2008/05/02 - 2008/05/06
110位(同エリア265件中)
松村博司さん
横蔵寺の拝観時間は10時から4時まで。
間に合えばと途中までは頑張ったのですが、渋滞や信号に阻まれどう考えても間に合いそうにありません。
結局途中で予定変更。
急遽、明日立ち寄る予定だった関ヶ原へ。
歴史民俗資料館にて予習を済ませ、
いざ、決戦の地へ!
戦国三傑の足跡をたどろうと企画したGW、上洛の旅。
旅の初日、午後4時過ぎ。
いきなり、旅のテーマのハイライトを迎えておりますw
天下分け目、関ヶ原古戦場跡です。
推理小説、プロローグが終わっていきなり第一章で犯人が特定できたって感じでしょうか^^;
そもそも、適当に企画して後からもっともらしいテーマをとってつけるからこんな事になるんです。
反省・・・
挫折禁止(松村博司の貧乏旅日記)
「三河発!東海・中山道、上洛の旅」
http://bonkuraii.blog56.fc2.com/blog-category-50.html
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 自家用車
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如庵脱出。
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歩いて駐車場まで戻ります。
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共通チケットには文化史料館やからくり展示館の入館もセットになっていたのですが、時間がないのでパスすることにします。
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正直、文化史料館には行ってみたかったのですが仕方がありません。
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実は写真の左側、写っていませんがおみやげ屋やお食事どころが並んでいました。
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帰りに何か食べようと考えていたのですが・・・
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時間はすでに2時50分。
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どこも昼を過ぎて終了となっています^^;
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閉店、早すぎません?
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行きがけに食べておけばよかった・・・
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移動中、途中どこかによって食べようと軽い気持ちで再出発したのですが・・・
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考えが甘かったですね。
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このナビの画面、左上の到着予定時刻16時17分になっています。
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次に向かう場所は横蔵寺。
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このお寺、多数の文化財を所有しているというだけでなく、即身成仏したミイラの拝観が出来るとのことで、ぜひ行ってみたいと思っていました。
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しかし、この横蔵寺は上洛コースから大きく外れ、さらに拝観時間が10時から4時までと非常に中途半端。
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そして、ナビの到着時刻は犬山出発から常に4時15分前後を表示しています。
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ナビの到着予想時間を計算させるために私は地道を平均速度30キロに設定しています。
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ですので、実際にはナビの予想時刻よりも早く着くようになってはいるのですが・・・・
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実はなかなかペースが上がりません。
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信号や渋滞に阻まれ、時間が短縮するどころかどんどん到着予想時間が延びていく一方。
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上洛コースから横蔵寺へ行くためには途中、北方面への道へ入らなければならないのですが、その道に入ってから横蔵寺まで30分はかかります。
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そもそもその交差点から横蔵寺まで渋滞していないという保証はどこにもありません。
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そもそもギリギリの4時に横蔵寺に着いたとして、時間ギリギリで拝観させてもらえるのかどうか。
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そもそも、寺から駐車場まではすぐ近く?
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お寺は本当にわかりやすい場所にある?
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いって拝観できませんでしたといっても、この一カ所だけ大幅に場所が外れている状況から、別の場所に向かうことは不可能です。
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また、もう一度明日向かうというのもスケジュール的に無理。
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逆に横蔵寺を明日に回し、今日は大垣周辺を回った方が明日のスケジュールが楽にならないだろうか。
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しかし、明日朝10時の拝観を待ってそこから長浜まで、明日のスケジュールはどうなる?
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行くべきかやめるべきか。
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一か八か。
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どうする松村。
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決断の時です><
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結局、運命の交差点を直進。
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さらに宿泊予定の大垣を通り過ぎて関ヶ原までやってきました^^;
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16時7分、関ヶ原町歴史民俗資料館に到着です。
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ルートはこちら。
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入館料は310円。
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こちらは入り口で頂いた冊子。
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シュールで有名な関ヶ原ウォーランドにもぜひ行ってみたかったのですがこちらはパス。
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とりあえず閉館時間があるこの歴史民俗資料館で関ヶ原についてしっかりと予習した後、古戦場を回りましょう。
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そうすれば時間を気にする必要なくのんびり出来ますしね。
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宿泊先も夕食のある旅館ではなく、シティホテルなのでチェックインの時間も気にしなくていいですし。
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てな訳で史料館で予習はばっちり済ませました。
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それでは関ヶ原古戦場、行ってみましょうか!
