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2009/06/27 - 2009/06/29
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korotamaさん
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山形空港には行ったことがないなぁ。
ということで、JALに乗って山形へ行きました。
梅雨入りしている本州ですが、ピーカンの、まるで真夏のような暑さの中、山形市周辺を巡りました。
- 交通手段
- レンタカー JALグループ
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今回はJALで飛ぶので、羽田は第1ターミナル。
ラウンジに食べ物はないので、滑走路が見えるレストランでお昼ご飯。
食事よりも、飛び立つ飛行機たちに心奪われます(^_^;)
JAL と ANA のツーショット。
何かと厳しい昨今ですが、2社とも、頑張って〜 (^o^)丿 -
今回、山形へ連れて行ってくれる、羽田13:00発 JAL1259便。
使用機材は久しぶりの MD-81です。 -
これはJAS時代のシートカバーですねー(*^。^*)
シート配列は 2-3。
左右のバランスをどういう風に取っているのかなぁ。
飛行時間はわずか1時間。
なので、いつも楽しみなドリンクサービスはありません(;_:) -
眼下をJALジャンボが飛んでいました!
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定刻より10分ほど早い 13:50、山形空港到着です。
バゲージクレームはベルトコンベア1台、搭乗ゲートは2つの小さい空港です。 -
山形空港はJAL路線のみのようですね。
このカウンターの並びには空きカウンターがあり、観光パンフ置場と化していました。 -
気温は、なんと、31℃!
korotamaにとっては今年一番の暑さでした〜(◎o◎) -
市内のビジネスホテルにチェックインし、さっそく街歩き。
といっても、時刻はすでに16時近く。お城周辺をちょっとだけかなー。
歩いた道筋
http://maps.google.co.jp/maps/ms?ie=UTF8&hl=ja&msa=0&msid=113923146550411158103.00046d8ef53516ebee75c&ll=38.250853,140.332704&spn=0.018738,0.038581&z=15 -
まず目を引いた日枝神社。
古そうな板壁が風情たっぷりです。 -
像の彫り物が・・・
-
三の丸土塁跡
だと思われます。案内板が見つけられなかったので、ちと自信はありませんが・・・。
平地のこの辺りで、ここだけがこんもりと盛り上がっています。 -
城跡へ行くべく、JR山形駅へ向かったら、山形新幹線つばさが停まっていました(^.^)
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空港よりも大きい JR山形駅です。
ここを通り抜けて、城跡へと向かいます。 -
お堀です。
すぐ右手をJRの線路が走っています。
土塁の木々の鬱蒼たること!
水も濃〜い緑です。
釣りを楽しむ人を何人も見かけました。 -
立派な石垣は「二の丸南大手門跡」
どっしりとしています。
山形城跡については別立てにしました。
真夏のごとき山形へ(2) 山形城跡(霞城公園) 〜2009年6月〜
http://4travel.jp/traveler/korotama/album/10351598/ -
1878年(明治11年)、旧山形城三の丸内に初代山形県令 三島通庸(みしま みちつね)が建てた県立病院「旧済生館本館」を解体復元されたものが霞城公園(山形城跡)内にあります。
広い中庭と回廊を持つ3層4階、高さ24mの洋風建築。
「三層楼」と呼ばれて親しまれていたそうです。 -
霞城公園(山形城跡)の散策路を歩いていたら、電車がやってきました。
お堀の中に線路がある!
先日の、江戸城お堀中首都高に引き続き、不思議な感じがしました。
江戸城お堀中首都高
http://4travel.jp/traveler/korotama/pict/16356637/ -
霞城公園(山形城跡)に別れを告げる頃、陽もそろそろお隠れになるところでした。
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復元された二の丸東大手門から城下町へと戻ります。
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ところで、平城であった山形城。
天守閣はありませんでしたが、城への入口直前の道は桝形にするなどの防衛の工夫が施されていました。 -
現在の済生館。
立派な市立病院ですね。 -
「旧県庁舎」
現在は県郷土館として「文翔館」と呼ばれています。
1916年(大正5年)竣工のイギリス・ルネサンス様式を基調としたレンガ造りの建物です。
1975年(昭和50年)県庁移転の10年後から、約10年の時間をかけて1995年(平成7年)に修理工事が完了しました。 -
「旧県庁舎」の隣には「県議会議事堂」が建っています。
こちらも「文翔館」の一部です。 -
文翔館の前庭に人々が集まり、
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キャンドルナイトのイベントが行われていました。
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暑い中、4時間半ほどを歩き、足も棒のようになってしまいました。
旅行の楽しみの一つ、土地の食べ物です(^。^)
土曜の夜なのに飲み屋さんはどこも大繁盛。
30分ほど待って「いろはにほへと」に入りました。
全国チェーンの居酒屋ですが、地のものも食べられます。
右上:じゅんさい酢(食欲増進だね!)
左下:山形芋煮(山形と言ったら、やはりこれですかね)
右下:活ホヤ(脂がノリノリでした)
他にも、鮪のテールステーキにアスパラの天ぷら、イカたたきをいただき、もうお腹いっぱいです(*^。^*) -
だけど、入口の雰囲気に誘われて、同じビルに「花膳」にも入ってしまいました(^^ゞ
「いろはにほへと」に入る前に一度覗いてみたのですが、その時は満員で入れなかったのです。 -
地のものテンコ盛りです。
中上:サメの心臓刺
右上:「だし」と青豆豆腐
左下:マンボウ刺
中下:若竹焼き
右下:「だし」ご飯
「だし」とは好みの野菜をみじん切りにして、昆布としょうゆに漬けたもので、山形郷土料理の一つだとか。
「花膳」さんではキュウリとミョウガを和えていました。
あと、行者青菜のお浸しもいただき、お腹はもうはちきれんばかりとなってしまいました(^_^;) -
二日目の朝、前日は真っ暗でよく見えなかった、町中の三の丸土塁跡を見に出かけました。
土塁脇に建つ「歌懸稲荷神社」(うたかけいなりじんじゃ)
城主や城下の人々が、短冊に歌を書いて神社に奉納する風習があり、歌を詠まないものは渡らせない橋も付近にあったところからこの名が付けられたとか。 -
歌懸稲荷神社 手水舎の龍
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この歌懸稲荷神社、そもそもは、山形城主斯波兼頼が山形城の守り神として城内に建立したのが、その始まりだそうです。
最上家は代々厚く信仰していたそうですが、1622年(元和8)年、最上家が改易されて新城主となった鳥居忠政が、人心一新のため、三の丸の外の現在地に移したのだそうです。
このように、城主が変わるたびに、神社も他所から連れてこられては追い出され、という繰り返しがあったとか。 -
歌懸稲荷神社 拝殿
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歌懸稲荷神社 奥殿
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歌懸稲荷神社境内の裏手西側に「三の丸土塁跡」があります。
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斯波兼頼(しばかねより)により築城された山形城を大きい規模に構築したのが最上義光(もがみよしあき)。
その規模は、本丸・二の丸・三の丸合わせ、東西1,480m 南北1,881mにも及んだとか。
この「三の丸土塁跡」は三の丸の東南方に位置します。 -
堀を掘った土で造られた土塁。
ビル2階の天井をも超える高さがあります。 -
アゲハチョウ
都会の中のオアシスです。 -
アゲハが羽を休めていたのは、ヨウシュヤマゴボウ(洋種山牛蒡/ヤマゴボウ科)。
明治時代に日本に持ち込まれました。 -
ほんの僅かな三の丸土塁跡ですが、木がこんもりと茂り、korotamaにとってもオアシスでした。
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