2009/05 - 2009/05
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目黒警部さん
2009年5月
京都嵐山へは、我が家から名神高速を利用しますと車で約1時間の距離です。
新緑の嵐山は、清々しい風が吹いていました・・・
大阪の街模様に食べ物情報そして旅の記録をジャンル別にして毎日更新しています Yahoo!ブログ目黒警部の旅 もヨロシク!
http://blogs.yahoo.co.jp/megurokeibujp
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
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2009年5月
我が家から車にて約1時間にて嵐山に到着です。
車を渡月橋近くのレストラン嵐山の駐車場に・・・ -
桂川の中洲、中之島は嵐山公園の一部として親しまれている(府立嵐山公園は、上流左岸の亀山地区と、清流の中州にある中ノ島地区、下流左岸の臨川寺の三地区)。
川の音を聞きながら、川辺に腰を落とす人をよく見かける。 -
渡月橋から嵐山のメイン通りを北(嵯峨野)へ進み天龍寺の塔頭の一つ「妙智院」の中にある嵯峨で一番古い湯豆腐店、西山艸堂に徒歩7−8分で到着しました。
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禅の修業道場を思わせる店名は、正しくは「せいざんそうどう」と読み、妙智院の別号にあたります。
"西の山の草深い所に立つお堂"という意味です。 -
門をくぐって石畳を歩き、庭に回るように進みます。
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承和年間(834-848)に僧、道昌が架橋したのが始まりとされ、現在の位置には、後年に角倉了以が架けたとされる。
それから四百数十年後、亀山上皇が、曇りのない夜空に月がさながら橋を移動していく月を眺めて「くまなき月の渡るに似る」と感想を述べたことから渡月橋と名付けられた渡月橋(とげつきょう)は、京都府京都市の桂川にかかる橋です。 -
庭に面した広間で各々がこじんまりとした円卓で湯豆腐をいただきます。
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庭を眺めながらの食事、落ち着きます。
席に着くとすぐに通り雨が・・・雪が深々と降る京そして雨の都も風情があり好きです。 -
精進料理に欠かせない「ひろうす」は、1697年に書かれた和漢精進新料理抄にも載っています、ずいぶんと古くからある食べ物です。
東京で言う「がんもどき」の「ひろうす」の語源は、ポルトガル語のフィリョース(filhos)。銀杏やひじきなどの具がたくさん入っていて美味しかったです。 -
生姜が少し添えられたごま豆腐。
滑らかな口当たりで格別の味わいである。 -
オリジナル豆腐のお寿司と二種の前菜。
京料理らしく品があります。 -
精進揚げの三品です。
湯葉とししとうそして野山に自生する自然の薯(いも)自然薯ジネンジョです。
古来より親しまれているヤマイモです。 -
季節により、冷やした豆腐も又いいです。
柔らかく、腰が強く、なめらかな豆腐です。
川端康成が小説で森嘉の豆腐を取り上げたのをきっかけに森嘉の名が全国に知れ渡たりましたが、安政年間(1854年)創業の嵯峨釈迦堂(清凉寺)すぐ東にある森嘉さんの豆腐は、京の有名な料理屋、旅館が昔からごひいきにされています。 -
土鍋にたっぷり入った昆布だしそしてあの「森嘉」の本場嵯峨どうふの湯豆腐です。
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秘伝のつゆでしょうか・・・薬味はネギ、生姜、もみじおろしですが温められた湯豆腐のつゆに豆腐をくぐらせていただくと、奥深さを感じさせる。
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最後にだされた白いご飯、美味しく炊き上がっている。
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天龍寺の塔頭の一つ「妙智院」の門から天竜寺の境内へと出ます。
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境内を進みます。
天龍寺境内は1994年12月にユネスコから世界文化遺産に指定されています。 -
観光名所の渡月橋や天龍寺北側の亀山公園なども、かつては天龍寺の境内地であったという。
天龍寺の開基は足利尊氏である。 -
暦応2年(1339)8月、後醍醐天皇が崩御したが、その菩提を弔うため、夢窓疎石が足利尊氏に進言し、光厳上皇の院宣を受けて開創されることになった。
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初め暦応資聖禅寺と号したが、比叡山が暦応の年号を寺号とすることに反対し、抗議したため、幕府は天龍資聖禅寺と改めた。
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襖絵には龍が描かれているが、これは若狭物外の筆になるという。
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曹源池(特別史蹟名勝)
開山夢窓疎石の作庭になる廻遊式庭園。池の前庭には州浜形の汀や島を配し、嵐山や亀山を借景として取り入れている。白砂と緑が鮮やかである。 -
天龍寺の地は、檀林皇后が創建した檀林寺の跡地で、檀林寺が廃絶した後、建長年中に後嵯峨上皇が新たに仙洞御所を造営し、次に亀山上皇が仮御所としていた地である。
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雲門大師図・清涼法眼禅師図(重要文化財)
禅宗五派のうちの二派である雲門宗と法眼宗の祖師を描いたもの。南宋中期の画家馬遠の筆と伝わる。 -
天龍寺の五山十刹の位置づけは、創建当初の五山第二位に始まる。次に至徳3年(1386)に京都五山第一位となり、鎌倉建長寺と同格と位置づけられたが、応永8年(1401)の改定では相国寺を第一位とし、天龍寺は第二位(鎌倉円覚寺と同格)に格下げされた。
しかし応永17年(1410)にはまた第一位に戻っている。 -
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春には見事な枝垂桜になるでしょう。
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明治に入り、9年9月、他の臨済宗各派と共に独立して天龍寺派を公称し、天龍寺はその大本山となった。
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久しぶりの嵐山は、変わっていなかった・・・
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