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歴史民俗資料館でいただいた冊子です。
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それと一緒にイラストマップも頂きました。
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巨大なイラストマップももらったのですが、大きすぎて使いにくかったので、上の冊子のイラストマップを見ながら移動開始。
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まずは歴史民俗資料館のすぐ隣にある徳川家康最後陣跡へ。
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その陣跡にある合戦で散った多くの将兵を祀った御霊神社です。
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時代が大きく動いた場所、関ヶ原。
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いきなり初日にここに来るというのもどうかと思うのですが、ルートの最初の方にあるので仕方がないですね。
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いきなりグランドフィナーレ的場所ですもんね〜
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まあ、この後大阪の役があるわけですがもちろん今回行く予定はありません。
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そのうち住吉大社と抱き合わせで大阪城へ行ってみたいと思います。
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とりあえずは、関ヶ原です。
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そして徳川家康最後陣跡です。
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この土塁や高台は江戸時代末期に作られたもので、戦があった当時に作られたものではないそうです。
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この直後に幕末、明治維新と激動に突入していくのですからなんだか皮肉な話ですね。
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ちなみに徳川家康。
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最初の陣はここからけっこう離れた場所にありました。
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開戦は朝8時。
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福島正則を出し抜いて先制攻撃を仕掛けた井伊直政隊がきっかけとなります。
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開戦当初は西軍がやや優勢。
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家康が最初の陣から最後の陣へ移動したのは11時頃とのことです。
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小早川秀秋が離反したのが正午から1時頃とのことですので、家康が最後の陣に移動したのはまさに激戦まっただ中ということになります。
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動かない戦況にいらだっていたといわれる家康ですが、鼓舞と戦況把握が目的だったとか。
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この後、島津義弘の前進撤退があったわけですし、ひょっとすると家康やばかったかもしれませんね。
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この戦中、相当家康は苛立っていたということでしたし、狸タヌキといわれるわりにはそこまで万全でもなかったようです。
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さて、最終決戦地に到着です。
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とはいえ、最後の陣から歩いてくるにはけっこう距離がありました^^;
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この辺りが最大の激戦区になった辺りです。
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それでも近いのは近いですよ。
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そして石田三成の陣跡はさらに歩いて行くにはけっこう距離がありそうです。
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てな訳で一端車に戻りましょう。
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てか、実は史料館に車を置いてきたのですが、
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その史料館の駐車場は史料館と同じ4時半には閉鎖されるということで、
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さすがにこれ以上車を放置しておくのもまずいということになったのです^^;
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駐車場に着いたときにはすでに4時40分を過ぎていたんですよね、よかったよかった^^;
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そして、なんだこの怪しいモニュメントはということで石田三成陣跡、笹尾山に到着です。
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本日の宿泊先、大垣にある大垣城にこもっていた石田三成。
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ちなみにその大垣城には明日行く予定ですが、そこからここへ移動して本陣としました。
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総大将毛利輝元率いる西軍は総勢10万人。
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対する東軍は7万。
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輝元は大阪城で待機していたため実質、指揮を執ってたのは石田三成ですわね。
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その西軍がとっていた陣形は鶴翼の陣。
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両翼を張り出しV字の形をとる陣形です。
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明治政府の軍事顧問、ドイツのクレメンス・メッケル少佐はこの合戦の陣形図を一見して、即座に西軍勝利と断じたほど、西軍が開戦前から圧倒的有利な立場にあったようです。
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結果的には小早川秀秋の裏切りが発端となり、他の4部隊も小早川軍に呼応して寝返り、西軍は総崩れとなるわけです。
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結局、西軍は鶴翼の翼がもがれた格好となってしまったわけですね。
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しかし、この戦い。
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東軍が寝返りもあり圧倒的有利に開戦1日にして集結した戦というのが私のもっていた先入観だったんですが・・・
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なるほど、けっこう家康も危ない橋を渡ってたのですね^^;
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実際、東軍の本体というべき徳川秀忠軍は中山道で真田昌幸等の軍勢に足止めを食らって開戦には間に合ってないわけですし。
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もし、この戦が西軍の勝利になっていたのならどうなっていたのでしょうね。
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石田三成の求心力の弱さからも、やっぱり再び乱世に逆戻りしていたのかもしれませんね。
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さあ、時間は5時を過ぎましたしそろそろホテルに向かって移動を開始しましょう!
つづく〜
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