2009/05/12 - 2009/05/23
34453位(同エリア45945件中)
明石DSさん
9:02:56
9時1分、西明石(発)快速
我哈爾濱に旅立たん
デジカメ時間によれば新快速遅れてるん?
今より日常ならず
年にわずかな非日常の世界へと参る
無事帰国出来るや否や?神のみぞ知る
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1日目:関空〜哈爾濱(ハルピン)
5月12日(火)晴れ
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2009.平成21年5月12日(火)
■8時40分:我が家を出る
家内は仕事に出かけ見送りなしの出発となった。いつものことながら楽しみより不安の方がどちらかというと大きい情けない旅人である。
そして今回は4月8日にギクッと腰に痛みが走り、以来完治せぬままである。整骨院でも筋肉が少ないと言われてしまった。少年サッカーの監督を平成七年に辞めてから、車とパソコンの前に座り続けて13年以上が経っている。
昨年8月20日から健康管理を趣味とし急激な減量(三ヶ月で10キロ)と、急激に歩き始めたが、その無理がたたってのこの様だ。しかし、これも「天の声」「先祖の戒め」とありがたく思っている。そして不安を抱えての今回の旅は自分への試金石でもある。
「無理をしない」・・・それが実践できるか?否か?そして腰痛は一体どうなるのか?
尿道結石で苦しんだ時に劇的に効果があった「ボルタレンサポ50mg:痛み止め“座薬カプセル」が冷蔵庫に置いてあったのと、錠剤のロキソニンを一杯リュックに入れた。
旅は自分にとっての「修行」と言いながら苦を求めるのではなく、ひたすら安心と楽を目指すのが私である。
「生きて再び戻って来るぞ」と言い聞かし玄関を出る。腰痛の為に少しでも軽くと思って下着も二日に一回、今までの半分の使い捨てにしたのに腰のポシェットも含めて10キロの重さを担ぐことになった。
9時1分の西明石(発)新快速に乗り9時23分三ノ宮着、その自分が夕刻には哈爾濱市内を歩いてる不思議をいつも思う。「なんでやねん?」と。
三ノ宮からリムジンバスで関空へ、片道なら1900円、往復なら3000円がバスの料金だ。往復買えば800円もお得である。無論、往復を買うのだが、「復」を使えるのか?心配するのは果たしてこの世に私だけなのか?
誰が見てもリュックを担ぎ冴えない身なりの私の風体で今年も関空のリムジンバス停に立つ。何処に行くのか想像もできよう。まだここではマスク姿は見なかった。9時40分(発)であった。そして1時間後の10時42分に空港に着く。やはりマスク姿がチラホラいた。
関空に出店している銀行も今は、数年前はやっていなかった人民元の両替も行っている。で聞けば1万円が621元と言う。「ふざけるな!」というレートである。嫌みったらしく「現地で両替の方が遥かに良いですね」と言うと、すました顔して銀行のオッちゃんは、「少しは良いかもしれないですね」と言っていた。
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9:34:24
三ノ宮→関空、リムジンバス
片道:¥1900円、往復¥3000円
800円も安い。何故?
往復券を買いながら復を使えない者がいるのか? -
10:59:06
もう、すでに出国手続きを終え搭乗口へ
まだ離陸まで2時間あるけど
火曜の朝の関空、のんびり -
12:46:26
中国南方航空 CZ 696便 13:10(発)
関空→哈爾濱 直行便 中国人客が多数
ハァ〜??
