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11*4 トルコ イスタンブール//<br />今日こそは観光するぞ!って事で早めに起きた〜!先ずは朝食を作るぞ!前日にいろいろと食材を買ってたので使い切りたい。昨日checkinした人にも俺の料理を食べてもらいたいと思い、またもボロネーゼを作った。今回は鳥肉と、秀さんがイタリアから持ってきたパスタを使ったので、物凄く美味しく出来上がった。次々と起きてきたので、結局全員分作ったが、皆美味しいよ!って言ってくれて凄く嬉しかった。食べた後はお馴染みの皆でダラダラしたけど、そのダラダラの雰囲気が最高で、この宿の魅力である。最終日だし、観光に行くって言ったら、ヒロ君も今日は行くと言って、一緒に行く事にした。アヤソフィアやブルーモスクに行った。ブルガリアやボスニアでモスクは見たが、流石にイスタンブールのモスクは規模が違く、大きさに驚かされた!しかも、お祈りも終わった時点なので、中にも入れた。本場のモスクが見たくなり、今度はトルコからシリア、イスラエル、イランなど中東を周り、エジプトを目指す旅をすることを心に決めた。ヒロ君が船に乗るということで、俺も船に乗り、対岸に行った。船は大きくカモメ達も寄ってきたり、ガラタ橋も綺麗で満喫できた。その後は皆のお土産をと思い、グランドバザールに向かった。とにかく値切った。たかが六十円といえどもとにかく値切る。お金の問題でなく、トルコ人と値切る交渉をするのが楽しい◎^∇^◎日本語が話せるトルコ人に褒められたりもした。仕入れ値段を教えてくれたり、いろいろと仲良くなれた。また、トルコ人はジョークが大好きで、俺が何も落としてないのに、『落ちましたよ〜』っていってきて、俺が下を向くと『ひっかかった〜』とか言ってたり、本当に楽しい!買い物、沢山しちゃった〜♪///食材やビールを買い宿に戻った。今日は鍋パーティーをやろうということで、秀さんやみきさんに習いながらお米を炊いたり、鰯をミンチして団子を作ったり、白菜等をいれ、本格的な鍋が完成した!秀さんは料理のエキスパートで、ダシやドレッシングの作り方など丁寧に教えてくれた。本当に楽しいのら〜♪食後はお決まりの飲み会!岡部さんと管理人の美帆さんと下ネタで熱く語ったり、しょうちゃんとは真面目な話ししたり、俺はここにいる人達をファミリーの様に感じた!美帆さんは一個上のお姉ちゃんみたいに、俺を弟の様に可愛がってくれたりして、今日は最後だからと言って、ワインを買ってくれたり、いつかカナダでHOSTELを一緒に開く事を約束した!ひろくんや、いっちゃん、なおちゃんともとにかく語った!俺の出発が夜明けだから、皆眠いはずなのに、夜通し付き合ってくれた。俺は何て幸せなんだ!何泊かしたけど、こんな送迎されてる人はいなかった。だから俺は本当に皆と仲良くなれたんだ!旅をして、1番嬉しい日になった!美穂さんにお別れの挨拶をいえなかったのが残念だ。でも、カナダで再会できますように!!<br /><br /><br />トルコについて<br />西アジアのアナトリア半島(小アジア)と東ヨーロッパのバルカン半島東端の東トラキア地方を領有する、アジアとヨーロッパの2つの大州にまたがる共和国。首都はアナトリア中央部のアンカラ。北は黒海、南は地中海に面し、西でブルガリア、ギリシアと、東でグルジア、アルメニア、イラン、イラク、シリアと接する。国土の大半の部分はアナトリア半島にあたり、国民の約99%がイスラム教(宗派はスンナ派が多数)を信仰するため、日本の地域区分では地理的な位置と、欧州即ちキリスト教というステレオタイプから中東、西アジアに含めることがほとんどであるが、サッカー協会やオリンピック委員会などではヨーロッパの統一団体に属す。経済的、政治的にもヨーロッパの一員として扱われることがあり、NATOに加盟しており、現在欧州連合 (EU) へ加盟申請中である。<br /><br />歴史<br />トルコの国土の大半を占めるアジア側のアナトリア半島(小アジア)とトルコ最大の都市であるヨーロッパ側のイスタンブルは、古代からヒッタイト・フリュギア・リディア・ビザンツ帝国などさまざまな民族・文明が栄えた地である。11世紀に、トルコ系のイスラム王朝、セルジューク朝の一派がアナトリアに立てたルーム・セルジューク朝の支配下で、ムスリム(イスラム教徒)のトルコ人が流入するようになり、土着の諸民族とが対立・混交しつつ次第に定着していった。彼らが打ち立てた群小トルコ系君侯国のひとつから発展したオスマン朝は、15世紀にビザンツ帝国を滅ぼしてイスタンブルを都とし、東はアゼルバイジャンから西はモロッコまで、北はウクライナから南はイエメンまで支配する大帝国を打ち立てる。19世紀になると、衰退を示し始めたオスマン帝国の各地では、ナショナリズムが勃興して諸民族が次々と独立してゆき、帝国は第一次世界大戦の敗北により完全に解体された。しかしこのとき、戦勝国の占領を嫌ったトルコ人たちはアンカラに抵抗政権を樹立したムスタファ・ケマル(アタテュルク)のもとに結集して戦い、現在のトルコ共和国の領土を勝ち取った。1923年、アンカラ政権は共和制を宣言。翌1924年にオスマン王家のカリフをイスタンブルから追放して、西洋化による近代化を目指すイスラム世界初の世俗主義国家トルコ共和国を建国した。第二次世界大戦後、ソ連に南接するトルコは、反共の防波堤として西側世界に迎えられ、NATO、OECDに加盟する。国父アタテュルク以来、トルコはイスラムの復活を望む人々などの国内の反体制的な勢力を強権的に政治から排除しつつ、西洋化を邁進してきた(ヨーロッパ評議会への加盟、死刑制度の廃止など)が、その最終目標であるEUへの加盟にはクルド問題やキプロス問題、アルメニア人虐殺問題、ヨーロッパ諸国の反トルコ・イスラム感情などが大きな障害となっている。

