2009/08/12 - 2009/08/12
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<五箇山 -その1- 菅沼合掌造り集落>富山県南砺市
感動、五箇山に日本の美がありました!
■五箇山
五箇山(ごかやま)は、富山県の南西端にある南砺市の旧平村、旧上平村、旧利賀村を合わせた地域を指します。
地名の由来は、赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷、利賀谷の5つの谷からなるので「五箇谷間」となり、これが転じて「五箇山」の地名となりました。
この名称が、文献に出てくるのは約500年前、本願寺住職第9世光兼実如上人の文書が最初です。
■菅沼合掌造り集落
富山県南砺市(旧東砺波郡上平村)菅沼にある合掌造り集落です。
山あいを流れる庄川のわずかな河岸段丘にある菅沼集落には、現在9戸の合掌造り家屋が残っています。
【手記】
今回のひとり旅、遠い昔に訪れたことのある、わたくしたち夫婦の想い出の地…能登半島や金沢市内などを軸に、福井県・石川県・富山県・岐阜県の各観光地を訪問してきました。
豪雨・炎天下の中、18歳の年老いた愛車を操って、1840kmの長〜〜い道のりをのんびりゆっくりと駆け抜けてきました。
4泊5日(移動に2日、観光地訪問は正味3日間)、Very tired. 走行距離1840km、観光写真1201枚となりました。
≪旅程≫
★4日目
・北陸自動車道金沢東IC→東海北陸自動車道五箇山IC
富山県南砺市………●五箇山合掌の里
富山県南砺市………●菅沼合掌造り集落
富山県南砺市………●塩硝の館
富山県南砺市………●五箇山民俗館
富山県南砺市………●村上家住宅
富山県南砺市………●相倉合掌造り集落
岐阜県大野郡………●白川郷荻町城跡展望台
岐阜県大野郡………●白川郷荻町合掌造り集落
・東海北陸自動車道白川郷IC→北陸自動車道敦賀IC→一般道
福井県三方郡………●三方五湖
福井県小浜市………●明通寺
・舞鶴若狭自動車道小浜西IC→山陽自動車道
★5日目
広島県三原市………▼山陽自動車道八幡PA車中泊
広島県広島市………●午前7時50分朝方、広島市自宅帰宅(チカレタア‐)
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 自家用車
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■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<北陸自動車道>
前日は遠い昔の想い出をさがすために能登半島東端曽々木海岸まで行ってきました。この日は初めての訪問地地、世界遺産「五箇村・白川郷」観光です。
早朝、北陸自動車道白川郷へ向けて金沢市内のホテルを出発しました。遠くに山々に雲海が見え、気持ちの良い早朝景色です。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>富山県南砺市
東海北陸自動車道五箇山ICを下りました。五箇山(ごかやま)は、富山県の南西端にある南砺市の旧平村、旧上平村、旧利賀村を合わせた地域を指します。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
菅沼合掌造り集落は富山県南砺市(旧東砺波郡上平村)菅沼にある合掌造り集落です。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
山あいを流れる庄川のわずかな河岸段丘にある菅沼集落には、現在9戸の合掌造り家屋が残っています。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
・五箇山の地名の由来
赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷、利賀谷の5つの谷からなるので「五箇谷間」となり、これが転じて「五箇山」の地名となりました。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
この名称が、文献に出てくるのは約500年前、本願寺住職第9世光兼実如上人の文書が最初です。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
これ以前には、荘園時代に坂本保、坂南保、坂上保、坂下保、坂北保の5つの領に区別し「五箇荘」とも呼んだそうです。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
この五箇と呼ばれる地名は全国に約120ヶ所程度あると言われ、中国の故事より「五を一括り」を由縁とするらしいです。日本で「五穀豊穣」や「五人組」「伍長」との語句などです。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
平家の落人伝説が「五箇」が多いとの所以は、「五箇」が山間地に多いことや落人が山間に逃げることかららしいです。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
・塩硝の館
この地は、戦国時代から江戸時代には、塩硝(煙硝)製造の歴史があります。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
・塩硝の館
石山合戦(1570年(元亀元年) - 1580年(天正8年))の織田勢との戦いにも五箇山の塩硝が使われました。また、黒色火薬自体を製造していたとされています。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
・塩硝の館
日本古来から、古民家の囲炉裏の下には自然と塩硝は製造されていましたが、五箇山では、自然の草(ヨモギ、しし独活、麻殻、稗殻…など)と、蚕の糞などで製造する「培養法」を使って、より多くの塩硝を製造しました。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
・塩硝の館
しかし、この塩硝も、日本が鎖国を解いてから南米のチリからの硝石の輸入によってすたれてしまいます。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
・塩硝の館
16世紀後半には、前田家が加賀一帯を統治し、一向一揆が沈静化したころより、加賀藩に召し上げとして買い付けられます。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
・塩硝の館
加賀藩は、外様大名として100万石の経済力をもち江戸幕府の8分の1の力を持っていたので、取り潰しの危機にありましたが、裏では五箇山での火薬の原料を調達していたのです。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
・塩硝の館
塩硝は、硫黄と木炭を合わせると鉄砲火薬の原料となる硝石(硝酸カルシウム)のことです。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
・塩硝の館
一般的には「煙硝」と書くが「塩硝」としたのは出来た結晶が塩によく似たものとなるので、塩と偽って取引されていたそうです。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
・塩硝の館
-
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
・五箇山民俗館
「五箇山民俗館」は、改造がほとんどされず、均一な合掌造りの形を保っています。
山村・五箇山の暮らし、先人たちの知恵が活かされた生活用具約200点が展示されています。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
・五箇山民俗館
歴史;歴史;五箇山は平家の落人が住み着いたと伝えられている地です。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
・五箇山民俗館
歴史;1183年、富山県と石川県の県境にある倶利伽羅峠で、木曽義仲(源義仲)と平維盛(平清盛の孫)が戦いました。(倶利伽羅峠の戦い) -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
