2008/05/30 - 2008/05/31
584位(同エリア731件中)
ナオさん
歴史好きの先輩に請われて、NHK大河ドラマの舞台になった地を尋ねる旅を数年前から続けていますが、2008年は「篤姫」の舞台・鹿児島を訪ねる旅をしました。
これはその中の、<指宿・知林ヶ島・今和泉>編です。
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 自家用車
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今回も大河ドラマフアンの友達に請われて、「篤姫」の故郷・鹿児島を訪ねることになりました。
AM3:00出発、倉敷I.Cより鹿児島へと向かいます。
ここは山陽自動車道の下り、「小谷SA」です。広島なので、お土産は広島菜などが並んでいます。
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車は山口県に入って来ました。
ここは山陽道下り、「下松SA」です。このSAはウエスタン調に造ってあります。
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九州道を走り、やっと鹿児島近くまでやってきました。車でも遠い鹿児島、篤姫の時代、江戸に出るのも、京に出るのも大変だったでしょうね。
ここは熊本県と鹿児島県の県境です。見えているのは「えびのループ橋」です。九州自動車道の八代JCTからえびのJCTの間は、いくつものトンネルが続く山間の地です。高速道路が付いてなかった頃、私たちも上に見えている道を走ったことがあります。 -
倉敷から8時間かけてやって来ました鹿児島へ。走行距離は708kmです。ここが「篤姫」の故郷です。
今いるところは桜島SAです。フェニックスの大きな葉が風に揺れていて、「ああ南国的だな!」と感じさせられます。
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お昼前だったので、桜島SAで鹿児島名物の「黒豚丼」(¥995)を食べました。すごいボリュームで、とても美味しかったです。(^.^)
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鹿児島からは、有料道路の「指宿スカイライン」で知覧に向かいました。
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ここは指宿スカイラインの途中の展望所です。錦江湾、鹿児島の町、桜島が見えます。
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指宿スカイラインの展望所から見えていた鹿児島のシンボル・桜島です。この日の桜島は少し霞んでいました。
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これも指宿スカイラインからの桜島です。「篤姫」の中でも桜島は、篤姫が故郷を思う時、いつも映し出されます。
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指宿での宿は、指宿こころの湯と併設の宿、「指宿こころの宿」。
ここは同じ敷地内にある「こころの食彩館」です。 -
ここは「指宿こころの湯」です。「指宿こころの宿」の宿泊客は、こころの湯二階の多種多様なお風呂を楽しむことができます。
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ここが私たちが泊まった「指宿こころの宿」です。「指宿こころの湯」と併設して建っています。
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指宿こころの宿での夕食です。
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指宿こころの宿での夕食です。
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指宿こころの宿での夕食です。
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ここは「指宿こころの湯」の露天石壷風呂です。石がくり抜いてあり、これは一人風呂になっており、とても気持ちよかったです。
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「指宿こころの湯」の露天風呂です。入っているのは私ではありません。お風呂好きの友達です。
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指宿こころの宿の内部です。
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指宿こころの宿での朝食です。
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ここは「ふれあいプラザ なのはな館」です。私たちの泊まっていた宿、「心の湯」「心の宿」の隣にありました。
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「ふれあいプラザ なのはな館」です。この建物のかなり変わった外見に、初めはちょっと驚きました。
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篤姫の生涯や大河ドラマの紹介などのイベントが行われている「指宿篤姫館」は、「ふれあいプラザ なのはな館」の内にあります。
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私たちは指宿に泊まった翌朝、知林ヶ島を見に出かけました。
鹿児島湾は錦江湾とも呼ばれています。
知林ヶ島は鹿児島湾の入口にある小さな島です。知林ヶ島と田良岬との間には砂州が形成され、大潮や、中塩の干潮の時に砂の道が現れ、歩いて渉れることで有名です。
また、知林ヶ島の見える海岸は、NHKの大河ドラマ『篤姫」のロケ地にもなったところです。
この写真は「美しい錦江湾を明日の世代へ」と書かれた石碑とその向こうに見える知林ヶ島です。 -
指宿国民休暇村近くです。向こうに見えているのは知林ヶ島です。
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知林ヶ島は、私たちの泊まった宿から車で5分の所にあります。指宿国民休暇村の近くの駐車場に車を止め、そこからは堤防に沿って、田良岬の先へと歩きます。
この写真は指宿国民休暇村です。
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田良岬から海を隔てて、指宿温泉方面を望んだところです。
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鹿児島湾を見ながら、国民休暇村の堤防を歩いて行きます。沖に見えている島が知林ヶ島です。知林ヶ島は周囲3km、面積約52ヘクタール、最高点約90mの無人島です。
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知林ヶ島と田良岬の間には、砂州の道ができ歩いて渉れますが、それは知林ヶ島が鹿児島湾の入口に位置しているからで、東シナ海から鹿児島湾に流れこんでくる温暖な黒潮と、鹿児島湾から流れ出すやや冷たい流れがぶつかるからです。
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この日はゆっくり待てば、砂州が現れて、歩いて渉れるといわれたのですが、私たちにはゆっくり待つ時間がありませんでした。本当に残念です。前もってしっかり調べて、渉れる日にもう一度訪れたいものです。
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知林ヶ島は、大潮や中潮の干潮時に砂州が現れ、長さ800mの砂の道で田良岬と陸続きになるのだそうです。その道を歩いて渉ると潮の香りがするそうで、ここは「かおり風景100選」にも選ばれているとか。
この日は、かなり条件のいい日だったようで、見ているまにも砂州が現れてきました。写真でもわかるでしょう! -
知林ヶ島の見える田良岬の海岸には、「渡島者の皆様方へのお願い」というこのような看板が立っていました。
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知林ヶ島の見える田良岬の海岸には、「渡島者の皆様方へのお願い」というこのような看板が立っていました。渡島は危険も伴なうようです。
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これは宿に張ってあった観光ポスターで、知林ヶ島への砂州が現れたところを上から写してあります。条件がいいと、こんなにはっきりした海の道が現れるのですね。こんな道なら何時の日か、歩いてみたいですね。
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指宿にある山、魚見岳215mです。
魚見岳は、ハワイのダイヤモンドヘッドに似ているともいわれています。車でも登れて、知林ヶ島の絶好の展望台になっています。
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これは指宿で見かけたディゴの花です。ディゴは南国の花で、沖縄の花としても有名です。
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指宿はさすが南国、5月にハイビスカスが花盛りでした。
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指宿はさすが南国、5月にハイビスカスが花盛りでした。
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私たちは案内板を頼りに、30分で回れるという海辺散策コースを選んで、今和泉を歩きました。
まず、今和泉島津家の別邸を中心に広がっていた武家屋敷の町割を見ながら歩きます。
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ここが今和泉島津家の別邸跡の石垣と松林です。この松林は隼人松原といい、樹齢300年と言われる松が並んでいます。
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今和泉島津家別邸跡地は、今和泉小学校の敷地になっていて立ち入ることは出来ませんが、裏門の辺りに、篤姫の当時を知るであろう老い松が数本残されており、「今和泉島津家別邸跡」の立て札が立っています。
近くには今和泉島津家の井戸も残っています。
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ここには篤姫が過ごしたと言われる当時から残る今和泉島津家手水鉢のレプリカが置いてあります。
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今和泉島津家別邸跡の近くの海岸線です。ここで、篤姫は錦江湾を眺めて育ったと言われています。
「篤姫ゆかりの地」の標柱が建っています。
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