沈没して何か?ここの皆が大好きです☆ トルコ イスタンブールその2

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2009/11/04 - 2009/11/04

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kawabekentarou

kawabekentarouさん

11*4 トルコ イスタンブール//
今日こそは観光するぞ!って事で早めに起きた〜!先ずは朝食を作るぞ!前日にいろいろと食材を買ってたので使い切りたい。昨日checkinした人にも俺の料理を食べてもらいたいと思い、またもボロネーゼを作った。今回は鳥肉と、秀さんがイタリアから持ってきたパスタを使ったので、物凄く美味しく出来上がった。次々と起きてきたので、結局全員分作ったが、皆美味しいよ!って言ってくれて凄く嬉しかった。食べた後はお馴染みの皆でダラダラしたけど、そのダラダラの雰囲気が最高で、この宿の魅力である。最終日だし、観光に行くって言ったら、ヒロ君も今日は行くと言って、一緒に行く事にした。アヤソフィアやブルーモスクに行った。ブルガリアやボスニアでモスクは見たが、流石にイスタンブールのモスクは規模が違く、大きさに驚かされた!しかも、お祈りも終わった時点なので、中にも入れた。本場のモスクが見たくなり、今度はトルコからシリア、イスラエル、イランなど中東を周り、エジプトを目指す旅をすることを心に決めた。ヒロ君が船に乗るということで、俺も船に乗り、対岸に行った。船は大きくカモメ達も寄ってきたり、ガラタ橋も綺麗で満喫できた。その後は皆のお土産をと思い、グランドバザールに向かった。とにかく値切った。たかが六十円といえどもとにかく値切る。お金の問題でなく、トルコ人と値切る交渉をするのが楽しい◎^∇^◎日本語が話せるトルコ人に褒められたりもした。仕入れ値段を教えてくれたり、いろいろと仲良くなれた。また、トルコ人はジョークが大好きで、俺が何も落としてないのに、『落ちましたよ〜』っていってきて、俺が下を向くと『ひっかかった〜』とか言ってたり、本当に楽しい!買い物、沢山しちゃった〜♪///食材やビールを買い宿に戻った。今日は鍋パーティーをやろうということで、秀さんやみきさんに習いながらお米を炊いたり、鰯をミンチして団子を作ったり、白菜等をいれ、本格的な鍋が完成した!秀さんは料理のエキスパートで、ダシやドレッシングの作り方など丁寧に教えてくれた。本当に楽しいのら〜♪食後はお決まりの飲み会!岡部さんと管理人の美帆さんと下ネタで熱く語ったり、しょうちゃんとは真面目な話ししたり、俺はここにいる人達をファミリーの様に感じた!美帆さんは一個上のお姉ちゃんみたいに、俺を弟の様に可愛がってくれたりして、今日は最後だからと言って、ワインを買ってくれたり、いつかカナダでHOSTELを一緒に開く事を約束した!ひろくんや、いっちゃん、なおちゃんともとにかく語った!俺の出発が夜明けだから、皆眠いはずなのに、夜通し付き合ってくれた。俺は何て幸せなんだ!何泊かしたけど、こんな送迎されてる人はいなかった。だから俺は本当に皆と仲良くなれたんだ!旅をして、1番嬉しい日になった!美穂さんにお別れの挨拶をいえなかったのが残念だ。でも、カナダで再会できますように!!


