2009/07/04 - 2009/07/13
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アルデバランさん
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<アルカサルの庭園>
かつて1000年前、全ヨーロッパで最も栄えていた町がこの地にあった。
西暦750年にアブド・アッ・ラフマーン1世がアル・アンダルスの首都をこの地に定めたときから、隆盛は始まる。
10世紀には人文科学全てにおいてコルドバは知識の宝庫であり、人々の憧れの町であった。
イギリス、フランスの王侯貴族が粗末な木造の家に住んでいた頃、この街は優れた都市計画で整備され宮殿、モスクはきらびやかな大理石と漆喰細工で飾られていた。
今この地を歩いても、そのような繁栄があったことを想像するのは難しい。
キリスト教徒がこの地を奪回後、モスクも宮殿も改修したが、その後の衰退によりモーロ人が築き上げた灌漑設備も荒れるにまかせたからだ。
わずかに残された城壁とユダヤ人街に往時の様子が窺える。
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メスキータとグアダルキビル川の間のアマドール・デ・ロス・リオス通りをトリウンフォの塔の先に進むとアルカサルがある。
昨日メディナ・アサーラのチケットを購入する為に通った道だ。
そこから見上げるオメナーヘの塔(Torre de Homenaje)。
アルハンブラのアルカサバにもあったけど、城の主塔、天守閣だ。 -
コルドバのアルカサル(Alcazar de los Reyes Cristianos)、
通称「レイエス・カトリコスのアルカサル」はグアダルキビル川沿いに建つ70m四方のほぼ方形の中世の城だ。
そしてその3倍以上の庭園が横に付属する。
元は西ゴートさらにはイスラムの後ウマイヤ朝の砦を1328年にアルフォンソ11世が王宮として建造した。
入場料は4ユーロだが、ご主人様は国際学生証提示で2ユーロ… -
入場と同時にお出迎えがある。
「お出迎え」なんて言ったら、罰が当たります。
この人こそはイスラム勢力最大の拠点、コルドバを奪還した、カスティリアの聖王フェルナンド3世だ。
時に1236年。
さらに、グラナダも服属させアンダルシアの諸都市を次々と攻略。無理したからカスティリアの台所は大変だったらしいけど…
従弟のフランスのルイ9世、ほらあのセントルイスの語源になったカペー朝の王様も同じく聖者になってるから、
婆さんのレオノール(Leonor Plantagenetイギリスはあのヘンリー2世の娘)は二人も聖者を出して、
きっと墓の中でも嬉しかっただろうね。ブルゴスのウエルガ女子修道院に眠ってるけど… -
アルカサルに付属する庭園が彼方までつづくのはセビリアのアルカサルとおんなじだ。
それもそのはず、ここを造ったアルフォンソ11世っちゅうのはセビリアのアルカサルで有名な残酷王ペドロ1世とエンリケの父ちゃんだから。
あとで、見よっと… -
アルフォンソ11世が造ったイスラム風の浴場に行く途中に、コルドバで出土したローマ時代の遺品を展示してあった。
これは3世紀初頭のローマ時代の石棺。1958年にコルドバの畑で発掘されたものらしい。 -
コルドバ、ローマ時代といえばこの人だろう。
数々の名言を残したセネカ。 -
小会議室もありました。
毎週の課内会議はここで行なっていた?
いえいえ、ここは参事会室らしいです。
正面のオケアノスのモザイクが睨んでる… -
アルカサルの中にはこんなところもあります。
この一角は石が露出しており遺跡そのものと言う感じ… -
右側が中庭になっており、この回廊を進んだ先にバニョス(浴場)があるというが…
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ついでにこの廊下も紹介します。中庭の端から続くながーい廊下です。
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昔の牢屋ではありません。石室のようなイスラム風の浴室です。
温浴とか冷浴とかあったのでしょう。 -
木の枝がある…。これを使っての入浴法はもっと北のスカンジナビアの方の野蛮な人たちの方法だったっけ…
なんせ、連中と来たらこの小枝を折って自分の身体をビシバシ叩くんだから。
出土品なのか漆喰モザイクのかけらを壁に貼り付けて装飾しているのも
アルフォンソ11世の発案?
まさかねェ… -
アルカサルの中庭。
正面左の塔はアルカサルに入場したちょうど上辺りにあたるレオンの塔(Torre de los Leones )だ。 -
お次は出土したローマ時代のモザイクを両側の壁に展示している「モザイクの間」だ。
2、3紹介すると… -
で、でかい!
