2007/04/15 - 2007/04/15
69位(同エリア261件中)
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吉備津彦さん
大垣駅前のアパホテル宿泊、部屋は狭かったけれど屋上に大浴場があって朝食はバイキング、値段の割りにいろいろ品数があって楽しく食事出来ました。アパホテルは初めて宿泊しましたが狭いビジネスホテルのバスではなくて広い大浴場に入浴できて良かったです。朝一番で大垣城へ、ここに三成が籠城していれば城攻めが苦手な家康も困ったろうに・・・お城は街中にあって拍子抜けがするくらい可愛い天守閣がでした。平城だから仕方ないけど高台にないので威厳のないお城でした。東海道を西へ三成と同じコースを普通電車で関ヶ原へ。徒歩で関ヶ原資料館へ開館時間の9時前でしたが親切な館員の伯母さんが雑草駆除の作業を中止して資料館を開けてくれました。ここでレンタサイクルを500円で借り、いざ関ヶ原の古戦場巡りへ・・・・
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- JRローカル
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JR大垣駅です。駅前のアパホテルに宿泊しました。
大垣駅 駅
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大垣駅から徒歩数分で行ける大垣城
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イチオシ
関ケ原町 歴史民俗資料にあった石田三成の兜です。シンプルで無骨な感じがしました。知将三成のイメージと少し違いますね。
関ケ原町歴史民俗学習館 美術館・博物館
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徳川家康着用の兜です。
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イチオシ
伝・平塚為広関ヶ原で着用の陣羽織、盲目の大谷吉継に代わって大谷隊の指揮を執った為広、関ヶ原で討死しますがその武勇の誉れは高く、子孫は江戸幕府に旗本として召抱えられています。
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平塚為広の陣羽織表です。回転して展示してありました。
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伝、小早川秀秋着用、違い鎌の陣羽織・・・寝返りでイメージの悪い秀秋ですがなかなか斬新なデザインです。秀秋は朝鮮で明軍に囲まれた味方の救援に向かい自ら槍を振るい敵の首級を上げる活躍をしていますが大将にあるまじき軽率な行為と讒言され北陸へ減封処分される所を秀吉が死んだ為に大老家康のとりなしにより筑前名島の所領を安堵されています。家康に借りがあったの秀秋としては松尾山を駆け下りて家康の首を取ることは出来なかった。豊臣連枝の彼に戦国武将としての器量があれ関白も夢ではなかったけれど・・・
関ケ原町歴史民俗学習館 美術館・博物館
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地元有志による逆茂木が再現された三成の笹尾山陣地、自転車で上り坂を汗ダクダクになりながら到着、自転車を降りて陣地まで山登り・・・心臓バクバク・・・いつまでも若くないなと歳を実感しました。
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笹尾山の石田三成陣地の石碑
石田三成陣跡 名所・史跡
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島津義弘の陣跡です。西軍総崩れのなか家康本陣の鼻先をかすめて敵中突破を計った島津隊、わずか1500の兵数ながら島津隊は捨て奸(すてがまり)と言われる、代わる代わる何人かずつが死ぬまで足止めをする戦法を使用した。激しい退却戦の結果、豊久や義弘の家老・長寿院盛淳が義弘の身代わりとなり、多くの将兵も犠牲になったが、東軍も井伊直政・松平忠吉の鉄砲傷を負い追撃の速度が緩んだことや、まもなく家康から追撃中止の命が出されたこともあり、義弘はかろうじて敵中突破に成功した。摂津住吉に逃れていた妻を救出し、立花宗茂らと合流、共に海路から薩摩に逃れたという。生きて薩摩に戻ったのはわずか80数名だったといわれる。
朝鮮、泗川の戦いでは5000の兵で明軍20万を蹴散らしシーマンズと恐れらた島津隊。せめて5000の兵力があればと義弘が嘆いたそうですが・・・島津の支配構造は兄義久との2重になっていたので国許から充分な兵力が補充されませんでした。
今でも鹿児島から関ヶ原を訪れる人が多いと笹尾山で地元の故老から聴きました。島津義弘陣跡<島津の退き口ゆかりの地> 名所・史跡
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大谷隊の指揮を盲目の吉継の代理で執り、関ヶ原で討ち死にした平塚為広(美濃垂井1万2千石)陣屋跡です。武勇の誉れ高い為広の子孫は徳川幕府の旗本に召抱えられています。
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大谷吉継(吉隆)陣跡の石碑
大谷吉継陣跡 名所・史跡
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イチオシ
湯浅五助と並んで建つ大谷吉継の墓、自分の病魔に冒された醜い首を家康に見せたくないと遺言した主の為に自分の首と引き換えに主の首を護った五助、主従の墓は仲良く並んで建っていました。墓は五助の首を取った藤堂家が建立したました。
大谷吉継の墓 湯淺五助の墓 名所・史跡
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笹尾山から見た関ヶ原、中央の山が毛利隊が陣した南宮山です。遠過ぎて戦う意思無しがミエミエの布陣です。合戦の朝、霧が晴れて陣立てを観た時三成は「勝った」と想っていましたが現地に立って観ると実際はとても心細かったのではないかと想いました。
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西軍の最大の軍勢を擁した備前宰相宇喜多秀家の陣跡。合戦当日、岡山弁が飛び交い、戦上手の明石全登の指揮の下、東軍を押し捲った宇喜多隊、多くの備前兵が岡山に帰ることなくこの地で討ち死にしたと思うと少し哀しくなりました。宮本武蔵も参陣したと伝えらています。
南天満山 宇喜多秀家陣跡 名所・史跡
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備前宰相宇喜多秀家の陣屋跡を探して偶然迷い込んだ関ヶ原ウォーランド、見学の予定に入ってなかったけれど折角なので入場して見ました。関ヶ原の名場面をジオラマで表現していますが・・・人形の塗装が剥げかかっていて少し哀しくなりました。笹尾山の石田三成陣、大友鍛冶に作らせた大砲を並べるくらいして欲しいです。
関ケ原ウォーランド 美術館・博物館
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大谷吉継切腹の場面
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松尾山の小早川秀秋の陣、山の上なので松尾山はパスしました。
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東軍勝利の勝鬨を上げた家康が首実検を行っている所です。首は湯浅五助。
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家康四男忠吉が舅井伊直正と抜け駆けをして一番鑓を突けるた開戦場所です。濃い霧の中だったのではっきりしませんが西軍はおそらく宇喜多隊ではないでしょうか?
関ケ原古戦場 開戦地 名所・史跡
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小西行長陣跡の石碑
北天満山 小西行長陣跡 名所・史跡
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