トルコについて
西アジアのアナトリア半島(小アジア)と東ヨーロッパのバルカン半島東端の東トラキア地方を領有する、アジアとヨーロッパの2つの大州にまたがる共和国。首都はアナトリア中央部のアンカラ。北は黒海、南は地中海に面し、西でブルガリア、ギリシアと、東でグルジア、アルメニア、イラン、イラク、シリアと接する。国土の大半の部分はアナトリア半島にあたり、国民の約99%がイスラム教(宗派はスンナ派が多数)を信仰するため、日本の地域区分では地理的な位置と、欧州即ちキリスト教というステレオタイプから中東、西アジアに含めることがほとんどであるが、サッカー協会やオリンピック委員会などではヨーロッパの統一団体に属す。経済的、政治的にもヨーロッパの一員として扱われることがあり、NATOに加盟しており、現在欧州連合 (EU) へ加盟申請中である。

歴史
トルコの国土の大半を占めるアジア側のアナトリア半島(小アジア)とトルコ最大の都市であるヨーロッパ側のイスタンブルは、古代からヒッタイト・フリュギア・リディア・ビザンツ帝国などさまざまな民族・文明が栄えた地である。11世紀に、トルコ系のイスラム王朝、セルジューク朝の一派がアナトリアに立てたルーム・セルジューク朝の支配下で、ムスリム(イスラム教徒)のトルコ人が流入するようになり、土着の諸民族とが対立・混交しつつ次第に定着していった。彼らが打ち立てた群小トルコ系君侯国のひとつから発展したオスマン朝は、15世紀にビザンツ帝国を滅ぼしてイスタンブルを都とし、東はアゼルバイジャンから西はモロッコまで、北はウクライナから南はイエメンまで支配する大帝国を打ち立てる。19世紀になると、衰退を示し始めたオスマン帝国の各地では、ナショナリズムが勃興して諸民族が次々と独立してゆき、帝国は第一次世界大戦の敗北により完全に解体された。しかしこのとき、戦勝国の占領を嫌ったトルコ人たちはアンカラに抵抗政権を樹立したムスタファ・ケマル(アタテュルク)のもとに結集して戦い、現在のトルコ共和国の領土を勝ち取った。1923年、アンカラ政権は共和制を宣言。翌1924年にオスマン王家のカリフをイスタンブルから追放して、西洋化による近代化を目指すイスラム世界初の世俗主義国家トルコ共和国を建国した。第二次世界大戦後、ソ連に南接するトルコは、反共の防波堤として西側世界に迎えられ、NATO、OECDに加盟する。国父アタテュルク以来、トルコはイスラムの復活を望む人々などの国内の反体制的な勢力を強権的に政治から排除しつつ、西洋化を邁進してきた(ヨーロッパ評議会への加盟、死刑制度の廃止など)が、その最終目標であるEUへの加盟にはクルド問題やキプロス問題、アルメニア人虐殺問題、ヨーロッパ諸国の反トルコ・イスラム感情などが大きな障害となっている。

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  • トルコのイスタンブールを代表するモスクで、世界文化遺産であるイスタンブール歴史地域の歴史的建造物群のひとつ。<br />オスマン帝国の第14代スルタン・アフメト1世によって1609年から1616年の7年の歳月をかけて建造された。世界で最も美しいモスクと評される。<br />世界で唯一優美な6本のミナレットと直径27.5mの大ドームをもち、内部は数万枚のイズニク製の青い装飾タイルやステンドグラスで彩られ、白地に青の色調の美しさからブルーモスクとも呼ばれる。<br />夏には音と光のショーも催され、幻想的にライトアップされた夜の姿も楽しむことができる。<br /><br />

