後この地に何人の日本人が訪ねたのか?
我もごく最近知ったばかりなり
そして、まだ知らない場所無限だ -
8:43:48
今すぐでも使えそうな壕が残っている
積もった枯葉を除けばきっと深さも十分確保出来そうだ -
8:46:38
地下要塞入口
“項○○”は、ここに向って歩いてきた
他に、要塞入口はないのか?知らないだけなのか?
この地下要塞の全容も分からないが入って行けた -
8:48:02
入口を振り返り写す
地下要塞と言うより
この高台の中が要塞のようになっている
後に修復されているのだろうか?
何も分からないが奇麗な内部だった -
8:48:32
錆びた鉄製階段
ヘルメットなく
頭に気をつけて登って行った -
8:50:08
内部構造も複雑なようだ
さっぱり分からないが奇麗だ
10元で買った懐中電灯がないと入れなかった -
8:50:38
この渡り廊下ようなものがある
この先にも行けそうだが行っていない -
8:51:10
炊事場
日本語だ。こんなに鮮やかに残ってるのか
これが、当時のままなのか?壁も美しい -
8:52:44
水槽・水原は“水源”ではないのか?
壁や字の色も鮮やかに残っているので驚く
修復したのではあるまいな・・・と
疑いたくなるくらい壁が美しい -
8:52:50
水槽
下の方に水が入っていた -
8:53:22
水槽は二つ並んであった
奥と手前と、棒があるのが上の写真の水槽 -
8:53:32
内部から入口:出口を写す
管理の気配なく誰でも入って来れるが
内部が奇麗なので驚くばかり
吸気孔・浸透槽・通風機などの文字も残っていた -
8:56:48
同じ場所に出たのか?否か?
写真を見ればどうも違うような、今となって自信がない。
その時は何も気付かず、帰国後ハタと??
翌日、再度ゆっくりここに来れば良かった・・・と
時間は十分あったのにと、今になって悔やんでいる -
8:58:14
前を歩く“項○○”
ここは紛れもなく来た道だ
一体どの程度の規模の陣地なのだろう
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