2009/07/04 - 2009/07/13
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アルデバランさん
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<アルハンブラ宮殿入口>
時間帯が良いのか、日曜日だからかアルハンブラ宮殿は空いていた。
おかげで、静かなナスル宮殿を見れた。
ただし、20時で閉館なので17時半からの入場で2時間半、
ナスル宮までが精一杯だ。
明日は9時半の予約なのでアルカサバ、ヘネラリフェも余裕のはずだ。
アルハンブラ宮殿とは言っても、市内中心部から見ると全体は下から①アルカサバの要塞部分、②ナスル宮殿を中心とした宮殿部分、③今は庭園等になっている住民の居住区から成る三日月型の1つの街で、1492年の無血開城までは急峻な坂の上に更に高い城壁をぐるっと廻らした鉄壁の守りの城塞都市であった。これに、④離宮のヘネラリーフェが附属する。
1492年、ウーム…
秀吉の小田原城攻めのほぼ100年前ですなあ…
小田原城も難攻不落だったのに…
ボアブディルは北条氏直とおんなじや。
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-
アルハンブラ宮殿のチケット売り場は一番奥の高い位置にある。
ここは当日券の予約窓口のようだ。5時半では閑散としているのも当たり前か…
左のカウンターはオーディオガイドのレンタルカウンタ。でも、日本語ガイドは無いそうだ。 -
赤シャツの係りの人にチケットの受け取り場所はいづこ?と聞くと指差して、あちらにいる同じ赤シャツに聞けと教えてくれた。
-
大勢の人が並んでいるのですぐ分かると思ったが、数人が屯しているだけで拍子抜け。
どうやら、この先が受け取り場所のようだ。 -
おっ!赤シャツがいた!
コンチハ。チケットの機械はこれでっか?
予約したクレジットカードを差し込んでいとも簡単にチケットをゲット!
明日のも受け取れる?
OK!
ということで、
明日の分もゲット! -
こ、これが
そのチケット。
お世話になります… -
入口を入って直ぐ。
ありました!
グラナダの象徴。
街中のタイルに描かれた石榴の木
でもちっちゃいね… -
糸杉の並木を振り返ってみました。
この辺りは鬱蒼とした高木で強烈な日差しが遮られています。 -
しばらく行くと道は三叉路に…
真ん中は人が立って入場を制止している。右に行こうとすると、ご主人様がそっちはヘネラリフェだ!
と左折を指示。 -
左折してすぐ橋を渡ります。
下は道です。
上手にもう一つ橋がありその先にアグアの塔。
名前からして貯水槽の役目をしていたんだろうな… -
橋を渡って早速門をくぐる。
-
水道橋。
ドームはどこだ?
と言っても、ここはアルハンブラです。
この道は後で誰かが橋の一部を壊して作ったのだろう。
貴重な遺産を…
先程の貯水槽から水を引いていたんだ。 -
道で遮断されてる水路。本当にその当時の水路なのか?
5m先でぷっつり途絶えてる。
どの様になっていたんだろ。
その先の住居区域への水路だったのか… -
この辺りがモーロ人が住んでいた住宅街か…
いまはその痕跡がほんの少し残っている。
右端に先程の途絶えた水路が見える。 -
ご主人様曰く
メディナっちゅうのが町を意味しているそうだ… -
大胆に刈り込んでる糸杉。
点々とアーチ状の窓を設えてる。
この辺りは最近作ったんだろうな。
アーヴィングの記述にもなかったよね… -
更に行くと…
おおー!
パラシオ・デ・ロス・アベンセラーヘス。
のっけからデカイのが出た。
アベンセラーヘ家の屋敷跡だ! -
ムハンマドの盟友部族の一つにして、
イスラムの信仰そして王家とともに悲劇的な大義に殉じた
名門中の名門として誉れの高い一族。
アーヴィングはナスル朝ムハンマド12世ボアブディルとともにアベンセラーヘ家に対して、並々ならぬ肩を持っているがこれを見たら納得。きっと往時は池を配した立派な建物だったんだろうな…
右のアノ細長いのが池の跡? -
関所のような改札所がありチケットチェックを受けて、更に進むと、
ありました!
かの有名なパラドール、サン・フランシスコ。
坂道もフィッシャーマンズ・ワーフもないが…
ちょいと冷やかしで入ってみましょ。 -
サン・フランシスコゆうたって、カトリック両王がボアブディルをアフリカの彼方に永久に追い出したのを記念して感謝を込め、モスクを壊して建てた、サンフランシスコ修道院のことでっせ。
その後紆余曲折を経て今では立派なホテルに変身。
我輩なんぞ今回の旅行費用の1/3を使わねば泊まれません。(ヒガミ…)
ちなみに、先程までお世話になった大通り「レイェス・カトリコス」とはこのカトリック両王のこと。 -
修道院だから当然のことながら礼拝堂があります。
でも、なんでイスラム様式なんでしょ。
ホテルの演出?
曰く「ここに泊まれば俗世を離れ中世の世界に浸れます…」 -
極めつけはこの床の大理石。
恐れ多くて踏めません。
「イサベル女王は1504年にここに埋葬、夫であるフェルナンドは1516年にここに埋葬、1521年に王室礼拝堂に移された」
由緒ある修道院だったんだ。 -
中庭です。ここはセカセカ旅行とは無縁の異次元の世界ですな。
時間もお金も余裕ある人たちの空間… -
ホテルのフロント。
床のカーペットまでもが4つ星マーク!
ひがみ過ぎだ… -
おっ!コッチに行くと客室か?