・五箇山民俗館
歴史;この時、木曽義仲は火牛の戦法で平家に大勝しました。その残党が五箇山へ落人として逃げ隠れたとされています。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
歴史;物的証拠はないのですが、一部の五箇山の民家の家紋として残っているとされています。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
・神明社
歴史;また、南北朝内乱期に、吉野朝遺臣によって地域文化が形成されたとも伝えられており…
『五箇山誌』(昭和33年)には「五箇山の文化は吉野朝武士の入籠によって開拓され、五箇山の有史は吉野朝からである。現在の五箇山住民は、多分この時代からの落人の末葉である。養蚕・和紙は吉野朝遺臣によって始められ、五箇山へ仏教が入って来たのは吉野朝皇子、天台座主宗良親王によってである。」
…という説もあります。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
歴史;江戸時代には、加賀藩の流刑地とされ、加賀騒動の大槻伝蔵もこの地へ流されました。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
流刑地である五箇山には当地を流れる庄川に橋を掛けることが許されず、住民はブドウのつるで作った大綱を張り、籠をそれに取り付けて「籠渡し」として行き来しました。(現在でも残っており、人の代わりに人形が川を越えます) -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
合掌造りとは、木材を梁(はり)の上に手の平を合わせたように山形に組み合わせて建築された、勾配の急な茅葺きの屋根を特徴とする住居で、又首構造の切妻屋根とした茅葺家屋です。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
合掌造りが日本の一般的な民家と大きく違うところは、屋根裏(小屋内)を積極的に作業場として利用しているところです。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
幕末から昭和初期にかけ、養蚕業が村の人々を支える基盤産業でした。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
屋根裏の大空間を有効活用するため小屋内を2〜4層に分け、蚕の飼育場として使用していました。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
もうひとつの特徴は又首構造の切妻茅葺屋根という屋根の形態です。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
日本の茅葺民家の屋根形態は入母屋造りか寄棟造りが一般的ですが、合掌造りは茅葺でありながら切妻造りです。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
この形にはやはり養蚕が大きく関わっており、妻の開口部で風と光を取り込むことで蚕の飼育に適した環境が作り出されています。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
生活の機能が家の形となっているところに合掌造りの美しさを感じることができます。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
合掌造り家屋は江戸時代末期(19世紀前期から中期)に造られたものが2棟、明治時代に建てられたものが6棟、最も新しいものは大正14年(1925)に建てられていて、このころまで合掌造りの家が建築されていたことがわかります。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
五箇山は江戸時代、和紙や養蚕、鉄砲の火薬の原料である「塩硝」が主な生産品でした。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
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■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
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■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
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■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
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■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
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■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
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■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
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■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
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■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
菅沼集落でも和紙や塩硝を生産するかたわら、わずかな土地を利用した稲作と、なぎ畑と呼ばれる焼き畑農業で生活が行われていました。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
五箇山生活館がある合掌の里へ移動しました。菅沼集落から1kmほど五箇山IC方面へ寄った位置にあります。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
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■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
・五箇山生活館
合掌造りのすべてがわかる「五箇山生活館」には、五箇山の四季のスライドや、タッチパネルで知る五箇山の習慣や歴史など、あらゆる角度からとらえた五箇山の情報が詰まっています。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
・五箇山生活館
4分の1サイズの合掌造り模型は、その内部構造がわかるようになっており、中にCGが登場して、五箇山の伝統文化を語ってくれます。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
・五箇山生活館 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
菅沼は小さいながらも日本を代表する山村集落として、昔からの景観を変えることなく、訪れる人々に歴史を語り続けているようです。 -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
五箇山には、まこと日本の美がありました! -
■金沢・能登半島・白川郷旅行記
<菅沼合掌造り集落>
次の旅行記は「相倉合掌造り集落」です。
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