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■搭乗口の付近で
出国手続きもあっという間に終わり搭乗口に到着。昨年はビジネスクラスだったのでビジネス専用のサクラ・ラウンジなる所で待ったが、今回はエコノミーのなので26番搭乗口前に向ったが・・・。
でも、まだ搭乗時間までたっぷりあるのでパソコンが自由に使えるブースに坐って、パソコンを見ていた私に思わぬ人から声を掛けられた。
“何処で待てばいいのですか?”と。
哈爾濱の近くの村に里帰りする51歳の中国人女性。二十歳以上年上の日本人と再婚し、6年前から日本に来ているのだが、今まで一度も飛行機に乗ったことがないと言う。
いつも天津への船旅で、そこから列車に乗ってが彼女の日本への往復だったようだ。離婚した中国人夫との間に二人の子供があり、長女は29歳で既に結婚し孫も一人いて、福州に住んでいる。長男は25歳独身で、彼女が暮らしていた家に今も住んでいる。そこへの里帰りだ。
彼女の妹も日本人男性と結婚し大阪で暮らしているという。妹の主人の父が残留孤児。その妹に再婚を勧められ、今の旦那を紹介され2〜3年後に結婚に踏み切ったと言っていた。安易な結婚目的ではないと言いたいのだろう。
主人は悠々自適の中国通、中国語も普通に話せるらしい、大阪の中国料理店で働いている彼女の収入は全て彼女の自由で、日本での生活費はすべて旦那が出してくれるそうだ。
帰国時も哈爾濱の空港で日本の年寄りと20歳以上は若いであろう中国人女性が寄り添い坐っていたが、出国手続きが始まると男性だけが日本へ向い、その場で何度も別れを惜しんでいる光景を目にした。あまり気分の良いものではない。
彼女は小さな冊子のアルバムを私に見せてくれた。主人も二人の子供たちも孫もみんな写っていた。そして彼女自身も明るく行動的な女性に見える。一ヶ月くらい哈爾濱で滞在し、その間に娘も訪ねて来るようだ。
この先、彼女(漢族)とその主人の運命は如何なることになるのか?とにかく今回の旅行でも漢族の膨張ぶりが嫌でも目についた。13億14億か・・・。世界中に押し寄せている。日本は周囲が海で、海が辛うじて幸いしているが。
彼女は6年間日本に暮らしているが日本語が達者ではないので、私も中国に行く前に中国語の練習になって良かった。その内、搭乗口前の椅子は中国人が殆んどを占めていた。
前も後ろも横もみんな哈爾濱に戻る?中国人。何でこんな“おばあさんが?おばさんが?”と、思える人も多い。残留孤児の関係で一族含めて一体何人が日本で暮らす権利を手にするのか?訳が分からない。
私は満洲の地が漢族が権力を握る中華人民共和国に属する正当性は何ら無いと思っている。満洲も今や漢族がその人間の数で席巻してしまっているようだ。日本の将来をホント危惧する。
搭乗が始まる前に近くにあった店で、13日に牡丹江で半日世話になるガイドの権香玉さんへの土産を買った。1000円の三菱鉛筆の文具セットを。私も欲しい物である。我的小意思。
搭乗が始まり偶然にも彼女の席が私の前だった。私は23A窓側、彼女は22A。二人座席を一人づつ坐る。それくらい空いていた。13時10分の定刻わずか前に離陸し一路哈爾濱へ向う。
眼下の景色は雲で見えず。去年は離陸後30分くらいに、まだ雪に蔽われた高峰連なる山々の景色を眼下にして感動したのに。何度飛行機に乗っても、大人気ないのは分かっているが、ついつい身の乗り出すかのように眼下の風景を見ようとする。
そして中国時間3時10分の定刻前に車輪も下ろし着陸体制に入った。しかし着地寸前にエンジンを全開させ轟音とともに急上昇・・・。確かに両翼が安定せず上下にふらついているのでおかしいなあと思っては居たが、こんなこと初めての経験だった。
少し前に米国かカナダの貨物機が日本で横風にあおられて着陸に失敗、機体は横転、乗員二人が亡くなった。そのことを思い出しヒヤリとした。一度上空で旋回し10分後に再度着陸態勢に入り今度は無事に着陸した。
外に出て台風のような強風に納得。パイロットの判断に敬意を表す。着陸後、早速乗客は手荷物を持ち通路に並んで出ようと準備をするが、インフルエンザの防疫で再度坐って待たされることに・・・。
白衣の男性検疫官が二人、左右の通路に坐っている乗客各位に検温の為の光を当てての確認だけだった。誰も体温の高い者は居なかったようで、すぐに機外に出れた。私の前席の彼女は息子が迎えに来ているようで、初めて乗った飛行機は「気分が悪い」とうかぬ顔をしていたが、再見!と言って別れた。 -
13:45:00
メシ、メシって、そりゃあ今も使うけど
「鶏肉」去年も確か食ったような
味は?食うのは食える
300円の日本のコンビニ弁当の方が遥かに美味いけど
何故か?完食す、いっつもやけど。俺は確かに卑しい。 -
16:13:34
ビ、ビ、ビビリました。初体験!