でも、ここでばかり時間を潰すわけにも行きません。
18時だ。
そろそろ、行かなくては… -
すぐそばにアメリカっちゅう宿もありました。
フロントの奥のレストラン。
パラドールとはやっぱちょっと違いますな。
明日の昼食用にチェック。 -
パラドールからいよいよカルロス5世宮殿へ、緩やかな坂道を下る。
右側にはサンタ・マリア教会の塔が、そして左側は土産物店だが時間帯なのか閉まってる店が多い。
側溝と言うほどでもないが、きっと1日数人は思わずこの溝に足を取られ濡れてしまうだろうな… -
そしてカルロス5世宮殿。
その名の通りハプスブルグ家直系にしてカトリック両王の娘ファナの子、カルロス5世がモーロ人歴代の王たちの宮殿を顔色なからしめようとイタリアから建設家のペドロ・マチューカを招いて作ろうとしたが、予算を宿敵フランスとの戦いにまわして未完に終ったといういわくつきの建物。
アービングはこの傲慢で押し付けがましい行為でここにあった貴重な建物が壊されたと酷評するが、堂々とした圧倒的な存在感。
我輩は好きだ! -
入口はこの南ファサードに一つ。
そして、中で直角に交わるよう、西ファサードに同じような門がある。 -
だがしかし、門扉はピッタリと閉まっており
外にいた案内の係が言うには今日はもうクローズだそうだ…
ガビーン!
ご主人様はナスル宮が中心だが、我輩はこのカルロス5世宮殿をナスル宮と同じ扱いで楽しみにしてたのに…
まあ、明日がある。
仕方なく、門のオーダーの礎石の彫刻を記念に撮る。 -
カルロス5世宮殿の前は結構広く手前にはトイレやら自販機があり、ここで水分を補給。奥に行くと見晴らしが良く、ナスル宮入口のマチューカの中庭が見える…
右側はメスアールの間の建物だ。 -
カルロス5世宮殿入場できずに歎いてばかりいても仕方ないので、次行くことに。
そこには馬蹄アーチの門が立ちはだかる。
ワインの門だ。証拠は次の画にある… -
ほらね。
プエルタ・デル・ヴィノ
この門の役目は一体なんだったんだろう?
ワインを売っていたという場所は今は、自販機で
コーラとファンタが売ってました… -
ウーン…
ズームしてみると、
2連アーチ横のアラベスクの一部が剥がれてる。
型を取って貼り付けたんだろうね。
それにしても窓の上の小さな四角の穴は何だろう。 -
ワインの門の天井。
規模からしてもリブも不要な単なる交差ヴォールト… -
反対側からも見て見ました。
装飾が東側と違ってます。
こちらにはイスラムお約束の「鍵」がありました。
キリストが「十字架」ならイスラムは「鍵」ということらしい。 -
ワインの門の西側はアルハンブラでも要塞部分のアルカサバだ。
その間の広場になってる箇所はかつて防衛上深いカラ堀になっており、それを利用して貯水槽を設けてあったことから貯水槽の広場と呼ばれている。
ここはアービングも深〜い井戸があって冷たい水が汲めると言ってる。
今は、大阪城さながらすっかり埋められその面影はない。 -
貯水槽の広場の右側を下って行くとナスル宮殿の入口らしい。
入場時間の18:30まで10分あるので、広場から開けた北側の展望をしばし眺め、「ご主人様、裁きの門見に行きましょう!」と提案。
サクロモンテの山肌に城壁と住居が見える。 -
裁きの門へは逆ルートで中から出るような形になってしまった。
まずは坂を下って門が見えた。ということは門から城内に入ったところだ。 -
門の中は一直線でなく、曲がっている。いわゆる枡形ですな。
-
裁きの門。
でっかい馬蹄形アーチだ。
アーチの要石の所に、来る人を歓迎するかのように
彫られた手が振られてる!
アービングはこの手に色々解釈を加えているが、その一方彼の案内人にして自称「アルハンブラの息子」マテオ・ヒメネスは昔からの伝承を披露する。
あのユスフ一世が大魔術師で彼が呪文をかけており、この呪文が解ける時アーチの手が伸びてきて内側の鍵をつかむ。その瞬間この建物は崩れおち財宝が現れるいう…
かくのごとくこの門は二重門になってる。
しかも、奥の門の上部にイスラムなのに像が… -
さらに、上を見上げると天井が開いている。
手を振って歓迎してるのに、好ましからざる客が来たときはこの上から石とか汚物とかを落とした?
どうりで、こちらは鍵の画だ。
まるで楠正成だね…
ちょうど、時代も同じくらいか。 -
さあ、いよいよナスル宮殿だ。この坂を下った所でチケットチェックを受けて、いよいよ入場。
-
入るとメスアールの間まで庭園の中に歩道が続く。ひだりがわにまず現れるのはマドラサの中庭だ。
マドラサの遺構だけが残るが、マドラサといえば市内王室礼拝堂対面にあったユスフ一世のマドラサ館だが、ここにも学問所があったのか?ということはボアブディルが学んだのはこっち?
イスラムの人たちは勉強好きだったんだね… -
お次はマチューカの中庭。
カルロス5世宮殿とかゴメレス坂のグラナダ門を作ったペドロ・マチューカがここで設計事務所を構え、CADをつかって図面を引いていたのでそう呼ぶらしい。
配置からして対面のアーケードと同じものが手前にもあったはずだ。今は糸杉の並木になっている。
右側がメスアールの間でだいぶ高くなっており、
ここはお白洲のような場所だった。
あの池の辺りに座って陳情したんだ… -
さらにチケットチェックを受けていよいよ中に入ります。
モザイクの石榴を踏みしめて…
奥に見えるのがメスアールの間。
ドキドキ…
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