2008/05/02 - 2008/05/06
439位(同エリア906件中)
松村博司さん
長浜城。
足軽からスタートした秀吉が12万石の大名にまで上り詰めた地です。
普通に考えれば、この時点で後生に残る大出世。
このまま長浜城主でいられたら・・・
秀吉とねねは幸せな人生を送れたのかも。
少なくとも天下統一が二人に、そして彼らの仲間達に幸せをもたらしたとは到底思えないのです。
そしてもう一組。
浅井長政とお市の方。
回りから見ても本当に幸せそうな仲むつまじい夫婦だったそうです。
そんな二人が過ごした地。
そして二人が引き裂かれた地。
長政自刃により滅亡した浅井家。
その滅亡は残されたお市や子供達のみならず、
信長や秀吉、そして多くの人々に大きな陰を落とすことになります。
挫折禁止(松村博司の貧乏旅日記)
「三河発!東海・中山道、上洛の旅」
http://bonkuraii.blog56.fc2.com/blog-category-50.html
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 自家用車
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先ほどまで駐車していたのは琵琶湖汽船の駐車場。
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これから長浜城やお昼ご飯を食べに行くのに車を放置しておくのはさすがにまずいです。
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そこですぐそばにある無料駐車場に移動しようと思ったのですがすごい渋滞^^;
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数百メートル移動するのに20分近くかかってしまいました・・・
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とりあえず、気を取り直して出発です。
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事前の調査では遺構はほぼ皆無ということで、この長浜城も本来あった場所とは違いますし、基礎から作り直した完全な模擬天守です。
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数少ない遺構の一つです。
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現在はこの石垣後も埋め立てられてしまっています。
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天守閣へ到着っと意外と立派ですね。
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石垣もそれっぽく作られていますし。
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本来の姿は市立長浜城歴史博物館です。
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チケットはこちら、入館料は400円です。
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建物の中は文字通り博物館、まあどこの復元城も一緒なんですがね。
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この長浜城、小谷城責めの功で北近江三郡12万石を与えられた秀吉が、小谷城の廃材などを利用して築城した、彼の初めての居城です。
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もともとは今浜という名の土地だったのですが、一説によると信長の長をもらい長らく栄える浜であるようにと長浜へ改められたとのこと。
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本能寺の変の後、清洲会議の遺領分割では柴田勝家に与えられ甥の柴田勝豊が入城します。
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その後、秀吉と勝家の対立によって再び秀吉に奪取、賤ヶ岳の戦いでの拠点となりました。
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1615年、元和元年に廃城となり資材は彦根城築城に使用されたそうです。
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秀吉が初めて手にした居城、豊臣家が滅亡した年に廃城というのもすごく印象的ですね。
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ねねが愛した風景です。
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私見ですが秀吉とねね、色々大変だったでしょうが二人が一番幸せだったのはこの長浜城主時代だったのではないかなとふと思ったりします。
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大変珍しい貴重な写真。
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何がって、私の写真はいつも右に傾いているのですが上の写真は珍しく左に傾いていますよw
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一応本人気にしているのですが、コンデジに変えてからかなと思ったらカシオのR61を使っているときはまっすぐな写真ばかりなのでLUMIXに変えてから?
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とまあ、それは置いておいてお昼ご飯です!
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実は天守閣最上階から外の風景を見ている時、トンカツ屋の看板を発見してそこに行くことにしたのです。
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時間は3時半、もう限界ということでトンカツ屋到着だ!
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なんですと!
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・・・・・・・・・
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そのまま、次の目的地である小谷城へ向かおうかと思いつつも、とりあえず携帯を取りだし飲食店を検索。
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あまり使ったことはないし、使ってもちゃんとしたところにたどり着いた経験がないのですが、私も必死です。
それっぽい店を見つけてそこから携帯のGPSを使用して向かっていきます、途中で長浜駅を越えたりしながら^^; -
途中で秀吉・三成出会いの像発見。
そういや長浜って、三成の出身地なんですね。
鷹狩りの途中観音寺に立ち寄った秀吉の汗をかいた姿を見た三成は、大きめの茶碗に温いお茶をなみなみとついで持ってきました。
秀吉がおかわりを頼むと、今度は先ほどより少し熱いお茶を半分ほどの量にして出し、それを見た秀吉はさらにもう一杯頼みました。
今度は小さな茶碗に熱いお茶が差し出され、その気遣いに感心した秀吉は三成をめし使えたという話です。 -
なんでもいいよ、もうw
とにかくメシめしと急ぎ足で歩いていくと、ナビが示していたお店はなくなって更地になってました・・・
やっぱりだよ^^;
絶望に打ちひしがれていると商店街発見! -
しかもすごい人の数。
最近シャッター通りしか見てなかったので感動です!
どこの店も開いていてお客さんも一杯、こんなに活気のある商店街本当に久しぶりに見ましたよ。 -
そして食べ物屋も発見、ちり麺うどん「大手門や」です。
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選んだのはご飯が食べたい〜ってことでソースカツ丼とちり麺うどんセット、980円也〜。
だったらうどん屋に入るなよって感じですがそれは愛嬌ということで。
麺もご飯も堅めが好きな私ですが、讃岐うどんを食べ慣れると他の地域で食べるうどんには少々抵抗があります。
ドキドキしながら食べてみたんですがしっかりコシがあり大変おいしいうどんでした。
ソースカツ丼はウスターソースをかけただけのように感じたのですがどうでしょう・・・ -
とりあえず落ち着きました。
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戻る途中に行列発見。
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そういえば観光案内で行列の出来る親子丼の店とか乗ってたけど、ここのことかな?