着陸寸前突風に煽られ
エンジン全開!急上昇、ドキドキ
血圧も急上昇
パイロットの判断に敬意を称す -
16:22:38
白衣の検疫官二名現る
体温計り無言で去る
検疫は簡単なり、格好だけと思われる -
16:37:42
台風のような突風が吹いていた
哈爾濱国際空港は改修中
次のリムジンバスに乗りました。20元
タクシーだと120〜150元
金のない人とケチな人は、是非、リムジンバスで
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■さあ!昨年に続いての哈爾濱到着
リムジンバスの場所も分かっていたのですぐに出向いたら、出発真近だった。乗れるか?と聞いたら「無理、次のにしてくれ」と言われた。時間より満員になったら出発と言う感じだ。
5分も立たない内にすぐに次のバスが来て乗り込んだ。それも次々と乗客で埋められて行く。3時20分過ぎに着陸し、機内で検温、そして出国手続きをし、一台バスをやり過ごして次のバスに坐ったのが3時40分。アッという間である。
バスはすぐに満員になり、それでも乗せろと揉めていたが男は降ろされ、その後に来た女性はちゃっかり車掌の席に坐って乗り込んだ。ハハハこれが中国。
1時間後の4時40分ごろには哈爾濱駅前に到着。64年前の8月15日前後、この駅前も日本人でごった返していたのだろう。そして、伊藤博文が暗殺されたのもここ哈爾濱の一番ホームだ。石光真清が洗濯屋、写真屋を開業し諜報活動をしていたのも哈爾濱である。
その哈爾濱に再度立つ。ホテルに行く前に明日のバスを確認しておこうと客運站を探した。探すといっても哈爾濱駅の前に有ったのに気付いただけだが。早速中に入って牡丹江行きの時刻表を見たら8:00発があった。
その確認をして一端外に出たがもう一度入りなおして駄目もとで「明日の切符を買えるのか?」と窓口で聞いたら「買える」とのこと、料金は87元(1300円)だった。4時間くらいのバスの旅である。
さあこれで明日の移動も確定し、今日の宿に向う。今日の宿である華僑飯店は哈爾濱駅正面の紅軍街にあり、その昔は中央寺院(サボール)があったロータリーの手前にあるはずだ。
腰に不安を感じながら緩やかな上り坂を駅を背にして南東の方角に歩いた。旧大和ホテルが駅を背にして道路左側にすぐあり、次に私が歩いた道路側(駅を背にして右)に満鉄事務所、そして1936年から日本領事館だった建物が今も使われながらある。
午後の五時頃、華僑飯店は徒歩五分ほどで見つかった。中央寺院跡のモニュメントがあるすぐ近くだった。なるほど見かけもボロホテル、年代物かも。
フロントで「牡丹江旅行社で予約している」と言うと、すぐに分かったが外国人は慣れていないようでその後が手間取った。パスポートの確認から書面に何を書かせれば良いのか?二人の女性服務員が遣り取りしている。
そして料金の確認?「ここで受け取るのか?」それとも「旅行社から受け取るのか?」それすら二人は定かでないようで・・・。挙句の果てにパスポートをコピーするということで持って行かれてしまった。それもなかなか戻ってこない。姿の見えないところに持って行かれるのは不安なのだ。
そんなこんなで部屋に入ったのが5時20分ころ、別棟の476号室。今回の旅行を通じて一泊220元(3300円)と一番高かったが一番悪いといっても過言ではない部屋だった。
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17:42:38
突風吹く哈爾濱駅
写真では青空が広がって好天気のようだけど
今年も来ましたハルピンへ -
17:46:56
哈爾濱駅前:客運站(長途汽車站)
明日の8時(発)牡丹江行き切符を買いました
87元(¥1300円)
一安心 -
17:56:38
駅近くの旧大和ホテル
きっと満洲時代、いろんな人が出入したのだろう
時は移り、人は代われど・・・。 -
17:58:12
1925年(大正14年)落成:南満洲鉄道哈爾濱事務所
1936年(昭和11年)哈爾濱総領事館
紅軍街にある -
18:01:36
華僑飯店
中央寺院跡交差点すぐ傍
見た目ボロく、中味もボロく
寝るには不便なく
何で?この旅を通じて一番高い宿泊代
一泊、220元(¥3300円) -
18:58:00
やはりここは“キタイスカヤ”というロシア語名が似合う
中華街より遥かにいいなあ、エキゾチックって言うのが
ロシア人ってのは
一体何で、こんな粋な街並みを作れるの?