    トルコのイスタンブールを代表するモスクで、世界文化遺産であるイスタンブール歴史地域の歴史的建造物群のひとつ。
    オスマン帝国の第14代スルタン・アフメト1世によって1609年から1616年の7年の歳月をかけて建造された。世界で最も美しいモスクと評される。
    世界で唯一優美な6本のミナレットと直径27.5mの大ドームをもち、内部は数万枚のイズニク製の青い装飾タイルやステンドグラスで彩られ、白地に青の色調の美しさからブルーモスクとも呼ばれる。
    夏には音と光のショーも催され、幻想的にライトアップされた夜の姿も楽しむことができる。

  • 今日はちゃんと観光するよ〜

    今日はちゃんと観光するよ〜

  • アヤソフィア<br /><br />トルコのイスタンブルにある博物館。東ローマ帝国(ビザンツ帝国・ビザンティン帝国)時代に正統派キリスト教の大聖堂として建設されたもので、帝国第一の格式を誇る教会、コンスタンティノポリス総主教座の所在地であった。東西教会の分裂(1054年の「相互破門」の舞台はまさに当大聖堂だった)以後は、正教会の総本山となる。<br />東ローマ帝国の代表的な遺構であり、しばしばビザンティン建築の最高傑作と評価される。その歴史と威容から、オスマン帝国の時代においても第一級の格式を誇るモスクとして利用された。日本語では慣用的に「ハギア・ソフィア」と呼称されるが、厳密にはトルコ語読みは「アヤソフャ」、古典ギリシア語読みは「ハギア・ソピアー」、現代ギリシア語読みでは「アギア・ソフィア」に近い。正教会では「アギア・ソフィア大聖堂」と呼ばれ、「ハギア・ソフィア大聖堂」と表記されることも多い。

    アヤソフィア

    トルコのイスタンブルにある博物館。東ローマ帝国(ビザンツ帝国・ビザンティン帝国)時代に正統派キリスト教の大聖堂として建設されたもので、帝国第一の格式を誇る教会、コンスタンティノポリス総主教座の所在地であった。東西教会の分裂(1054年の「相互破門」の舞台はまさに当大聖堂だった)以後は、正教会の総本山となる。
    東ローマ帝国の代表的な遺構であり、しばしばビザンティン建築の最高傑作と評価される。その歴史と威容から、オスマン帝国の時代においても第一級の格式を誇るモスクとして利用された。日本語では慣用的に「ハギア・ソフィア」と呼称されるが、厳密にはトルコ語読みは「アヤソフャ」、古典ギリシア語読みは「ハギア・ソピアー」、現代ギリシア語読みでは「アギア・ソフィア」に近い。正教会では「アギア・ソフィア大聖堂」と呼ばれ、「ハギア・ソフィア大聖堂」と表記されることも多い。

  • トプカプ宮殿の庭<br />でかすぎて途中で引き返した<br /><br />トプカプ宮殿は、15世紀中頃から19世紀中頃までオスマン帝国の君主が居住した宮殿。イスタンブル旧市街のある半島の先端部分、三方をボスポラス海峡とマルマラ海、金角湾に囲まれた丘に位置する。<br /><br />宮殿はよく保存修復され、現在は博物館として公開されているが、15世紀に建設されて以来増改築を繰り返しており、現在見られる姿を保ちつづけているわけではない。<br /><br />

    トプカプ宮殿の庭
    でかすぎて途中で引き返した

    トプカプ宮殿は、15世紀中頃から19世紀中頃までオスマン帝国の君主が居住した宮殿。イスタンブル旧市街のある半島の先端部分、三方をボスポラス海峡とマルマラ海、金角湾に囲まれた丘に位置する。

    宮殿はよく保存修復され、現在は博物館として公開されているが、15世紀に建設されて以来増改築を繰り返しており、現在見られる姿を保ちつづけているわけではない。

  • 船がったったの、1.5りら<br />約90円

    船がったったの、1.5りら
    約90円

  • なんで二人とも目がキラキラなんだ〜<br />人が良く、仲良しになってアドレスを交換した

    なんで二人とも目がキラキラなんだ〜
    人が良く、仲良しになってアドレスを交換した

  • 俺でもできるさ 笑<br />楽しかった〜

    俺でもできるさ 笑
    楽しかった〜

  • 左から<br />ひろくん、なおこちゃん、いっちゃん、岡部さん、しょうちゃん

    左から
    ひろくん、なおこちゃん、いっちゃん、岡部さん、しょうちゃん

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