「モザイクの間」の横壁面の大半を占めるこの大きさ。
そして、柄は幾何学模様が複雑に組み合わされ規則的に繰り返されている。 -
「エロスとプシュケー」
1958年コレデラ広場で発掘とある。 -
奥の壁にはコルドバを象徴する市章と市旗が…
カスティーリアとレオンそしてその上に統一を表す王冠。
一方、市章のほうはメスキータとその前を流れるグアダルキビル川とローマ橋、水車だ。 -
城壁にも上って見ました。
アルカサルに向かって左角のオメナーヘの塔を眺める。 -
城壁からメスキータ方面。
さすが鐘楼はよく目立ちます。
手前はエピスコバル宮殿だろう。
その昔、司教館だったころ、グラナダのチコ王ボアブディルも無謀な戦で囚われの身となった時、ここに連れてこられたというが… -
グアダルキビル川方面を見ると城壁の角に塔が見える。
torre de La Inquisicion (異端審問の塔)だ。
カトリック両王といえば、グラナダ解放後のイスラムやユダヤへの悪名高き「異端審問」が有名だが、
ここで行なわれたのであろう。
更に時代が上がるとナポレオンのスペイン侵攻の際には守備隊が置かれたし、最近では監獄としても使われていたとか… -
こちらはアルカサル向かって右角のレオンの塔(Torre de los Leones )
こうなるとトンガリ帽子は胸墻というより飾りのようだね。 -
で、塔の中はというとリヴ・ボールトの天井が一際目立つ部屋でした。
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庭園方面にも行って見よう。
どうやらこの庭園もキイワードは「水」らしい。
荒廃した畑だったけど、20世紀に入りこのように復旧させたそうだ。 -
そして、糸杉に囲まれてこの像だ。
カトリック両王にまみえるコロンブス。
ここコルドバのアルカサルはカスティリア・アラゴン連合の対ナスル朝グラナダ攻略の拠点でイザベルとフェルナンドもここに常駐していた。
そこへ、ヘノバ人コロンさんが、「ポルトガルは既に喜望峰をまわってまっせ!ここは西廻りで逆転ホームランといきまひょか…」 -
もうちょっと、噴水の水を豪快に飛ばしてほしいよね。
この暑さだから… -
アルカサルを出て、さあ昼飯でもということで、
カンポ・サント・デ・ロス・マルティレス(Plaza de Campo Santo de los Martires)広場を歩いていると、
ご主人様が「おおー!」となにやら気がつく。
そして見ると地下に入っていく道がある… -
アルカサルのカリフのアラブ式浴場だ。
グラナダでは浴場に嫌われたが、ここを逃す手は無い。 -
中は半地下のような感じで、発掘したままを公開している。
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20分ほどの紹介映像も流しており、ご主人様は熱心に見ていた。
解んのかね?
イスに座れるし、休むにはもってこいだ。 -
この辺りの復元模型もあった。10世紀前後の状態であろう。
右奥の工場のような建物がメスキータで、当時のカリフのアルカサルはメスキータのすぐ横に位置し、回廊で繋がっている。
グアダルキビル川沿いのアルフォンソ11世が作った、今のアルカサルの場所にはツインモスクが建っている。
川岸の水車から水を引いていたようだ。
そして、アルカサルの浴場は左奥の椰子の木が立っている区画だ。 -
ここが浴場でも一番重要な場所だったことは、ここだけが立派な大理石で出来ていることでわかる。
当時、キリスト教徒は王、貴族といえども粗野で無頓着。だいいち、水の楽しみ方も知らなかった。
その点、イスラムの人たちは湯浴みし、香水をつけ、肌は熱気とマッサージで艶やか…
でも、いくさに負けてしまえば全てオジャンだけどね。 -
あははは。
人の顔みたい。
ここはどうやらボイラールームで穴からスチーム蒸気を出していたらしい。 -
ここはレセプションルームだったところだ。
浴場といってもタダ汗を流すだけでなく男同士、裸の付き合いをする場所だったんだ。
これが異性ともなると複雑になるが… -
イスラムの浴室にはよくある星型明かり取り。
コルドバでも、色んな時代の違ったタイプの浴室があるようで、ここはアルモアデというからムワヒド朝時代のホットルームの天井。 -
さあ、今度こそは昼飯だ。
城壁沿いに行くと、コルドバ出身の医学者にして哲学者
アヴェロス(Abu al Walid Muhammad Ibn Ruchd Averroes)の像だ。 -
その像の横にある城壁をくぐるとユダヤ人街だ。
俗称「月の小道(Calleja de la Luna)」はしっとりとした路地です。 -
誰もいないとちょっと不安になるくらい細いユダヤ人街の路地。
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観光客が少しずつ居るようになって来た。細い路地(マイモニデス通り)を進むと通りの名称、そのままのユダヤ人哲学者マイモニデスの像だ。
観光名所らしく、ここは人だかりがしていた。 -
そのマイモニデス通り(フディオス通り)。