よう分からん
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■中央大街へ行く
荷物を置き、一休みの間もなく外に出て中央大街(キタイスカヤ:ロシア語で中国人の街)にタクシーで行った。昨年はキタイスカヤから歩いて近くの曼哈頓商務酒店というホテルだったのでよく歩いたところだ。
去年は補修工事をやっていて雰囲気は今一だったが、今年はそれも終わって、昔ながらの石畳の大通りで歩行者天国、左右には満洲時代の建物が軒を連ねた往時を偲べる場所である。
今日の私の目的は似顔絵を書いてもらうのが第一、早速去年の場所近くに行ったら二人の似顔絵描きがいて一人は席を外していた。選ぶことも出来ずその“おっちゃん似顔絵画家”の前に坐る。
そして“20元”と言って白黒のを頼んだ。おっちゃんは頷き早速書き始める。時には人だかりになり又誰も居なくなりしながら、風は冷たいし、寒くなるし。去年もそうだったと思い出す。
しかし、それでもまだ延々と終わらず途中このおっちゃん20元と私が言ったのを聞き流し、勝手に30元のカラー似顔絵を描いているのだろうと気がついた。色鉛筆を持ち変えているのだから・・・。
デジカメ時間によれば35分くらい掛かっている。寒かった。出来は今回の私の気持ちを象徴するように情けない顔に描かれていた。元気のない顔になっていた。きっとそんな顔をしていたのだろうと思う。見事というべきか。
30元とカバーの10元、あわせて40元を払った。どちらにするのか?確認もせぬまま、いや私は20元と言ったのに、カラーにしないのか?と、客の私に問うこともなく描き。10元のカパーも黙って掛け、そして私も40元を払い、おっちゃんも何のことなく受け取る。
最初の私の一言“20元”という中国語を耳にし彼は私を日本人と見抜き、その上表情は無論だが私の心の中まで似顔絵にして仕上げた。これも中国。寒かった。
描き終ったのが6時40分(日本時間7時40分)頃、松花江も夕暮れになっていた。その松花江を背にセルフで写真を写す。去年より痩せて老いた顔が誤魔化しようもなく写っていた。これでもさっき似顔絵を見て反省し、元気を出し笑顔にしたつもりなのに・・・。
ちょうどその頃、松花江の向こうに赤い夕陽が沈んでいった。そして防洪紀念塔の建つ広場で、なにやら野外コンサートが行われていた。行ってみれば、「そうか、四川地震一周年だったのか」と気付く。去年はその翌日の13日にノモンハンに向って家を出たのだった。
その募金集めのようである。募金活動と言っても市民の発案と実行でなく公の機関によるもののようだった。看護婦や学生達が居並び、舞台の上では合唱団による歌。募金箱に入れる者少なく、そんな目的意識も甚だ乏しく感じた。
しかし見ててオモロイ。美人コンクールのようでもあり男性カメラマン多数。私しもその内の一人になりきり小さなデジカメで遠慮なく写しまくっていた。皆さん寒い中ご苦労様です -
18:59:00
旧松浦商行:現新華書店
日本人の満洲時代を偲ぶ
キタイスカヤをそぞろ歩き
http://youtu.be/QuBymwHuxsc -
19:05:40
恒例の似顔絵
やっぱし長過ぎる、寒すぎる
手抜きはないのか?
勝手にカラーにするなよ、おっちゃん。
http://www.youtube.com/watch?v=LJ01POu-1Ak&feature=player_embedded -
19:49:18
夕暮れの松花江
この河畔に、多くの日本人が佇み夕暮れの一時を楽しんだ
山河は幾久しく同じ場所で姿を変えぬ
そこに集う人間は、時代と共にコロコロ変わる
100年後は如何に?松花江の河畔に集うのは誰?
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■松花江にて
美人コンテスト撮影会を楽しみ7時ごろキタイスカヤの一角にオープンした「尚上家」という店に入った。通りに面した建物の二階にある。その建物自体は昔の物だろう。
吉野屋のような、マクドナルドような、ケンタッキーフライドチキンのような店で、こんな感じのチェーン店が増えている。中に入って先に注文と金を払い、持ち帰りも出来る。
迷った挙句に「尚上家」特製?の妙な“うなぎ丼”を頼んでしまった。それにコーラ(計28元:420円)。“うなぎ”の味は“うなぎ” だったが、それ以外は初めての味で美味くはない。うなぎ丼を期待した私が馬鹿だった。
そして日も暮れ、タクシーで駅前に戻りワンバに行って掲示板をチェックしローマ字で書き込み(日本時間・午後8時53分:中国時間−1時間)、家内にホットメールを送信、ローマ字で無事を伝えホテルに戻る。8時半ごろに部屋に戻った。
旅に出るとすぐにテンションは上がり歩き回る。誰しもそうなのだろうけど、私も例にもれず。腰痛を抱え「無理するな」という戒めも早忘れ、いや忘れるほどに痛みなく感謝の一日終了す。さあ!明日は牡丹江に出発だ。 -
19:51:12
何や?こりゃあ、コンサート?じゃあなく
そうか四川地震一周年の追悼か
そういえば去年の5月12日、哈爾濱出発の前日だった -
19:51:48
選ばれし美女二人
でも、でっかい募金箱が空に近いでぇ〜・・・。
澄まし顔と空箱の対比がオモロすぎるけど? -
19:52:40
地震一周年美女コンテスト?
アマチュアカメラマン右往左往
その内の一人になりすまし、ちっこいデジカメでパチリパチリ
HPの容量の関係で、写真小さく無念 -
20:03:16
キタイスカヤ、尚上家での夕食
美味いもの食えるかな??? -
20:13:34
うなぎ丼のような代物を頼んでしまって後悔する
不味いって思わないのか?美味い物を知らないのか?
どっちやねん、はっきりしてくれ! -
20:34:12
夜の哈爾濱
朝は西明石、夜は哈爾濱
これって普通のことではありません
100年前は絶対無理でした
じゃあ100年後は?
生きてませんから分かりませんが
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