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開店4時30分だったはずで、スルーしたのですが4時15分でこの状態です。
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てかゆっくりしてたらもう4時過ぎてるですね、先を急ぎましょう><
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そうそう、もう一つこの商店街を歩いていて気になったことがあります。
行列の出来ているラーメン屋がありました。
看板にはデカデカと、
「本場・長浜ラーメン」
あ〜、なるほど。
長浜って言えば本場だよね。
やっぱり、とんこつラーメンで替え玉OKなんでしょうか?
てか、マテ。
並んでいる観光客の皆さん、ちょっとおかしくありませんかぁ?
いや、確かにここも長浜ですけど。
あれは博多長浜じゃないのかw -
ちょっと気になりながらも、本日の最終目的地、小谷城に向かう松村でありました。
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さて、お昼を食べたところで移動開始です。
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縮小で見えないでしょうが近江豊国神社の看板、時間的に立ち寄ることはちょっと不可能になってきましたね。
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一人旅の証拠です、誰か座ってるのが見えるなんて冗談は言わないようにw
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伊吹山、石灰岩採掘の跡が生々しく残っていますね。
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車から失礼。長政、お市夫婦と4人の子供達の像です。
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この周辺、色々あるので見て回りたかったんですがちょっと無理になってしまいました。
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鳥居を見ると反射的にシャッターを押してしまいます・・・
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てか、けっこう立派な神社っぽい?
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地図を見ると波久奴神社となっていました。
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さあ、山道を登っていきます・・・が何か違う?
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賤ヶ岳七本槍の一人、片桐且元の父である孫右衛門の墓を発見^^;
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って違うじゃん><
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ナビを無視して適当に走ると今度こそ本当の入り口を発見。
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ここが入り口の駐車場ですね、後で寄ってみましょう。
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まずは車で上まであがります。
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さすがに下から歩いて登る情熱は残ってないので。
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数分ほど車で上ると駐車場ではないのですがちょっとしたスペースを発見。 -
ルートです。
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すでに5時を過ぎているのにけっこうな車の数・・・
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未整備な山城に人など来ていないだろうと思っていたのですが、びっくりです。
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でも・・・帰っていいですか?
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ダメです!
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スタートした瞬間、いきなり腰が引けてるんですが^^;
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馬洗い池、廃城から400年たった今でも水が湧き続けています。
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首据え石、その名の通りこの岩の上に首をさらしていたそうです。
さらされていたのは今井秀信、戦中だった六角家と内通していたと知った浅井亮政に誘殺されたそうです。 -
そして分岐点。
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右のうっそうとした道を下ると赤尾屋敷跡があるとの事。
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ここまで来て、赤尾屋敷跡に行かなければ何しに来たのかわかりませんので決死の覚悟で・・・なんだこの道は><
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蜘蛛の巣をかき分け、倒れかけた木々をかいくぐり、屋敷跡到着。
脱帽して写真を撮る前に一礼して手を合わせていました。
たぶん30秒くらいだったでしょうか。
がさがさと音が聞こえ振り返ると先ほどの道から私と同じように一人で来たであろう男性の方が来たので、写真を3枚ほど撮るともう一度礼をしてその場を離れました。
私は特別、浅井長政のファンというわけではないのですが戦国時代、一番ドラマティックなシーンだったと思っています。 -
小谷城落城と浅井長政自刃。
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信長、お市、秀吉、そして長政。
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それぞれの想いが激突したこの戦い。
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救出された子供達、万福丸の無惨な死。
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お市の方は信長の死後、柴田勝家と再婚。
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その後、再び秀吉によって攻められ、勝家と共に自害。
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生き残った三人の姫は母を殺し、二人の父を殺した秀吉の保護を受け、長女の茶々はその秀吉の側室に。
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大阪夏の陣、燃えさかる城を見ながら彼女は何を想っていたのでしょうか。
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次女のお初は名門の京極高次の正室に。
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そして三女のお江。
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秀吉の政略結婚に利用され三度も結婚。
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最後には二代将軍秀忠と結婚、御台所としては歴代唯一正室として世継ぎの家光を生みます。
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また、千姫の母としても有名ですね。
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小谷上洛城に始まった歴史の大きなうねりは、戦国の終わりを告げる元和元年。
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お茶々とその子、秀頼の死によって終わりを告げたのでしょうか。
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戦国時代、各地で色々なドラマがあり英雄達が現れては消えていきました。
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そんな時代の中で小谷城攻防戦に関わった人々。
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男達だけでなく、女性達も特別光り輝いていたように感じます。
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一つの城が落ち、一つの家が滅亡した。
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ただその事実だけに終わらなかったこの戦い。
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憎悪が渦巻き、悲しみに押しつぶれそうになり、それでも前を向いて生き続けようとした人たち。
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そんな小谷城に、念願かなって初登城です。
つづく・・・
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