この通りにはアンダルシアで唯一現存する昔のシナゴークもあるが、昼食を優先することに。
なんせ、メスキータ、アルカサル等々そろそろ大休止しなくては…
でも、綺麗な通り。 -
フディオス通り(Calle de los Judios)が終るまで進み、その一角で昼食を兼ね休むことに。
店の名は「Bar Casa El Malacara」 -
メニュー拝見。
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道行く人を眺めながら休憩するのもなかなかです。
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結局、頼んだのは、これだけだったけど、充分休憩を取りました。
値段も、8.5ユーロ -
店の中もちょっと見せて。
せ、狭い… -
食事と称して休んだ「カーサ・エル・マラカラ」は横が城壁で、アルモドバル門(Puerta De Almodovar)に隣接している。
なぜか、屋外の席は店の対面にある。
ソリャそうだ、すぐ前では通行の邪魔になる。 -
休憩を終え、アルモドバル門の外に出てみた。
そこにも像が…
コルドバ出身にしてかの暴君ネロの家庭教師、セネカの像だ。 -
では、ユダヤ人街に戻って先程パスしたシナゴークに行ってみましょう。
入った所が中庭だ。この中庭に係りの男性が立っており「こちらにどうぞ、どうぞ」と右側の建物に案内される。
では左側は何かというと、聞き忘れました…
入場料は入口の案内は0.3ユーロとあったのに何故か不要でした。 -
中庭につづくアトリウム過ぎると会堂だ。
会堂は大きいとはいえないほぼ正方形の部屋。
1315年にアルフォンソ11世の命令で建てられ、ムデハル様式の周りの壁は細かな漆喰細工が一面に施されているが地味だ。。
1492年レコンキスタ完了後カトリック両王はイスラム同様、ユダヤの人たちも絞れるだけ絞って追い出したんだ。
血も涙もない夫婦とは彼らのことだよね…
ユダヤの会堂の後、病院とか様々な用途に使われた。
手が届く所の装飾は傷みが激しいが、上の方は届かなかったんだろう精緻な模様が残っている。
そして、ここの特徴は何と行ってもヘブライ語で書かれた文字だろう。
例えばこの北面は5連アーチの下に、少し剥落してるが2段に分けられ表されている。 -
南面。
アトリウムの上、2階部分は女性用の祈りの場だ。
1階の広い所は男性用の祈りの場所だったんだ。 -
その1階の東面の壁面を穿って作られた「タベルナクロ」と呼ばれる小さな神殿
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シナゴークの向かい側にあるソコ(Zoco)の中庭。コルドバの工芸工房を一箇所に集めた伝統工芸品センターみたいなもんだ。
1時30分なんで、シエスタの時間なのかそれともあまり流行っていないのか、その両方だろう。
工房を覗いてみてもあまり人が居ませんでした。
唯一、正面の工房では銀細工なのかトンカチ・トンカチやってました。 -
ユースホステルに戻ってきた…
午前中に集中して色々見たし、イスラムのカリフの浴場という思わぬ拾い物もしたのでご主人様はだいぶ疲れたようだ。
午後に備え(もう大分午後を廻ってるけど…)少し休むという。
邪魔しては悪いんで、1時間の外出許可をもらうことに。朝のように近場を歩いてみましょう… -
月の小路を過ぎてアルカサル方面に…
アルカサルの隣はフェリペ2世がアンダルシア馬を飼育する為に建てた旧王立厩舎の建物のだが工事中で見れませんでした。 -
いかにもアンダルシアの街という通りを更に進む…
名もなき通りの名はPostrera通りだ…
ちなみにこの家並みの左側はアルカサルの庭園だ。 -
そして、城壁に突き当たりました。
ぐるーっとトンガリ帽子の胸墻をもった城壁が続きます。
一箇所、車一台やっと通れる城門があり、その外には… -
これが、有名な(大して有名ではない…)二重アーチを伴ったセビリア門(puerta de sevilla)だ
面白いことに今の城壁とは直角に門が位置している。
どのような道になっていたのだろう…
そして、その門の前に詩人イブン・ハザムの像だ。 -
この門は車両通行禁止なのかと思ったけど、左に何か機械が建っており…
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カードをかざすと路の真ん中のバリカーが下がって通行できるようになります。
ということは、カードを持っていない車は市街に入れない? -
アンダルシア、コルドバの民家といえばパティオだろう。
歩いていると「パティオ友好協会」の看板、見っつけ!
入って友好を深めたかったけど、時間が悪いのか門はがっちり閉ざされてました… -
そろそろ、戻らなくては…
この辺りの住所はコルドバ市San Basirio 町というらしい…
アスレホタイルの標識が凝ってる…
以降はコルドバ市内2に続く…
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